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其の八 皮紙
しおりを挟むなおも女は語る。
大店を切り盛りする身となったいまとなっては、どうしてあれほど恐れていたのかわからず首をひねるばかり。
だからなんら臆することなく結ばれた紐の封を解き、朱の箱を開けてみれば、中にあったのは一枚の皮紙。
何の動物の皮を加工して造られたのかはわからないが、相当の年代物であることは確か。
皮紙の表面に書かれてあったのは、鳥居の印に、「はい」と「いいえ」や「男」と「女」、それから零から九までの数字に、あとは平仮名の五十音表。
それを目にして旦那は「なんだ、降霊術の紙か、くだらん」とがっかり。
あの世の霊と交信して、様々なお告げをしてもらうというのが降霊術。
狐狗狸さんの呼び名で広く知られており、明治の世に入ってから爆発的に流行したことがあった。
だがこれを悪用した強請りたかりに詐欺事件が横行し、当局による厳しい規制が入りすっかり下火となってしまう。
また近代化が進むうちに、次第に明らかにされていくカラクリ。
潜在意識や筋肉疲労が原因で起こる現象に過ぎないとの見解が大勢を占めて、いまでは婦女子らが戯れに遊びとして行う程度のこととなってひさしい。
だから旦那はすぐに片付けようとしたのだが、そのときになって箱の底に残る存在に気がついた。
すっかり黒ずんでいる外国のコイン。
手に取ってみるとずしりと重い。表面がえらくくすんでいる。女性の横顔らしいものが刻まれてあることぐらいしかわからない。
広げられた狐狗狸さん皮紙。
手の中のコイン。
ふたつをじっと見比べた旦那。「せっかくだから、ものは試し。ちょっとやってみるか」という気になった。
コインを鳥居の印のところに置いて、そこにひとさし指をのせては「狐狗狸さん、狐狗狸さん、お出ましください」なんぞとぶつぶつ。
正しい作法は知らぬ。あくまで戯れにすぎない。
この家は憑き物筋であるがゆえに、忌避する者も多いが、それを目当てに近寄ってくる連中も存外多い。なかには真面目に研究している民俗学の学者や宗教家もいるが、大半がインチキの類。良くも悪くもいろんな連中と接する機会に恵まれたせいか、おのずと磨かれた審美眼。歴代当主たちが「降霊術は児戯、使えぬ」と判断したことを彼もまた支持していた。
だがしかし、この気まぐれが彼におもわぬ福音をもたらすことになった。
◇
事情聴取のさなか、切りのいいところでいったん話を止めた女。
さすがに語り通しにて喉が乾いたのか、自分の湯飲みに口をつけ「ふぅ」とひと息。
その姿を眺めながら、向かい側に座っている駐在は手にした鉛筆にてトントンと筆記帳を叩きながらの、しかめっ面。
「……まさかとは思うが、貴女を嫁にと迎え入れたのは、その狐狗狸さんのお告げに従ったからとか言わないだろうな」
その言葉に「すみません。そのまさかです」と女が大真面目にうなづいたもので、駐在は内心で頭を抱えずにはいられない。
理解に苦しむ。人生の大事、大切な伴侶を決めるのに、よりにもよって狐狗狸さんに頼るとは……。いや、それ以前に今どき憑き物筋とかわけがわからない。
呆れてものも言えない。
駐在は話がおかしな方へと進み出したもので、はやくも調書をとろうと考えたことを後悔し始めていた。
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