秋嵐の獄、狐狗狸けらけら

月芝

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其の九 旦那さま

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 女はふたたび語りはじめる。

 黙っていたところで、いずれは当人の耳に入ること。
 初夜の場にて、両手をついて深々と頭を下げ「すまなかった」と詫びる旦那。
 これに対して女はきょとん。正直なところ憑き物筋や、降霊術や狐狗狸さんだのということはよくわからない。
 ただ女にわかったことといったら、目の前の男が誠実な性質だということ。
 そしてそれだけで男を受け入れるのには充分であった。

 日増しに厳しくなる戦局。先細りするばかりの花柳界にあって、身の置き所のない自分を、わざわざ引き抜いたばかりか正式な嫁に迎え入れてくれた。しかも世の男たちが、やたらと亭主風を吹かせては、自分の女房を泣かすのが当たり前のようなご時世にあって、この対応。これで文句を言ったら罰があたる。
 だから女は「どうぞ頭をあげて下さいませ、旦那さま。私はいささかも気にしておりませんから」と微笑んだ。

  ◇

 女が輿入れした先は瀬戸物を扱う由緒ある大店。
 とはいえこの時節柄、店のなりは立派だが、さぞや苦労しているのかとおもいきや、さにあらず。
 旦那さま、軍部との太いパイプを持っており、軍需用品の商いにてむしろ左うちわ。
 しかもそうして得た利を、別の事業に投資したり、関係各所にばら撒いては方々に人脈を広げ、あるいは田舎に土地を買い、地元の人間を雇っては広大な田畑の世話をさせたりもする。

 口さがない者はその繁盛ぶりをやっかみ「さすがは憑き物筋」と陰口を叩いたりもしていたが、本当のところはわからない。
 けれども旦那さまが、そんな家柄に産まれ幼少期より苦労したがゆえに、なんでもかんでも憑き物のご利益にされるのを厭うて、ひと一倍研鑽を重ねたことだけは確か。
 おかげさまにて、世間では配給の回数も量もみるみる減っており、困窮しているのを横目に食べ物に不自由することもなく、店の奥での暮らしぶりは至極快適であった。

 不思議であったのが、あの何かと「贅沢は敵だ!」「国防は台所から」などと口やかましい国防婦人会がちっとも店に乗り込んでこないこと。
 連中は地獄耳にて、やたらと鼻が利く。そして女性の悪い部分が凝り固まったかのような存在にて、憲兵どもよりもよほど陰湿で苛烈。
 女が芸者時代に世話になっていた置屋にも、連中、割烹着に墨書の白タスキという揃いのいでたちにて乗り込んで来ては、難癖をつけられてたいそう辟易させられたものである。

「あぁ、いずれアレが押しかけてくるのでは……」

 囲まれて寄ってたかって文句を言い募られては、小突かれ「おまえはダメだ」と否定される。過度な平等感を是とし、没個性を押しつけてくる。
 まるで話が通じない。ちっとも話を聞いてもらえない。話している言葉は同じはずなのに、意味が分からない。狂ったように一方的に同じことばかりをわめき散らす。まるで壊れたレコードのよう。
 人の皮をかぶったちがう何かみたいで、とても気持ち悪い。
 あれはとてもおっかないもの。

 ゆえに女は国防婦人会の来訪を警戒し、怯えていた。
 するとそのことを察した旦那さまは「ふふふ」と意味深な笑みを浮かべる。

「安心おし、そちらの方にもちゃんと手を回してあるから。だからお前は心安らかに過ごしておくれ」

 どうやら旦那さまは、この近辺の婦人会の主だった者らに裏でこっそり付け届けをしていたようである。「活動、ご苦労さまです。これは些少ではございますが、どうぞ皆さまで」といった具合に。
 抜け目のないしっかり者の旦那さま。
 女はたいそう感心し、ますます頼もしくおもったものである。


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