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其の四百六十六 鬼押出し
しおりを挟む山中での一夜が明けた。
迷い家よりもてなしを受けて英気を養い、銅鑼とおみつは心身ともにすっかり元気となった。
ふたりの目的地である浅間山は、信濃国を横断した先、隣接する飛騨との国境近くにある。
今日はひと息に飛んで、明るいうちに現地入りを目指す。
銅鑼の翼をもってすれば陽が沈むより前に辿りつけるだろう。
準備を整え、いざ迷い家をあとにするという段になって――。
「おや? 帯をかえたのか、おみつ」
ぶっきらぼうなくせして、なんだかんだで目敏い銅鑼が同行者のささいな変化に気づく。
「あぁ、これ? 朝、起きたら枕元にきれいにされた着物らと一緒に置いてあったの。でも自分の帯だけが見当たらなくって、それで借りたんだけど……いけなかったかしらん」
落ち着きのある色味の縞模様の帯は紬織(つむぎおり)である。玉繭からとった絹糸を用いられたその品は、柔らかな手触りにて、派手さはないがざっくりとした温かな風合いが特徴で、使い込むほどにいい塩梅の艶がでる。紬は古くから各地で作らえており、結城紬や大島紬などが有名だ。
おみつが付けている紬織の帯は、ぱっと見には地味な色だが、そのぶん日常使いの勝手は良さそう。見る者が見ればその価値がわかるという逸品であろう。
「いいんじゃねえか、よく似合ってるし。わざわざ迷い家がおみつのために用意してくれた帯だ。ありがたく使わせてもらえ」
銅鑼の言葉におみつは安心したらしく、表情から不安が消えた。
おそらくこの帯は善良なおみつに対する、迷い家からの餞別であろう。迷い家は気に入った者には富貴をもたらす宝物を授ける。
にしても、あの紬織の帯……一見するとおとなしそうにみえて、かなり年季がいっている。それすなわち只の帯じゃないということ。
おみつは迷い家に相当気に入られたようだ。
「帯の正体についてはいずれわかることだし、まぁ、いいか。それはともかく……おれには何もないのかよ」
そんなことをつぶやいた銅鑼であったが、直後の事である。
頭の上に降ってきたのは、どんぐりひとつ。
茅葺屋根から転がり落ちてきたそいつが、銅鑼の頭をこつんとやった。
まるで「おまえはこれでもくらえ」と云わんばかり。
どうやらこれが迷い家からの返答らしい。
銅鑼は「ちぇっ」と口を尖らせた。
◇
おみつを背に乗せて有翼の黒銀虎が空を征く。
本日は快晴にて、まだ陽が高いこともあって、仙桃を狙う有象無象の妖は出てこない。
さりとて油断はならない。
途中、休憩にて地上に降りたのだけれども、林の奥で狙われた。
多少は知恵を持つ者であったらしく、正面からかかってこずに、暗がりから忍び寄り、こっそり盗もうとした。
もとよりあやふやな存在、半端な妖にて、存在も希薄……。
加えて緑の濃さがその気配を消したもので、銅鑼の鼻をもってしても気がつくのに少し遅れた。
あわやのところを救ってくれたのは、紬織の帯である。
まるでちょんちょんと袖を引くかのようにして、持ち主に危険を報せたもので、おみつ自身が「あっ!」と気づいて、迫る魔の手からさっと身をかわす。
これにより銅鑼も異変に気がついて、事無きを得た。
「え~と……、この帯ってもしかして妖怪なの?」
やや戸惑っているおみつだが、さりとてはずそうとはしない。
やはり胆が据わっているというか、いろいろと毒されて感覚が麻痺しつつあるというか。
銅鑼はちょっと苦笑い。
なんぞということもありつつ、一行はひたすら距離を稼ぐ。
するとついに遠くに目指す山の姿が見えてきた。
烏帽子岳(えぼしだけ)、湯ノ丸山、籠ノ登山、水ノ塔山、黒斑山、前掛山らを従えるようにして君臨しているのが浅間山である。
雄壮にして優美なる姿は、どこか気だるげでもある。
まるで湯上りに団扇片手に縁側でゆったりくつろいでいる、浴衣姿の美人の女房のようだ。
これで酷い癇癪持ちでなければ、言うことなしなのだけれども……。
浅間山が近づくほどに、地表の景色が一変した。
あれほど豊かであった緑がみるみる失せていく。
背の高い木がいなくなって、あってもまばらにて空の上からでも地面が丸見えとなる。
これと入れ違いに目立つようになるのは、ごつごつした岩たち。
やがては一帯が巨石だらけの原のような場所にでた。
鬼押出しと呼ばれる地だ。
噴火した浅間山から流れ出た溶岩流の跡。
何度も踏みつけられ、無惨に蹂躙され、破壊されたはずの大地だが、なぜだか美しい。吹く風が穏やかにて頬にひんやり心地いい。
人知のおよばぬ風光明媚。
けれども、銅鑼とおみつらが見惚れていられたのは、ほんのわずかなこと。
眼下にて列をなし転がるのは大量の妖らの骸――屍の道を見つけたからだ。
この道を辿った先に、きっと藤士郎がいる!
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