狐侍こんこんちき

月芝

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其の四百六十七 山が吠える

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 ついに浅間山が視界に入った。
 今日は機嫌がいいらしく、山は煙を噴いていない。
 これならば空の上から直接火口へと近づける。
 あとは屍の道に沿って進めば、藤士郎のところへと行けるはず……。
 とはいえ、陽がそろそろ傾きつつあった。
 夜は妖の時間だ。あまりのんびりとはしていられない。

 銅鑼とおみつが暗黙のうちに急ごうとした矢先のことであった。

 ずずずずずず……。

 低い地鳴りがして、鬼押出し一帯が震えた。
 巌(いわお)の原にて小石たちが踊り跳ねる一方で、大石らがごとりと倒れては周囲の石たちを巻き込み、崩れて割れた。
 かつて地の底よりあらわられた灼熱の溶岩流が、地表にて冷えて固まり、長い歳月を経て風化し浸食された地が、まるで胎動しているかのよう。
 かとおもえば、不意にぐわんと強い突き上げが起こった。

 地震!

 余波は空の上にもおよぶ。
 大地の震えが天にも届き、大気が波打ち風が吹きあがる。
 一見すると天と地は交わることなく、別々に存在しているようだが、そのじつひとつ、海もまたしかり、すべては繋がっている。揃ってひとつの世界なのだ。
 ゆえに空の上も無関係ではいられない。
 目には見えない力の奔流が押し寄せてきた。

「しっかり掴まっていろ!」

 銅鑼に言われて、おみつはその背にひしとしがみつく。
 直後にどんっと下から押された。
 踏ん張れないこともないが、自分は耐えられても背にいるおみつは耐えられまい。
 ゆえに黒銀虎はやや脱力し、あえて抗わず。
 両翼を広げては、流れに身をまかせてふわりと空高くへ舞い上がった。

 いっきに高度があがる。
 おもいのほかに強い力であった。
 ほんの一瞬にて、銅鑼たちは浅間山の一帯をまるごと視界に収めるほどにまで打ち上げられていた。
 少し手をのばせば、雲に指先が届きそう。
 そんな高所から遥か下界を眺めれば、震えていたのが鬼押出しの地ではなくて、その先にある浅間山であったことがわかった。

 もしや山が急に機嫌を損ねたのか?

 噴煙を警戒する銅鑼たちが注視する中、みるみる山の頂上を中心にして辺り一面にぶ厚い暗雲が垂れこめてくる。
 陽が遮られて、暗くなっていく。
 まるで無理矢理にでもお陽さまを引きずり降ろしたかのようにして刻が進む。
 夜が来る。
 そして聞こえてきたのが――

「うぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」

 咆哮、雄叫び、悲鳴、絶叫、怒号、叫喚、苦悶、歓喜、悲嘆……。
 いったいこれをなんと言いあらわせばいいのであろうか。
 様々な感情がないまぜになった声が耳をつんざく。

 山が吠える。

 いいや、ちがう!
 吠えていたのは火口にいる藤士郎だ。
 黒い異形と化し、大地の力を存分に喰らい、ついには天魔王へと至ろうとしている身が叫んでいる。

 苦しい助けてと叫んでいる。
 邪魔をするなと吠えている。
 来てはいけないと訴えている。

 銅鑼とおみつの耳にはそのように聞こえた。

「どうやら仙桃の存在に気づいたみたいだな。くくく、藤士郎の奴、ずいぶんと嫌がっているじゃないか」

 銅鑼はにへらと不敵な笑みを浮かべた。
 なぜなら、それすなわち常世仙桃・意富加牟豆美(おおかむづみ)の霊験が真にあらたかだということだから。
 天魔王へと転生する者が近寄るのも嫌がるくらいなのだから、相当であろう。

「こうなりゃあ、意地でもあいつの口に桃をねじ込んでやる。いっきに行くぞおみつ、振り落とされんじゃねえぞ!」
「はいっ!」

 娘を背に乗せた黒銀虎は両翼をはためかせては、邪魔をしようとする風たちをねじ伏せ、浅間山の火口めがけて降下を開始した。


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