狐侍こんこんちき

月芝

文字の大きさ
上 下
384 / 483

其の三百八十四 東西河童相撲

しおりを挟む
 
 河童といえば昔から相撲好きで知られている。
 しかしその理由はよくわかっていない。
 一説によると、相撲がもともと水神さまに奉納する神事であったことと、河童もまた水神の眷属であったことが関係しているのかもしれない。
 と云われているが、当の河童たち自身が「はて? どうだったかしらん」と小首を傾げるような有り様にて、真相は謎のまま……。

 とにもかくにも河童は相撲が好きなのである。
 ゆえに彼らが集まるところ、必ずと言っていいほど「はっけよい、のこった!」となる。
 ちなみにこのお馴染みの掛け声、意味や由来に関してもまた諸説あってはっきりしていないのだが、ようは「四の五の言わずに、さっさとぶちのめせ!」ということらしい。

 まぁ、そんなことはさておき――
 さっき得子がぽろっと零した「大事な行司役」というのが、藤士郎はどうにも気になってしょうがない。
 なにせ今宵は河童たちのお祭りだ。箱根神社界隈を貸し切っての大きなもの。
 ということは、あれがきっと催されることであろう。

「え~と、まさかとはおもうのだけど……」

 恐るおそる藤士郎がお伺いを立てれば、得子はにんまり。その笑顔がすべてを物語っていた。
 しかしどうして自分が? 晴れの舞台の大一番であるのならば、それにふさわしい格を持った行司が招かれてしかるべきのはず。
 だがその辺りの疑問に得子が答えることはなかった。
 彼女はただ「なぁに、じきにわかるよ」とだけ。

  ◇

 東西河童相撲――
 それは日ノ本中にいる河童たち、それらのうちから「我こそは」と名乗りを上げる猛者らを集めて、東西に分かれて雌雄を決する大一番である。
 五人ずつの団体戦、勝ち抜き戦にてぶつかり合う。
 場所は東西にて持ち回りとなっており、記念すべき第千回目となる今回は東の番であった。

 東軍を率いるのは、江戸の藍染川一帯を仕切る得子である。
 対する西軍を率いるのは、京の都の鴨川界隈にて名の知られた黄桜(きざくら)であった。
 期せずして東西ともに女傑が大将を務めることになった今回は、それだけでも華があるというのに参加する者たちも、各地で名の通った者ばかり。きっと歴史に残る名勝負を繰り広げるのに違いあるまいと、俄然注目が高まっている。

 周囲はお祭り騒ぎであるが、土俵にあがる者たちはもとより真剣である。
 その取り組みの激しさは人間の力士の比ではない。なにせ開かずの門を片手で軽々と押し開けたり、大岩を持ち上げては山向こうにまで投げ飛ばすような剛力揃いなのだから。
 そんな連中が直径十五尺ほどの円の中で競う。
 傍目には広く見える土俵の上だが、実際に立ってみたらそうでもない。ましてやそこに力士ふたりと行司ひとりが入れば、いっそう狭くなるというもの。

 人間同士の取り組みでも行司は命懸けだ。鍛え上げられた巨漢同士のぶつかり合いに巻き込まれるのは、猛牛に突進されるようなもの。
 行司差し違えで切腹、そのために行司はつねに短刀を身に帯びていることは、とみに有名な話だが、それを別にしてもつねに戦いの最前線に立つがゆえに、もっとも危険な立場であるといえよう。いきり立つ熊二匹と同じ檻に放り込まれているようなもの。当たり所が悪ければ一発で首がひしゃげる。
 だから並大抵の胆力の者では務まらない。
 ましてやそれが河童の猛者同士の取り組みとなればなおのことであろう。

 いかに狐侍とて、所詮は人の身に過ぎない藤士郎にそれをやれとは無茶ぶりにもほどがある!
 だというのに、どうしてこんな事態になったのかというと原因は西軍の大将であった。

「あら? 行司もそちらでご用意なさるのですか。ふ~ん、それはちょっと、ねえ」

 と、はんなり美河童の黄桜。
 口にこそは出さないけれども、露骨にうろんげな目線を送っては、暗に「自分たちと気安い間柄の者を行司に置いて、有利な判定をさせるつもりかしら」と嘲り、ふっと鼻で笑う。
 これにかちんときたのが得子であった。
 じつはこのふたり、昔っからどうにも反りが合わないらしく、何かと張り合う間柄であった。

「わかった。それなら河童以外の者に頼むとしよう。それならば文句はないだろう。ちょうど活きのいい人間にひとり心当たりがある。そいつならきっとうまいことやるだろう。
 あぁん? それでも貴女の知己なので贔屓があるのではだって。
 ははは、ないない。あいつはあの大妖の窮奇殿が後見し、その他にも貧乏神の貴祢太夫(たかねだゆう)さまや猫嶽の大師が認め、四凶が一角の饕餮(とうてつ)や茶袋の荼枳尼(だきに)が気にするような奴だ。見かけは垂れ柳みたいでちょっと頼りないが、今時珍しい一本芯の通ったいい男だぜ」

 挑発からの売り言葉に買い言葉。
 かくして藤士郎は女たちのいがみ合いに、巻き込まれたのであった。


しおりを挟む
感想 138

あなたにおすすめの小説

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

鎌倉最後の日

もず りょう
歴史・時代
かつて源頼朝や北条政子・義時らが多くの血を流して築き上げた武家政権・鎌倉幕府。承久の乱や元寇など幾多の困難を乗り越えてきた幕府も、悪名高き執権北条高時の治政下で頽廃を極めていた。京では後醍醐天皇による倒幕計画が持ち上がり、世に動乱の兆しが見え始める中にあって、北条一門の武将金澤貞将は危機感を募らせていく。ふとしたきっかけで交流を深めることとなった御家人新田義貞らは、貞将にならば鎌倉の未来を託すことができると彼に「決断」を迫るが――。鎌倉幕府の最後を華々しく彩った若き名将の清冽な生きざまを活写する歴史小説、ここに開幕!

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ふたりの旅路

三矢由巳
歴史・時代
第三章開始しました。以下は第一章のあらすじです。 志緒(しお)のいいなずけ駒井幸之助は文武両道に秀でた明るく心優しい青年だった。祝言を三カ月後に控え幸之助が急死した。幸せの絶頂から奈落の底に突き落とされた志緒と駒井家の人々。一周忌の後、家の存続のため駒井家は遠縁の山中家から源治郎を養子に迎えることに。志緒は源治郎と幸之助の妹佐江が結婚すると思っていたが、駒井家の人々は志緒に嫁に来て欲しいと言う。 無口で何を考えているかわからない源治郎との結婚に不安を感じる志緒。果たしてふたりの運命は……。

野槌は村を包囲する

川獺右端
歴史・時代
朱矢の村外れ、地蔵堂の向こうの野原に、妖怪野槌が大量発生した。 村人が何人も食われ、庄屋は村一番の怠け者の吉四六を城下へ送り、妖怪退治のお侍様方に退治に来て貰うように要請するのだが。

御様御用、白雪

月芝
歴史・時代
江戸は天保の末、武士の世が黄昏へとさしかかる頃。 首切り役人の家に生まれた女がたどる数奇な運命。 人の首を刎ねることにとり憑かれた山部一族。 それは剣の道にあらず。 剣術にあらず。 しいていえば、料理人が魚の頭を落とすのと同じ。 まな板の鯉が、刑場の罪人にかわっただけのこと。 脈々と受け継がれた狂気の血と技。 その結実として生を受けた女は、人として生きることを知らずに、 ただひと振りの刃となり、斬ることだけを強いられる。 斬って、斬って、斬って。 ただ斬り続けたその先に、女はいったい何を見るのか。 幕末の動乱の時代を生きた女の一代記。 そこに綺羅星のごとく散っていった維新の英雄英傑たちはいない。 あったのは斬る者と斬られる者。 ただそれだけ。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

処理中です...