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其の三百八十三 河童祭り
しおりを挟むそこかしこにて吊るされている提灯たち。
すべての石灯籠にも明かりが灯されており、合間の闇を塗り潰すかのようにして雪洞(ぼんぼり)なども立てられている。
ばかりか境内には篝火や、護摩壇なども設置されており、いくつもの炎たちがゆらゆら立ち踊っては周囲を照らす。
参道の両脇には露店がずらりと並ぶ。
香ばしい匂いをさせているのは焼いた烏賊(いか)を売っている店だ。他にも団子に蕎麦(そば)、汁粉、寿司、天婦羅(てんぷら)、甘酒、きゅうりの漬物、水売りなどなど。
食べ物以外では縁起物を扱っているところもあれば、目かつら売り、暦や道中双六を扱っている店や、櫛や簪などの小物、軟膏や腹痛に効く薬を売っているところもある。
回転する的を狙う吹き矢の的屋なんぞもあって、豪華な景品目当てに客が群がっている。
なかには「交換屋」という奇妙な看板をかかげている店もあって、『大切な物ひとつにつき願いことひとつ』との怪しい文言の張り紙がしてあった。
境内の一画では骨董市が開かれており、客たちが手にした品を返すがえす眺めては「ううん」と眉間にしわを寄せて品物を吟味している。
同じ場所では古書市もやっており、いま江戸で一番人気の黄表紙から、もしも本物であったのならば銀花堂の若だんなが卒倒しそうな値打ち物まで、ずらずら乱雑に並んでいた。
箱根神社の界隈はまるで祭りの縁日のような賑わい。客も大入りだ。
ただし集っているのは人ではない。大半が河童、もしくはその他の妖やら化生、怪異と呼ばれる者たちであったが……。
◇
見物客らでごった返している参道、前へ進むのもひと苦労するほど。
そんな人混みならぬ妖混みを、ものともせずに得子は突き進む。肩で風切り女伊達が歩くたびに自然と道が開けていく。
頼りになる彼女の背に守られるようにして、藤士郎たちはついて行くのだけれども。
周囲はごらんの通りにて、誘惑がいっぱい!
匂いにつられて、ついふらふら。烏賊焼きの屋台へと向かおうとする銅鑼を「駄目だってば! はぐれちゃうよ。あとで買ってあげるから」と藤士郎はでっぷり猫の尻尾を掴む。
かとおもえば、今度は藤士郎の方が古物の露店を前にして、つい足を止めてしまったり。
「えっ! 嘘でしょう。これってば源氏物語の幻の原本じゃないかっ」
驚きのあまり、藤士郎は腰が抜けそうになった。
ご存知、紫式部の書いた大傑作である。全五十四帖、百万文字にもおよび、収録されている和歌だけでも八百首、五百もの人物が登場するという最古の王朝物語。
たとえ文盲にて書物に縁がなくとも、この本の題名は知っているというぐらいに有名な作品である。
しかし、それほどの作品であるというのに……。いや、それほどの作品であるがゆえにか、人気のあまり何度も何度も人の手を経て写本されるを繰り返すうちに、原本は散逸し、所在不明となってしまった。昔の紙の質やら、綴じる技術のこと、保管状況やら戦国乱世を経たことを考えれば、現存は絶望的とまで言われて幾ひさしい。
「……それが、いま目の前に! しかもたったの十五両ぽっきり、もってけ泥棒だって? えっ、えっ、どうしよう。この前の護衛仕事の報酬も入って、いまは余裕があるし。ここは清水の舞台から飛び降りたつもりで買っちゃおうかしらん」
こんな機会、もう二度とないだろう。
だから意を決して藤士郎が懐から銭入れの巾着を取り出そうとしたところで、いきなり襟を掴まれて、ひょいと体を持ち上げられた。
誰かとおもえば得子である。
先を歩いていたら、いつのまにやらうしろにいたはずの藤士郎が消えており、はぐれてしまった。探していたら、この場面であったという次第。
「およしなさい藤士郎さん、どうせいんちきだから。妖の商いなんてもんは、適当も適当、遊びの延長で、しゃれみたいなもんなんだよ。食べ物の屋台ならばともかく、それ以外だと真に受けたら馬鹿をみるよ」
騙す方も騙される方も、承知の上でのごっこ遊び。
ごく稀に本物も混じっているけれど、そういうのは逆に危ない。
下手に引き当てると、どでかい代償を支払わされることになる……かもしれない。
「ったく、大事な行司役にちょっかいを出すんじゃないよ。今度やったら承知しないからな」
得子からぎろりと睨まれたとたんに、古物の露店の店主の顔が、ぽんっ!
人化けの術が解けて、あらわとなったのは黒光する鯰頭であった。
どうやらまんまと化かされていたらしい。
藤士郎はがっくしうな垂れ、銅鑼はけらけら笑う。
にしても行司役とは、いったい何?
藤士郎は内心にて首を傾げた。
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