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その九十三 白狼の昔語り 戦火

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 夫との間に男女の双子を授かり、オウランは母となった。
 さいわいなるかな。子どもたちのどちらにも母親の毛並みは受け継がれていなくて、オウランは心底ホッとしたものである。
 やはり我が子には自分のような苦労はさせたくないという親心。その願いが天に通じた。我が子を産み、はじめてその姿を目にしたとき、オウランは涙を流して感謝しきりであった。
 群れの仲間たちと、愛する家族と。
 穏やかな暮らしはずっと続くかとおもわれた。
 だがそんな彼らのもとへと暗い影がひたひたと忍び寄りつつあった。

  ◇

 人間たちがふたたび不毛な争いをはじめた。
 またぞろ己が信じる神の名を唱えては、武器を手にしての殺し合い。

 ヒトがヒトを殺す。
 ヒトがヒトの街を焼く。
 ヒトが自分が大切な物のために、ヒトの大切な物を奪い、壊し、蹂躙する。

 オオカミたちだって同胞とケンカぐらいはする。じゃれあっているうちに、つい本気になってしまうこともある。ときには名誉や誇り、地位を賭けて闘うこともある。だからとてそこまではしない。
 だから人間たちの行動は理解に苦しむことであった。

 戦争はいつものこと。
 どうせじきに飽きて止めるだろう。
 なのでとくに気にもしていなかった。対岸の火事として遠目にしているばかり。
 けれども今回のやつは、なにやら様子がおかしい。これまでのとはちょっとちがう。いつもよりもずっと、もっと激しい。

 ヒトの街を焼いた火が草原へと飛び火する。草原が燃えた。
 草原の火が森へと飛び火する。森も焼けた。
 森の火が山へと飛び火する。山までもが焔に包まれ、黒煙が一帯に充ちる。

 ヒトの悪意が形を成して大地を席捲する。
 そこに住まう生きとし生ける者たち、みながそれに襲われた。
 オウランの群れは、その災禍から逃れるべく故郷を離れることを余儀なくされた。
 そのときはまだ、ほとぼりが冷めればいずれ戻ってこれると考えていた。
 だがそれは二度とかなわない。これが終わることのない流浪の旅のはじまりであったと、オウランが知るのは、ずっとあとになってからのこと。

  ◇

 生まれ育った場所、縄張りを捨てる。
 新天地を求めての旅は生半可なものではない。
 なにせ群れの中には幼子から年寄りまでいるのだから、脚力にものをいわせて駆けるわけにはいかない。
 歩みは遅々として進まず、背後からは戦火が迫る。
 旅を続けていくうちに、ぽつり、ぽつりと、まるで毛が抜けるかのようにして脱落していく仲間たち。力なき者から足を止めては、いなくなった。
 しまいには群れの規模を維持できなくなって、分裂することも。

 飢え、渇き、疲労、病、怪我、諍い……。

 苦難の旅、なかなか希望はみえてこない。
 行く先々で降りかかってくる試練。それを超えるための知恵を授けてくれるはずの古老たちの姿はすでにない。
 そうしてようやく辿り着いた新天地では、縄張りを賭けた闘争が待っている。
 守る側も攻める側も必死だ。だから双方、無事ではすまない。
 だというのに多大な犠牲を払って手に入れた場所を、また他の誰かから奪われ追い出される。

「これでは人間どもとやっていることが同じではないか! くそっ、殺し合いをしたいのならば自分たちだけでやれっ。どうして我らを巻き込むのか?」

 幼子たちを抱える旅の空の下、母オウランは天をにらみ、災いの種をばら撒くヒトという生き物を呪わずにはいられない。
 だが世界はそこに住まう者らの慟哭なんぞにはおかまいなしに、ただあり続けるばかり。なんら答えてくれることはない。

  ◇

 群れを率いていた頭領が倒れた。
 年齢的にもそろそろ交代の時期であったのにもかかわらず、存亡の危機に際して無理を通していたのだが、心労が祟りついに限界を迎えたのである。
 この時点で群れは三十頭前後の規模にまで縮小していた。全盛期の三分の一ほど。
 頭領は息を引き取る間際にみなに告げた。

「次の頭領はオウラン、お前に任せる。みなをどうか導き守ってやってくれ」

 オオカミの群れの頭領は代々雄が務めてきた。
 その不文律を破る。ざわつく一同。だが意外にも反対の声はあがらなかった。みなわかっていたのだ。この難局を乗り切るには、これまでのやりかたを単に踏襲しているだけではダメだということを。それにこの中でもっとも強く頼りになるのが誰なのかということも。
 かくして白狼オウランは群れを託され、新たな頭領となった。


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