上 下
92 / 154

その九十ニ 白狼の昔語り

しおりを挟む
 
 禍躬ザクロマダラとの死闘を制し、赤嶺より繭玉山へと帰還した白狼と山狗の子。
 しかし帰りの道すがら、交わした魚捕りの約束が果たされることはなかった。
 以来、オウランは住処にしている洞窟に篭っていることが多くなったからだ。
 特に何かをするでなし。オウランは奥の寝床で丸まってはウトウト微睡むばかり。
 傍目には急に老け込んだかのように見えなくもない。
 だがコハクにはわかっていた。ちがう、そうじゃない。あれは羽化する前の蛹のような状態。日に日にニオイが濃くなっていく。白狼の身の内にて禍躬化が進行している。

 脈々と受け継がれ磨かれてきた山狗の血が、激しい警鐘を鳴らしている。禍躬狩りとしての魂が叫んでいる。

「かつてない脅威が誕生しようとしている。だがいまならばまだ間に合う。手遅れになる、その前に敵を討て!」と。

 でもコハクは動かない、動けない。オウランに真実を打ち明けることもない。
 ただ静かにそばで白狼を見守るばかり。

  ◇

 世界がしぃんと静か。
 風が止んだ。空には雲ひとつなく、まん丸お月さまが雪原を照らし、大地が淡く輝く。
 ことあるごとに荒れることが多い繭玉山周辺にしてはとてもめずらしい、行儀のいい夜。

 寝姿のオウラン、まぶたを伏せたまま唐突にしゃべりだす。口にしたのは自身の過去のこと。
 ぽつりぽつりと吐き出される言葉たち。紡がれる白狼の物語にコハクは黙って耳を傾ける。

 オウランは大陸オオカミ。
 かつてはこの地より海を隔てた彼方にある場所にて、群れの仲間たちとともに生活をしていた。
 良い風が吹く広い草原、緑が濃い深い森、競い合うようにして天へと突き出た山々……。
 自然は豊かで、多くの恵みを与えてくれる。
 だからとて暮らしが平穏かというとそんなことはない。豊かな地はみなの羨望の的。欲しがる者は多く、大切な場所を守るためには、そこに住まう仲間たちを守るためには、いまの暮らしを守るためには、ときには敵と戦うことも必要とされる。

 そしてオウランだが、何の因果か、みなとはまるでちがう毛並みに産まれる。
 まるで流氷のごとき少し青味がかった白。
 とてもキレイな色ではあったが、それはあくまで見た目だけのこと。こと野生という環境においては、必ずしも有益なものではない。
 黒や茶色の毛をした仲間たちの間では異質な存在、そして自然の中でもいっとう目立つ。
 雪が積もる冬場ならばともかく、それ以外の季節となると遠目にも存在がわかってしまう。それすなわち狩りには向かないということ。
 ろくに狩りもできないオオカミなんぞは群れのお荷物でしかない。

 即、群れから追放されてもおかしくなかった。むしろ産まれてすぐに慣習に従って、慈悲でもって殺されなかったのが不思議なくらい。
 オウランが群れの一員としていられたのは、当時、群れを率いていた頭領がその因習を否定したから。
 だからとて無条件に許したわけでもない。
 頭領はオウランに告げた。

「悔しければ爪を研げ、牙を鍛えろ! 狩りに不向き? ならば知恵を絞り技術を磨け! 逆境をはねのけろ! 強くなれ、誰よりも強くなれ! そしてみなの目に、魂の奥底に、お前という白狼の存在を刻みつけろっ!」

 放逐はしない。
 だが甘えは許さない。

「絶えず足掻き続けろ」と頭領は幼い日のオウランを叱咤激励する。

 これを受けて奮起したオウランは、目立つ外見を利用して囮や追いたて役として活躍するようになった一方で、己が身をいじめ抜き四肢を鍛えあげた。ついには独自の歩法を編み出し千里を駆け、完璧に気配を消しては獲物に忍び寄れるほどの隠形の術を身につけ、二の太刀いらずの必殺の爪技をも会得する。
 生まれ持った容姿の不利さをはねのけようと懸命に駆け続けているうちに、いつしかオウランは群れで一番の狩人であり戦士へと成長していく。
 必死に生きているうちに、いつしか遠巻きにしていた仲間たちとの距離が縮まっていた。自分に向けられる蔑みや忌避の浮かんだ瞳は、尊敬や羨望の眼差しに変わっていた。
 こうしてすっかり男勝りの烈女に成長したオウラン。
 群れの古老たちなんぞは「惜しいのぉ。あれが男じゃったら文句なしに次の頭領であったろうに」とよく言ったもの。

 そんなオウランもやがて恋の季節を迎える。
 相手は幼馴染みにて、彼はオウランとはちがった意味にて少し変わっていた。
 なにせはじめて会ったときにオウランをみて「うわぁ、キレイ」と目をまん丸にして喜んだのだから。
 当時、誰もが胡乱げににらんでくるばかりの中にあって、彼だけがオウランを否定しなかった。しげしげと眺めてはにこにこして、一切目をそらさなかった。
 ちょっとおっとりしており、雄としては頼りないけれども、白狼を誰よりも真っ先に受け入れてくれた相手。
 オウランが彼に心惹かれたのも無理からぬことであったのかもしれない。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

こちら第二編集部!

月芝
児童書・童話
かつては全国でも有数の生徒数を誇ったマンモス小学校も、 いまや少子化の波に押されて、かつての勢いはない。 生徒数も全盛期の三分の一にまで減ってしまった。 そんな小学校には、ふたつの校内新聞がある。 第一編集部が発行している「パンダ通信」 第二編集部が発行している「エリマキトカゲ通信」 片やカジュアルでおしゃれで今時のトレンドにも敏感にて、 主に女生徒たちから絶大な支持をえている。 片や手堅い紙面造りが仇となり、保護者らと一部のマニアには 熱烈に支持されているものの、もはや風前の灯……。 編集部の規模、人員、発行部数も人気も雲泥の差にて、このままでは廃刊もありうる。 この危機的状況を打破すべく、第二編集部は起死回生の企画を立ち上げた。 それは―― 廃刊の危機を回避すべく、立ち上がった弱小第二編集部の面々。 これは企画を押しつけ……げふんげふん、もといまかされた女子部員たちが、 取材絡みでちょっと不思議なことを体験する物語である。

剣の母は十一歳。求む英傑。うちの子(剣)いりませんか?三本目っ!もうあせるのはヤメました。

月芝
児童書・童話
世に邪悪があふれ災いがはびこるとき、地上へと神がつかわす天剣(アマノツルギ)。 ひょんなことから、それを創り出す「剣の母」なる存在に選ばれてしまったチヨコ。 辺境の隅っこ暮らしが一転して、えらいこっちゃの毎日を送るハメに。 第三の天剣を手に北の地より帰還したチヨコ。 のんびりする暇もなく、今度は西へと向かうことになる。 新たな登場人物たちが絡んできて、チヨコの周囲はてんやわんや。 迷走するチヨコの明日はどっちだ! 天剣と少女の冒険譚。 剣の母シリーズ第三部、ここに開幕! お次の舞台は、西の隣国。 平原と戦士の集う地にてチヨコを待つ、ひとつの出会い。 それはとても小さい波紋。 けれどもこの出会いが、後に世界をおおきく揺るがすことになる。 人の業が産み出した古代の遺物、蘇る災厄、燃える都……。 天剣という強大なチカラを預かる自身のあり方に悩みながらも、少しずつ前へと進むチヨコ。 旅路の果てに彼女は何を得るのか。 ※本作品は単体でも楽しめるようになっておりますが、できればシリーズの第一部と第二部 「剣の母は十一歳。求む英傑。うちの子(剣)いりませんか?ただいまお相手募集中です!」 「剣の母は十一歳。求む英傑。うちの子(剣)いりませんか?二本目っ!まだまだお相手募集中です!」 からお付き合いいただけましたら、よりいっそうの満腹感を得られることまちがいなし。 あわせてどうぞ、ご賞味あれ。

四尾がつむぐえにし、そこかしこ

月芝
児童書・童話
その日、小学校に激震が走った。 憧れのキラキラ王子さまが転校する。 女子たちの嘆きはひとしお。 彼に淡い想いを抱いていたユイもまた動揺を隠せない。 だからとてどうこうする勇気もない。 うつむき複雑な気持ちを抱えたままの帰り道。 家の近所に見覚えのない小路を見つけたユイは、少し寄り道してみることにする。 まさかそんな小さな冒険が、あんなに大ごとになるなんて……。 ひょんなことから石の祠に祀られた三尾の稲荷にコンコン見込まれて、 三つのお仕事を手伝うことになったユイ。 達成すれば、なんと一つだけ何でも願い事を叶えてくれるという。 もしかしたら、もしかしちゃうかも? そこかしこにて泡沫のごとくあらわれては消えてゆく、えにしたち。 結んで、切って、ほどいて、繋いで、笑って、泣いて。 いろんな不思議を知り、数多のえにしを目にし、触れた先にて、 はたしてユイは何を求め願うのか。 少女のちょっと不思議な冒険譚。 ここに開幕。

にゃんとワンダフルDAYS

月芝
児童書・童話
仲のいい友達と遊んだ帰り道。 小学五年生の音苗和香は気になるクラスの男子と急接近したもので、ドキドキ。 頬を赤らめながら家へと向かっていたら、不意に胸が苦しくなって…… ついにはめまいがして、クラクラへたり込んでしまう。 で、気づいたときには、なぜだかネコの姿になっていた! 「にゃんにゃこれーっ!」 パニックを起こす和香、なのに母や祖母は「あらまぁ」「おやおや」 この異常事態を平然と受け入れていた。 ヒロインの身に起きた奇天烈な現象。 明かさられる一族の秘密。 御所さまなる存在。 猫になったり、動物たちと交流したり、妖しいアレに絡まれたり。 ときにはピンチにも見舞われ、あわやな場面も! でもそんな和香の前に颯爽とあらわれるヒーロー。 白いシェパード――ホワイトナイトさまも登場したりして。 ひょんなことから人とネコ、二つの世界を行ったり来たり。 和香の周囲では様々な騒動が巻き起こる。 メルヘンチックだけれども現実はそう甘くない!? 少女のちょっと不思議な冒険譚、ここに開幕です。

湖の民

影燈
児童書・童話
 沼無国(ぬまぬこ)の統治下にある、儺楼湖(なろこ)の里。  そこに暮らす令は寺子屋に通う12歳の男の子。  優しい先生や友だちに囲まれ、楽しい日々を送っていた。  だがそんなある日。  里に、伝染病が発生、里は封鎖されてしまい、母も病にかかってしまう。  母を助けるため、幻の薬草を探しにいく令だったが――

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

剣の母は十一歳。求む英傑。うちの子(剣)いりませんか?二本目っ!まだまだお相手募集中です!

月芝
児童書・童話
世に邪悪があふれ災いがはびこるとき、地上へと神がつかわす天剣(アマノツルギ)。 ひょんなことから、それを創り出す「剣の母」なる存在に選ばれてしまったチヨコ。 天剣を産み、これを育て導き、ふさわしい担い手に託す、代理婚活までが課せられたお仕事。 いきなり大役を任された辺境育ちの十一歳の小娘、困惑! 誕生した天剣勇者のつるぎにミヤビと名づけ、共に里でわちゃわちゃ過ごしているうちに、 ついには神聖ユモ国の頂点に君臨する皇さまから召喚されてしまう。 で、おっちら長旅の末に待っていたのは、国をも揺るがす大騒動。 愛と憎しみ、様々な思惑と裏切り、陰謀が錯綜し、ふるえる聖都。 騒動の渦中に巻き込まれたチヨコ。 辺境で培ったモロモロとミヤビのチカラを借りて、どうにか難を退けるも、 ついにはチカラ尽きて深い眠りに落ちるのであった。 天剣と少女の冒険譚。 剣の母シリーズ第二部、ここに開幕! 故国を飛び出し、舞台は北の国へと。 新たな出会い、いろんなふしぎ、待ち受ける数々の試練。 国の至宝をめぐる過去の因縁と暗躍する者たち。 ますます広がりをみせる世界。 その中にあって、何を知り、何を学び、何を選ぶのか? 迷走するチヨコの明日はどっちだ! ※本作品は単体でも楽しめるようになっておりますが、できればシリーズの第一部 「剣の母は十一歳。求む英傑。うちの子(剣)いりませんか?ただいまお相手募集中です!」から お付き合いいただけましたら、よりいっそうの満腹感を得られることまちがいなし。 あわせてどうぞ、ご賞味あれ。

おねしょゆうれい

ケンタシノリ
児童書・童話
べんじょの中にいるゆうれいは、ぼうやをこわがらせておねしょをさせるのが大すきです。今日も、夜中にやってきたのは……。 ※この作品で使用する漢字は、小学2年生までに習う漢字を使用しています。

処理中です...