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第一部・眠れる夏のスノーフレーク

永遠

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 午後六時の家へ帰ると末妹の四葉よつはが走ってきた。

「お兄! 社会!」

 頭のてっぺんで短い髪を結んだ小柄な剣道部が教科書を握って満面の笑みを見せている。

満菜みつなに聞けよ」

「お姉いないよ。デートだもん」

 今日に限っては羨ましくないと光晴は彼女の机へつき合ってやる。

「ねえ、お兄。カレシってどうしたら出来る?」

「お前はカレシの前に黒船から片づけろよ」

「いいじゃん。あ、でもお兄カノジョいないから分かんないか」

 確かにいない。それを寂しいとも悲しいとも思っていなかった。

「俺の彼女はいつもキャンバスの中にいるんだよ」

「えー何それキモッ」

「いいから千八百六十七年――」

 中三の満菜が帰ったのは午後七時で、母からこっぴどく叱られていた。光晴はそれを聞き流してはイワシの丸干しをかじり、夏雪に今日のお礼を伝えた方がいいかとそればかり考えていた。

 風呂上がりに机へ向かい、シャーペンよりパルサーを握っていた。あれだけ話しておいて今さら電話もないなとメッセージだけ送ることにする。

 ――今日は楽しかったです。次の覚醒でまた乗せてください ありがとうございました

 小学生の作文だと嘆くも他に文面は浮かばない。神社での一瞬より恥らう心に躊躇いつつ送信した。

(キス――二回目の――)

 大学進学という目標が舞い込み、とにかく何からでも手をつけるべき時に心は上の空だ。
と、そこへ電話が鳴る。こういう時の電話は絶対に裏切られるものだと手にすると、案の定で大迫季李だった。

『先輩』

「大迫さん? 今、勉強中だったんだけど」

『はいすみません。で、お返事は』

 彼は指折り数えてみる。あと三日は猶予がある。

「その、まだ一週間経ってないんだけど」

『私の中では五年も経ってますよ。待てないんです! 早くとどめ刺してください!』

 今日なら言えそうな気がすると、

「それは……今でもいいの」

『今? ダメ! 絶対ダメ! こういうのはちゃんと面と向かってしっかりとはっきりと伝えるもんなんです! 今とか、勢いじゃないですか』

 勢いのあるうちに伝えておきたかったと彼は残念に思う。他に好きな人がいます。

「とにかく水曜日にはちゃんと答えるからさ。それまで待っててよ」
『それが嫌なんです! なんで一週間とかキリのいい期限付きなんですか。来週のお楽しみ的な、アニメかドラマですか。予告編なしの』

「大事な日なんだよ……。それが終わらないと他のことは考えられない感じの」

 ただし終わったからといって、それはまた新たな始まりでもある。彼女の中途覚醒を三度待つという行為の。

『またあの女の人ですね』

「分かってるなら待っててよ。お願いだから。今はいろいろ考えられないんだ」

『……分かりました。でもその人幸せですね。こんなに思ってくれる人がいて』

 彼女はひとり言のように呟く。

「思ったからって――なんでも叶う訳じゃないよ」

『知ってます。じゃあ切りますから』

 一方的に話し始めて一方的に切る。彼女らしいと言えばそれまでのことだった。

 それにしても今はもう同級生など子供にしか見えないと、光晴は机に伏した。十年後には同い年。そこからは彼女がクーリングを重ねるたびに肉体的な歳の差は離れていくばかり。彼女はいつまでクーリングを続けるつもりなのだろう。出来ればあの美しさのままで時を止めてしまいたいと、彼は初めてそう思った。
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