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第七章 百日草
あの日
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十八になる全ての神族が黄龍殿に集まり、殿内は活気に満ち溢れた若者達で賑わっていた。儀式が始まり黄怜は最前列の真中に立ち、黄羊が祝辞を読み上げる。神獣を一度も見せず懐かない黄怜に対し、黄羊は黄虎を目に掛けるようになっていた。黄怜としてもその方が都合も良く、儀式の際も一度も目を合わさずに済んだ。
後方に並ぶ玄弥は凛々しい顔付きになり、黒の刺繍入りの抹額がより引き締まって見え、その風貌からはあの頃の幼さは感じられない。横に並ぶ葵は、予想通り蓮の花の様に美しく、青紫の羽織がよく似合い魅力的な女子になっていた。
妖魔退治への参加者が予想よりも多かったのは、葵に婚約を申込む男子が、良い所を見せようと集まったのだ。参加者の中にいる友の姿は、背丈も高く肩幅も広く、鍛えられた成人の身体付きになっていた。皆もそれなりに背丈はあるが、蒼万は特に目立つほど飛び出て、武装した姿に目を奪われた。自分もあの中に一緒に入れたらと、成長が黄怜を苦しめた…。
「黄怜おめでとう」
「朱翔ありがとう」
朱翔が黄怜の肩を組む。
「お前婚約申込まれたか?」
「まっまだだよ、私は女子に人気がないから…」
黄怜は苦笑いする。
「お前が知らないだけで、話は来ているかもしれないぞハハハ」
「あっ朱翔は…もう婚約したのか?」
「私はまだだよ、私に婚約を申込む美女が多くてさ、困っているんだ」
朱翔は両眉を上げ得意げな顔をする。
「何だよそれ、朱翔らしいなアハハ」
「私は男前だからなハハハ」
「みっ皆は…?」
「そうだな、まだ誰も婚約の話は聞かないな」
「そっか…」
黄怜はその中に蒼万も含まれていることを願った。
「朱翔も妖魔退治に参加するんだな」
「そうなんだよ、朱夏が蒼万に会いたいって言うからさ、ほらっ」
朱翔が顎で差した方を見ると、他の女子を押し退け蒼万の腕を掴む朱夏がいた。
黄怜は羨ましそうに見つめる。
「黄怜っ…お前、その顔はちょっと…」
「え、何が?」
「お前が女子だったら、私は今日婚約を申込んでいるなハハハ」
「なっ何言ってるんだよ朱翔っ、うわっ!」
横から誰かが黄怜に抱きついた。
「玄弥だなアハハ」
「黄怜っ! 笑い方はやっぱり変わってないなハハハ」
黄怜は眉をひそめて玄弥を見る。
「玄弥も男らしくなって、羨ましいな…」
「だからっ、そんな顔するなって言ってるだろ黄怜っハハハ」
そう言いながら、朱翔は黄怜の頭をなでた。
黄怜は玄弥に笑顔で確かめてみる。
「玄弥、葵と話したか?」
「あっ葵ちゃん? ととっとても綺麗で…まっ前よりも緊張して、はっ話してないのだ…」
玄弥の葵への気持ちはあの頃のままだ。
「相変わらずだな玄弥アハハハ」
黄怜はもう玄弥の肩は組めない。玄弥が黄怜の肩を組み、黄怜は玄弥の腰に手を回して二人で笑い合った。
「お前達の笑い方は相変わらずだなハハハ」
「ったく、探さなくても声でわかるぜハハハ」
「柊虎っ、磨虎っ」
「柊虎さん、磨虎さん」
双子が笑いながら歩いてくる。
磨虎が柊虎の右肩に肘を置き、右側に垂れた前髪をかき上げて言う。
「来てやったぜ、有難いと思えよっ、特に玄弥!」
「磨虎さん、なっ何故私ですか?」
柊虎が説明する。
「お前は昨年参加しなかったから分からないだろうけど、玄武家の男子は神獣が付いていないし、戦う神力よりも守りの霊力の方が高いだろ?」
「そっそうですっ」
「神力を使えないわけではないが、万が一を考慮して毎年他神家と組まされるのだ、お前の妖魔退治へは、私達が一緒に行くのだよ」
柊虎が微笑むと玄弥は喜ぶ。
「あっありがとうございます、柊虎さん!」
磨虎が片眉を上げて言う。
「…お前、私に礼は言わないのか?」
「あ、磨虎さんもありがとうございます!」
玄弥は葵をずっと慕っていて、その葵は柊虎をずっと慕っている。玄弥は器が大きい、黄怜は目を細めて微笑む。
「玄弥、私はお前みたいになりたいよ…」
「黄怜っだからその顔やめろって、二人からも言ってやれよっ」
磨虎は既に黄怜のその顔に釘付けになっていた。
「黄怜っ…お前っ、何でそんなに色っぽいのだ?」
「なっ… 何言ってるんだよ磨虎まで!」
磨虎は更に険しい顔をする。
「ま、まさかっ…」
まずい。
やはり隠し通せない日が来たのだと、黄怜は冷や汗を垂らす。
「お、お前っ…下はちゃんと勃つのか?」
はて?
黄怜は目が点になり首を傾げる。
「兄上っ!」
「…たつ?」
「黄怜っ気にするなっ 兄上っ私達はそろそろ準備しないとっ、黄怜っ、まっまた後からなっ」
柊虎が慌てて磨虎の口を塞ぎ、磨虎はそれを払い退ける。
「何だよ柊虎っ 男として大事なことだろっ」
「うるさいっ 行きますよ兄上っ」
柊虎が珍しく兄磨虎を叱り、無理矢理連れて行く。
「な…なんか、あの二人も相変わらずだな、ぷっアハハハハ」
「磨虎さんは女好きだから仕方ないよハハハハ」
朱翔が黄怜の下半身を見ながら言う。
「まぁお前がそうなっているのは、想像しずらいけどなハハハハ」
「朱翔さんまでハハハハ」
「…ハハッ、アハハハハ」
黄怜は何のことだかさっぱりだったが、取り敢えず笑うことにした。辺りを見渡して黄虎を探すと、虎春と一緒に座っているのを見つけ安堵した。顔は曇っていたが、虎春が心配そうに寄り添ってくれていた。
午後、神族本家男子のみ黄龍殿門前広場に集められ、妖魔退治への心得を誓う。宙には色とりどりの花弁が舞い、参列者の声援に囲まれ出立を迎えた。
柊虎が話しかけてきた。
「黄怜お前達は何処の方だ?」
「私達はここから一番近い東宮領域の虚宿だ、柊虎達は?」
「お前達と反対側、西宮領域の昴宿だ」
黄怜は伏し目がちに言う。
「そっ、蒼万は…」
「蒼万は、お前達の隣の危宿だ…」
「そ、そっか…蒼万は、一人で?」
「私が一緒に行こうとしたら、断られた…」
「そうか…」
柊虎が尋ねる。
「黄怜、顔色が悪いが大丈夫か?」
「大丈夫だよ、黄虎もいるから」
顔を上げ黄怜は微笑む。
黄怜の頭に付いた花弁を柊虎は払って言う。
「わかった、また明日ここで会おう」
「また明日」
黄怜は笑顔で柊虎を見送った後、黄虎を連れて出立した。
道中「虎春と何話してたんだ?」黄虎に尋ねても「なっ何だったかな…」上の空。「黄怜っ、危ないっ」急に声を上げ「大丈夫だ黄虎、蛇だよアハハ」笑って言っても、わざわざ足元を確認する程、黄虎はかなり神経過敏になっていた。黄虎の心を通じてみるが、聞こえてくるのは昨日と同じ内容の繰り返し。黄虎の精神が病まないか、黄怜は心配でならなかった。
日暮れ前に虚宿に辿り着き、野宿できそうな場所を見つけ、そこに枯れ木を集め火を灯した。会話もなく焚き火の音だけが「パチパチ」鳴り響き、時折りガサつく茂みに黄虎は体を強張らせた。炎の揺らめきを見ていると、やはり身体の調子が悪いのか、吐き気や頭痛がし、黄怜は座っていた石から立ち上がる。
「黄虎、ちょっとここに座って火の番をしてくれないか?」
「きっ黄怜っ、何処に行くのだっ?(一人は危険だっ)」
「ふっ、厠に行くだけだよ、直ぐ戻る」
「わっ…わかった(かっ厠なら仕方がない…)」
黄怜は微笑んで頷き、黄虎を座らせ茂みの奥へ入る。丁度お腹にも違和感があり、離れた所で下衣を下ろす……おや、下衣が濡れている。薄暗い中ではあまり見えなく、黄怜は濡れた部分を手で触り、指先のべたつきを不思議に思い鼻に近づけた。
…鉄の香。
「な、何でっ?」
何処か怪我をしているのか、黄怜は慌てて下半身に傷が無いか確かめる。……ふと、母玄華の話を思い出し、黄怜は震える手でそこに触れ、手に付く感触に顔を歪めた。身体の成長が、女子であることを伝えていた。
下衣の後の方は広範囲に汚れている。
「な…何故っ、ここだけ…」
黄怜はがっと目を大きく見開き「黄虎ーっ!」叫びながら走りだした!
「ん? 今黄怜の声が聞こえたっ…」
黄虎の周りの空気が徐々に変わり、木がなぎ倒される音が近付いてくる。唸り声と共にもわっと異臭が漂い、黄虎は暗闇で光る眼と目が合う。
「よっ、妖魔っ?」
次の瞬間、まさか襲ってくると思わず、黄虎は戦う体制を整えられないまま、右へ左へと振り下ろされる手を必死で躱す。
「なっ何故っ、うわっ!」
「黄虎ーっ!」
「黄怜っ、来るなーっ!」
黄虎は躱しながら声のする方に目を向ける。
「きっ黄怜っ、後ろに妖魔がいるぞーっ!」
黄怜は走りながら後方に耳を澄ますと、息の荒い唸り声が直ぐそこまできていた。
(黄虎の衣にはきっと私の血が付いているわっ 二匹を引きつけて、他の参加者の所まで走ればいいのよっ)
「黄虎っ、どいて逃げるんだーっ!」
「なっ何言ってるのだっ!」
黄虎は急ぎ煌辰を出して黄怜を助けに向かわせる。「うぎいぃっ」妖魔は煌辰に首を咬み付かれ、憤怒の唸り声を上げジタバタと暴れだす。襲ってくる凶暴性もだが、煌辰が巻き付いても一向に倒れない。
「なっ何なんだこいつらはっ? 黄怜っ、辰瑞を出すのだっ!(早くっ)」
「黄虎っ、逃げ……」
急に視界がぐらつく。
「黄怜ーっ(どうしたのだっ!)」
額に手をあてよろめく黄怜を、黄虎は急ぎ駆け寄り支える。
「黄怜大丈夫かっ? 黄怜っ!(立って逃げるのだっ)」
「黄虎… 私は大丈夫だかっ…」
言いながら顔を上げ、目にした光景に瞬時に黄虎の胸ぐらを掴み、引き寄せながら横に投げ払った。
「ゔあッ…」
四本の鉤爪が鋭く斜めから振り下ろされ、右の首筋から腹部にかけて衝撃が走った。全身が発火したように熱くなり、もがき苦しむと思っていた痛みは、意外にも刹那の如く通り過ぎ、どちらかといえば、手足の感覚の方が徐々に遠のいていく。……不思議と、それは今まで怯えていた日々から、やっと解放された気にさえなる。いつかはこうやって襲われるかもしれないと、何度も想像していた。決して望んだ結末ではないが、自分の運命は、初めからこうだったのかもしれない。抗うことで多くを望み過ぎたのだ、あまりにも幸せ過ぎたのだ、黄怜は目を細めふわっと微笑む。ガクンと膝の力が抜け、血飛沫を撒き「ドサッ」と地面に倒れた。
「きっ…黄怜っ、黄怜っ(やめてくれっお願いだっ!)」
大粒の涙を流しながら、可愛い弟が怯えている。〝おまじない〟で涙を止めてあげなければ。
「…ふふっ、黄…おい…で………」
「なっ…何言ってるのだ黄怜っ! 黄怜? だ…駄目だ駄目だっ! 黄怜寝るなっ! 目を開けるのだーっ!……」
黄怜は朧げに意識が戻る、冷んやりと心地よく、ゆらゆらと揺れ、ぼやけた視界に薄らと見える人影。
「黄怜…(お前は女だったのか…)」
触れたくて聞きたくて、ずっと心に刻まれた低く沈む声、会いたくて愛しくて恋焦がれた人。
(いい声… 私あなたに… 伝えたい…ことが… 私…ね…………)
─ 第七章 終 ─
後方に並ぶ玄弥は凛々しい顔付きになり、黒の刺繍入りの抹額がより引き締まって見え、その風貌からはあの頃の幼さは感じられない。横に並ぶ葵は、予想通り蓮の花の様に美しく、青紫の羽織がよく似合い魅力的な女子になっていた。
妖魔退治への参加者が予想よりも多かったのは、葵に婚約を申込む男子が、良い所を見せようと集まったのだ。参加者の中にいる友の姿は、背丈も高く肩幅も広く、鍛えられた成人の身体付きになっていた。皆もそれなりに背丈はあるが、蒼万は特に目立つほど飛び出て、武装した姿に目を奪われた。自分もあの中に一緒に入れたらと、成長が黄怜を苦しめた…。
「黄怜おめでとう」
「朱翔ありがとう」
朱翔が黄怜の肩を組む。
「お前婚約申込まれたか?」
「まっまだだよ、私は女子に人気がないから…」
黄怜は苦笑いする。
「お前が知らないだけで、話は来ているかもしれないぞハハハ」
「あっ朱翔は…もう婚約したのか?」
「私はまだだよ、私に婚約を申込む美女が多くてさ、困っているんだ」
朱翔は両眉を上げ得意げな顔をする。
「何だよそれ、朱翔らしいなアハハ」
「私は男前だからなハハハ」
「みっ皆は…?」
「そうだな、まだ誰も婚約の話は聞かないな」
「そっか…」
黄怜はその中に蒼万も含まれていることを願った。
「朱翔も妖魔退治に参加するんだな」
「そうなんだよ、朱夏が蒼万に会いたいって言うからさ、ほらっ」
朱翔が顎で差した方を見ると、他の女子を押し退け蒼万の腕を掴む朱夏がいた。
黄怜は羨ましそうに見つめる。
「黄怜っ…お前、その顔はちょっと…」
「え、何が?」
「お前が女子だったら、私は今日婚約を申込んでいるなハハハ」
「なっ何言ってるんだよ朱翔っ、うわっ!」
横から誰かが黄怜に抱きついた。
「玄弥だなアハハ」
「黄怜っ! 笑い方はやっぱり変わってないなハハハ」
黄怜は眉をひそめて玄弥を見る。
「玄弥も男らしくなって、羨ましいな…」
「だからっ、そんな顔するなって言ってるだろ黄怜っハハハ」
そう言いながら、朱翔は黄怜の頭をなでた。
黄怜は玄弥に笑顔で確かめてみる。
「玄弥、葵と話したか?」
「あっ葵ちゃん? ととっとても綺麗で…まっ前よりも緊張して、はっ話してないのだ…」
玄弥の葵への気持ちはあの頃のままだ。
「相変わらずだな玄弥アハハハ」
黄怜はもう玄弥の肩は組めない。玄弥が黄怜の肩を組み、黄怜は玄弥の腰に手を回して二人で笑い合った。
「お前達の笑い方は相変わらずだなハハハ」
「ったく、探さなくても声でわかるぜハハハ」
「柊虎っ、磨虎っ」
「柊虎さん、磨虎さん」
双子が笑いながら歩いてくる。
磨虎が柊虎の右肩に肘を置き、右側に垂れた前髪をかき上げて言う。
「来てやったぜ、有難いと思えよっ、特に玄弥!」
「磨虎さん、なっ何故私ですか?」
柊虎が説明する。
「お前は昨年参加しなかったから分からないだろうけど、玄武家の男子は神獣が付いていないし、戦う神力よりも守りの霊力の方が高いだろ?」
「そっそうですっ」
「神力を使えないわけではないが、万が一を考慮して毎年他神家と組まされるのだ、お前の妖魔退治へは、私達が一緒に行くのだよ」
柊虎が微笑むと玄弥は喜ぶ。
「あっありがとうございます、柊虎さん!」
磨虎が片眉を上げて言う。
「…お前、私に礼は言わないのか?」
「あ、磨虎さんもありがとうございます!」
玄弥は葵をずっと慕っていて、その葵は柊虎をずっと慕っている。玄弥は器が大きい、黄怜は目を細めて微笑む。
「玄弥、私はお前みたいになりたいよ…」
「黄怜っだからその顔やめろって、二人からも言ってやれよっ」
磨虎は既に黄怜のその顔に釘付けになっていた。
「黄怜っ…お前っ、何でそんなに色っぽいのだ?」
「なっ… 何言ってるんだよ磨虎まで!」
磨虎は更に険しい顔をする。
「ま、まさかっ…」
まずい。
やはり隠し通せない日が来たのだと、黄怜は冷や汗を垂らす。
「お、お前っ…下はちゃんと勃つのか?」
はて?
黄怜は目が点になり首を傾げる。
「兄上っ!」
「…たつ?」
「黄怜っ気にするなっ 兄上っ私達はそろそろ準備しないとっ、黄怜っ、まっまた後からなっ」
柊虎が慌てて磨虎の口を塞ぎ、磨虎はそれを払い退ける。
「何だよ柊虎っ 男として大事なことだろっ」
「うるさいっ 行きますよ兄上っ」
柊虎が珍しく兄磨虎を叱り、無理矢理連れて行く。
「な…なんか、あの二人も相変わらずだな、ぷっアハハハハ」
「磨虎さんは女好きだから仕方ないよハハハハ」
朱翔が黄怜の下半身を見ながら言う。
「まぁお前がそうなっているのは、想像しずらいけどなハハハハ」
「朱翔さんまでハハハハ」
「…ハハッ、アハハハハ」
黄怜は何のことだかさっぱりだったが、取り敢えず笑うことにした。辺りを見渡して黄虎を探すと、虎春と一緒に座っているのを見つけ安堵した。顔は曇っていたが、虎春が心配そうに寄り添ってくれていた。
午後、神族本家男子のみ黄龍殿門前広場に集められ、妖魔退治への心得を誓う。宙には色とりどりの花弁が舞い、参列者の声援に囲まれ出立を迎えた。
柊虎が話しかけてきた。
「黄怜お前達は何処の方だ?」
「私達はここから一番近い東宮領域の虚宿だ、柊虎達は?」
「お前達と反対側、西宮領域の昴宿だ」
黄怜は伏し目がちに言う。
「そっ、蒼万は…」
「蒼万は、お前達の隣の危宿だ…」
「そ、そっか…蒼万は、一人で?」
「私が一緒に行こうとしたら、断られた…」
「そうか…」
柊虎が尋ねる。
「黄怜、顔色が悪いが大丈夫か?」
「大丈夫だよ、黄虎もいるから」
顔を上げ黄怜は微笑む。
黄怜の頭に付いた花弁を柊虎は払って言う。
「わかった、また明日ここで会おう」
「また明日」
黄怜は笑顔で柊虎を見送った後、黄虎を連れて出立した。
道中「虎春と何話してたんだ?」黄虎に尋ねても「なっ何だったかな…」上の空。「黄怜っ、危ないっ」急に声を上げ「大丈夫だ黄虎、蛇だよアハハ」笑って言っても、わざわざ足元を確認する程、黄虎はかなり神経過敏になっていた。黄虎の心を通じてみるが、聞こえてくるのは昨日と同じ内容の繰り返し。黄虎の精神が病まないか、黄怜は心配でならなかった。
日暮れ前に虚宿に辿り着き、野宿できそうな場所を見つけ、そこに枯れ木を集め火を灯した。会話もなく焚き火の音だけが「パチパチ」鳴り響き、時折りガサつく茂みに黄虎は体を強張らせた。炎の揺らめきを見ていると、やはり身体の調子が悪いのか、吐き気や頭痛がし、黄怜は座っていた石から立ち上がる。
「黄虎、ちょっとここに座って火の番をしてくれないか?」
「きっ黄怜っ、何処に行くのだっ?(一人は危険だっ)」
「ふっ、厠に行くだけだよ、直ぐ戻る」
「わっ…わかった(かっ厠なら仕方がない…)」
黄怜は微笑んで頷き、黄虎を座らせ茂みの奥へ入る。丁度お腹にも違和感があり、離れた所で下衣を下ろす……おや、下衣が濡れている。薄暗い中ではあまり見えなく、黄怜は濡れた部分を手で触り、指先のべたつきを不思議に思い鼻に近づけた。
…鉄の香。
「な、何でっ?」
何処か怪我をしているのか、黄怜は慌てて下半身に傷が無いか確かめる。……ふと、母玄華の話を思い出し、黄怜は震える手でそこに触れ、手に付く感触に顔を歪めた。身体の成長が、女子であることを伝えていた。
下衣の後の方は広範囲に汚れている。
「な…何故っ、ここだけ…」
黄怜はがっと目を大きく見開き「黄虎ーっ!」叫びながら走りだした!
「ん? 今黄怜の声が聞こえたっ…」
黄虎の周りの空気が徐々に変わり、木がなぎ倒される音が近付いてくる。唸り声と共にもわっと異臭が漂い、黄虎は暗闇で光る眼と目が合う。
「よっ、妖魔っ?」
次の瞬間、まさか襲ってくると思わず、黄虎は戦う体制を整えられないまま、右へ左へと振り下ろされる手を必死で躱す。
「なっ何故っ、うわっ!」
「黄虎ーっ!」
「黄怜っ、来るなーっ!」
黄虎は躱しながら声のする方に目を向ける。
「きっ黄怜っ、後ろに妖魔がいるぞーっ!」
黄怜は走りながら後方に耳を澄ますと、息の荒い唸り声が直ぐそこまできていた。
(黄虎の衣にはきっと私の血が付いているわっ 二匹を引きつけて、他の参加者の所まで走ればいいのよっ)
「黄虎っ、どいて逃げるんだーっ!」
「なっ何言ってるのだっ!」
黄虎は急ぎ煌辰を出して黄怜を助けに向かわせる。「うぎいぃっ」妖魔は煌辰に首を咬み付かれ、憤怒の唸り声を上げジタバタと暴れだす。襲ってくる凶暴性もだが、煌辰が巻き付いても一向に倒れない。
「なっ何なんだこいつらはっ? 黄怜っ、辰瑞を出すのだっ!(早くっ)」
「黄虎っ、逃げ……」
急に視界がぐらつく。
「黄怜ーっ(どうしたのだっ!)」
額に手をあてよろめく黄怜を、黄虎は急ぎ駆け寄り支える。
「黄怜大丈夫かっ? 黄怜っ!(立って逃げるのだっ)」
「黄虎… 私は大丈夫だかっ…」
言いながら顔を上げ、目にした光景に瞬時に黄虎の胸ぐらを掴み、引き寄せながら横に投げ払った。
「ゔあッ…」
四本の鉤爪が鋭く斜めから振り下ろされ、右の首筋から腹部にかけて衝撃が走った。全身が発火したように熱くなり、もがき苦しむと思っていた痛みは、意外にも刹那の如く通り過ぎ、どちらかといえば、手足の感覚の方が徐々に遠のいていく。……不思議と、それは今まで怯えていた日々から、やっと解放された気にさえなる。いつかはこうやって襲われるかもしれないと、何度も想像していた。決して望んだ結末ではないが、自分の運命は、初めからこうだったのかもしれない。抗うことで多くを望み過ぎたのだ、あまりにも幸せ過ぎたのだ、黄怜は目を細めふわっと微笑む。ガクンと膝の力が抜け、血飛沫を撒き「ドサッ」と地面に倒れた。
「きっ…黄怜っ、黄怜っ(やめてくれっお願いだっ!)」
大粒の涙を流しながら、可愛い弟が怯えている。〝おまじない〟で涙を止めてあげなければ。
「…ふふっ、黄…おい…で………」
「なっ…何言ってるのだ黄怜っ! 黄怜? だ…駄目だ駄目だっ! 黄怜寝るなっ! 目を開けるのだーっ!……」
黄怜は朧げに意識が戻る、冷んやりと心地よく、ゆらゆらと揺れ、ぼやけた視界に薄らと見える人影。
「黄怜…(お前は女だったのか…)」
触れたくて聞きたくて、ずっと心に刻まれた低く沈む声、会いたくて愛しくて恋焦がれた人。
(いい声… 私あなたに… 伝えたい…ことが… 私…ね…………)
─ 第七章 終 ─
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