余四郎さまの言うことにゃ

かずえ

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 一通りの音読が済んだ後は、今、読んだ内容についての師範の解説があった。解説があったことに伊之助は驚いて、背筋を伸ばして真剣に聞いた。
 が、まあ、何とも耳馴染みのない言葉を、やはり耳馴染みのない言葉で解説されたところで、内容はちんぷんかんぷんであった。隣を向けば、やはり余四郎も伊之助の方を見ていて、二人でこそりと笑いあった。分からないのは伊之助だけじゃない、というのは心強かった。こんなことで通じ合うのは良くないのかもしれないが。
 解説が済むと、ばたばたと年長の者たちが立ち上がり、移動を始めた。

「もうおわりか」

 と、余四郎が師範に聞けば、

「まだ、始まったばかりです。年長者は、道場へ剣の稽古に行きます。余四郎さまは、このままこちらで習字の稽古です」

 とのこと。
 兄も立ち上がったのを見て、伊之助は心底ほっとした。もちろん、屋敷からここまでは別々に来たが、この部屋で一緒になったのだ。伊之助は、深々と頭を下げて挨拶をした後は、なるべく、兄の方を見ないようにしていたが、ずっと睨まれているのは感じていた。
 理由は分かっている。伊之助が、兄より上座に座っていることが気に食わないのだろう。でも、伊之助にはどうしようもない。伊之助は、若様である余四郎の許婚いいなずけだ。許婚というのは共にいるものだ。だから伊之助は、余四郎の隣に居なくてはならない。
 兄の姿が見えなくなったので、安心して部屋を見渡すと、部屋に残った年少の者たちは、それぞれ持ってきた道具を出して墨をすり始めていた。嗅ぎなれた墨の匂いに、伊之助はもう一度、ほっと息を吐いた。

「いの。しろうももってきた」

 余四郎が、嬉しそうに書道具を見せてくる。嬉しそうな様子が可愛くて、伊之助はにこにこした。

「はい。おい……あ、いえ、私も持ってきました」

 自分のことを、おいらとうっかり言いそうになって、伊之助は慌てて私と言い直した。寺子屋で自分のことを私などというと、すかしてやがる、とからかわれるので、皆と同じようにおいらというようになって大分経つ。父や奥方、兄や姉の前では、はいと返事をすることしか許されていないから、伊之助の口調がかなり庶民的になっていることは気付かれていなかった。たまに話す家の使用人たちは、気付いていても何も言わなかったらしい。……ほんの数日前までは。
 伊之助が、女物の着物を着てお城へ上がることとなったと聞いてはじめて、着付けの練習を手伝ってくれた女中が、話し方に気を付けた方がいい、と言ってくれたのだ。奥方のいない時にこっそりと。自分のことをおいらと言うのだけはやめるべきだ、と女中は言った。せっかくの忠告だ。それだけは守ろうと伊之助はもう一度、気を引き締めなおした。
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