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 食堂に戻ると、長テーブルとイスはすべて両端に追いやられており、真尋の亡骸は部屋の中央に横たえられていた。その顔にはどこから持ってきたのか、バスタオルがかけられていた。
 いたるところに火のついたロウソクが立てられており、その朧気な光に包まれた真尋と貴之は、まるで何か神聖な儀式の最中のように思えた。
 貴之は真尋のそばに座り込んでいたが、私達を見ると眉を上げた。

「車、動かなかったの。かと言って真夜中に明かりのない中、街まで自転車で行くのも危険かと思って」

 私がそう言うと、貴之は納得したのか何も言わずに頷いた。
 真尋の亡骸を挟んで、千里は貴之の正面に座りこんだ。その表情からは、貴之に対しての疑念は見てとれない。ただ中学時代の友人の死を悼んでいるだけだ。どうやら千里には役者の才能があるようだ。
 私は二人からそっと離れると、テーブルやイスをかき分け窓に近づいた。
 背中に千里の視線を感じる。
 この食堂に窓があるのは南側だけだ。東側は調理場に西側は入口、北側はただの壁だ。まあやたら豪奢な装飾のされた壁なので、見応えはあるけど。
 南側に並んだ7枚の窓のなかで、真尋が開けていた真ん中のものに近寄る。

「不審なものは何もないよ」
 
 思わずギョッとして振り向くと、いつの間にか貴之が立っていた。

「っていうことはあなたも確認したのね」
「まあね」

 私は窓の外、下、窓枠を注意深く見たが確かに異常な点や足跡、汚れなどはなかった。もっとも窓の外は整えられた芝生の庭が一面に広がっているので、侵入者がいたとしても痕跡は残りにくいだろう。

「ひょっとしてクレアさんは外部から誰か忍びこんだと思ってるわけ」
「……窓際にいた真尋さんだけが亡くなっているでしょ?何か関係がある気がするのよ」
「どうせ明日になれば分かるわよ」

 千里が話かけてくる。疲れの影響か、やや投げやりな話し方になっている。

「この寮にも監視カメラがあったわよね?塀や門扉にも。それをチェックすれば、何があったのか分かるはずよ。外部犯なのかどうかもね」

 最後の言い方にやや皮肉な空気を感じたが、貴之は気にせず続けた。

「それは無理かもよ」
「どうして?」
「ここの監視カメラのデータは、オンラインで外部と結ばれているわけじゃない。バックアップはないんだ。寮内にある警備室のハードディスクドライブに保存されているだけなんだ。でもそのデータもさっきの停電で消えた可能性がある」
「停電でいちいち保存データが消えるなんてこと、ありえるの?」
「普通はないよ。でも個人のスマホやゲーム機、車まで使えなくなるなんていうのは、普通じゃない」

 千里のイライラした声にも、貴之はあくまで冷静に答える。その柳のように受け流す態度は平常時はともかく、この異常事態の最中にはありがたい。

「スマホ、まだ使えないのね」
 
 私の問いに、千里も貴之もコクリと頷く。
 私のもそうだ。あの大停電以降、再起動しようにも全く反応しないのだ。

「ねえ、千里ちゃん、貴之君。私は高等部からここに来ているから知らないだけかもしれないのだけど、この学校で何か特別な研究が行われている可能性はないの?」
「特別な研究ってゾンビの開発とか?クレアちゃん、何が言いたいの?」

 千里が顔をしかめる。

「隣接されている学校のコンピューターが、何かのサイバー攻撃を受けた可能性はないかしら?この普通じゃない停電も真尋さんの死も、それが関係しているとか」
「研究室のある大学じゃないからね。そんな話聞いたことないけどな」
「そう……」

 他にも聞きたいことはあったのだが、千里の顔色がひどく悪いのが気になった。

「千里ちゃん、大丈夫?」
「……少し…休ませて……」

 千里の顔は急激に青ざめてきており、日本人の好む色白をはるかにこえて病的なまでに血の気が失せている。

「……さっきから何度も走って……そのせいかも…胸が苦しいの……」
「とりあえず横になるんだ」

 千里は素直に従って言った。

「少し休ませて。多分しばらくしたら、治ると思う」

「どうする、貴之君?がんばって人を呼んでくる?」
「大丈夫だから。ここにいて」

 千里が私の手をギュッと握ってくる。
 それが理性的な、論理的な判断によるのか、単なる不安や恐れの現れなのか、私にはもう判断がつかなかった。
 外部犯、内部犯、サイバー攻撃、不慮の事故、病気……
 実のところ、理由は幾らでもありそうな気がする。
 それにひどく疲れてきた。
 身体を丸めて眠る、か弱い少女を見ているうちに、私は身体の力が抜け座りこんでしまった。

「もし良かったら飲みなよ」

 いつの間にか貴之が缶に入ったコーラを置いてくれた。

「まだ開けてないから安心して」

 そう言って貴之は苦笑した。
 私もつられて苦笑する。

「気づいてたんだ。千里ちゃんが貴之君のこと、疑ってるの」
「なんとなくね」
「同じクラスなんだって?」
「あんまり話したことないけどね」
「ねえ、全然関係ない話なんだけどさ、なんで貴之君は寮に残っているの?」

 学校との位置関係から、通学より寮生活を選ぶ生徒は多い。現在、三学年合わせて百人程度が寮で暮らしている。しかし、年末に残るメンバーは基本的にいない。学校側もそれを前提として寮母さんたちを配置していると聞いた。
 貴之はプゥッと頬を膨らませると、大きく息を吐きだした。
 
「別に大したことじゃないよ。実家は市内だけど、今、改築中だから帰れないっていうだけ。両親は近所のビジネスホテルに泊まっている」
「じゃあ千里ちゃんは?」
「千里のところはお姉さんが出産で里帰り中なんだってさ。お父さんもお母さんも初孫だから大喜びらしいよ」
「ふーん」
「……でも、真尋さんはどうだったのかな?」
「え?」
「ふと思い出したんだけどさ、彼女、去年も残ってたらしい」
「……」

 真尋の顔が思い浮かぶ。苦しそうな顔ではなく、可愛らしい顔の真尋が。
 真尋がなぜ実家に帰らないのか気になるところだが、それを知ることはもう二度とできなくなってしまった。
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