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目が慣れてくると同時に倒れている真尋のもとに近寄った私達三人だったが、すでに手遅れだった。
「ダメだ。脈がない」
そう言うとすぐに、貴之は食堂の壁にかかっていたAEDを取ってきた。
「悪いが緊急事態だ。服をはだけさせるけど、ここだけの秘密にしてくれよ」
そう言ってから、貴之は手早く真尋の服をはだけさせさせた。暗闇に浮かび上がる白い肌、そして子猫のような可愛いらしいイメージとは裏腹に、意外にもボリュームのある胸に貴之はパッドを貼り付けた。その作業はほとんど無駄を感じさせないもので、見ているだけの私達をもいくらか冷静にさせてくれた。
ところがAEDはなぜか全く作動しなかった。
眉間に皺を寄せる貴之。
彼はすぐに心臓マッサージへと移行したが、真尋が息を吹き返す気配は全くなかった。
「ダメだ……」
貴之は真尋の脈を確認すると、そうつぶやいた。
「嘘……」
横では、千里の絶句する音が聞こえる。
真尋は口をポカンと開けたまま、横たわっている。ディテールまでよく作られている、今にも動きだしそう、けれど動かない、命という電源の切れたおもちゃ。私は真尋の顔に、脱皮した昆虫の抜け殻を思い出してゾッとした。
「とりあえず警察と救急に連絡しないと……」
そう言って、私は自分のスマホを手元のポーチから取り出そうとしたが、手がどうしても上手く動かない。
「無理だ」
貴之が自身のスマホを見ながら言った。
「なぜか理由は分からないけど、電源が入らないんだ」
「それはあなたのだけでしょ?他のは大丈」
「私のもだわ」
そう言って遮ってきたのは、千里だった。
「スマホだけじゃないな。いつまでも非常電源がつかないこと自体、異常だ」
窓の外を見ると、街の灯りがいたるところで瞬いている。どうやら停電したのは、この街から遠く離れたところに建つ、獅子寮だけのようだ。
「タカ。どうやら固定電話もダメみたい」
いつの間に見てきたのか、千里が少し息切れしたような声で言った。
何かあったら、すぐに寮監に連絡するよう言われていたけど、まさか連絡自体取れないとは想定していなかっただろう。
もちろんここは絶海の孤島ではないし、雪山の山荘でもない。陸路で連絡を取ればいいだけのこと。しかしそれは不可能ではないものの、いささか面倒なのも事実だった。
「やっぱり自転車で行くしかないよな……」
窓の外の景色を見ながら、貴之が憂鬱そうに言った。
この獅子寮は、街からかなり遠くにある。高等部の学校自体は寮の隣にあるので通学には便利だが、生徒が買い物などで街に行くには、片道1時間かけて自転車をこぐ必要がある。それも日のある明るい間ならともかく、暗い夜道となるとかなり危険なものがある。
アメリカなら間違いなく、児童虐待で通報されているだろう。
「待ちなさいよ」
千里の声に振り向くと、いつの間に取ってきたのか彼女は鍵らしきものを片手に立っている。
「緊急時よ。無免許運転だって許されるんじゃない?」
「千里ちゃん、その鍵は?」
「ここの食材は、基本配達してもらったものを使ってるんだけど、足りなくなった時に寮母さんが買い出しに行くための車があるのよ。鍵が調理室の脇にかかってるの知ってたから」
「でも千里、そもそも車を動かせるの?つまりテクニック的な意味でさ」
「問題ないでしょ」
千里は肩をすくめる。くやしいがなまじのアメリカ人より様になっている。
「マニュアル車じゃないんだし」
「わかった。じゃあ僕とクレアさんで明かりになるものを探しているから、千里は車で人を呼んできてくれ」
「ううん」
千里は私の手を握った。
「一人じゃ心細い。悪いけどクレアも一緒に来てよ」
暗闇のなかでも、千里の目に有無を言わせない張り詰めたものがあることを、私は見てとった。
「わかったわ」
車に向かって走る最中も、千里はずっと手を握ったままだった。
「ねえ、千里ちゃん。何かあったの?」
私の問いかけには答えず、千里は車に乗り込んだ。私も助手席に座る。
千里が鍵を回してみるが、車はうんともすんともいわない。
「やっぱりダメか」
「やっぱりって、エンジンかからないの、分かってたの?」
「理由は分からないけど、この寮を中心にすべての電子機器がつかえなくなってる。スマホだけじゃなく寮の電子ロックも、居間にあったゲーム機器も、なにもかもね。いくら旧式の軽トラだってパワーステアリングやらイグニッションシステムはマイコン制御なんだし、そういう意味では電子機器であることに変わりはないでしょ?」
「それが分かってて、私のこともわざわざ連れてきたの?」
「……真尋、何で死んだんだと思う」
こちらを向き直った千里の真っ白でスラリとした足が、暗闇で妖しく光っている。
「私は真尋と中等部でクラスが3年間一緒だったの。ついでに言うとタカとは今、クラスが一緒なんだけどね。とにかく、真尋に何か持病の類がなかったのだけは確かよ。それから、食べ物のせいというのも考えられないわよね。私達は冷凍された市販のピザを食べた。最初から8ピースにカットされてあるタイプで、誰がどれを口にするかなんて分からないわよ。」
そういうことだったのね。中学校は日本のインターナショナルスクールに通っており、ここの中等部とは無縁だった私には分からない話だった。
「飲み物だって、何本かあった缶入りのコーラを好き勝手に取って分けただけだものね。でも、病気でも食中毒でもないとしたら……」
私は言いよどんだ。千里の真剣な目は、あるメッセージを発している。ただそれを口にするのはためらわれた。
「タカに何かされたんじゃないかと思うの」
「貴之君が私達のもとにもどってきた時も、真尋ちゃんはまだ生きていたわ」
「たとえばこうは考えられないかしら。窓辺によって流星群を見るふりをして、遅効性の毒を塗った針か何かで真尋を刺す。それから私達とミステリーについて語っている間に、毒がまわった真尋は倒れてしまう」
「なんでそんな面倒なことするの?それにこの停電は?これだって何か関係あるんじゃないの?」
千里は鼻で笑った。
「真尋が感電死したとでも言うの?」
「……とにかく車が動かない以上、貴之君のところに戻りましょう。真尋ちゃんの遺体もあのままにしてはおけないし……」
「クレア」
千里は私の手を握った。ドキリとするほど冷たい手だった。
「このまま自転車か徒歩で街まで行こう。正直この寮母に残って一晩過ごすのは嫌」
そう言われるとは思っていたけど、ここでひくわけにはいかない。実は私にも考えがあるのだ。
「もし仮に真尋が殺されたのだとしても、一番考えられるのは外部犯じゃない?」
「外部犯?」
「そう。あの時真尋は窓を開けて身を乗り出していたんだし、ここは一階よ。門を乗り越えれば簡単に敷地内に入って来られるわ。それに寮を停電にさせたのも、逃走する姿を見られたくなかったからとも考えられるわ」
千里の目に迷いが浮かんでいるのが分かる。
「とりあえず、今は貴之君のところに戻りましょう。この闇夜に、徒歩だろうと自転車だろうと、街まで行くのは危ないわ」
もし外部犯なら、闇夜を女子二人で移動するのはそれこそ危険だ。貴之を一人にさせておくのも、何だか嫌な予感がするし。
「ダメだ。脈がない」
そう言うとすぐに、貴之は食堂の壁にかかっていたAEDを取ってきた。
「悪いが緊急事態だ。服をはだけさせるけど、ここだけの秘密にしてくれよ」
そう言ってから、貴之は手早く真尋の服をはだけさせさせた。暗闇に浮かび上がる白い肌、そして子猫のような可愛いらしいイメージとは裏腹に、意外にもボリュームのある胸に貴之はパッドを貼り付けた。その作業はほとんど無駄を感じさせないもので、見ているだけの私達をもいくらか冷静にさせてくれた。
ところがAEDはなぜか全く作動しなかった。
眉間に皺を寄せる貴之。
彼はすぐに心臓マッサージへと移行したが、真尋が息を吹き返す気配は全くなかった。
「ダメだ……」
貴之は真尋の脈を確認すると、そうつぶやいた。
「嘘……」
横では、千里の絶句する音が聞こえる。
真尋は口をポカンと開けたまま、横たわっている。ディテールまでよく作られている、今にも動きだしそう、けれど動かない、命という電源の切れたおもちゃ。私は真尋の顔に、脱皮した昆虫の抜け殻を思い出してゾッとした。
「とりあえず警察と救急に連絡しないと……」
そう言って、私は自分のスマホを手元のポーチから取り出そうとしたが、手がどうしても上手く動かない。
「無理だ」
貴之が自身のスマホを見ながら言った。
「なぜか理由は分からないけど、電源が入らないんだ」
「それはあなたのだけでしょ?他のは大丈」
「私のもだわ」
そう言って遮ってきたのは、千里だった。
「スマホだけじゃないな。いつまでも非常電源がつかないこと自体、異常だ」
窓の外を見ると、街の灯りがいたるところで瞬いている。どうやら停電したのは、この街から遠く離れたところに建つ、獅子寮だけのようだ。
「タカ。どうやら固定電話もダメみたい」
いつの間に見てきたのか、千里が少し息切れしたような声で言った。
何かあったら、すぐに寮監に連絡するよう言われていたけど、まさか連絡自体取れないとは想定していなかっただろう。
もちろんここは絶海の孤島ではないし、雪山の山荘でもない。陸路で連絡を取ればいいだけのこと。しかしそれは不可能ではないものの、いささか面倒なのも事実だった。
「やっぱり自転車で行くしかないよな……」
窓の外の景色を見ながら、貴之が憂鬱そうに言った。
この獅子寮は、街からかなり遠くにある。高等部の学校自体は寮の隣にあるので通学には便利だが、生徒が買い物などで街に行くには、片道1時間かけて自転車をこぐ必要がある。それも日のある明るい間ならともかく、暗い夜道となるとかなり危険なものがある。
アメリカなら間違いなく、児童虐待で通報されているだろう。
「待ちなさいよ」
千里の声に振り向くと、いつの間に取ってきたのか彼女は鍵らしきものを片手に立っている。
「緊急時よ。無免許運転だって許されるんじゃない?」
「千里ちゃん、その鍵は?」
「ここの食材は、基本配達してもらったものを使ってるんだけど、足りなくなった時に寮母さんが買い出しに行くための車があるのよ。鍵が調理室の脇にかかってるの知ってたから」
「でも千里、そもそも車を動かせるの?つまりテクニック的な意味でさ」
「問題ないでしょ」
千里は肩をすくめる。くやしいがなまじのアメリカ人より様になっている。
「マニュアル車じゃないんだし」
「わかった。じゃあ僕とクレアさんで明かりになるものを探しているから、千里は車で人を呼んできてくれ」
「ううん」
千里は私の手を握った。
「一人じゃ心細い。悪いけどクレアも一緒に来てよ」
暗闇のなかでも、千里の目に有無を言わせない張り詰めたものがあることを、私は見てとった。
「わかったわ」
車に向かって走る最中も、千里はずっと手を握ったままだった。
「ねえ、千里ちゃん。何かあったの?」
私の問いかけには答えず、千里は車に乗り込んだ。私も助手席に座る。
千里が鍵を回してみるが、車はうんともすんともいわない。
「やっぱりダメか」
「やっぱりって、エンジンかからないの、分かってたの?」
「理由は分からないけど、この寮を中心にすべての電子機器がつかえなくなってる。スマホだけじゃなく寮の電子ロックも、居間にあったゲーム機器も、なにもかもね。いくら旧式の軽トラだってパワーステアリングやらイグニッションシステムはマイコン制御なんだし、そういう意味では電子機器であることに変わりはないでしょ?」
「それが分かってて、私のこともわざわざ連れてきたの?」
「……真尋、何で死んだんだと思う」
こちらを向き直った千里の真っ白でスラリとした足が、暗闇で妖しく光っている。
「私は真尋と中等部でクラスが3年間一緒だったの。ついでに言うとタカとは今、クラスが一緒なんだけどね。とにかく、真尋に何か持病の類がなかったのだけは確かよ。それから、食べ物のせいというのも考えられないわよね。私達は冷凍された市販のピザを食べた。最初から8ピースにカットされてあるタイプで、誰がどれを口にするかなんて分からないわよ。」
そういうことだったのね。中学校は日本のインターナショナルスクールに通っており、ここの中等部とは無縁だった私には分からない話だった。
「飲み物だって、何本かあった缶入りのコーラを好き勝手に取って分けただけだものね。でも、病気でも食中毒でもないとしたら……」
私は言いよどんだ。千里の真剣な目は、あるメッセージを発している。ただそれを口にするのはためらわれた。
「タカに何かされたんじゃないかと思うの」
「貴之君が私達のもとにもどってきた時も、真尋ちゃんはまだ生きていたわ」
「たとえばこうは考えられないかしら。窓辺によって流星群を見るふりをして、遅効性の毒を塗った針か何かで真尋を刺す。それから私達とミステリーについて語っている間に、毒がまわった真尋は倒れてしまう」
「なんでそんな面倒なことするの?それにこの停電は?これだって何か関係あるんじゃないの?」
千里は鼻で笑った。
「真尋が感電死したとでも言うの?」
「……とにかく車が動かない以上、貴之君のところに戻りましょう。真尋ちゃんの遺体もあのままにしてはおけないし……」
「クレア」
千里は私の手を握った。ドキリとするほど冷たい手だった。
「このまま自転車か徒歩で街まで行こう。正直この寮母に残って一晩過ごすのは嫌」
そう言われるとは思っていたけど、ここでひくわけにはいかない。実は私にも考えがあるのだ。
「もし仮に真尋が殺されたのだとしても、一番考えられるのは外部犯じゃない?」
「外部犯?」
「そう。あの時真尋は窓を開けて身を乗り出していたんだし、ここは一階よ。門を乗り越えれば簡単に敷地内に入って来られるわ。それに寮を停電にさせたのも、逃走する姿を見られたくなかったからとも考えられるわ」
千里の目に迷いが浮かんでいるのが分かる。
「とりあえず、今は貴之君のところに戻りましょう。この闇夜に、徒歩だろうと自転車だろうと、街まで行くのは危ないわ」
もし外部犯なら、闇夜を女子二人で移動するのはそれこそ危険だ。貴之を一人にさせておくのも、何だか嫌な予感がするし。
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