【完結】暁のひかり

ななしま

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夏の夕暮れ、秋の終わり

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「あ、先生」

 先生が会場から出てきたところへ、駆け寄ろうとして立ち止まった。先生のまわりに美しく着飾った女性たちが取り囲んでいたから。あれだけカッコいい先生の姿に、声のひとつやふたつかけたくなるのは理解できるけど……いや、やっぱりダメ。

「笹原先生、二次会行かないんですか?」
「行かないよ、迎えが来てるから」
「えぇ、そんなぁ」

 ニコの存在に気づき、先生は手を振って近づいてきてくれる。名残惜しそうな女性陣の視線を背中に浴びながら、ふたり並んで会場をあとにした。

 お礼をするよ、という先生のお誘いは断ったつもりだったけど、結局、帰り際に喫茶店に寄ることになった。コーヒーも食事も美味しいと評判のチェーン展開している喫茶店だ。店内は木製のソファが並ぶ半個室型で、ほどよく混んでいて活気がある。

(あれ、この店って……)
 ニコは顔をこわばらせた。お店に来たのは2度目だったから。

「お腹空いたでしょ、好きなだけ食べて」

 4人掛けの赤いソファーに向かい合って座ると、先生はメニューを差し出した。披露宴でたくさん食べたからと、先生はミックスジュースだけ。ニコはお昼も食べてなかったから、お腹が空いているだろうといってカツサンドを頼んでくれた。

「食べないの?」
「あ、はい。いただきます」

 手を合わせてからすぐに大口を開けるニコを見て、先生は頬杖をついて満足そうに目を細めた。

「あの、見られながらだと食べづらいんですけど」
「よくそんなに入るなーと思って」

 ニコはサンドイッチを手にしたまま、黙ってしまった。あの日のこと、先生はもう忘れてしまったのかと思えるくらい、目の前の先生はあかるかった。少しわざとらしいくらいに。

 4年前の初夏のことだ。
 先生の前に座っていたのは、女性らしい魅力に溢れた綺麗な人だった。お花のいい匂いがしそうな可憐な人。あんな美人が先生の恋人なのかと思うと……今思い出しても勝手に落ち込んでしまう。

「藤堂がね、ニコに挙式に出てくれてありがとうって、礼を言っていたよ」
「僕がいることによく気づきましたね」
「顔を覚えるのだけは得意だからね、僕らは。ニコが植木の種類を覚えてるみたいにさ」

……先生はあの女性とどういう関係だったのか。知りたくても聞けるはずもない、でも知りたい。どうしようもなく。

「やっぱりデザート頼もうかな、ニコも食べるでしょ」

 ニコの意見も聞かずに、先生は喫茶店の看板メニューのケーキを店員にオーダーしていた。丸いデニッシュ生地にソフトクリームが乗っている、ひたすら甘いデザートだ。

 迷ったけれど、黙っているわけにはいかなかった。先生に何もかも白状しなきゃと思った。嫌われてもいい。ニコは静かに顔をあげた。

「僕がこの店に来たの、初めてじゃないんです。4年前に一度だけ来ました」
「4年前のいつ?」
「僕は……先生のストーカーでした」

  先生は、ケーキの上にたっぷりと乗っているクリームをスプーンですくい、口元へと運んだ。

「もう、何を言われても驚かないよ」
「先生、ごめんなさい」

 造園会社に入社してすぐのことだった。慣れない社会人生活は精神も肉体もくたくたになった。車通勤で通う川沿いの道の途中に、母校である小学校が建っている。4年前はまだ笹原先生もその学校に在籍していた。道路からよく見える場所に職員駐車場はあって。

「毎日仕事帰りに、小学校の駐車場の横を通っていました。先生の車が停まっているか確認するのが日課で……」

 どんなに遅い時間に通っても、教室棟はもう真っ暗なのに、職員室のあかりだけが浮かんで見えた。先生も遅くまで仕事してるんだな、そう思うだけで力が湧いた。明日も頑張ろうって気合いを入れた。

 ある日の夜、いつものように駐車場の横を通っていて驚いた。先生が車の中にいるのが見えたから。ニコは近くの空き地に車を停めて、様子を伺った。しばらく経って、先生の車は動き出した。つい……車で後を追ってしまった。

「お店の中で、先生と女の人がふたりで座っていたのが見えました。近くの席に座りました。何を話していたかまでは聞こえませんでしたけど……でも、あの人は先生の恋人ですよね」

 女性が頭を必死に下げていたから、彼女の方から別れ話を切り出しているのかと勝手な想像をした。笹原先生のプライベートをのぞき見している罪悪感と緊張感で、飲み物も喉を通らない。指先を震わせながら、ニコはマグカップに口をつけた。

  次に顔をあげた時には女性は席からいなくなっていた。微動だにしない先生の背中だけが、ひとつだけぽっかりとソファから飛び出していた。

「先生はあの時も、このケーキを食べていました。今と同じように」
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