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第五章:因果去来編
第五話「深き海の底から」その五
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貨客船〈リンシュカ〉の内部には、かつてこの船が戦艦だった頃の名残が幾つも残されている。
否、彼女たちは意図的に戦艦としての機能を残されている。
本来ならば、軍艦の商船転用など非効率極まる。それを敢えて行っているのは、商船でなければ行えない仕事があるからだ。
軍艦とはそれ自体がひとつの政治概念だ。彼女たちの存在は所属国の意思をこの上ないほど表現し、一挙手一投足が総て政治に絡む。
しかし、この世界にはそうした政治色を拭い去って行わなければならない政治がある。そのために作られたのが軍艦改造商船だった。
「――都市船群、接続を解除して退避に掛かる模様。砲撃位置、未だ特定できず」
〈リンシュカ〉の船体中央にある情報分析室では、船の観測機器が捉えたバフマー藩王船団炎上の様子が克明に映し出されていた。
「これはひどい」
情報分析室の最も高い場所、室長席に座っているのは、この船の船長であり、船の運航を蒼龍公マリアに任されたキルカ・ウルトセイム退役海軍大佐だ。
情報収集艦に乗っていたためにかなり早い段階での退役を強いられた彼女だったが、退役当日、待っていましたと言わんばかりのマリアに半ば拉致されるようにこの船を預けられた。
貨客船の船長というのは、海軍軍人の第二の人生としてはそれほど珍しいものではない。戦時徴用船としての指定を受けた船など、彼らの経験を必要としている船はいくらでもある。
もっとも、キルカは自分などどこにも再就職先はないだろうと思っていた。なにせ、情報収集艦の艦長など書類上は陸上勤務になっている。当然、通常の艦長が受けられる諸々の手当などなく、普通の机仕事をしている分の俸給しか受け取っていなかった。
彼女が艦長としての俸給を受け取れるのは、海軍の定める情報秘匿期間が過ぎてからで、それは混血種である彼女がそろそろ寿命というものを考え始める頃になるはずだった。
「――ウルーシュの本国艦隊は?」
「急行中。到着まで、あと三十七時間」
「随分とのんびりしてるわね。うちだったら今ごろ、戦母から飛んできた飛龍が海上制圧戦を始めるころだっていうのに」
呆れた、という姿勢を崩さないキルカだが、そんなことができる海軍が自分の祖国を含めてほんの一握りだということは理解している。
それでもウルーシュ本国艦隊への悪罵を口にしなければ、目の前で発生している大量虐殺に自分なりの理由を見つけられないのだ。
「船団の護衛艦隊は?」
「残余十二。避難船の護衛を遂行中」
情報管制官は全員機族だ。
これほど潤沢な人材を持つ船は、海軍時代にもなかった。旗艦以外の艦に配属される機族など、首席情報分析官ともう一人か二人が限度だった。
「あっという間に五分の一にまで減らされちゃったのね」
「正確には第一撃で半数近くが行動不能となった」
機族の指摘はこの上なく端的で、事実を事実としてのみ描く。
その一撃でどれだけの人命が失われたかは、彼らの思考を乱す要素になり得ない。
「こちらに攻撃は?」
「なし。探測波も感知できず」
探測波は軍艦が相手を捉えるために発する波だ。それを相手に向けて照射することは実際の砲撃を伴わなくても攻撃と看做される場合がほとんどだ。
少なくともキルカが奉職した皇国海軍では、照射を受けた時点で攻撃を受けたと判断すべしと交戦規定に記されている。そして攻撃を受けた場合、艦長は皇王の代理として皇国全国民を守るためにあらゆる手段を講じるのだ。
「ここにいることは分かってるでしょうに、厄介な敵ね」
「商会本部より入信。リンシュカは直ちに本海域を離脱、商会本部へと帰還せよ」
「――あれを放っておけってことね?」
「現状ではそう考えるのが妥当と思われる」
情報分析官の声音はまったく変わらない。
数万単位の難民が発生しているのを目の当たりにして、そこから逃げろと命じられているにも関わらず、それを当然のものとして受け止めているようだった。
「――下には、誰かいるの?」
「本部からの情報はない。現在周辺海域の水中に、我国の潜航艦が存在するという記録はない」
そう、記録はない。
しかし、キルカはこれまで培ってきた軍人としての嗅覚が、海中に潜む巨大な力を嗅ぎ取っていた。
皇国が密かに世界各地に放っている戦略艦隊。超大型潜航母艦と、そこに属する水龍たち。
一隻で超大国の海軍を釘付けにすることも可能になるだろうと言われているが、今はまだその存在さえ人々には知られていない。
「――分かった。帰還する。航海士に航路の策定をさせて」
「了解、船長」
「私は上に戻る。情報収集を継続するように」
「了解」
キルカは椅子を降り、薄暗い情報解析室を後にする。
機族たちは情報を自分たちよりも遥かに有機的に捉えられるという。その感覚こそが彼らを情報管制の専門家たらしめているのだ。
では、自分たちには数字や波形でしか見えない人々の死は、彼らにどのようにみえているのだろうか。
キルカはふとそんな疑問を抱き、すぐに振り払った。
それは、船長には不必要な思考なのだから。
否、彼女たちは意図的に戦艦としての機能を残されている。
本来ならば、軍艦の商船転用など非効率極まる。それを敢えて行っているのは、商船でなければ行えない仕事があるからだ。
軍艦とはそれ自体がひとつの政治概念だ。彼女たちの存在は所属国の意思をこの上ないほど表現し、一挙手一投足が総て政治に絡む。
しかし、この世界にはそうした政治色を拭い去って行わなければならない政治がある。そのために作られたのが軍艦改造商船だった。
「――都市船群、接続を解除して退避に掛かる模様。砲撃位置、未だ特定できず」
〈リンシュカ〉の船体中央にある情報分析室では、船の観測機器が捉えたバフマー藩王船団炎上の様子が克明に映し出されていた。
「これはひどい」
情報分析室の最も高い場所、室長席に座っているのは、この船の船長であり、船の運航を蒼龍公マリアに任されたキルカ・ウルトセイム退役海軍大佐だ。
情報収集艦に乗っていたためにかなり早い段階での退役を強いられた彼女だったが、退役当日、待っていましたと言わんばかりのマリアに半ば拉致されるようにこの船を預けられた。
貨客船の船長というのは、海軍軍人の第二の人生としてはそれほど珍しいものではない。戦時徴用船としての指定を受けた船など、彼らの経験を必要としている船はいくらでもある。
もっとも、キルカは自分などどこにも再就職先はないだろうと思っていた。なにせ、情報収集艦の艦長など書類上は陸上勤務になっている。当然、通常の艦長が受けられる諸々の手当などなく、普通の机仕事をしている分の俸給しか受け取っていなかった。
彼女が艦長としての俸給を受け取れるのは、海軍の定める情報秘匿期間が過ぎてからで、それは混血種である彼女がそろそろ寿命というものを考え始める頃になるはずだった。
「――ウルーシュの本国艦隊は?」
「急行中。到着まで、あと三十七時間」
「随分とのんびりしてるわね。うちだったら今ごろ、戦母から飛んできた飛龍が海上制圧戦を始めるころだっていうのに」
呆れた、という姿勢を崩さないキルカだが、そんなことができる海軍が自分の祖国を含めてほんの一握りだということは理解している。
それでもウルーシュ本国艦隊への悪罵を口にしなければ、目の前で発生している大量虐殺に自分なりの理由を見つけられないのだ。
「船団の護衛艦隊は?」
「残余十二。避難船の護衛を遂行中」
情報管制官は全員機族だ。
これほど潤沢な人材を持つ船は、海軍時代にもなかった。旗艦以外の艦に配属される機族など、首席情報分析官ともう一人か二人が限度だった。
「あっという間に五分の一にまで減らされちゃったのね」
「正確には第一撃で半数近くが行動不能となった」
機族の指摘はこの上なく端的で、事実を事実としてのみ描く。
その一撃でどれだけの人命が失われたかは、彼らの思考を乱す要素になり得ない。
「こちらに攻撃は?」
「なし。探測波も感知できず」
探測波は軍艦が相手を捉えるために発する波だ。それを相手に向けて照射することは実際の砲撃を伴わなくても攻撃と看做される場合がほとんどだ。
少なくともキルカが奉職した皇国海軍では、照射を受けた時点で攻撃を受けたと判断すべしと交戦規定に記されている。そして攻撃を受けた場合、艦長は皇王の代理として皇国全国民を守るためにあらゆる手段を講じるのだ。
「ここにいることは分かってるでしょうに、厄介な敵ね」
「商会本部より入信。リンシュカは直ちに本海域を離脱、商会本部へと帰還せよ」
「――あれを放っておけってことね?」
「現状ではそう考えるのが妥当と思われる」
情報分析官の声音はまったく変わらない。
数万単位の難民が発生しているのを目の当たりにして、そこから逃げろと命じられているにも関わらず、それを当然のものとして受け止めているようだった。
「――下には、誰かいるの?」
「本部からの情報はない。現在周辺海域の水中に、我国の潜航艦が存在するという記録はない」
そう、記録はない。
しかし、キルカはこれまで培ってきた軍人としての嗅覚が、海中に潜む巨大な力を嗅ぎ取っていた。
皇国が密かに世界各地に放っている戦略艦隊。超大型潜航母艦と、そこに属する水龍たち。
一隻で超大国の海軍を釘付けにすることも可能になるだろうと言われているが、今はまだその存在さえ人々には知られていない。
「――分かった。帰還する。航海士に航路の策定をさせて」
「了解、船長」
「私は上に戻る。情報収集を継続するように」
「了解」
キルカは椅子を降り、薄暗い情報解析室を後にする。
機族たちは情報を自分たちよりも遥かに有機的に捉えられるという。その感覚こそが彼らを情報管制の専門家たらしめているのだ。
では、自分たちには数字や波形でしか見えない人々の死は、彼らにどのようにみえているのだろうか。
キルカはふとそんな疑問を抱き、すぐに振り払った。
それは、船長には不必要な思考なのだから。
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