白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第二三話「神々の宴」 その三

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 埃ひとつどころか、空気中の塵ひとつさえ存在していないのではないかと思えるほどに清浄な空気が満ちる皇城の廊下を二十名ほどの集団が進んでいる。
 先頭を進むのは銀の髪の若い男で、黒い眼帯で左目を覆っている。
 その男に続くのは、燃えるような赤い髪の女。彼女はひとつだけ残った右目で真っ直ぐ前を見詰め、隣を歩く露草色の長髪の男に話し掛けている。彼は右目を伸ばした髪で隠しており、やはり隻眼だった。
 そしてそのあとに続きながら、ぼうっとした表情を崩さない黒髪の少女。
 子や孫とほとんど同じ姿である彼女だが、その左目は龍族の金瞳ではなく七色に変化する人工の虹彩だった。
 彼らも、そして彼らに続く者たちも、皇城の廊下を歩いているというのにまったく畏まった様子を見せない。
 銀に属する髪を持つ者五名。
 紅に属する髪を持つ者六名。
 黒に属する髪を持つ者三名。
 蒼に属する髪を持つ者六名。
 彼らは無遠慮に赤絨毯の上を進み、時折懐かしそうに掲げられている絵画を眺めている。
 しかし、その歩調が緩むことはない。
 誰も姿を見せない長大な廊下を突き進み、彼らは巨大な扉の前に立った。
 普段はいるはずの衛兵もおらず、先頭に立っていた男が両手を扉に押し付け、ゆっくりとそれを開いた。

「ようこそ、皆さん」
 扉の向こうにあったのは、天井から何本もの滝が流れ落ちる全面魔導水晶張りの大広間だった。
 その中央最奥にある玉座に、ひとりの男がゆったりと足を組んで座っている。
「お戻りになるなら一言連絡を頂きたかったものですが」
 男の言葉を受けつつ一団が大広間を進んでいくと、玉座への階に四人の男女が立っているのが見える。
 当代の四龍公爵にして、彼らの子孫たちだ。
 白龍公カールは口を真一文字に結んで一団に目を向けず、紅龍公フレデリックは苦虫を一〇〇ほど噛み潰したような表情で明後日の方角を向いている。
 蒼龍公マリアはいつもの余裕に満ちた表情を浮かべようと努力し、しかし引き攣る頬によってその努力が報われていないことを教えてくれる。
「――おなか空いた」
 でもアナスターシャはいつも通りで、今頃食堂で作られているであろう軽食――アナスターシャ基準――に想いを馳せている。
 そんな四龍公の様子を見て目元に弧を作り、一団は階の下で立ち止まった。
「加冠の折にもご挨拶せず、大変失礼致しました。陛下」
 銀の髪の男が声を上げる。
「リンドヴルム公爵家初代。リハルト」
 胸に手を当て、一礼する。
 それに続き、露草色の髪の男が優雅な仕草で頭を垂れる。
「レヴィアタン公爵家初代。エウリア」
 それを横目に、堂々と胸を張って名を告げるのは赤髪の女。
「スヴァローグ公爵家初代、アンディリン」
 そして、背後にいる男に突かれてようやく、黒髪の少女が名乗った。
「――ニーズヘッグ公爵家初代、スヴェトラーナ」
 さらに名乗りが続くかと思われたが、四人の背後にいる者たちは自らの名を告げようとはしない。ただじっと玉座に目を向けるだけだ。
 その玉座で、青年が笑みを浮かべた。
「ご丁寧にどうも、アルトデステニア第十代国主、レクティファールです」
 畏まった名乗りはしない。この会談は予定されていたものではなく、偶発的に行われている非公式のものだ。
 参加者はあくまで個人の資格によってそこにいるに過ぎない。
「さて、皆様方は里帰りでしょうか? それとも軍の邀撃演習に協力を?」
 レクティファールの質問にリハルトが頭を振る。
 その仕草は子であるカールとよく似ていたが、少なくとも外見ではカールの方が年上に見える。それほど、リハルトは若々しい姿だった。
 エーリケとならば、兄弟にしか見えないだろう。
「いえなに、例の異世界の軍勢の件ではお役に立てませんでしたので、孫の結婚祝いに月の宝石でもと思い汗を掻いていたのですが、珍しい気配を感じましてね」
「そして領地なわばりに残した弟に話を聞けば、アタシらのシマに土足で踏み込んで女連れ去ったバカがいるっていうじゃないか」
 アンディリンが獰猛な笑みを浮かべ、そのたわわな双丘をぐにゃりと変形させながら腕を組む。
「それが本当なら、当然連中のシマに殴り込める奴が必要になる。で、海の底で海底隧道掘ってたエウリアに話をした」
 ひとつしかないアンディリンの目に促され、エウリアが一族の特徴のひとつである透き通った声で説明を続ける。
「余計なことかとは思いましたが、神域で戦えるだけの力を持つ者たちを集めさせていただきました。こう申し上げるのは我らが非才を晒すようですが、現代の同胞の大半は神域ではそれほど戦えませんので」
「ん、力を制御できない」
 スヴェトラーナが、エウリアの言葉に頷く。
「神域は糧が多すぎる。若い龍には毒」
 四界とこの世界の間にある神域には、この世界よりも遥かに高濃度の四界元素が充満している。それを糧に身体の中で様々な力を生み出す龍族にとっては、飽和寸前の粒体元素など僅かに取り込んだだけで身体の制御が効かなくなる猛毒だった。
「少なくとも、今後宮で殴り込みに参加させろと騒いでいる小娘共は無理だ。――うちの小童でも不安なくらいだよ」
 アンディリンが小馬鹿にするような視線を向けているのは、徹底して彼らの方を向こうとしないフレデリックだ。
 皇国でもっとも貴族に向かない貴族と言われるだけあって、紅龍の一族は公爵として五〇〇年を超える期間在位したことがない。
 早々に子どもを作っては徹底的にしごき倒して当主としての器を作り上げ、さっさと隠居するのが彼女たちの常だ。
 フレデリックも例外なくさっさと隠居したいと思っていたが、娘をふたりともレクティファールに掻っ攫われた結果、思ったよりも長い在位期間になる気配がある。
「神域で陛下に好き勝手暴れられては、この国にも悪影響があります」
 リハルトは微笑を貼り付けたままレクティファールに言上する。
「あの辺境神のらがみどもが何千何万柱消し飛ぼうが構いませんが、神域を不安定にされては些か困る。どうぞ、我らをお連れ下さい」
 皇国を皇国のまま保持するというのが、彼らの使命である。それがもっともこの地を安定させる。
「しかし、あなた方は私の家臣ではない。私が何かを命じることはあまりにも僭越ではありませんか?」
 彼らは揃ってあらゆる公職を辞している。
 中にはまったく政治的要素のない団体の顧問などに収まっている者もいたが、どちらにせよレクティファールが何かを命じることのできる相手ではない。
 無論、原則として考えればこの国の民である以上レクティファールの言葉に従う義務はあるのだが、それを行った場合、公爵家の独立性が損なわれる可能性があった。
 公爵家は皇国を守る存在でなければならない。
 皇王家と皇国が完全に重なり合っている間は皇王家に従えばいいが、先の内戦のような事態に陥った場合は、国を優先して皇王家と敵対することも必要だ。
「それを押してでも、アンタについていくって言ってるんだ」
 初代紅龍公の女性は、ひとつだけの金瞳でレクティファールを見据える。
「この目はアンタに預けてある。それはアンタが見ているものをアタシらも見ているってことだ。アンタの視界は曇っちゃいない。なら、アタシらが手を貸すのに理由はいらない」
「――ご飯のあてがなくなるのは、困る」
 ぐぅ、と腹の虫を盛大に合唱させながら、癖毛以外にアナスターシャと寸分違わぬ姿のスヴェトラーナがレクティファールを見上げる。
 どこか小動物染みたその視線は、レクティファールには馴染み深いものだ。
 レクティファールの妻は毎日のようにその視線を夫に向けては、彼の手から食事を分けて貰っているのだから。
「何よりも陛下、あなたが我々を必要と思っておられる。もっとも手堅く、もっとも被害を少なく勝利するには、それこそ盤面をひっくり返すほどの力が必要になりましょう」
 エウリアは両手を広げ、末娘であるマリアを見る。
「陛下はそこのお転婆を受け入れるほどの大器。勝手に家を飛び出しては海賊どもを蹴散らし、男どもを誑し込んでは捨てさらに捨てと公爵家最大の汚点であった娘を、です」
 その場にいた全員の視線が、マリアに向かう。
「――いやん、マリア恥ずかしい!」
 身体をくねらせたマリアの一言に、フレデリックがぼそりと「うわキッツ……」と呟いたのが聞こえた。
 マリアの身体から怒気が溢れたので、レクティファールは話を切り上げることにした。
「ならば、少し手を借りるとしましょう。あなた方なら、もっと暇な者を集められるかもしれません」
「ええ。神域で暴れたいと思っているものに、幾らか心当たりがあります」
 リハルトはそう言って笑い、またレクティファールも同じように笑みを浮かべる。
 カールはその様子を見詰め、出会ってはいけないふたりが出会ってしまったのかもしれないと内心戦慄するのだった。
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