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第四章:万世流転編
第二三話「神々の宴」 その四
しおりを挟む〈新生アルマダ帝国〉の帝都より北に、彼女の領地はあった。
それほど広くもなく、これと言った名所も特産品もない。領主館を抱える人口五千人程度の街と、幾つかの村落があるだけのちっぽけな場所だ。
しかし、彼女はそこを気に入っていた。
これまでの通例通りならば、帝国騎士かせいぜい準男爵が封じられるのが妥当と思われる地。しかし、ここには争いがない。
彼女がもっとも好み、もっとも厭う『争い』が存在しない。
だから、彼女はここが好きだった。
「姫さま、ミド村の村長から鹿が一頭届いておりますが、どうなさいますか?」
部屋に入ってきた老執事が、配下の村からの贈り物について沙汰を求める。
この地を賜って以降、何度もあったことだ。いつものように指示を出す。
「そうだな。夕食に間に合うようなら適当に頼む。あと、騎士団にも差し入れてやれ」
「はい」
皺に覆われた顔を笑みに歪め、老執事が腰を折る。
ゆったりとした仕草で去って行く彼の背を見送ってから、彼女――グロリエは長椅子から身を起こして髪を掻き上げた。
「鹿の礼は何がいいのか。農具でもまとめて送ってやろうか?」
いかに長閑な気質の持ち主が多いとはいえ、狩猟道具を贈ることは憚られた。
領民の反発を恐れてのことではない。帝都にいる兄姉たちが「グロリエは領民に武器を配り、謀叛の準備をしている」と言い掛かりを付けてくるのを防ぐためだ。
「あとは、都市同盟から貰った牛でもくれてやればいいか」
トラン大陸原産の牛は、今は領主館で働く執事の実家に預けられている。
グロリエ自身はくれてやってもいいと思っていたのだが、品種改良され採乳量の多いその牛は一頭でも件の執事の年収五年分ほどになる。とてもでないが受け取れないと言われ、とりあえず預けるという形になっている。
手間賃としてその間に採乳された生乳は好きにして良いと言ってあるが、それでも恐縮しているのがありありと分かる。
(ミド村は最近とみに発展していると聞くし、ここらで領主らしいことをしてやるのも良い)
他の村に較べて畜産業が発達しているのもいい。
実務知識の蓄積がある分、他大陸の牛でも何とかなるかもしれない。
(しかし、あの商人どもには莫迦にされているような気がするな。我国の商産業が貧弱なのは事実だが)
挨拶と共に贈られたものが、少々の金品と牛である。
何故牛なのだろうかと使用人に訊いてみたが、グロリエの好みを考えれば不思議ではないと言われた。
(そりゃ宝石よりも牛の方がまだ嬉しいが……)
同じ金額の宝石と牛ならば、牛の方が多くの民に恩恵を与えることができる。
彼女の土地では現金での決済よりも物々交換の方が多いのだ。
しかし――
「やはり、莫迦にされている気がする」
仕方がないこととはいえ、容易に納得できるものではない。
だが、もしこの牛を与えた村の人々が笑顔を浮かべることができたなら、その商人に素直に感謝できるような気がした。
「他にできることもないしな」
領主としての能力はせいぜい平均程度。彼女は自分が優れた領主であるとはまったく考えていない。
代官の代官として先ほどの老執事が色々取り計らっているから良い物の、グロリエ自身が領地を切り回すことになれば、それこそ叛乱が起きるかもしれない。その程度の能力しか彼女にはなかったのである。
「ふあ……」
欠伸をひとつ浮かべ、グロリエは再び長椅子に身を横たえる。
だらしのない格好のせいで色々なところの肌を晒してしまっているが、彼女は自分の現状にまったく頓着していなかった。
「しかしあやつもだいぶ歳だ。帝都の代官連中じゃ役に立たないし、後任はどうしたものかな」
老執事は今年で六〇になる。
グロリエたちのような人形種ならば、戦いさえしなければあと十年は真っ当に動けるだろうが、執事はごく普通の人間種だ。
それも決して衛生状況が良いとは言えない帝国の民である。そろそろ平均寿命に手が届く彼に、これ以上無理をさせるのはグロリエの美意識に反する。
「兄上に相談してみるか」
グロリエは呟く。
帝都の法衣貴族の中には代官として身代を得ている者たちもいる。
しかし預かった土地の金を懐に入れず、また自分の領地でもない場所を正しく発展させられるほどの人物はそう多くない。大抵の代官は税を摘まみ、領民に嫌われるのが仕事のような連中だ。
そうした者に、この平穏な地を預ける気にはなれなかった。
「いっそレクティファールに相談するか? あいつならば面白い奴を知ってるかもしれん」
それはなかなか愉快なことのように思えた。
適当な場所を経由して招き入れれば、皇国からの紹介だと気付かれるのはだいぶ後のことになるだろう。それこそ、皇国と国交のある兄に協力して貰えば良い。
「ふふん」
機嫌良く鼻歌を奏でながら、グロリエは兄に向ける手紙の文面を考える。
時節の挨拶は適当に済ませて、義姉の体調を聞き、領国の様子を確認しよう。
そして悪巧みに兄を巻き込むのだ。
(あの兄上のことだから、嬉々として乗ってくるかもしれんな)
グロリエは上機嫌のまま、長椅子の上で思考を巡らせる。
そのまま半時間ほど時間が過ぎた頃、扉を叩く音が彼女の意識を引き戻した。
「入れ」
その言葉に答えて入室してきたのは、先ほどの老執事の下で見習いをしている若い執事だった。
「ぐ、グロリエ様にお手紙が……」
何だ、そんなことか――グロリエは落胆した。
こうして畏まった状況で彼女に届けられる手紙は、大抵が碌でもないものだ。
民や親しい友人、兄夫婦からの手紙であれば、グロリエの好みをよく知っている女中か執事が軽食や茶と共に渡してくれる。
グロリエが手紙の送り主と気兼ねなく対話できるようにとの心遣いだ。
しかしこの手紙は銀盆に載せられ、若い執事によって運ばれてきた。
それはグロリエの好みではない手紙ということに他ならない。
「――ご苦労。戻って良いぞ」
銀盆から手紙を取ると、彼女はひらひらと手を振って執事を追い出す。若い執事がちらちらと自分の身体を盗み見ていることには気付いていたが、グロリエにそれを咎めるほどの繊細さはなかった。
「ふむ……知らぬ商会だな」
送り主の名前は帝国系の商会だったが、グロリエの記憶にはなかった。
ただ消印はアクィタニア王都であり、それだけがグロリエの警戒心を僅かに緩める。
彼女はやや乱暴に封を開き、便箋を取り出し、開く。
「招待状?」
それはある場所で行われるという舞踏会への招待状だった。
しかしその場所や日時などは一切書かれておらず、グロリエは首を傾げる。
「いたずらか?」
それにしては相手が悪い。
グロリエはまったく気にしないが、帝族としての最低限の分別はある。
帝族を不当に軽んじる者には然るべき報いを与える。それが帝族を帝族として位置付け、帝国を帝国として保つために必要なことだからだ。
だが彼女の疑問は、封筒の中にひっそりと紛れ込んでいたもう一枚の便箋によって覆される。
「げ」
グロリエはそれを読み、心底嫌になったと言わんばかりに顔を歪めた。
父からの帝都召喚命令――もっと別な言い方をするならば、安全に娘に手紙を渡すために、態々家を出た息子の手を介するという無駄な手間を惜しまない男から呼び出しである。
「帝都か、絶対アイツらが騒ぐぞ」
グロリエは兄姉の顔を思い浮かべ、少しだけ出奔しようかと思った。
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