白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第二二話「回生の星船」 その一

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「ふっざけんなぁああああああああああっ!!」
 その怒声と共に障子襖をぶち破って飛び出してきた青磁の花瓶が、庭石にぶつかって粉々に砕け散った。
 執政就任祝いに〈帝〉家から瀬川家に下賜され、八洲では一国に匹敵すると言われる名物、『青磁五星花瓶』の最期だった。
「お館様!? 今ご自分が何を投げたか……!」
「分かってるに決まってんだろうが!? ああ!? 神群の跳ねっ返りが皇国に乗り込んで皇妃拉致ったって聞いたんだから〈帝〉家から貰ったもんぶん投げるしかねえだろうよ! 次持って来い、次!! 確か茶碗とかもあっただろう!?」
「と、殿をお止めしろぉおおおっ!!」
〈天陽〉瀬川屋敷で大暴れしているのは、この国の政を〈帝〉から預かる執政のひとり、瀬川道雅である。
 今朝方御所に参内した折、〈帝〉本人からその事実を知らされたのである。
 彼はすぐに執政府の部下たちに指示を出したが、怒りが抑えきれなくなって屋敷に戻ってきたのだ。
 そして、一時は〈帝〉家宝物に指定されたこともある花瓶を豪快に破壊したのである。
「貴様らぁ! 離せ! これは主命ぞ!!」
「なりませぬ! これ以上多くの品を破壊すること、子々孫々への裏切りにございます! 殿は歴史に一時の感情で歴史を破壊した愚物と名を刻まれたいか!?」
「今まさに歴史に俺と陛下の名前が刻まれかけてるんだよ! 〈座〉の神群のせいでな!」
 騒ぎを聞いて次々と現れる家臣が、道雅を圧殺するかのような勢いで次々とのし掛かっていく。
 元々武家の名門である瀬川だ。家臣たちも屈強な武人たちばかりであり、道雅はその体重に圧迫されて顔を真っ赤にしている。
「ま、不味い……そろそろ死ぬ……」
「そのまま気絶して下されればよい。五星の件は某が腹を切ってお詫びする所存」
「そ、それこそふざけるな……陛下のことだから、自分が投げたかったと仰るに決まってる……ぐふ……」
 道雅の手がぱたりと落ちると、本当に気絶したのか確認するために十秒ほどそのまま維持される。道雅が完全に気を失っていることが確認されて家臣がばらばらと仕事に戻っていくと、それと入れ違いになるように美しい黒髪を持つひとりの女性が姿を見せた。
「あら、道雅様はお休み?」
 武家着物に身を包んだその女性は、畳の上で倒れ伏したままの道雅に近付くと、その頭を爪先で小突く。道雅が唸り、残っていた家臣が主君に憐憫の眼差しを向けた。
「りょう様……それはあまりにも……」
「良いのです。道雅様は昔から物に当たることが多すぎます。子どもが真似をしたらどうするのか」
 女性は道雅の正室である涼だった。
 道雅とは幼馴染みであり、それこそ生まれてから数ヶ月後に顔を合わせて以来の付き合いになる。
 道雅の暴走を完全に止めることができる数少ない存在のひとりだった。
「どうせ御所で面白くないことがあったのでしょう。街でも少し噂になっています。亜国といくさになるのではないかと」
「それは、まことでございますか?」
 家臣たちは困惑し、顔を見合わせる。
「詳しいことは知りませぬ。ただ、京でそういった噂が広まっているのは事実。道雅様がお戻りなら事情をお聞きしようかと思ったのに、このざまですし……」
 そう言って道雅を見下す涼。幼少の頃、道雅を剣術の鍛錬で叩きのめしたときと何ら変わらない両者の立場である。
「ざ、ざまとは何だ、この男女が……」
「あら、口だけはお達者。国盗りにしくじった御方とは思えないですわ」
 何だと、と勢いよく立ち上がる道雅に、家臣たちに緊張が走る。
 しかし道雅は宝物が収められている蔵に向かうことも、飾られている座敷に向かうこともなく、妻に食って掛かった。
「実質盗ったわ! 単に予定が変わって戦わずに手に入れただけだ!」
「天子様と帝弟陛下に色々譲って貰っただけでしょう? まあ、あなたがそれで満足しているなら結構なことだけれど」
「あああああああ!! 何だよ! そんなこと言いに来たんじゃないんだろ! 分かってんだぞ!?」
 頭を掻き毟り、一頻り天に向かって雄叫びを上げたあと、道雅はその場にどっかと座り込んで涼に訊ねる。
 涼はその前に流れるような所作で腰を下ろすと、道雅に向き直った。
「亜国と戦争になるのではないか、そんな話が巷に溢れています。そのようなことはないと宥めることもできますが、己が真実を知っているだけで民に対する心構えは違ってきます。さっさとお話しなさい」
 帯から扇子を取り、畳にぺしぺしとそれを叩き付ける涼。
 その様子は悪戯をした悪童を叱る母親そのもので、家臣たちは瀬川家の真の支配者を再確認する。
 しかしそんな家臣たちの心中など知らない道雅は、苦虫を百匹程度噛み潰したような表情で、小さく答えた。
「――言えぬ」
 ふて腐れたような道雅の言葉だが、涼はまったく表情を変えない。
 ただじっと夫の顔を見詰め、静かに頷いた。
「そうですか。ならばそれでもよろしい。あなたがお役目を忘れていないと分かっただけで、りょうは満足です」
 すっと立ち上がる涼。
 道雅はその背を眺め、ぼそりと告げた。
「俺は退かぬ」
 その言葉が何を指すのか、家臣たちにはまったく分からない。
 ただ、道雅が何らかの困難を前にして不退転の覚悟を抱いていることが分かっただけだ。もっとも、瀬川家家臣団としてはそれで十分だったのかもしれない。
「ならば、わたくしもお付き合いしましょう。いくさになるかどうかは知りませんが、なったところで道雅様おひとりが寂しく馬を駆ることはありません」
「まさに! 殿、奥様とともに我らもお供致しますぞ!」
「最近いくさ働きができずに身体がなまっていたところですが、鎧の手入れは欠かしておりません。いつでもご命令くだされ!」
 涼に続いて、家臣たちが気勢を上げる。
 すでに飛び出して行ってしまった気の早い者もいるが、道雅にとってはあまりにも見慣れた戦いの前の家中の有り様だった。
「――もうひとりの執政殿は俺と違ってものの道理を弁えている。殴りかかる相手はしっかりと選ぶだろう」
「手当たり次第に殴りかかる道雅様とは大違いですね。今度お会いしてみようかしら?」
「まずはあちらの奥方と文でも交わせば良い。誰に送るか悩むだろうがな」
 ぐふふ、と意地の悪い笑みを浮かべる道雅に、涼は嘆息する。
「まずはもっとも序列の高い奥様に決まっているでしょう。亜国の奥は確か正室様以外は横並びであったと記憶しています。正室様にご挨拶すれば、あとはどうとでもなります」
 機会があれば隣国の奥――後宮と関わりを持ちたいと思っていた涼である。
 道雅の言葉をその許しと捉え、積極的に文を出そうと決めた。
 それがこのあとの道雅の運命を大きく変えることになるとは、このときの彼女はまったく想像していなかったのであった。
 また、それに巻き込まれるもうひとりの男は、そのとき義兄である〈帝〉と言葉を交わしている最中だった。
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