白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第二一話「浅間のルコ」 その五

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 何事にも想定外の事態というものは存在する。
 まさかそんなことが起きる訳がないと思い、想定される事態から除外してしまう。
 カシマが経験したこともまた、彼にとっては想定し得ない状況だった。
「クソが!」
 カシマは目の前に浮かぶ黄金色の光の繭を見詰めながら、そう吐き捨てた。
 カシマの身長よりも巨大な光の繭は、神々の力を抑え込む性質を持つ〈千縛樹〉の蔦によって空中に留め置かれている。こうしなければどこに飛んでいくか分かったものではないのだ。
「何故、地の一族がそいつを庇う!? 貴様ら一族の原罪そのものだろうに!」
 光の繭はよく見れば“九”本の狐尾によって形作られていた。その中心にいるのは瑠子ではなく真子である。
「――それ以前に、何故地の一族がこれほどの力を持っているのだ。彼らはすでに力を失ったはずではないのか」
 カシマの言葉通り、八洲帝族は神族としての力の大半を長い歴史の中で失っている。神格とはその個人にのみ与えられるもので、元々継承を前提とした力でない限りは子々孫々に継承される類のものではない。
 だからこそ、カシマたちは真子の存在を一顧だにしなかった。瑠子を引き剥がせば衰弱し、最悪死亡することも分かっていたが、地の一族への配慮も兼ねて自分たちの力で延命するつもりだった。
(我らが龍国の〈座〉に赴いたとき、堕神は確かに我らから半身を庇おうとした。だが、逆にその半身によって堕神は神格を奪われ、半身はそのまま自らを封印した)
 その封印は八洲神群第一世代に相応しい力を持っていた。その力はここに運び込む際、カシマに同心した屈強な武神が三柱も気絶させたほどだ。
 封印――光の繭は選ばれた者以外が触れるとその存在を全否定し、神が神であるための必須条件である『存在肯定』の力を消耗させる。
 人々の信仰によって得られる肯定の力を糧にする神にとっては、まさに天敵とも言える能力であった。
「これが地の一族の力か」
 尊敬すると同時に見下していたはずの現界の同胞の力に、カシマは唸ることしかできない。神々は人々によって肯定されることで自らの存在を保つが、地上の一族は人々に直接姿を認識されており、それらの記憶が存在する限り消え去ることはない。
 また現界の環境に適した肉体を保っており、それらの肉体が一種の結界となって存在を保持することもできる。器である肉体が存在するのだから、そこに収まるべき存在情報もまた理によって肯定されるということだ。
 故にその点に関して、〈座〉の神よりも地上の帝族の方が確固たる存在を確立していると言える。だからこそ、〈座〉の神々は地上の同族に憧憬と嫉妬の念を抱き、カシマのような存在を生み出してしまうのかもしれない。
「カシマ、アサマ系の者たちが騒ぎ出している」
 光の繭をじっと睨み付けるカシマの背後に、金色の髪を棚引かせた女神が現れる。
 風の神として比較的大きな力を持つタツタと呼ばれる神だった。
「放っておけ! 我々が行動を起こしてから集まるような愚鈍な連中だ」
 タツタはカシマにとっては姉に当たるが、神々にとって兄弟姉妹というのは互いの立場を決定する理由にはならない。
 彼らにとって彼我の立場を定めるのは、それぞれが持つ力と特性だけである。そもそも武神と風神では、単純に力を比較することもできない。
「アサマ――いや、今はルコであったか。とにかくそやつが生きていることは連中にとって福音ぞ。悪逆の一族として肩身の狭い思いをしてきたからな」
 かつてこの世界にアサマと呼ばれていた神がいた。
 彼女は父に懇願して地の神に嫁ぎ、瑠子と名前を変えた。アサマという名はあくまで〈座〉の神としてのものであり、現界で生きるのであれば地の神として肯定されなければならないと考えたためだ。
 しかし、〈座〉の神アサマには彼女に連なる子や孫たちがいた。八洲の神々は交配によって子孫を作るのではなく、地上の民たちの認識によって分かたれた信仰を具現化することで、地上で言うところの子どもとも言うべき存在を形成する。
 アサマと呼ばれた女神の場合は、元々自然を象徴する様々なものの統括神だった。自然の恵みと呼ばれるものは総て彼女の信仰の糧であり、火も、水も、木々も動物たちも彼女の恵みとされた。そうした信仰があったため、彼女は獣神としての姿を得た。
 人々は無意識のうちに、彼女に人里ではなく自然の中で暮らす動物の姿を重ねたのだろう。アサマが持っていた九本の尾は、そうした多くの動物たちの象徴であり、最終的に狐の姿に集束したのは、神話に於いて彼女が変化した姿が狐だとされたからだ。
「アサマ系は獣神が多い。下手に騒がれると地上が厄介なことになる」
「分かっている! あの獣臭い下級神どもめ、父の恩を忘れて好き勝手なことを……!」
 自然を司っていたアサマは、人々により多くの加護を与えるために木々ひとつひとつ、鳥獣一種一種に対応する神を作り出した。そのためにアサマ系は八洲神族全体から見れば一大勢力となっている。
 しかし、〈座〉の神々は彼らの祖であるアサマの罪を理由にして彼らを他の神々より一段下に置き、最下等神として扱った。これにより、アサマ系の力を封じようとしたのだ。
 確かにアサマ系は数こそ多いものの、一柱一柱の力は強くない。隷属させることはそれほど難しいことではなかった。
 だが、彼らが祖と仰ぐ存在が戻ってきたとなれば話は別だ。
 アサマ系は現界に対する影響力が大きい。中には現界に肉体を持ち、八洲の人々に神獣として崇められている存在もいる。
 このままでは八洲系神族の内乱に発展しかねない――タツタはじっとカシマを見詰めたあと、溜息を漏らした。
「父上が何も言わぬ故わたしも何も言わぬが、カシマ、自分の行いは自分で始末を付けるんだな」
「始末?」
 カシマは振り向き、タツタに問う。
 彼にしてみれば、目の前の堕神を討つこと自体が始末だと思っていた。だが、タツタの口調から、それでは不十分なのだと察した。
「これ以上の始末などありはしない」
「そう考えるのはお前の自由だ。だが、目の前にいるのはお前の姉だ。かつて今のお前と同じだけの力を持つ異国の武神群に対し、たったひとりでその侵攻を撥ね除けた女だ。お前だけで勝てると思っているのか?」
「くっ」
 八洲の神々が今の〈座〉に辿り着くまでには、多くの戦いがあった。
 神群の長であるカシマの父と共に戦った神々は、第一世代の中でも一際大きな力を持つ存在だった。
 それらの神が神話のひとつとして人々に広く知られている分、今でもその力の差は歴然としている。カシマとカトリでさえ、その力には大きな差があった。
「総てを理解した上で行動することだ。地の一族とは違い、我々に法などあってないようなもの。我らを裁くのは父か、或いは己自身のどちらかだ」
 そう言い捨て、タツタは金色の光粒を残して姿を消す。
 風神であるタツタは常にあらゆる場所に存在し、あらゆる場所に存在しない。彼女は自らが望む場所に姿を結び、消すことが出来た。
「貴様とて、姉を超えたくて仕方がない癖に……!」
 カシマの言葉は、あらゆる場所に存在するタツタの耳にしっかりと届いていた。
 だがタツタはその言葉を肯定することも否定することもなく、ただ静かに動き始めた運命を眺めるのだった。
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