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第四章:万世流転編
第十七話「友情の価値」 その五
しおりを挟むひと言で述べるならば、準皇妃アリアから贈られた品々は緊張感で麻痺した味蕾でさえ美味と感じるものだった。
クラウディアが今取り組んでいる論文について話し、それに適当な相鎚を打ちながら夕食を口に運ぶ。それだけで眉間に刻まれた皺が緩むのだから、世の中に美食家と呼ばれる者たちが尽きないのも道理だった。
「皇国から輸入してる実験材料の魔導珠が高くてねぇ。でも国産の魔導珠だと精度が低くてあんまりよろしくないし、あなた何か良い方法知らない?」
その美味を口に運びながら、愚痴へと切り替わった妻の言葉に記憶を辿る。
(何かあったような……しかし、これ何の肉だ?)
付け汁の酸味が正体が分からない肉に絡み、肉の持つ旨味と一緒に舌を楽しませる。クラウディアはあまり料理自体は得意ではないが、生来の性格が凝り性である分、料理という行為そのものへの妥協はないらしい。
味を楽しんで肉を嚥下し、クラウディアが求めていた答えを発した。
「確か国内で皇国と同じ精度を出せる企業が、合弁で設立されるとかこの間新聞に出てたぞ。工業団体の中で内輪揉めをしているとか何とか」
皇国製の原料を安価で手に入れられると喜ぶ製造業者と、その原料を作る製造業者の間で火花が散っているらしい。国からすればどちらかに肩入れすることもできない問題である。
「そうなの? 大学の担当者は全然そんなこと言ってなかったけど」
クラウディアが研究室を構えているのは、アニュア中央工科大学という連邦屈指の名門大学だった。ただ、学生たちに講義をする機会はほとんどなく、ただ大学構内に間借りしているだけといった風であった。
「学術用は普通の工作用よりは優先されるはずだが、納入業者が扱っていないだけかもしれないな」
実は先の内輪揉めの結果、皇国規格の原料を取り扱う商会とそうでない商会がくっきりと分かれていた。商会の本音としては売れる見込みのある品物はその出自を問わず扱いたいが、これまでの付き合いを総て白紙に戻す覚悟もない。
それに対して元々外国産の品物も扱っていた商社などは、それが新しい商品であっても売れる見込みがあればどんどん取り扱うようになっていた。
「じゃあしょうがない。一度大学の方に顔出したいんだけど、あなた一週間ぐらいほっといても生きていけるわよね?」
「生存のみに絞れば、そりゃまあ……」
結婚前まではひとりで暮らしていたのだ。生きるだけならどうということもない。
ただ、魔導珠と夫を天秤に掛けて躊躇いなく魔導珠を選ぶクラウディアにほんの少しだけ落ち込んだ。
「なら、明日から一週間。あっちに泊まり込むから」
「分かった。着替えは持って行けよ」
そうひと言付け加えなければ、クラウディアは一週間ずっと同じ服で過ごしかねない。肌着さえ交換しない可能性もあった。というよりも、結婚してから何度もそういった場面に出会したし、それは不味いと着替えを運んだこともある。
「大丈夫大丈夫、大学の方で洗濯してくれた服が置いてあるから」
「そうか……」
きっと大学側もイノーウィックと同じ状況に直面し、研究に没頭するクラウディアにヒトとしての最低限の生活を期待することの無意味さを知ったに違いない。
イノーウィックは会ったこともない大学側の担当者に親近感を抱きつつ、食後の黒豆茶に手を伸ばした。
そこで、食卓の片隅に追い遣られた大判の封筒に目を向ける。
イノーウィックはクラウディアのものかと思ったのだが、夫の視線に気付いた彼女が「あなた宛よ」と言うので何となく手を伸ばしてみる。
「バルーザ総合調査商会? 聞いたことのない名前だ」
「やっぱり? わたしも知らない名前だなぁと思ってたんだけど、議員だったら馴染みの調査会社のひとつやふたつあるって言うし、一応預かっておいたの」
大判の封筒には、商会名以外にはそれほど多くの情報はない。
イノーウィックは中に入っていた数枚の紙を引き出し、さっと目を通す。
「――おい」
そして、思わずそう口にしていた。
「何?」
クラウディアが自分を呼んだものと勘違いして返事をするが、イノーウィックにその声は届いていなかった。
(世界規模の調査会社? 何でこんなものがうちに届くんだ)
それは皇国の誇る世界規模の流通網を用いた大規模調査商会の案内状だった。
より正確に言うならば、世界各地に散った調査員との仲介を行う商会であるらしい。
イノーウィック自身も様々な調査員を抱えているが、これほど大規模な調査網を持つ商会は連邦にもほとんど存在しない。その数少ない例外も、イノーウィックが見詰める資料ほどに正確な情報を集められるとは思えなかった。
(誰だ? いや、あの男に決まっている)
これだけ広大な情報網を整備できる資本を持つ者など、そうそういるものではない。そしてイノーウィックの知り合いの中に、それが出来る人物はひとりしかいなかった。
(これを俺に渡してどうしようというのだ)
イノーウィックはそう考えながらも、朧気ながら相手の意図を汲み取っていた。
政治を行う者にとって、無知は重罪である。
少なくとも自分が知るべきことを知らない者は、その罪を誠実に贖うべきである。
(俺に何を知れというのか。――やはり、それほどまでに世界は危ういのか?)
連邦内部で知りうる限り、大陸は未だ緊張状態にあるものの、決定的な破綻はまだ当分先のように感じられる。
(人々の心情を除けば、もっとも平穏な時期とはもっとも緊張に満ちた時期だ。それが今である可能性は否定できない)
周囲の一挙手一投足に全神経を集中している分、知らぬ間に発生した不測の事態によって均衡が崩れる危険性は低い。
安全だと思っているよりも、危険だと思っている方が結果的には安全に過ごせるということも多い。
「あなた? ちょっと顔色悪いわね。また誰かと喧嘩でもしたの?」
「――いや、どうやら喧嘩の下準備をしろってことらしい」
「ふーんそう、でも、また鬘飛ばして映像速報で延々同じ絵を流されないようにしてね」
「ああ……気をつけるよ」
それがクラウディアの冗談であることにも気付かず、イノーウィックはただ手元の資料を眺める。
明日、連絡を取ってみよう――そう思いながら、彼は経験したことのない怖気に身を震わせた。
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