白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十八話「皇都の日」 その一

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「あー、よく寝た」
 皇城に保健官僚として勤めるカズフサ・タカミは、寝室から出て大きく伸びをした。
 そのまま上衣を羽織って玄関を出ると、遙か遠くに皇城の尖塔が見える。
 朝日に照らされて塔の尖端にある結晶端子がきらきらと輝いているのを眺めながら、郵便受けまで歩く。
 その間、家の前の舗装道路を自転車に乗った学生が通過し、続いて乗合魔動車が、最後に野菜を満載した馬車が皇都の市街地へと向かっていく。
 それは彼の記憶と変わらない朝の光景で、皇城の片隅で書類や気分屋の上司と戦う彼に、久し振りの我が家というものを強く感じさせた。
 郵便受けから新聞を引っ張り出し、首から提げていた眼鏡を掛けると、ざっと内容に目を通す。
 皇都日報という印字の下に、昨日行われた皇国技術褒賞授与式の写真が大きく掲載されている。
 ミューレ・ブライトン女史――魔族疾病の特効薬開発に貢献、一等技術勲章。
 ベルフォント・カイウス・ギズラー伯爵――新式魔導炉の基礎研究に貢献、一等技術勲章。
 ヘスティ・ハルベルン、リヴィ・ラ・フリーガシン姉弟――魔導筋繊維開発に貢献、二等技術勲章。
 ヒュルワー・メイディルワーデン軍医中佐――野戦医療技術の向上に貢献、二等技術勲章。
「あー、今日辺り賞典局の連中ごっそり抜けてそうだな。何人か助っ人用意しておくか」
 国から授与される様々な褒賞を管理する部署が、ここ半月ほど激戦場と化していたのを思い出し、彼は深い溜息を漏らす。
 通年でほとんど仕事の量が変わらない部署もあれば、こうした催し物に合わせて仕事量が変動する部署もある。年度処理のために事務方が死にそうになるのはいつものことだが、それとは無関係に激戦区となる部署も存在した。
「あ」
 そして新聞を一枚捲って社会面に目を落としたとき、カズフサは思わずそのまま新聞を閉じようとした。
 皇城勤めである彼にとっては少しだけ面倒なことが書いてあったのだ。
「おめでたいことだよ、うん」
 そぉっと新聞を開き、自分の目が正常に働いていることを改めて確認する。
 イチモンジ家当主、懐妊。
「他には何も……書いてないな。書いてないと言うことは――」
 新聞を閉じ、そろりと皇城に目を向ける。
 その直後、後宮から白い光軸が天へと昇った。さらに二度目は赤色、三度目は橙色の光が煌めき、空を駆けて雲を斬り裂いたりしている。
 続いて魔導衝撃波が彼の神経を揺らし、最後に号砲じみた重く低い爆発音が轟いた。
 その爆発音に合わせたのか、近くの農場で飼われている鶏たちが一斉に鳴き、カズフサの頭に僅かに残っていた眠気を消し飛ばしてくれた。
「投影写像見るか……」
 そのまま新聞を抱え、玄関へと戻る。
 背後でからんころんと下駄を鳴らして走る道着姿の若者の集団が上げる掛け声を聞きながら、彼は玄関の扉を閉じた。

                            ◇ ◇ ◇

「うーい、おはよう」
 仕事場に入り、挨拶をする。
 ちらほらとそれに応えて返事があるが、カズフサの机がある保健局衛生部第五課はまだ多くの職員が登城していなかった。ただ、総務部が配布する各種新聞が何種が引き抜かれていた。
「何か面白いネタあるかー?」
 机に鞄を置き、隣で三流風聞紙を広げている同僚に声を掛ける。
 同僚の魔族はその黄色の瞳でカズフサを一瞥したあと、「別に」と素っ気なく答えた。
「そうかい」
 物静かな同僚に慣れているカズフサは特に気分を害した様子もなく、自分の書類箱に放り込まれている紙束を取り出す。そのいずれも彼の下城以降に箱に入れられたものだった。
「何だぁ、またこの書類戻ってきたのかよ。俺じゃなくて課長に渡せっての」
 ぼやきながらも書類を分類し、急ぎのものを上に載せていく。
 それが終わると、彼は椅子に座ったまま身体を伸ばす。次々と職場に同僚たちが現れるのを眺めながら、ふと視線をずらすと同僚が読んでいる風聞紙にも『イチモンジ家当主、第一子妊娠』と書かれていることに気付いた。
 イチモンジ家当主の名前と来歴、〈パルヴァティア王国〉に訪れた際の写真が掲載され、当主と個人的な付き合いのある人々の言葉が記されている。
「イチモンジの当代って、独身だっけか」
「――ああ」
 だからどうした、と言わんばかりの黄色の瞳に曖昧な笑みを浮かべ、カズフサは写真の中で笑みを浮かべる自分と同郷の女性を見る。
 確かに独身であろうとなかろうと、今回の記事に何の関係もない。これが隣国の〈アルストロメリア民主連邦〉であれば大騒ぎだったかもしれないが、結婚制度と育児関連制度が完全に分離されている皇国では、世の何割かを占める独身の親がひとり増えたに過ぎなかった。
 女性のみの氏族、男性のみの氏族、結婚制度が存在しなかった氏族がいる皇国で、『両親』という概念は一般化することはあっても絶対化はしなかった。
 両親が居て、何らかの原因でどちらか一方のみが残ったとき、人々は残された家族に憐憫を抱く。しかし、最初からどちらか一方しか居ない家族を見ても、人々はこれといった疑問を抱くことはない。
 標準的な家族の形というものが存在しない皇国で、それらの家庭の形は『特別』ではなかった。
 母親が何十人もいる家庭があれば、十世代以上の一族が共に暮らす家庭もある。逆に父親ひとり子ひとりで旅をする家庭もあるし、父親が毎朝母親に魔導砲撃を撃ち込まれたり、大剣で追い回される家庭もあるかもしれない。
 それが当たり前なのだ。
「あと五分か」
 時計を見遣り、始業時刻まであと五分ほどであることを確認する。厠を済ませておこうと立ち上がり事務室を出ると、ちょうど女性事務官がふたり並んで彼の前を通過していった。
「あれってやっぱり、陛下よねー」
「他にいないでしょ。他の元王家の人たちまで皆おめでとうって言ってるんだから、“そういうこと”だって」
 ああ、やはりここに勤めている者たちは同じ話を気にしているのか――カズフサは込み上げてくる笑いを必死に噛み殺した。
 やんごとなき身分の女性が身籠もったとして、それに関して恐ろしく情報が統制されたとき、その事実そのものが真実の証明となることがある。
 今回の一件はまさにそれで、皇国で暮らす人々は暗黙の了解としてその事実を受け入れる。この国に来て日が浅い人々や、単にこういった話が好きな若者たちを除けば、おそらくこれが噂として人々の口に上ることもないだろう。
 それがごく自然なことだからだ。
 ただそんな平穏に真っ向から逆らっている者がいるとするならば、それはこの皇城の隣人たる女性たちだろう。
「あー……」
 上衣を捲って細袴の前を開け、用を足す。
 そのまま今日の予定を考えていたカズフサだが、“隣のお宅”を震源とする超局地的な揺れが彼を襲う。
「うお!? ちょ、今はやめて頂きたく!」
 そう叫んだところで、お隣さんは喧嘩をやめてはくれない。
 彼は必死に体勢を保ちながら、今日の予定を考えるのであった。
 余所の家庭問題など、気にしてもしょうがないのだ。
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