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第四章:万世流転編
第十七話「友情の価値」 その四
しおりを挟む自宅に戻ると、珍しくクラウディアが夕食を作って待っていた。
いつもならば研究室と化している自室に籠もっているのが常であり、自分の夕食は自分で用意するというのが当たり前になっていた。
「珍しいな」
「アリアさんから美味しそうなお肉が届いてねぇ。早く食べたいのにあなた宛だったから……」
「俺宛の荷物をいち早く食べたいがために夕食を作った、と」
自分の欲望のためには一切の苦労を厭わない妻に、イノーウィックは嘆息する。
しかしその点さえも魅力に感じてしまう辺り、惚れた弱みというのは恐ろしい。
「うん、ほら」
そう言って厨房から出てきたクラウディアが指し示したのは、部屋の片隅に置かれた紋章入りの木箱。中には使い捨て空間凍結魔法が籠められた魔導珠が残されており、イノーウィックが持ち上げると一般に使用されるような木箱とは材質からして違うことが分かった。
高級家具もかくやと思われる手触り、釘を用いずに組み上げる構造、しっかりと押された紋章の焼き印。
(こ、これだから上流階級は……!)
友人の心遣いが重い。否、自分たちが軽すぎるために相対的に重く感じてしまうだけなのかもしれないが、どちらにせよ自分たちとは価値観が違いすぎる。
(いや、違うな。アリア殿下がこんな木箱までいちいち指定する訳がない)
おそらく品物だけを指定して贈るよう命じただけだ。
イノーウィックはそっと木箱を床に戻そうとして、木箱の中に残された紙片に気付いた。
「ん?」
一折りのそれを開くと、そこに記されていた文章にイノーウィックの意識は一瞬遠のいた。
「ご、ごりょ……!?」
「あなた? どうしたの?」
わなわなと肩を震わせる夫の様子に気付いたクラウディアが、その肩越しに紙片に目を落とす。それは送付明細書であった。
「ふぅん、御料牧場のお肉詰め合わせだったのねぇ、そりゃ美味しそうな訳だわ」
間違いなく美味だろう。
皇国の皇城晩餐会などで供される料理は市井の名店のそれに勝るとも劣らず、晩餐会が開かれるたびに料理雑誌がその特集を組むほどだ。
宮中料理人を引退した者が店を開くことも多いが、大抵繁盛店になっている。
「――これって収賄にならないよな?」
ふと思い付いたことだが、自分でも以外と的を射ているように思えた。
世の中には思わぬことが犯罪になってしまうことがある。
「さあ? でも隣国のお妃様から貰ったものを賄賂扱いする度胸のある人、あなたの同僚の中に居るの?」
「居ないことはない。取り敢えず俺のことが大嫌いで罵倒できれば幸せって奴もいるし」
そう思い、何人かの顔を思い浮かべる。
いつも自分が壇上で喋っている間中野次を飛ばしてくる連中だ。
(くそ、今目の前に居たら八つ当たりしそうだ)
それが理のないことだと分かっていても、おそらく自分は本能を抑えきれないだろう。それだけにこの贈り物の衝撃は大きかった。
「あら? 何か隅に小さく書いてあるわよ」
「ああ?」
イノーウィックは明細書の片隅にある文章を読む。
「『これらの品物は市場に一切流通しておらず、当牧場は所有主たる皇王陛下の意向により、これの財的価値を一切認めない』……うん、これなら多分収賄にはならない」
大きく息を吐いて緊張を解くイノーウィック。
世の中には隣の家から野菜を貰っただけで収賄であると詰られることもあるというが、そこに財的価値がなければ収賄は成立しない。
流通せず、またその予定もないものに市場的価値は付与されないのである。むしろ御料牧場から取れたものである故に、それはより確固たるものになる。他に比較するべきものが存在しないのだから当然だ。
「御料牧場にしか居ない品種の牛さんとか豚さんのお肉だって。あ、銀竜の卵も入ってたよ。あと竜の肉とか珍しい果物とか」
再び意識が遠のくイノーウィックだが、辛うじてそれを繋ぎ止めた。
「――お返しどうしようか」
「贈賄とか言われないの?」
にやにやと嫌な笑みを浮かべるクラウディアに、イノーウィックは拗ねたように言った。
「見返りのない贈り物は贈賄じゃないんだよ。子ども向けの絵本でも見繕っておいてくれ。これを贈賄だと抜かす奴が居たら嘲笑ってやる」
くく、と些か暗い笑みを浮かべながら、イノーウィックは着替えをするべく寝室に消えていく。
クラウディアは夫の『いつも通り』の様子に肩を竦めながら、最後の仕上げのために厨房に入っていった。
ちなみにふたりは、木箱に入っていた竜の肉が海溝竜と呼ばれる希少種のものであり、珍しい果物がイズモで『神桃』と呼ばれていることにまったく気付かなかった。その方が幸せであったのは、間違いない。
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