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第四章:万世流転編
第十四話「紅賛歌」 その終
しおりを挟む「ようやく、解放された……」
一週間の予定が数日延長され、結局十日余りを離邸で過ごすことになった紅の龍姉妹は、ようやくその生活を終えることになった。
ふたりは離邸の玄関を抜け、庭を進みながら空を眺める。
中庭とはいえ、後宮のそれは運動場が幾つも収まるほどに巨大である。空が狭いということはない。
空にうっすらと警戒結界の紋様が浮かんでいるのを懐かしく感じ、ファリエルは大きく背筋を伸ばした。
「ううう~~……もう次のときはいいや」
「それはお前の体調次第だな。まあ、お前が要らぬというならわたしだけでも構わんさ」
「んなっ!?」
ファリエルの背後で、笑みを浮かべたフェリエルが呟く。その言葉に慌てて振り向いた妹の前で、きらりと眼鏡に日光を反射させた姉は得意気に胸を張った。
「くっくっく、盛り上がりすぎて意識を飛ばしてしまった娘が何を言う。――あのあと大変だったんだからな!! 孤軍奮闘とかわたしは医官だ! 泣いて死ぬぞ!?」
「いや、それはアタシのせいじゃなくて……」
「うるさい、うるさい、うるさい、思い出したくもない!」
耳を塞ぎ、顔を真っ赤にして蹲る姉にファリエルはおろおろと手を彷徨わせる。
そもそも、思い出したくない醜態ならばファリエルも姉に負けず劣らず抱え込んでいる。その中には姉に決して明かせないことも多分に含まれており、きっとそれは姉も同じなのだろうと思っていた。
「姉さん、あんまり騒ぐとリリシアたちに……」
勘付かれる――そう口にしようとしたファリエルは、背後に感じる気配に凍り付いた。
居る、何かが居る。恐ろしい気配を発する何かがそこに居る。
「――――」
ふと姉の姿を見れば、彼女はファリエルの背後を見て驚いた表情を浮かべていた。
現在の時刻はちょうど昼食時で、後宮の中は食堂区画を除けばしんと静まりかえっている。
騎士たちも休憩時間をずらしている一部と見廻り番以外は昼食を摂っているはずで、ふたりが早朝でも夕方でもなくこの時間に離邸を出たのは、単純に昨夜の疲れが抜けずに昼前まで眠っていたことだけが原因ではない。
この時間が一番離邸から注意が逸れるからだ。
ふたりは他の皇妃と顔を合わせたくなかった。いや、より正確には皇妃の中の二名に見付かるわけにはいかなかったのである。
「ファリエル」
「フェリエルさん」
それぞれ黒と白の衣裳を纏い、それに合わせた日傘を差したふたりの皇妃が離邸の門前に佇んでいた――その顔に満面の笑みを浮かべて。
「め、メリエラ……?」
「リリシア……どうしてここに」
ファリエルとフェリエルは震える声で第一妃と白の龍妃の名を呼ぶ。
周囲に騎士たちの気配はない。何故かメリエラの後ろに妃としての衣裳を着たウィリィアが蒼い日傘を差して立ち尽くしていたが、それ以外の気配はなくなっている。
先ほどまで離邸の中にあったはずの気配さえも消えていた。
(に……)
(逃げたぁアアアアアアアアアッ!?)
フェリエルとファリエルは心の中で叫んだ。
皇城にいるレクティファールが精神感応によってびくりと震えるほどの魂の叫び声だった。
「“お役目”お疲れ様でした。筆記係とお茶の準備は出来ております」
「筆記……? どういうことだ」
「今回の離邸での諸々の行為は、総て特一級管理情報に指定されました。わたくしたちには手が出せません」
リリシアの告げた驚くべき事実に、フェリエルとファリエルは安堵すると同時に戦慄した。
離邸での夫婦の時間はとてもではないが明かせるものではない。記録としては残さなければならないが、決して人の目に触れさせる訳にはいかないのである。
そんなことになれば、ふたりは羞恥のあまり正気を失う。
「ですが、ルミネアールから今回のおふたりの姿は大変参考になると聞いています。あの肝心なところで下手な気を遣って腰が引けるレクトに……ごほん、いえ、わたしたちのためにもあなた方には総ての情報を提供して貰わなくてはならない……」
メリエラがふたりに近付く、一歩踏み出したその足が地面に接触すると、そこから膨大な純粋熱量が地面に広がっていった。メリエラから溢れる魔力や生命力だった。
「フェリエル!」
「ええ!」
フェリエルが慌てて立ち上がり、脱出経路を探して視線を左右に向ける。しかし、メリエラが発する覇気はそれが不可能であるとフェリエルに教えてくれた。
逃げようとした瞬間に捕まるのが容易に想像できる。
レクティファールのため、という意識を持ったメリエラの戦闘能力は恐ろしい水準に達し、彼女の兄でさえ逃げ腰になるほどだ。冗談交じりに夫婦仲をからかったことが一度だけあったが、エーリケは片翼の飛行能力を失うほどの打撃を受ける羽目になった。
以降、エーリケはメリエラの扱いに慎重になり、対照的にレクティファールと仲を深めて共に酒を飲むようになった。妹の手綱を誰が握っているか、分かっていた。
「くっ」
「いっそ殺しなさい……!」
フェリエルとファリエルはじりじりと後退しながら叫ぶ。
何故義理の姉妹に自らの赤裸々な姿を語らねばならないのか。そうするくらいならば死んだ方がましだと思った。
「あのー」
そんなふたりに、ウィリィアが声を掛ける。
この場では一番常識的な人物だった。
「何だ!?」
「今アタシたち精神的絶体絶命の窮地なんだけど!?」
メリエラと、それに続くリリシアから目を逸らさず、紅姉妹は答える。その声はもはや悲鳴だった。
ウィリィアはふたりの姿に心底同情したような顔をしながら、そうっと手を挙げながら意見具申した。
「記録を見られるより、ご自分で上手く編集なさった方が傷が浅く済むのでは?」
「はっ!?」
ふたりははっとしたような表情を浮かべ、リリシアとメリエラはチィッと舌打ちした。そのときのふたりは、どう見ても皇妃がするべき表情ではなかった。
「わたしも色々聞かれますが、流石に全部は……」
耳年増たちの中で仕事をしているウィリィアである。同僚たちに色々聞かれるのは日常茶飯事である。その際に同僚から新しい趣向を仕入れることもあったりするが、それは誰にも絶対明かせない秘密だ。
「仕方がない……」
「ええ、仕方がないわ……」
フェリエルとファリエルは総てを諦めたように嘆息した。
リリシアとメリエラも、レクティファールが眉を顰めるような真似はできないのだから、やりようはいくらでもある。
「でもその前に……」
ファリエルがリリシアたちに言った。半泣きだった。
「あのド変態皇王に『今夜戻ってきたら覚えておけ』って伝えておいて」
リリシアとメリエラは一瞬呆然とし、次いで互いの顔を見合わせ、そして納得するように深く頷いた。
レクティファールの被害者という点において、ここにいる女性たちは同志だった。
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