白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十四話「紅賛歌」 その五

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 レクティファールが妙に凝った愛妻弁当に慣れ始めた頃、後宮では皇妃用厨房の建設計画が持ち上がった。
 発起人はリリシアとメリエラ。普段はいがみ合うことの多いふたりが手を取り合う光景にフェリスがややげんなりとした表情を浮かべていた。
 そしてその他の皇妃たちも大なり小なり同じような表情を見せており、例外は苦笑いの真子と後宮料理教室という言葉に喜ぶマティリエぐらいのものであった。
 計画は「我が子に料理を作るのもまた良し」というレクティファールの判断で可決され、実行される運びになった。一部立入禁止を命じられた皇妃がいたが、その人物については誰もが目を背けた。
「そりゃ手料理作ればレクトは喜んでくれるだろうさ。でも厨房の騎士たちの仕事取っちゃ駄目だよね」
 フェリスが話し掛けている相手は、通信窓の向こうで呆れたように溜息を吐き、答えた。どうせ娘は自分の答えなど求めていない。単に愚痴を零す相手が欲しいだけなのだ。
『僕からすれば君も似たようなものだけどね。母さんに代わった方がいいんじゃないかい?』
「母さんに言えばボクももっと料理覚えろって言われて終わりだよ! 母さん料理上手なんだから……」
 ケルブは再び溜息を吐いた。公爵就任を前にして、公爵家所有の外洋船で各地の傘下商会を視察していた彼だが、まさか娘がわざわざ愚痴を零すために通信を寄越してくるとは思わなかった。
 彼らが今使っている通信網は亜空間経由の無時間差通信で、ケルブの乗っている外洋船にも最近ようやく通信機本体が取り付けられたという最新機器だ。
 当然、普段は公務にしか使われない。
 皇妃からの通信は公務に含まれるという解釈もできるが、実態は嫁入りした娘が実家の両親に愚痴を垂れるために無駄通信を繋いだということだ。
 ケルブはその生来の生真面目さから、ちくちくと罪悪感が胃を刺激する錯覚を感じていたが、娘は皇妃でその夫は皇王、しかも公爵家としてもケルブ個人としても忠誠を捧げる人物である。その皇王のためならば多少の苦痛には耐えるべきではないかと思う自分もいたのである。
 結局、彼は海豚を見に行ったまま戻ってこない妻を待ちながら、娘の愚痴に付き合うことになった。
「父さんも従姉さんたちはよく知ってるでしょ? あのふたりって昔からあんな感じだった? ファリエル従姉さんなんて、今日軍からの書類持っていったらフリフリの飾り布付きの前掛け着けて三角巾被って掃除してたんだけど……」
 市井の若奥様状態でフェリスを出迎えたのはファリエルだった。
 そして書類を受け取った直後、自分の姿を思い出して慌てて室内に引っ込んだ。
 すぐにフェリエルが出てきて取り成したのだが、フェリスは従姉の珍しい姿に困惑し、半ば呆然としてしまった。
 ただ、飾り布付き前掛けがファリエルの私物であることまでは、フェリスも知らなかった。もし知っていれば、従姉を見る目が変わっていたかもしれない。
『――あー』
 ケルブは娘の言葉に顔を背け、答えに窮する。
 ファリエルの幼少期を知る彼は、自分を相手に飯事に一際熱心だった彼女の姿を思い出すことは難しくなかった。
「変わったって感じはしないんだけど、こう、がーってレクト怒ったあとに心配してこっそり戻ってくるとか。輿入れしてから優しくなったなぁとは思ってたんだけどね……」
 フェリスはここ最近の従姉たちの様子を思い出す。
〈花の季節〉であることを差し引いても、浮かれては居なかっただろうか。
 これまでレクティファールを叱り飛ばす立場におり、フェリスたちもそれが当たり前だと思っていたウィリィアが、その“仕事”をフェリエルやファリエルに奪われつつあるのは、後宮ではある種の常識になっている。
 以前は側妃兼乙女騎士という微妙な立場のウィリィアを気遣い、彼女が騎士として働いている間だけその代わりを務めていたはずだった。
 なお、リリシアやメリエラも当初は気炎を吐いてレクティファールに様々な小言を述べていたが、結局レクティファールに言いくるめられてしまい、その役目を解かれた過去がある。
 説教していたはずなのにいつの間にか膝枕をしていた、などということもこのふたりに限れば珍しくない。訓戒には向き不向きがあるのだ。
 結果、レクティファールの矯正はやはり姉代わりであるウィリィアが最適だろうという結論に至る。時々〈岩窟龍断ち〉が唸りを上げるのも日常の一部だったのだ。
 それがいつの間にやら、ファリエルたちの仕事の割合が大きくなった。
 フェリスにはそれが妙に気に掛かる。レクティファールに若干妹扱いされている彼女に取って、環境の変化はどうしても気になるところだった。
『母親になるかもしれないという自覚が芽生えたんじゃないかな。シヴェイラも昔はあのふたりに似て割と気が強いところがあったんだけど、君が生まれてからはだいぶ落ち着いたから……』
 ケルブはかつての喧嘩を思い出し、身体を震わせた。
 こと直接戦闘能力に関して言えば、ケルブがシヴェイラに勝つ要素はほとんどなかった。蒼龍の一族は水中でこそ全生物中最強と言ってもいいが、それ以外の条件下では他の龍氏族に一歩も二歩も劣るのである。
 ケルブがシヴェイラに対してそれなりに優位を保てたのは、母親譲りの対龍戦術があったからに過ぎない。もっとも、最近のマリアはその膨大な経験を若い龍たちをからかうために浪費しているのだが、その事実からは目を逸らす。
(よく考えたら、僕がボコボコにされたような人たちを四人も娶ったのか……バカはフレデリックだけだと思っていたけど――いやいやいや! 陛下は莫迦じゃない、そんなこと言ってないぞぉ!?)
「――?」
 通信窓の向こうで突如百面相を始めた父に首を傾げながらも、フェリスは一応納得したようだった。確かに生活環境が変わればヒトも変わる。
 士官学校や騎士学校で難民の心理状態を学んだ際、そういった説明を受けた記憶があった。
『あら、あなた。お仕事ですか?』
 フェリスが納得したように頷いていると、通信窓の奥に見える扉が開き、桃色の髪を持つ女性が姿を見せた。
 フェリスの母、シヴェイラだ。ようやく夫の公務に帯同することを許され、今回の視察にも参加している。視察前に通信を寄越し、お土産は何が良いかと訊かれたため、フェリスにとってはほんの数日ぶりの母である。
「あ、母さん」
『フェリス? 珍しいですね。お父様に何かおねだりしたいものでも出来ましたか?』
「いや、あの、ボクもそんなに子どもじゃないし……」
 そう口にしつつも、フェリスはシヴェイラが記憶の中のフェリスと現実のフェリスの齟齬に悩んでいることを知っている。
 シヴェイラの記憶時間通りなら、フェリスはまだ両手の指に満たない年齢なのだ。
 娘の言葉に困ったように笑みを浮かべ、シヴェイラは百面相を続けていたケルブから通信窓を奪い取った。
『なら、陛下に何か言えないことでも? 何ならお父様には席を外して貰いましょうか?』
 母の優しげな声音に、フェリスは心地よさと同時に憧憬の念を抱いた。自分もそうなれるだろうかとも意識の片隅で考えた。
「ううん、一応話は聞いて貰ったから。それで十分だよ」
『そう? 陛下にはこの視察の前に贈り物を頂いたから、力になれることがあるなら遠慮せずに言ってくださいね』
「贈り物?」
 フェリスはレクティファールから何も聞かされていなかった。
 普段なら相談のひとつもあるのだが――フェリスは首を傾げる。
『ええ、フェリスの写真をたくさん。マリア様からも頂いたんだけど、後宮での姿は陛下にお願いするしかなくて……』
「へ、へー」
 フェリスは嫌な予感で背筋が凍り付いた。
 シヴェイラの意識の齟齬を払拭するため、フェリスの成長を記録した様々な情報媒体が提供されていることは知っていた。それに反対するつもりもない。
 だが、後宮での生活は色々不味いのだ。
『でもフェリス、あんまりはしたない格好で寝ちゃ駄目ですよ? 女子たるもの寝姿にも気を遣ってこそです』
「はい、ごめんなさい……」
『あと甘い物ばかり食べていては駄目です。小さな子たちが真似をして偏食になったらどうするのですか?』
「気をつけます……」
『それと……』
(ひぃやああぁぁぁぁぁぁ……)
 フェリスが内心で情けない悲鳴を上げるも、シヴェイラの説教は止まらない。
 怒鳴ることなく相手の罪悪感を刺激するシヴェイラの説教は、フェリエルたちにも恐れられていた。
『ですから……』
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
 いつの間にか娘を妻に取られていたケルブは、その様子を少し羨ましそうに眺めたあと、自分にも娘の写真を貰えないかレクティファールに通信文を送った。
 返信に添付されていた写真は、のちに外部向け皇王家写真集に掲載され、皇妃フェリスを象徴することになる『マティリエの尻尾を蕩けた顔で撫で繰り回すフェリス』の写真だった。
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