白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十二話「白砂の城」 その二

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「陛下」
 レクティファールが自分を呼ぶ声に首を巡らせると、そこには揃いの近衛軍制式採用水装四型――つまりは軍によって定められた水着を着用しているマリカーシェルがいた。
 上下に分かれている水着は比較的大人しい意匠とされ、首元から胸元が布地で覆われているために、夏期戦技大会に参加する一部の男性軍人から「谷間が見えぬ」と大不評を買ったらしい。
 もっとも、レクティファールの視界に入っている乙女騎士全員が同じものを着用している訳ではない。
 第一特別護衛旅団はその構成人員の特殊さ故に、制式水装――水着――の種類が非常に多く、色違いも含めれば百種を優に超えるのだ。
 ただし、戦技大会などの場で着用が許されているものの中では、マリカーシェルの着ているものが一番露出は大きかった。戦技大会に参加した一部男性軍人が「それでは溢れぬ」と嘆いた曰く付きの水着でもある。
「リーデ様の検査が終わりましたので、お連れしました」
「うん、ご苦労様」
「は……」
 レクティファールは膝の上のアナスターシャがマリカーシェルをじっと見詰めていることに気付いた。
 何かあるのかとその視線の先を辿ってみても、しっかりとした筋肉に支えられたふたつの丘とその上に煌めく魔導珠しかない。
 一瞬で衣服を替えられる魔導珠は、ここにいる乙女騎士全員が装備していた。軍装にも侍女戦闘服にも僅かな時間で着替えることができる。
「ターシャ?」
「――ん」
 レクティファールに名を呼ばれたアナスターシャは、一瞬自分の身体に視線を落としたものの、すぐに次の食べ物を要求した。
 レクティファールは要求された果物をアナスターシャの口に運びつつ、傍らに控えたままのマリカーシェルに言った。
「水着替えたんですね。良くお似合いです」
「は……はあっ!」
 マリカーシェルが驚いたような声を発して僅かに後退る。以前は一体型の水着を着ていたマリカーシェルが今日この場で別の水着を着た理由については、本人しか分からないことだと思った。
「で、ではわたしは周囲の警戒に戻ります」
「うん」
 レクティファールが頷くやいなや、マリカーシェルは礼を失さない程度の早足で四阿から遠ざかっていった。途中でマリカーシェルの顔を見た乙女騎士のひとりが非常に驚いた表情を浮かべていたのを、アナスターシャは見逃さなかった。
「――――」
 興味深そうにマリカーシェルの後ろ姿を見詰めるアナスターシャだが、レクティファールはそれに一切斟酌することなく次の果物を差し出した。
「はい」
「あむ」
 そのため、アナスターシャは自分の心中に発生しようとしていた感情を認識することはなかった。目の前に食べ物が突き出された瞬間、そちらに総ての優先順位が移ってしまったのだ。
 アナスターシャはそのままよく冷えた果物を口の中で咀嚼しつつ、こちらに近付いてくる義理の妹を眺める。
「やあ、リーデ」
「遅くなりました」
 リーデが頭を下げると、レクティファールはアナスターシャをひょいと持ち上げて立ち上がり、そのまま自分の座っていた籐椅子に下ろした。
 アナスターシャは文句を言うこともなく椅子の横に置いてあった果物の皿を膝の上に載せ、次々とそれを口の中に放り込んでいく。
「気にする必要はありません。――あなたを粗略に扱えば直ぐ後ろで私を睨んでいるファリエルに殴られます」
 リーデはレクティファールの背後にいるファリエルに目を向けた。
 紅の妹妃は慌てて視線を逸らし、姉にくすくすと笑われていた。
「そうですね。皆様に良くして頂いておりますから……」
 リーデはふわりと笑うと、自分の下腹部に手を当てた。
 現アルトデステニア皇王朝であるエルヴィッヒ家にとり、初となる次世代の命がそこにいた。
 リリシアもメリエラもそれに対して羨みはしたものの、妬心はほとんど抱いていないようだった。側妃と正妃という明確な区別がというよりも、義理とはいえ姉の方が先に子どもを授かるのは当然だと思っているのかもしれない。
 ただし、お互いは年齢など関係ないほどの対抗心を抱いているが。
「検査が終わったのなら、ガラハに報告してあげた方がいいでしょう。彼も私と同じ程度には初心者ですし」
「ええ、そうさせて頂きます」
 リーデは一歩踏み出してレクティファールの肩に額を押し当てると、すぐにファリエルたちのいる白木の卓に向かった。そしてふたりに経過報告の投影書類を見せ始める。
 それはレクティファールも見せて貰えない書類だった。
 そしてその書類を手に、北の地にいるガラハに通信を入れる。ファリエルとフェリエルがいるのは、この件では異常なまでに執着心を見せるガラハへの説明のためだ。
 懐妊が内々に通知された際、ガラハは会議中であったにも関わらず拳を突き上げて歓喜の声を上げたという。
 そのときは訝しんだ会議の出席者は、その一週間後に政府と皇王府が正式発表した側妃リーデ懐妊の報に触れ、そういうことだったのかと大いに納得したという。
 その日、北方の要塞ではガラハによる私費で全員に酒と甘味が振る舞われ、辺境伯領では領主によって季節外れの祝祭が催された。同じような祝祭は皇国各地で行われたが、やはり北の地がもっとも盛り上がった。
 なお、一番盛り上がったのはひとつの究極的外交手段を得た外務院であった。皇王府は逆に、各方面との調整のために祝いの場を設けることさえできなかったらしい。
 どちらにせよ、レクティファールは男としての面目を保ったことになる。
 ふん、と鼻を鳴らしたレクティファールだが、視界の片隅で通信受領を示す表示が瞬いていることに気付いた。
(あ、ガラハからの文通信)
 それは懐妊発表以降毎日のように届くガラハからの通信文だ。
 今なら帝国全軍を相手にしても勝てそうなほど覇気に溢れた文章はしかし、暫く読めばリーデの扱いを心配する文面に取って代わる。
 文面では厳つい印象を拭えないが、レクティファールはガラハが必死に外面を取り繕っているのだろうと理解していた。
 ダークエルフもまた、龍族と同じように『子ども』という存在には冷静でいられない種族なのだ。
 レクティファールはリーデを振り返ってその笑顔を記録すると、その通信文にその画像を添えた。自分が万言を尽くすよりもこちらの方が分かり易いだろう。
 それを送信し、レクティファールは夏の空を仰いだ。
「さて、少し泳ぎますかねぇ」
 呟き、遠くの湖面を眺める。
 フェリスが、オリガの乗った浮き輪を押しながら泳ぎ回っていた。
 そのさらに向こうには、彼らのいる湖畔をぐるりと囲む光学遮蔽障壁が存在していた。外側からの光は透過するが、内側からの光は操作される。そのため、レクティファールたちの姿を外部から見ることはできなかった。
(さて、だいぶ静かな遊泳日和ですが……)
 レクティファールが内心で呟くと、背後で若い娘特有の歓声が上がった。
「わぁい!」
 さらにそんな声と同時にレクティファールの背後から走ってきた乙女騎士たちが湖に飛び込んでいく。
 レクティファールに一礼する騎士もいるが、大半はそのまま湖に突入する。
 リリシアが招待した非番の騎士たちだ。レクティファールも騎士たちに、この湖畔にいる限り臣下の礼は一切不要と言い含めてある。
 遊び場に不躾な上司はいらないのだ。
 騎士の一部はフェリスたちと合流し、オリガの身体が水球代わりにぽいぽいと投げられる。そんな状況でもオリガはいつもの表情を崩さず、宙を舞っていた。
「楽しそう、かなぁ?」
 きゃあきゃあと遊び回る騎士たちに、いつの間にやら妃たちが混ざり始める。
 何故かマリアの姿も見え、次いでレクティファールの支配下にある精霊たちも姿を見せ始めた。
「これは……」
 レクティファールはその光景に戦慄した。
「居心地が、もの凄く悪い……!」
 下着並の軽装の女性の中に唯一人、レクティファールは自分の置かれた状況をようやく理解したようだった。
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