白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

第十二話「白砂の城」 その一

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〈黒姫〉と呼ばれる異国製の重戦艦は、皇国海軍及び近衛海軍総旗艦である〈イグ=ゼノリウム・レクティファール〉と同じ第一戦隊――両海軍共通――に属していた。
 艦首に掲げられていた八弁桜花紋章を取り外し、それをイズモへと返還した後、この艦の扱いについては多くの議論を要した。
 皇国海軍と近衛海軍は、個艦の性能を重視すると言われている。しかしそれは、艦隊という大枠の中に存在するという大前提の上にのみ成り立つものである。
 どれだけ高性能な艦を作っても、それを取り巻く設備や艦艇を無視することはできないのだ。
 恐ろしいまでに緻密な計画が立案され、それに則って艦隊の整備が進められていく。その計画から外れた艦は、たとえそれが総旗艦であっても超高性能艦であっても、正規の艦隊編成からは除外されてしまう。
 予備兵力と言えば聞こえはいいが、それは泊地で浮かんでいること自体が任務であるとされた艦にとっては皮肉だろう。
 その名のために夫婦艦と呼ばれる二隻は、今日も並んで停泊していた。

「暑いなぁ」
 総旗艦第一主砲の上部で、ひとりの少年兵がそうぼやいた。
 今年一六になる彼は、皇国海兵学校を卒業して総旗艦配属になるという確率的には奇跡としかいいようのない経験を持っていた。
 本来配属されるはずだった海防艦隊の人事がするべき人物の見積を誤り、配属先がなくなった挙げ句に海軍内部のたらい回しを受け、最終的には成績優秀者という理由で総旗艦配属になった。
 他の水兵たちは他の艦隊からの異動のみであるから、彼には同期も後輩もいなかった。周囲は総て年上か上官である。
 それでも、総旗艦であるが故に海軍の悪しき伝統とも言える新人に対する物理的精神的な苛めが発生しなかったのは幸運だっただろう。
 皇王の名を冠した艦で皇国国民を虐げるという行為がどの程度の罰をもって贖われるか、それは総旗艦というものが存在し始めた当初の例が示している。
 言うまでもなく、監督責任者である艦長にまで波及した大処分劇である。当事者本人は国家叛逆罪を適用されて極刑になり、その一族にまで人々の厳しい視線が向けられた。
 士官のみならず兵下士官にまで人気のあった艦長は軍人年金を停止させられた上で予備役編入。艦の首脳陣もその責任に見合った罰を受けることになった。
 海軍の不祥事としては、その後に発生するルストール事件と並んで評されることの多い一件である。
 人が集まる以上、その中に善悪諸々の人間関係が形成されることは仕方のないことだ。だが、何事にも例外はあり、総旗艦とはその例外であるべき存在だった。
 彼はその恩恵を受け、今日も先輩に怒鳴られつつも穏やかに任務をこなしていた。
「あー、泳ぎてぇ」
 椰子の繊維で作られた大刷子を動かしながら、彼は視線を横にずらした。
 だいぶ汚れた水桶の向こうに見える甲板、その更に奥には滑り台のように斜めに切り立つ舷側装甲板が見え、当然その下はきらきらと輝く湖面があった。
 冷たい山からの水が流れ込むためにあまり水温は高くないとされている皇都の周辺だが、人工的に造成されたために底浅で、なおかつ水の流れから切り離された遊泳場などは、太陽光に暖められてそれなりの水温を保っている。
 また艦の装甲は熱源探知を避けるために冷却されるが、それはあくまで機関が戦闘出力で稼働中の場合だけだ。
 今の総旗艦の装甲は、今では骨董品扱いの超旧式艦の装甲のように熱を吸収し、また艦内で発生した熱を発散するために周囲の水にその熱を伝え続けている。
 泳ごうと思えば、十分に泳げた。
「でもなぁ、無理だよなぁ」
 ごしごしと、様々な汚れの付着した六角模様の複合装甲板を磨きながら彼は考える。
 まず彼は任務中であり、適度に頭が茹で上がっていてもその事実は変わらない。
 そして艦の周囲の湖面というのは艦の防御障壁が常時展開されている場所であり、運が悪ければ身体を引き裂かれてしまう。
「やっぱり無理だなぁ」
 彼は嘆息し、遙か彼方の星天宮へと目を向けた。
 そちらの湖岸には、皇王家の遊泳場があるはずだった。

                            ◇ ◇ ◇

 皇国において、貴婦人は肌をみだりに晒すべきではないとされている。これは平民の女性にも言われることであったが、現実として都市の常時冷却機能が追い付かない日であったり、身内しかいない場合であれば、その限りではない。
 また、水に入るための衣服に関しても、同様であった。
「やほーい!」
 恐ろしいまでの波飛沫を上げ、フェリスが高速で泳ぎ回っている。
 水龍の本能と訓練された技能により、彼女は身体の周囲の力場と連動した腕や足の動きにより、四肢を持つ種族とは思えないような泳ぎを見せていた。
「おーい、レクトぉ!」
 泳いでは岸に向かって手を振り、また泳ぎ始めるフェリス。
 レクティファールは岸にある四阿で手を振りながら、沖に見える小さな点を眺めた。オリガである。
 フェリスはオリガがすっぽりと収まった浮き輪を岸から遠く離れた地点まで引っ張り、その場で放置。現在もオリガは沖で漂っている。
「レクティファール様! ほら! 可愛いでしょう!」
「子どもっぽいだけじゃない。やっぱりこう、普段は閨でしか見えないような身体の線を見せるものじゃないと」
「ふふん、そういう風に色気に頼るだけが女の魅力だと思ってるなんて、メリエラはやっぱり思慮がたりませんわね!」
 そんなオリガの様子を気にすることもなく、他の妃たちはようやく実現した家族遊泳大会を満喫していた。
 リリシアとメリエラは検討に検討を重ねた水着を着てレクティファールの前に立っているが、それぞれの美的感覚の違いによって口論になっている。
「そんな子どもっぽい水着で魅力? レクトに幼女趣味はないわよ」
「あら、年増趣味もありませんよ」
 白を基調とした水着。リリシアは身体の前半身の多くを覆う形を選び、メリエラは上下で分離した上に布面積が少ないものを選んだ。
 どちらが良いという訳ではないが、少なくとも取っ組み合いの喧嘩をするには向かない格好だろう。
 遠く離れた海岸から運ばれてきた滑らかな砂の上に四阿から転がり出たふたりは、そのまま押し合い圧し合い引っ張り合いのいつもの喧嘩に突入する。
 途中で水着がずれたりしていたが、それを見ているのは同性の義姉妹たちとレクティファールのみであるため、問題はない。
「あつぅい……しぬぅ……」
「あ、上とっちゃだめでしょ! というか取った所で大して変わらないから!」
「いいって、レクトしかいないんだから」
「レクティファールくんがいるからダメだって言ってるでしょ! 恥じらいは一度なくしたら戻らないの!」
 四阿の横、木々の影の下に置かれた長椅子で、エインセルがだらりと身体を投げ出している。夏の気温が低い〈グラッツラー〉の出身であるため、それよりも高温になる皇都の夏は苦手のようだ。
 メリエラと同じように、しかし布面積はそれよりも多い水着を脱ごうとしては、布を巻いたように見える水着姿のエリザベーティアに怒られている。
「姉さん、日焼けどうする?」
「あまりよろしくないな。わたしたちも若くない」
「若さかぁ」
「そこでリリシアやマティリエを見るな、虚しくなる」
 四阿の一角で日焼け談義をしているのは、フェリエルとファリエルの姉妹だ。
 それを見たリリシアがガクガクと身体を震わせるほどの肢体を申し訳程度の水着で包み、飲み物を口にしながら砂で山を作っているマティリエと、その付添のウィリィアを眺めている。
「マティリエ様、そろそろ削りましょうか」
「はい!」
 くじ引きの結果布面積が一番少ない水着――メリエラが作ったものの流石に恥ずかしいとして封印されたもの――に当たり、上着が手放せないウィリィア。彼女は水に入ることを断固として拒否し、イズモの伝統水着――紺色で胸に「まてりえ」のイズモ語が入ったもの――を着用したマティリエと共に砂山を砂城にするべく細々と砂を削っている。
 なお、かがみ込んでいるためにレクティファールの位置からは彼女が隠したかったものの片割れが見えている。でもレクティファールは何も言わなかった。この男も学習機能は備わっているのである。故障多発の機能であるが。
「良い風ですね」
「ええ、皆様も楽しそうで」
 レクティファールのすぐ背後で、真子とアリアの穏やかな声が聞こえる。
 ふたりはそれぞれ水着に着替えたものの、あまり泳ぐのは得意ではないということで、湖の上を走ってきた風を感じながらのお茶会を開いている。
 夫であるレクティファールに茶を出しているのも、アリアだった。
「ミズギ、とは不思議だナ。単なる布ダロウ?」
「同じことを世の男性の前で仰ってみれば? おそらく半数は否定するわ」
「フム」
 波打ち際で打寄せる波に興味を惹かれ、そのままぼうっと座っているリリスフィールと、その隣で日傘を差して孫娘を見守るマリア。
 リリスフィールは最初水着を着るのではなく、姿を変化させることで済ませようとしていた。それを窘め、水着を着せたのがマリアだ。
 リリスフィールは背中が大きく開いた水着を、マリアは腹と背中が開いた水着をそれぞれ身につけていた。レクティファールからはふたりの背中しか見えない。
「ん」
「はいはい」
 そしてレクティファールの膝の上に乗っているのは、マティリエと同じ形状で色違いの水着を着たアナスターシャである。
 彼女は果物をレクティファールに口まで運ばせながら、読書に勤しんでいる。
 そしてレクティファールは、その光景を見て思うのだ。
「――休息ではないですよね、私にとっては」
 男にとっての遊泳の機会はそういうものであると言っていたのは、果たして誰であっただろうか。
「あ、オリガ思ったより遠くて困ってる」
 それを思い出すよりも早く、遠くできょろきょろ頭を動かしているオリガを認め、彼は呟いた。フェリスが救助に向かって行くのが見えた。
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