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第四章:万世流転編
第九話「勇者の価値」 その四
しおりを挟むそれは夢だった。
「ハイドリジア。お前には一族の使命を果たして貰わなくてはならない。あの邪神との戦いを勝利に導き、このベルラントに平穏を取り戻すのだ」
姉は玉座の前に立ち、階の下で傅く自分に向かってそう言った。
王国の歴史の一場面を切り取った巨大な絵画が八つ掲げられた謁見の間には、自分たち姉妹以外に誰も居ない。
女王を守る衛兵さえ、最低限の数を残して最前線へと送り込まれていた。
あの鬱陶しくも騒がしい貴族たちは、ある者は戦場で散り、ある者は魔王連合に降って処刑されていた。
ここにはもう、何も残っていない。自分たちを王族たらしめる権威も、受け皿である貴族や民が居なければ幻影に過ぎないのだ。
「お前の仲間たちも含め、装備は必要なものを総て用意した。生き残った四人、魔法使いライエスには偉大なる導師の杖〈カーリュケルオン〉を、神聖騎士ロディには世界剣〈ベルランディア〉を、救世神官アーリュには聖珠杖〈ピアリス〉を、そしてお前は城の地下封印庫に赴き、神槍〈グリュベール〉を持っていくが良い」
それはかつての勇者たちが用いた武具だった。
人の世を守るため、多くの者たちの安寧を守護するために作られた伝説の武具たち。それを用いるということは、これ以上の手段が人類軍に残されていないことを意味する。
「ハイドリジア、最後まで姉らしいことをしてやれずに済まない。姫でありながら槍ばかり振り回しているお前を責め、挙げ句に騎士団に押し込んでしまった。そして最後は、邪神の下にたった四人で送り込もうとしている」
姉は階を降りながら、震える声でそう言っていた。それだけで、自分の心が張り裂けそうなほどの愛しさに満ちた。
自分は幸せなのだ。前線の兵士たちとは違い、家族を救う手段を持っているのだから。
「人々は逃げ惑い、慈しみの心を忘れてしまった。暴力が正義となり、人は人と争っている。それは、我ら指導者の罪だろう」
人類軍が優勢であった頃、人々は戦争後に魔族の土地を如何に分配するかで争った。その争いは人々の中に猜疑の種を植え付け、人類が劣勢になったあとも少しずつ成長し続けた。
それの種が大輪の花を咲かせたのは、敵方に復活した邪神が確認されたときだろう。人々は口では協力を訴えつつも、如何にして自分たちの身を守るかに全能力を注ぎ込んだ。
「我々が国ではなく人類を守ろうとしていたら、これほどまでに戦況は悪化しなかったかもしれない。少なくとも、人類の領土の六割を魔王たちに奪われるようなことはなかっただろう」
人類は、人類であったために滅びの道を突き進んでいる。
それを救えるのは、自分たちしかいなかった。
「たった四人。世界を背負うにはあまりにも少ない。その事実そのものが、我々人類の罪だ。世界を救う物語の勇者という夢想に縋り、死地に赴く勇者という現実を見ようとしなかった」
姉は膝を突き、何も知らぬ子どもの頃のように抱き締めてくれた。
美しい髪は艶を失い。疲れ切った顔は化粧で誤魔化されている。しかし、その腕、身体、触れあった頬から伝わる温もりだけは、優しく自分を包んでくれた。
「大丈夫、決してお前だけを死なせはしない。我ら姉妹は遠く離れた戦場で、しかし互いに背を預けて戦うのだ」
勇者の一族。その名は重く自分たちにのし掛かってきた。
人々の期待と希望。そして怨嗟と絶望が自分と姉に絡み付いてくる。それは身体も心も雁字搦めにして、こちらの意志など関わりなく死への道を進ませようとする。
「だがもしも共に生き残ることができたなら、今度こそ普通の姉妹として過ごそう。勇者の宿命も遙かな世代に受け渡し、勇者として死ぬよりも勇者として生きる世界を作ろう」
姉は笑っていた。
自分も、笑った。
「はい、姉さん」
生き残ることなどできないと分かっていても、心の底から笑うことができた。姉妹として、この上ない最上の別れだった。
その日、彼女たちの故郷は大規模転移の空間断裂によって消滅した。
◇ ◇ ◇
彼女が目を覚ましたとき、そこにはひとりの男が居た。
それは白い髪を一つに束ね、仕立ての良い長衣を纏って佇んでいた。
「ハイドリシア・ウィルラシア・エルベシア」
そう名を呼ばれ、思わず記憶をまさぐった。自分はどこにいるのか、この男は誰なのか、そんなことを必死で探る。
「もう一度訊こう。君の名は、ハイドリシア・ウィルラシア・エルベシアか」
「――そうだ」
だが、探せども探せども答えは出ない。
記憶の最後は、自分と仲間たち四人を守るようにして展開された次元結界の中から、故郷の地深くに食い込んだ魔王連合軍を睨み付けていたことだった。
否、光の中で消えていく故郷も朧気ながら記憶している。
人々の活気に溢れた王都から幾条もの黒煙が上がり、人々の悲鳴が響いていた。
「――っ!」
ハイドリシアはそこで自分が何故時空間転移を行ったのか思い出した。
彼女は姉からの最後の勅命を果たすべく、魔王連合の主力と共に遙か彼方の世界へと転移したのだ。
彼女は軋む身体を起こし、目の前の男に問い掛けた。
「邪鬼神どもは……あの腐れ魔王どもはどこに居る!」
怒声と共に桜色の髪が流れ落ち、金糸雀色の瞳が男を睨み据えた。
かつての世界であれば、彼女の烈火の如き瞳に睨まれた男たちは萎縮し、彼女の望むままの答えを教えただろう。
しかし、ここはもう彼女が居た世界ではなかった。
「ふむ、聞いていた通りの反応……」
男は顎に手を当てて天井を仰ぎ見る。
ハイドリシアはその視線を追って天井を見るが、そこにあるのは細緻な彫刻の施された天井板だけだった。
いや、次の瞬間、そこから滲み出るようにして女が現われる。燃えるような長髪を持つハイドリシアとよく似た顔の女だった。
その姿を見て、ハイドリシアは驚愕する。
「あ、ね……うえ?」
それは光の中に消えたはずの姉と瓜二つの風貌。
ハイドリシアの心中に期待が芽生える。そして、すぐに絶望へと取って代わった。
「違う……お前は……」
ハイドリシアは女の瞳を見た。
そこにあったのは、幾重もの環が重なり合ったものを見ぬ瞳。
空間を空間として認識する神であるが故に、人とは異なる視覚を持つ者。
「邪鬼神!!」
邪鬼神――彼女が討つべき者。
彼女の故郷と守るべき民と、愛する姉を奪った存在。
ハイドリシアは、姉が遺した神槍を呼ぶべく絶叫した。
「来い! 〈グリュベール〉!!」
彼女の呼び声に答え、銀色に輝く神槍が顕現した。
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