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第四章:万世流転編
第九話「勇者の価値」 その三
しおりを挟むその日、皇都の上空は深い青空が広がっていた。
上空を定期航路の飛龍が遊弋し、ちぎれ雲がちらほらと点在する以外に視界を妨げるものはなく、月が三つほど浮かんでいるのが見える。
戦争の終結からまだそれほどの時間は経過していないが、遠くに戦火を感じるということさえなかった皇都は、これから迎える晩春、そして初夏に向けて様々な物資が行き交っていた。
皇都の夏は、ここより南の地方に較べればかなり過ごしやすい。周囲を湖に囲まれ、水路が多く流れているためだ。これも籠城した際の都市衛生を考慮した結果だが、ここに暮らす人々にとってはさほど重要なことではない。
人々は当たり前のように皇都での暮らしを受け入れているし、ここが軍事要塞の上に建つ都市であることさえ時折忘れそうになるほどだった。
ただ、彼らはひとつ、要塞都市に暮らす者として慣れきっている事柄がある。
それは皇城の方角から轟く、龍の雄叫びと爆音をはじめとする巨大な音撃だ。
この日もそのようなことがあった。魔力への感応性が高い住人が巨大な力の集束を感じてその方角に顔を向け、そこにあった皇城の奥から巨大な爆音が響くのを確認して日常に戻った。
同じように轟音に驚き、思わず住居の外に飛び出した住人もかなりの数が居たが、最初から外にいて音の発生源を知る者に「皇城からだよ」と言われ、納得したように家の中に戻っていった。
他の都市であれば大混乱の原因になりかねない君主の城からの爆発音は、この皇都では決して珍しいものではない。地響きや稲妻、急に天気が変わって雨が降るということも日常の一部だ。
皇都に赴任している他国の外交官でさえ、最初は驚き狼狽えるが、一ヶ月もすれば慣れてしまう。
人々は「今日も陛下とお妃さまは仲睦まじくて結構なこと」と口々に感想を述べながら、何ら変わることのない日常を過ごすのだった。
◇ ◇ ◇
皇城を揺るがす轟音は、当初後宮からのものだと思われていた。
誰もが「またか」と思い、しかし定められた非常事態規則に従って己の仕事を果たしていく。
自分の所属する部署の人員を確認し、欠員が居れば通信機を使って現在位置と負傷の有無を報告させる。
それが終われば各部署の統括責任者に異常なしの報告が上がり、日常業務に戻っていくのが常だった。
だが、この日は違った。
「中庭だ! 第一から第四分隊までは乙種兵装にて周辺包囲! 第五と第六分隊は甲種装備を整えて後宮側通路を守れ!」
ドカドカとけたたましい足音を立てながら衛兵が走り回る。最初は軽装の警備兵が走り回っていたが、すぐに重武装の衛兵がそれに取って代わる。
職員たちは思わぬ事態に一瞬動揺したが、日頃から――具体的には三日に一度くらい――訓練を重ねているだけあってその動きは確実で素早い。
走り回る衛兵たちの邪魔にならないよう廊下の隅を歩き、制服に仕舞ってあった身分証入りの非常用腕章を付けて自分の所属を示している。
「近衛本営から完全装備の一個中隊が来ます! 指揮官は――ハウサー元帥!」
皇城の敷地内にある近衛軍総司令部から、完全武装の即応部隊が飛び出したのは、爆発音から僅か二〇秒後のことだった。皇城に突入すると同時に衛兵の誘導を受けた彼らは、一直線に非常事態の中心部へと突入していく。
『現在、皇城中庭にて異常な空間歪曲反応が検出、皇城全区画に第一種警報が発令されております。一般職員の方は所定の退避場所に移動し、待機してください。これより皇城は第一種戦闘態勢に入ります。陸軍及び近衛軍の指示に従って所定の退避場所に移動、以後指示があるまで待機してください』
皇城に響く放送は、下層部の行政区画に居た一般市民にも届いた。
彼らは驚いたように皇城職員の顔を見たが、大半の職員は穏やかな表情を崩さずに市民たちを防護壁に囲まれた避難区画に誘導していく。
このとき皇城にいた一般市民は六〇〇人とされているが、彼らは職員たちの落ち着いた態度に、不幸にも避難訓練に巻き込まれてしまったと思い込んだ。
重ねて言うが、皇城では決して珍しいことではないのだ。主に後宮のせいで。
それに、皇都の市民は不定期に行われる都市全体の避難訓練にも慣れている。子どもから年配者まで、ほとんど混乱はなく静かに避難が行われた。
偶然その場に居合わせたアルストロメリア民主連邦の大使館職員が一番動揺していたというのは、その職員本人の日記に記載されていたことである。
「皆さん、申し訳ありませんが、ここでゆっくりお茶でも飲んで待っていてください。先ほど連絡があり、半時間ほどで事態は収束するそうです」
「はいよぉ、お姉さん大変じゃのぉ」
「こっちのお菓子も貰っていいんかい?」
「どうぞどうぞ、あ、書類の書き方が分からない方は、あちらでご相談を受け付けますので……」
老人たちの相手をする女性職員は、先ほど上司から通信で告げられたことをそのまま市民に伝えた。
彼女自身は頭上で何が起っているか知らないが、ここが真の意味での皇王の膝元であることは理解していた。
「お手洗いはあちらとあちら、小さなお子様用のおむつ換えは、あちらの個室を使ってください。飲み物は用意してありますので、皆様あと少しの間ご辛抱ください」
混乱なく自分の指示に従う市民たちの様子に胸を撫で下ろしながら、彼女は避難行動報告書の文面を考え始めるのだった。
◇ ◇ ◇
それは多分に、ベルファイルの想像を超える光景だった。
装甲兜まで装着した完全装備で、少し衰え始めた身体に鞭打って皇城の中庭までやってきた。
「閣下!」
最初から皇城にいた待機部隊の隊長が、彼に駆け寄ってくる。
比較的軽装の彼らは、ベルファイルの命令に従ってこの場を死守していたのだ。
「どういうことだ、これは……」
ベルファイルの呆然とした表情と言葉は無理からぬことだ。彼の目の前には薙ぎ倒された庭木と破壊された噴水。そして煙を上げるその破壊の中心に倒れ伏した四人の男女がある。
「はっ、我々がここに陣を敷いた時点でこの状態でした。生命反応はあるようですが、現在は医療部隊の検査を行っているところであります」
青十字の刻まれた医療型魔動式甲冑を纏い、男女の周囲で様々な検査機器を稼働させている医療部隊は、近衛軍であってもベルファイルの指揮下にあるとは言い難い者たちだった。
「分かった、こちらで確認する」
そう部下に言って近衛軍の医療衛生総監に通信を繋げば、皇城待機の医療部隊をこちらに回したとの返答があった。その命令は、皇王から直接下されたものだとも。
「陛下が?」
『理由は知らんが、お前さんが出て行ってすぐに命令が下った。皇城内に居たもんだから、お前さんらより早く到着したってことよ』
「例の即応医療小隊か。試験運用中だったと聞いていたが、なかなかの働きを見せている。流石だ」
ベルファイルは皇城で破壊工作が行われた場合に備えて――現状では巻き添えを食った場合に備えて――いた医療部隊の動きに満足げに頷いた。
通信先の総監も近衛兵の装甲兜からの映像を受け取っているのか、細々とした指示を出しつつも満足そうだ。
『そういえば、近くに陛下はおらんかね? さっきまで段平持ってその辺にいたようだが……』
「〈皇剣〉のことを段平呼ばわりは流石にどうかと思いますが……おい、陛下はどちらにおられる」
ベルファイルは近くを通り掛かった皇城部隊の兵に問い掛けた。兵は緊張したように直立不動の姿勢を取り、大声で答えた。
「はっ! 先ほど後宮警護の部隊より陛下がいらっしゃったとの通信がありました! おそらくお妃様たちのご様子を見に行かれたものと!」
「そうか、まあ、マティリエ様や真子様は心配だな」
思わずそう口にしたベルファイルだが、その発言がかなり不味いものだとすぐに気付いた。少なくとも、皇妃を差別化するような発言は職務的に問題がある。
問題があるはずだが、彼の言葉を聞いた周囲の誰もが、それを問題視していないように仕事を続けている。
通信が繋がったままの総監さえ『そういやそうか』と納得したように呟くだけだ。
「――あー、ごほん。安全確認後、彼らを個別に収容せよ。万事、無効化措置を忘れないように」
「はっ!」
周りの部下たち、さらに警備兵をはじめとした陸軍の将兵までもがベルファイルの命令にしっかりとした声で答える。
彼は自分の失言がこのまま忘れ去られることを歴代皇王に願った。
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