白の皇国物語

白沢戌亥

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第四章:万世流転編

閑話乃序「ある父親ふたりの酒盛り」

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 久し振りに潜ったハルベルン家の門はカールを変わらぬ姿で迎えてくれた。
 携えた酒の重さを感じつつ、彼は手入れの行き届いた庭を通って玄関まで辿り着いた。
 二度、呼び槌を叩き、黙って待つ。
 すると扉の向こうから忙しない足音が聞こえ、続いて「はいはい」という穏やかな女性の声が聞こえた。
「ルイーズ、儂だ」
「ああ、ようこそいらっしゃいました!」
 扉の向こうから姿を見せたルイーズは、カールの記憶よりも少し歳を取っているように見えた。それほど、互いに顔を合わせていなかったのかと少し驚いた。
「アルフォードは?」
「お館様がおいでになるということで、今厨房で肴を作っております」
「そうか、奴のつまみも久し振りだ」
 邸宅の中に招き入れられ、カールは玄関に飾られた皇王家の紋章入りの盾を眺める。結納品としてハルベルン家に下賜されたものであった。
「どうぞこちらに」
 笑みを浮かべたルイーズに促され、応接間に入る。
 夜ともなれば夫婦ふたりしかいない邸宅は、随分と広く静かに感じられた。
「お館様、よくぞいらっしゃいました」
 厨房から顔を出したアルフォードが、前掛け姿でカールを出迎える。
 まだ調理の途中らしい。
「アルフォード、出迎えはありがたいが、早くつまみを頼む。良い酒なのだ」
「ええ、お任せください。すぐに用意いたします」
 おどけた態度のカールに、アルフォードは苦笑を浮かべつつ厨房に戻った。
 外套をルイーズに手渡し、カールは勝手知ったる他人の家を歩いた。
 アルフォードとルイーズの結婚祝いに自分が送った絵画が暖炉の上に飾られているのを見て懐かしく感じ、末娘ウィリィアが生まれたときに撮った家族写真、そしてメリエラが生まれたときに二歳のウィリィアと共に撮った写真を順に眺める。
「写真ばかり増えております。俺も歳を取りました」
 厨房から皿を抱えて出てきたアルフォードが、カールの背後で笑う。
 歳を取るということがどういうものなのか、龍族と龍人族では捉え方は異なるだろう。しかし娘という共通の価値観を持つふたりは、老いというものを肯定し、楽しんでいた。
「息子たちもことあるごとに写真を送ってきますが、なかなか選び出すのも苦労する始末で、寝室など家内が選んだ写真ばかり飾ってあります」
 酒宴の場となる応接机に酒肴の皿を置き、アルフォードはカールの隣で何枚もの写真を眺める。
 アルフォードが一家を構えたときから始まる写真。長男オルディンが生まれ、次男ロキが生まれ、ウィリィアが生まれ、そしてメリエラが当たり前のようにその中に混じる。
 カールの方針とは別に、この家はメリエラにとってもうひとつの実家のようなものであった。士官学校時代の休暇はこの家で過ごすのが当たり前で、カールが何も言わなければ長期休暇でも帰省するか怪しいものであった。
「あなた、氷」
 氷室に行っていたルイーズが、遮断魔法の掛かった保冷器を持って応接間に現われる。アルフォードがそれを受け取ると、ルイーズは編み物をすると言って部屋を出ようとした。
「一緒に飲まないのか?」
 カールが呼び止めても、ルイーズは頭を振る。
 彼女は裁縫道具の入った木箱を抱えると、嬉しそうに笑った。
「はい、せっかくですので、孫のためにいくつか……」
「そうか……苦労を掛けるな」
 カールはルイーズの言う「孫」がメリエラの子も含んだ言葉であると理解した。
 彼にはとてもではないが、孫のために衣裳を縫うなどということはできない。どちらの妻もそういったことも楽しむことのできる女であったが、彼は何もできない。
 せいぜい軍学校で学んだ、破れた部分を繕い、釦を付ける程度だ。
「アロエ様が生前仰っていた衣裳。何とか間に合わせるつもりです」
 友人同士であったルイーズとアロエは、娘たちを着せ替え人形にしては楽しんでいた過去がある。
 そのとき、アロエが男の子どもが生まれたら着せてみたいと言っていた衣裳がある。アロエの出身地でよく見られる民族衣裳らしい。
「そう急ぐ必要もないと思うが……」
 龍族の寿命は長い。そして、それに見合った出生率を持っている。
 メリエラが懐妊するのは、もしかしたら百年後ということもあり得るのだ。
「メリエラ様のご子息の分は、焦らずゆっくりと繕わせて頂きます。でも、うちの娘の場合は、いつの間にかひょっこり連れてくるかもしれませんもの」
 ルイーズが笑い、アルフォードが頭を掻く。
 そんなことにはならないと思うが、あの娘は何をしでかすか分からない面も持っていた。その連れ合いもまた、アルフォードの予想を超えることをしかねない。
「そ、そうだな、では頼む……」
 カールもウィリィアの妙な行動力を思い出したのか、アルフォードと同じ結論に達したようだった。ただ、彼の娘もまた同じように妙な行動力を持っていることも思い出す。
「――あーと、ルイーズ、念のためにうちの娘の分も一緒に頼む」
「ふふ……はい、お任せください」
 メリエラが義理の姉への対抗心から龍族の出生率に勝負を仕掛けないとは、カールも断言できないのである。そんなカールの内心を見通したルイーズは、やはり笑顔を浮かべたままだった。
 彼女にしてみれば、なんら不思議なことではないのだ。

                            ◇ ◇ ◇

「そういえば、お前のところにはこれが来たか?」
 カールが応接机の上に差し出した封書を見て、アルフォードは少しだけ酔いが覚めた。
「それはまさか……」
「おう、メリアがさんざん陛下をこき下ろしている愚痴綴りだ」
 喉の奥で笑い、カールは百年ものの琥珀酒を呷る。
 そして自分で氷を追加し、お代わりを作った。
「よく似た姉妹だからな、もしかしてと思って持ってきた」
「――確かに、よく似た姉妹のようで」
 アルフォードは立ち上がり、応接間の一面を占める書類棚に向かう。
 そこの引き出しをひとつ開け、束になった封書を取り出した。
「とりあえず、今月の分です」
 どさり、という音と共に応接机に鎮座する封書束。
 カールはそれを眺めた後、観念したように懐から同じ程度の厚さをもつ封書束を取り出した。
「今月分だ」
 同じくどさりという音を立てて応接机に置かれる封書束。
 カールとアルフォードはそれを無言で見詰め、同時に酒を一気に飲み干した。
「素晴らしいことですな、お館様」
「おうとも、実に結構なことだよ、アル」
 ふたりは笑い合い、手紙を読み始める。
「同じ日に手紙を出すということは、多分同じ原因なんだろうな」
「そのようですな、こちらは陛下が同僚の騎士にちょっかいを掛けていると憤慨しております」
「こっちは……うむ、秘書官への手紙が妙に親しそうだと怒っているな」
 何故、男親に手紙を送るのかという疑問は、ふたりにはもうない。
 同じ男なのだからレクティファールの行動を防ぐ建設的な意見を出せ、ということなのだろう。
 どちらにせよ、不可能なことなのだが。
「この日は第一妃殿下と引っ掻き合いの喧嘩をしたと書いてある。原因は、よく分からないが、脇腹と臀がどうのこうのと……」
「これじゃあありませんか? お妃様たちの健康診断があった日で、何故自分も混ざって診察を受けなければならないのかと文句を言っておりますので、多分……」
「ああ……」
 揃って体重が増加したらしい。
 寒い時期なのでしょうがないといえばしょうがない。
「気にするほどのことでもないと陛下が宥めたんだろうな」
「ええ、そのようです。こちらには女心をどうやって教えてやろうかと剣呑なことが書いてありますし――まぁ、陛下には通じないでしょうな」
「だろうな、あの方はその辺、分かっていて敢えて覚えないようにしている節がある。覚えた方が、後宮が厄介なことになると判断したのかもしれん」
 皇王が適度に無知である方が、皇妃同士の諍いになりにくい。
 共通の敵がいれば、彼女たちはそれなりに仲良くできる。もっとも、今の後宮はそういった諍いからはほど遠い。
「お、こっちは直接ウィリィアに対しての文句だな。この辺りから、ウィリィアに対する文句が増えてきた」
「こちらも同じようです。二度目の陛下と三人で同衾した翌日ですな」
 ひらりひらりと封書を振るアルフォード。酔いの赤ら顔には、にやにやとした笑みが浮かんでいる。
「励んで貰って大変結構なことで……」
「――皇府殿も粋なことをしてくれるが、陛下はあれだぞ、マリアですら最初のときに引き分けに持ち込んで以来、負け越しだ」
「おや、そうでしたか」
 アルフォードは意外な義息の姿に驚いたような表情を浮かべた。
 そういったことには縁が薄いと思っていたようだ。
「くっくっく、躊躇いなく相手の身体を透過解析して、神経系を掌握する。陛下の軍の運用と同じだ。攻めると決めたら二撃目は考えない」
「若がそういったこと、得意でしたな」
 息子の名を出され、カールの表情が急に冷める。
 おおよその原因に思い至ったようだ。
「フレデリックもだ。こちらは奥方が強いから仕方なしだが」
 恐妻家で通る同輩もまた、レクティファールとはそれなりに親しく付き合っている。
 この辺りから情報が流れたのかもしれない。
 龍族の女性に関する情報など、そう多くはないのだ。
「あと、紅の皇妃殿下たちでしょうな」
「あのふたりか……そういえば、妹の方が一時期懐妊したのではと騒ぎになった」
 結局そのようなことはなかったのだが、相性という点で言えばファリエルは他の妃よりも頭一つ数値が高い。
 そのせいで正妃の中では最初に懐妊するのではないかと廷臣たちの間で噂になっているが、本人が聞けば大暴れすること間違いなしである。
「結局のところ、陛下も大概なものですからな」
「普段娘ふたりの間に立たされている分、多少なりと恵まれるのは構わんさ。あのふたりを上手く喧嘩させてくれているのだ。感謝こそすれ恨みはしない」
 カールはアルフォードの作った灰色鮭の薫り酢和えを一口つまみ、琥珀酒を飲む。
「あのふたりはアロエの一件以来、お互いに壁を作っていた。誰かが壊すだろうとは思っていたが、陛下は自分で壊させたようだ」
 その結果、ふたりは妙に対抗心を発揮している。
 メリエラはどうしても色気で負けていると愚痴をこぼし、ウィリィアは主君の華やかな美しさに嫉妬を隠さない。
 ようやく、そうしてお互いの本心をさらけ出すようになった。
 カールとアルフォードがレクティファールを評価しているのは、自分たちでは出来なかったそれを成し遂げたからだ。
「メリアからすれば、いずれウィリィアは勝ち逃げをしていなくなる存在だ。今のうちに存分に競い合いたいという気持ちもあろう」
「うちの娘も同じことを思っているでしょう。持っている時間が違いすぎる。いずれ自分は過去の一部となり、陛下の現在はメリエラ様のものになる、と」
 実に間の抜けた話で、彼女たちは互いを恐ろしい強敵として認識していた。
 強敵であるが故に自分の総てを賭けて戦おうとしている。それに巻き込まれているのが、レクティファールだった。
「実に素晴らしいことです。本当に」
「そうだな、アロエも手を叩いて喜んでいることだろう」
 ふたりは再び酒を飲み干し、顔を見合わせて笑った。
「姉妹喧嘩など、いずれできなくなる」
「はい。恋も愛も、一時の夢。一時の夢を掴むためにも、ふたりには頑張ってもらいたいものです」
 そうしていつの日か――望んでも良いのならば、ふたりの娘の子を共に抱きたい。
 家族の写真を一枚、増やしたい。
 ふたりは全く同じ願いを抱き、酒のお代わりを作った。
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