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第四章:万世流転編
第六話「繋ぐ運命」 その一
しおりを挟む戦争というものは、ある種の約束事の上に成り立つものだ。
それは共通の価値観と言い換えてもいい。
異なる種族によって構成されているために、その約束事の範囲が恐ろしく狭い皇国と帝国にあってさえ、捕虜などの扱いに関しては多少なりと約束事が存在した。
それが完全に守られているかはともかくとして、戦争とは常にそういった諸々の規範の上で行われるものだった。
しかし、この戦いではそれがない。
皇国軍はその創軍原理に従い、国土と国民の保護を目的として戦っているが、相手にその意図があるかどうかは、皇国上層部にも分からなかった。
この点について言えば、この戦いはこれまでの、たとえば他国による領土侵犯などによって発生した紛争とは別種のものであり、「国権保持者たる皇王の判断によって始まった戦争である」と皇国軍史記に特記されるものだった。そのために、この戦争が皇王の望んだ戦争と謂われることになる。
皇国の法は、異世界からの侵攻について定義していない。皇国領外からの侵攻と一括りにされているだけだ。何よりも侵攻の兆候と言えるものがなかった。
戦後になって兆候らしきものがあったと判明したが、それも実際に侵攻があったからこそ兆候だったのだと分かったに過ぎない。
そうした後世の研究は、双方の関係者から様々な情報を得ることで成り立っていた。皇国軍だけではなく、もう一方からも情報を得られたことで、百時間戦争はこの時代の紛争として珍しいほどに、精密な分析と正確な結果を得られたのである。
◇ ◇ ◇
失うことに躊躇いはなかった。
なかった筈だった。
「来た」
彼女の見たことも聞いたこともないような姿――全身装備の魔動式甲冑だった――の兵士が砂塵の向こうから続々と姿を見せ、やがて包囲されるまで、ほんの僅かな時間しか掛からなかった。
さらに増援らしい集団がこちらに向かってくるのが見える。
「これは……」
「~~~~!!」
包囲を狭め、こちらに機械式の弓と剣を向けた兵士たちの一人が、顔を覆う半透明の覆いの向こうから何事かを叫んだとき、彼女は自らが率いる一族に武器を下ろすように叫んだ。
「みんな! 戦っては駄目!」
「ですが!」
「良いから! 彼らは明確な指揮系統を持って、確立された戦術を使っていた。なら、投降の概念も理解してる可能性が高い」
彼女は魔王としては若輩で、率いていた部族は弱小。そのため、自分たちが生き残るために必死になって軍略を磨いてきた。
そして魔王連合に加わり、魔族の生存のために人間たちの領域に踏み込んだ。
指揮官でもある一族の熟練戦士たちは彼女の命令によく従ってくれた。
人間に近い姿をしている分、煉素の恩恵を受けにくい彼女たちがここまで戦ってくることができたのは、魔王と戦士たちの信頼関係が深く強かったからだ。
「くそ、なんでこんなことになってしまったんだ」
思い返せば、人間たちの国のひとつに攻め込んだとき、状況は変わった。
眩い光に包まれ、一瞬気が遠くなった。そして次の瞬間には、今まで経験したことのない、マナもデフィナもほとんど存在しない空気を持つ荒野にいた。
どちらも必要としない部族や体内で生成できる性質を持つ部族がまず動き出し、近くにあった集落を制圧した。その際、今までと同じように原生人を捕食したと聞いた。
人を喰らい、それによってマナを取り込む。しかし、今までのような効率ではマナを吸収できなかった。
また同時に、その集落を中心とした広大な範囲が丸ごと消滅し、いくつもの部族が丸ごと消し飛んだ。
それは連合全体ではほんの僅かな損害であったが、集団に動揺を与えるには十分な損失だった。
この場所は自分たちの生存に適していない――魔王連合にそんな空気が蔓延し、三大氏族のひとつである〈極角〉のグル族がより多くの人が住む地域への侵攻を提案、全軍がそれに基づいて動き始めた。
偉大なる煉黒の神の加護は続いていたから、強硬な意見が通るのも理解できる。しかし、少数部族はその時点で自らの破滅について大きな不安を抱くようになっていた。
大地力を感知し、扱うことのできる〈妖火〉のキリ族の魔王は、この地の大地力の大きさと異質さに恐怖し、それを各魔王に訴えた。
だが、その訴えは元来力を至上とする魔王たちには届かなかった。彼らはこの地をも支配してやろうと目論んでいたのだ。
少しでもマナを得ようと、最初に制圧した集落の生き残りを追い掛けていた部族が攻撃を受けたのは、そのときだ。
この地に住まうと思われる巨大な龍の集団が、次々とこちらに攻撃を仕掛けた。翼を持ち、空を支配する者と自認していた〈紫爪〉のフル族や、〈赤爪〉のホル族の戦士たちが為す術なく地面に叩き落とされた。
それでもなお、連合は攻撃の意思を保ち、野望を抱き続けていた。損害は受けていても、それが集団を維持できなくなるほどの水準に達していた訳ではなかった。
そうして魔王連合の目論見が崩れ去ったのは、この地の原生人らしい集団が、明確な抗戦の意思を持って集団の前方に陣を敷いたことを確認したときだった。
一部の魔王は、その布陣する原生人の様を見て自分たちの不利を感じ取った。自軍の方が圧倒的に多数であるというのにだ。
かつての敵であった勇者や人間たちと較べて密度の薄い陣形。横に大きく伸びた幾重もの壕に兵たちが張り付き、所々には大砲が据え付けられていた。後方には何かを載せていると思わしき台車が並び、かなりの数の兵たちが集まっているのに、彼らの声がほとんど聞こえない。
また、この地のマナと思われる物質が、その陣に高い密度で秩序だって集束していることも分かった。
あの陣は、明らかに高度な戦略と戦術の上に成り立っている。数的劣勢の戦場の中にいるというのに兵士たちの声が聞こえないということは、それだけ練度の高い集団であることの証拠だ。
魔王たちは通信水晶で再び意見を交わし合うが、結局答えは出なかった。その間もゆっくりと進んでいた魔王連合軍に対し、敵集団からの砲撃が開始されたからである。
その砲撃は上空の加護を撃ち貫くことは出来なかったが、水平方向から放たれたそれは、前衛の部族を強かに討ち減らした。
魔王連合側も応射したが、自分たちの持つ加護と似たものに攻撃を防がれ、たまに敵に到達する砲撃も、密度の低い敵集団には効果が薄かった。
やがて、敵陣が近付き、〈巨躯〉のバズ族と〈大腕〉のドル族が前に出る。それに応えるようにして敵の陣からも巨大な人型が現われ、こちらに飛び込んできた。
相手の人型は数こそ少なかったが、こちらの攻撃手段を幾つも奪っていった。
砲撃を司る〈天撃〉のミデ族の戦士が空から降ってきた人型に何人も殺された。圧倒的な数で敵を呑み込むことを得意としていた〈群列〉のナル族は、次々と同胞の下敷きになって息絶えた。
それはこれまで魔王連合が経験したことのない戦い方だった。
圧倒的な攻撃力。それが均一にこちらにのし掛かってくるのだ。それでいてより強い衝力を持った一撃が、もっとも弱い一点に向けられることもある。
そして、ふたつの崩壊が魔王連合を襲った。
ひとつは、天空より降り来て加護を打ち砕いた流星。そして、後方に位置していた神体とそれを守る〈神侍〉のダダ族に向けて突き進んできた大鎧。
力を持たないか、数が少ないために中央部に留め置かれていた部族にも、敵の手が伸びようとしていた。
「良いな? こちらからは絶対に手を出すな」
彼女が率いるは少数なれども精鋭を自負する尖兵のクガ族。
人と交わった鬼人の末裔の彼女たちは、額に小さな角の名残を残す以外は、人と同じ姿をしている。
彼女は知らなかったが、皇国軍の部隊はその姿故に攻撃の手を緩めたのだ。他の個体と比較して戦意の有無が容易に判断できるため、彼女たちが自分たちに投降しようとしているのかもしれないと考えた。
それが、結果としてはクガ族を救うことになる。
「わたしはクガ族の魔王、クリューナ! あなた方と争う意思はない!」
そう言ってクリューナは、腰から鞘ごと引き抜いた剣を地面に置く。
自分たちを包囲する兵士たちが、一歩こちらに踏み込んできた。
「魔王閣下!」
「動くな!」
部下が悲鳴を上げる。
自分が無茶をしていることは分かっている。だが、一族を守るためにはこれしかない。
矜持を持ち、一族総てと共に果てることも考えた。
しかし、その先が何もないことに彼女は気付いていた。
このままでは、自分たちは全滅の憂き目を見る。
一族が営々と培ってきた歴史と誇りが潰える。
「動くな。彼らは我々の言葉が分からないだけだ。抵抗しなければ……」
本当にそうだろうか。
自分たちは彼らの同胞を食い殺した。その時点で、彼らにこちらを生かす意思がなくなった可能性もある。
(それでも、こちらの方がまだ可能性がある)
戦えば負ける。
今背後で、〈烈震〉のギル族の魔王が大鎧と戦っているが、劣勢なのは間違いない。ギル族の魔王は魔王連合の中でも一、二を争う力を持っていたが、大鎧はそれを凌駕する力を持っている。
クリューナは偉大なる魔族の矜持と、一族の長としての責務を天秤に掛け、後者を選んだ。これから彼女が抱く矜持は、一族の安寧だ。
「わたしはクリューナ! 君たちに投降する!」
再び叫ぶクリューナに、ついに敵の兵が手を伸ばした。
黒い手甲が自分に向かって伸びてくる。その五指が自分の腕を掴み、捻り上げた。
「ぐぅ!」
肩に痛みが走り、クリューナはその場に膝を突く。
膝に感じる地面の冷たさに何とも言えない悔しさを覚えた。
そのまま背中に相手の膝が乗り、上半身を地面に押し付けられる。
今度は胸に強い痛みを感じた。
「クリューナ様!」
彼女を守ろうと、一族の戦士たちが剣に手を伸ばそうとする。
しかし、クリューナは自分を組み伏せた相手に殺意がないことに気付いていた。
「やめろ! わたしは大丈夫だ!」
試されているのだ。
相手がこちらの強制的な制圧を考えていれば、一斉にこちらを押さえ込めば良い。
クリューナ一人をこうして制圧したのは、彼女を集団の長と理解し、その意図を計るためだ。
「頼む、我々は抵抗しない」
クリューナは口の中に砂や土が入ることも構わず、努めて冷静に話しかけた。
言葉は通じないが、こちらが決して抵抗しないことだけでも相手に伝われば十分だ。相手もまた、こちらの意図を察してクリューナだけを押さえたのだから、勝算は十分にある。
「わたしはクリューナ。魔王のひとりだ」
戦闘は続いている。
周囲で固唾を呑んで推移を見守っている一族が生き残るには、ここで相手に頷いて貰うしかない。
「わたしは――」
「くりゅーな」
背後の兵士が、彼女の名を呼ぶ。
背を指で叩き、「お前がくりゅーななのか」と訊ねているのだ。
「そうだ」
クリューナは頷き、兵士もまた頷く。
それを合図に、周囲の兵士たちがクガ族を守るように武器の矛先を外側へと向けた。今一族に向けられているのは、最低限の武器だけだ。
「――ありがとう」
解放されたクリューナは、そのままぎこちない笑みを向ける。
それを見た兵士は、面頬を上げて素顔を晒した。
「~~~~」
兵士は、クリューナと同じ年頃の女だった。
襟元に三つの星の並ぶ徽章があったが、クリューナはそれがなんであるのか分からない。
ただ、敵ではないことは理解できた。
「ありがとう」
彼女はもう一度、笑った。
結果としては、クリューナと同じ決断を下した魔王はかなりの数になった。
皇国軍は彼らを捕虜として扱い、その過程で彼らの言語に関する様々な情報を得た。
そのため、戦争終結が宣言されたときにはもう、皇国側は彼らの言語を翻訳することが可能になっていた。
クリューナたちの決断がなければ、おそらく彼女たちの一族は不慣れな地で、多大な不便を強いられたことだろう。或いは、必要のない犠牲が出ていた可能性もある。
彼女たちは、その点でも一族を救ったのだった。
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