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1章「桜の鬼と百合の約束」
9.鬼神さま、降臨
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「起きんか、阿呆!」
襟を掴んで後ろに引っ張られる。驚いて叫びながら誉はひっくり返った。
「いたたたたっ……な、なんや?」
「逃げよ、誉」
尻もちをついたところを擦りながら、目を開ける。
「えっ、えっ、えっ!?」
すると、そこには今まで見たこともないものがいた。おどろおどろしい黒い靄をまとった牛。落ち窪んだ目に、凶悪な大きな角。二本足で立ち、手には斧を持っている。
「ミミミミノタウロス!?」
自分はまだ夢を見ているのか、それともこれは現実なのか。いや、自分は妖怪どころか幽霊を見たことすらないはずだ――誉の思考は回り続けていた。
「逃げよ、と申しておる」
岩の中から響いてくる声に、誉はかろうじて反応した。夢の中で聞いた、鬼神さまの声だ。
「早う逃げんか!!」
背を押されるような強い声に、誉はよろめきながらも立ち上がる。
「ね、姉ちゃん。姉ちゃん呼ばな。あんなん、どうしようもないし、もう帰ってるはずやろ」
言い訳のようなことを呟きながらも、歩き始める。
「そうじゃ、行くのじゃ!」
だが、その声に誉は振り返った。牛が黒い岩の前に立ち、斧を振り上げている姿を見て、足を止めた。
「何をしておる、誉!」
夢の中で自分の手がすり抜けたように、あの斧も岩をすり抜けるのだろうか。鬼神さまには何の被害もないんだろうか。けれど、鬼神さまが逃げろと言ってくれている。つまりは、あの斧は現実のものに触れることができるんじゃないんだろうか。岩にも触れることができるんじゃないか。そうでなくとも、あの牛はどう考えてもこの世のものじゃない。そして何より、鬼神さまもあの牛に近い存在だ。
「鬼神さま」
足がまた、進みだす。
「鬼神さま!」
今度は逆の方向に向かって、真っ直ぐ、背を伸ばして走り出していく。牛と岩の間に入り込み、両手を大きく開いた。
面と向かい合ってみた牛は、誉が思っていたよりもずっとずっと大きかった。黒い岩よりも背が高く、横幅もある。誉など、その大きな口で一飲みにされてしまうだろう。
怖かった。自分がこの牛相手に何かできるなどとも思っていなかった。けれど、それでも、この場所を動く気はなかった。
斧が今にも振り下ろされそうな状況の中、後ろから鬼神さまの声だけが響いてくる。
「誉! この、鈍間! 早う逃げんかと、何度言わせたら分かるんじゃ!」
「嫌や!」
何じゃと!? と夢の中で聞いた可愛い声で鬼神さまが怒鳴る。
「鬼神さまは、俺が守るからや!!」
誉はそれでも退かなかった。逃げなかった。牛を下から睨み付けたまま、背後に向かって言い放つ。
牛が腰を落とし、斧を持った右手を頭の上まで上げる。右手の下辺りに左手を当て、力強く構える。それが振り下ろされると思った瞬間、目の前に白いものが散った。
「桜?」
上から降ってくるのは、桜だった。夢の中で見た景色と、全く同じだ。
「馬鹿者」
肩に手が触れる。耳元で囁かれた声に、誉の胸が高鳴る。
「お、鬼神さま……っ」
「下がっておれ、邪魔じゃ」
岩の中から出てきた鬼神さまは、誉の肩に足を置き、牛の方へ高く跳躍する。腰につけた刀に手をやり、鞘から抜き放つ。そして、斧を持っている牛の両腕を切り落とした。薄水色の衣の裾をはためかせ、横に一閃する。
危なげなく着地した鬼神さまは刀を一振るいした。牛の方はと見ると、首を切られたのか、赤い筋が浮かんでいた。首がゆっくりと落ちていくとともに、掻き消えていった。
襟を掴んで後ろに引っ張られる。驚いて叫びながら誉はひっくり返った。
「いたたたたっ……な、なんや?」
「逃げよ、誉」
尻もちをついたところを擦りながら、目を開ける。
「えっ、えっ、えっ!?」
すると、そこには今まで見たこともないものがいた。おどろおどろしい黒い靄をまとった牛。落ち窪んだ目に、凶悪な大きな角。二本足で立ち、手には斧を持っている。
「ミミミミノタウロス!?」
自分はまだ夢を見ているのか、それともこれは現実なのか。いや、自分は妖怪どころか幽霊を見たことすらないはずだ――誉の思考は回り続けていた。
「逃げよ、と申しておる」
岩の中から響いてくる声に、誉はかろうじて反応した。夢の中で聞いた、鬼神さまの声だ。
「早う逃げんか!!」
背を押されるような強い声に、誉はよろめきながらも立ち上がる。
「ね、姉ちゃん。姉ちゃん呼ばな。あんなん、どうしようもないし、もう帰ってるはずやろ」
言い訳のようなことを呟きながらも、歩き始める。
「そうじゃ、行くのじゃ!」
だが、その声に誉は振り返った。牛が黒い岩の前に立ち、斧を振り上げている姿を見て、足を止めた。
「何をしておる、誉!」
夢の中で自分の手がすり抜けたように、あの斧も岩をすり抜けるのだろうか。鬼神さまには何の被害もないんだろうか。けれど、鬼神さまが逃げろと言ってくれている。つまりは、あの斧は現実のものに触れることができるんじゃないんだろうか。岩にも触れることができるんじゃないか。そうでなくとも、あの牛はどう考えてもこの世のものじゃない。そして何より、鬼神さまもあの牛に近い存在だ。
「鬼神さま」
足がまた、進みだす。
「鬼神さま!」
今度は逆の方向に向かって、真っ直ぐ、背を伸ばして走り出していく。牛と岩の間に入り込み、両手を大きく開いた。
面と向かい合ってみた牛は、誉が思っていたよりもずっとずっと大きかった。黒い岩よりも背が高く、横幅もある。誉など、その大きな口で一飲みにされてしまうだろう。
怖かった。自分がこの牛相手に何かできるなどとも思っていなかった。けれど、それでも、この場所を動く気はなかった。
斧が今にも振り下ろされそうな状況の中、後ろから鬼神さまの声だけが響いてくる。
「誉! この、鈍間! 早う逃げんかと、何度言わせたら分かるんじゃ!」
「嫌や!」
何じゃと!? と夢の中で聞いた可愛い声で鬼神さまが怒鳴る。
「鬼神さまは、俺が守るからや!!」
誉はそれでも退かなかった。逃げなかった。牛を下から睨み付けたまま、背後に向かって言い放つ。
牛が腰を落とし、斧を持った右手を頭の上まで上げる。右手の下辺りに左手を当て、力強く構える。それが振り下ろされると思った瞬間、目の前に白いものが散った。
「桜?」
上から降ってくるのは、桜だった。夢の中で見た景色と、全く同じだ。
「馬鹿者」
肩に手が触れる。耳元で囁かれた声に、誉の胸が高鳴る。
「お、鬼神さま……っ」
「下がっておれ、邪魔じゃ」
岩の中から出てきた鬼神さまは、誉の肩に足を置き、牛の方へ高く跳躍する。腰につけた刀に手をやり、鞘から抜き放つ。そして、斧を持っている牛の両腕を切り落とした。薄水色の衣の裾をはためかせ、横に一閃する。
危なげなく着地した鬼神さまは刀を一振るいした。牛の方はと見ると、首を切られたのか、赤い筋が浮かんでいた。首がゆっくりと落ちていくとともに、掻き消えていった。
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