婚約破棄されて捨てられた精霊の愛し子は二度目の人生を謳歌する

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13.名前を呼ぶ

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*13.過保護




 朝起きたら、シシェルの麗しの美貌が目の前にあった。


「もう! 驚かせないでください!」

「どうして怒るんだ? 顔を覗き込んでいただけだ」

「寝顔なんて見ないでください!」

 朝一番に心臓麻痺で死ぬところだった。
 僕の寝顔きっと不細工だったに違いない。寝ている顔が可愛いのは、子供と動物くらいだ。それなのに、あんな至近距離でシシェルに顔を覗き込まれるなんて。
 デリカシーに欠ける行為だ。自分がとんでもない美形で、どのシーンをとってもイケメンだから気にならないんだろうな。
 青々とした木々から洩れる朝の光が、シシェルの橙色の髪を鮮やかに照らしている。
 隙のないイケメンだなぁ。朝だってのに。

「私はお前ともっと近しい関係になりたいのだが」

「もう十分近いと思うんですが。お城に行ったら皆吃驚してひっくり返っちゃうくらいですよ」

「もっとだ」

「…もっとって…」

「私は、お前の名を呼びたい」

「名前?」

「ああ、どうしてか私はお前の名を呼べない」

 僕の名前を呼べないってどうしてだろう。
 そこで、そういえば僕名前を呼ばれたことがないことに気付いた。今の今までだ。
 前世のシシェルもそんな感じで僕の名前を呼ぶのなんて閨の時くらいだったので、失念していた。

「お前の名を教えてくれ。そして、私の名前を呼んでおくれ」

「殿下の名前…」

「シシェルだ」

「シシェル様」

「違う、シシェルだ」

「!」

 王族を呼び捨てになんて出来ない。ましてや僕は前世で貴族としてその教育を受けた身だ。おいそれと敬称を省くなんて不敬な真似できるわけがない。

「して、お前の名は?」

「ユエ、です」

「そうか、ユエ…やっとでお前の名を呼べた」

 昨日の全開の笑顔とはまた別の、慎ましやかに花が開いたような笑顔だった。少し照れたみたいな顔が可愛らしい。

「きっと精霊の加護の問題だったのだろうな。ユエ…ユエ…ふふ、可愛らしい名だ」

 あ、これきっと駄目な奴だ。
 僕の腰は簡単に抜けた。生まれたての小鹿なんて目じゃないくらい、呆気なく落ちた。






「昨日のキスはなんだったんだ? あれは強烈な眠気だった」

「あれは精霊の加護と似たものなんです。精霊が目覚めると僕に加護を与えてくれるんですが」

「ああ、知っている。ずっと見ていたからな」

「魔法は僕の魔法を使うから、発動までにちょっと時間が掛かるんです。でも、ああやってキスを贈れば精霊の力をそのまま使うことが出来るって、教えてもらってて。昨日使っちゃいました」

「なるほど」

「魔力酔いも起こらないし、貴方にも負担がかからない。それに一発で寝かせることが出来る」

「私はユエに寝かしつけられたのか」

「ちゃんと寝てくれたらそんなことしませんよ」

 腰が抜けた後だからって今日の森歩きはシシェルに手をつないでもらっている。全力で拒否をしたのだけど、心配だからって問答無用で手を握られた。それが嫌なら抱えていくと言われたら手をつなぐ案が妥当だと思えてしまった。
 手をつながれているからか、昨日より森歩きが楽だ。少しよろめいても力強いシシェルが支えてくれる。

 
 森は一日目にやってきた雰囲気を一掃としていた。昨日の森光り現象でこうなったのか。この森の精霊は大体が目を覚ましているようで、引っ切り無しに僕に加護を与えてご機嫌で戻っていく。
 この森に淀んだ空気が存在していない。精霊に聞けば、この森の精霊は皆目が覚めたのだと身振り手振りで教えてもらえた。

「予定では夕刻に森の外に私の従者達がやってくる手はずになっている。夜に紛れ、ひっそりと城に戻るように陛下に仰せつかった」

「目立っちゃいますしね。承知してます」

「…実を言うと、この森を出れば今までのように二人きりでは居られない。用はないが、もう少しこのままで居たい。私の我侭だ。つき合わせてすまない」

「!」

 握られた手の力が強くなって、グッと引き寄せられた。僕の眼前には、橙色の少し長い前髪から覗く綺麗な金色の瞳が迫っていた。
 空いていたもう一方の手で腰を抱えられ、近づく美貌に声も出ず固まると、額に温かな感触が当たった。

「ユエ…」

 甘い、蕩けるような声に僕の腰は今日二度目の終わりを迎えた。
 なんて威力だ。
 日を追うごとに色気というか、いろんなものが深みを増していて僕には手におえない。
 ニコニコとシシェルが僕をお姫様抱っこというもので軽々持ち上げ、腰を落ち着けられる場所に運んだ。男一人分の体重だったり、重力だったりを完全に無視した軽やかな動きだった。
 
「僕が居た世界では、スキンシップは薄めなんです。気をつけてください!」

「ユエはこういった行為に不慣れというわけか?」

「……黙秘します」

 前世ではどうだったか考えて、随分と刹那的なものだったと客観的に自覚した。
 出会った時にはもう婚約者として第三殿下の隣に居て、周りもそういう扱いだった。男同士だからと第三殿下に手を握られた時、全てを覚悟した。
 いずれは一緒になるんだし、なんて軽く考えていたあの時の自分を正座させて懇々と説教したい。よくよく考えればあれは覚悟なんてもんじゃない。流されただけだ。
 苦い思い出ばかりで眉間に皺を寄せていると、お姫様抱っこ状態の腕に力が更に加わりシシェルの分厚い胸板に顔面が押し付けられた。

「!」

「お前の中に誰がいるのか知らないが、私だけをみてくれ」

 今も昔もこんなに悩んでいるのは彼のことだ。
 しかし僕がシシェルをずっと思っていたとしても、今世では貴族でもなんでもない僕がどうこうできる相手じゃない。
 国としては救世主としてやってきた女の子と結婚させたいだろう。前みたいに。
 シシェルは僕が精霊の加護持ちの救世主だって言っているけど、だったら二人も召喚される筈がない。僕はきっと前世というか、似たような世界に居たから召喚の時に変な引っ張られ方をしただけだと確信している。

「ユエ?」

「この世界で僕が信じられるのは、宿屋の女将さんだけなんで」

 無一文で野宿を決意していた僕にツケで住む場所を用意してくれて、冒険者になるには空腹じゃなにも出来ないと食事を与えてくれた。
 あの時、宿屋の女将さんが居てくれなかったらこんなに早くランクが上がることはなかっただろう。
 そんな命の恩人である女将さんと、シシェルを始めとしたお城の人たちを比べても詮無いことなのだが、一言言っておきたかった。

「貴方達はこれから僕を利用する人達だ。絆されることは一切ないです」

「そうだ。信頼はこれから勝ち取っていく。だから、私がユエしか見ていないというのを知ってもらいたい」

「……?」

 それを知ってどうするんだろう。
 僕がシシェルの顔に弱いってことを知った上で、助力することを求められているのだろうか。
 国の人達の為に手助けをするのは構わないけど、僕を踏み台にされるのは御免蒙る。
 将来的には救世主の女の子が一人でも難なく力が使えるようになるのが理想だ。僕は冒険者として地方暮らしがしたいから。それだったら顔が知られるのは不味いから、裏方でも問題ない。
 嫌なのは、影武者として城の隅で一生飼い殺しにされること。

 あの日、あの時の絶望が過ぎる――…。

 森全体が音もないのに揺れ、不穏な空気が流れた。

「…え?」

「そうか。精霊がお前と繋がっているから、お前の“何か”に触れ怒りを募らせているのか」

「…精霊?」

「精霊に愛されるということは、そういうことか」

「?」

 岩場に降ろされ、辺りを見渡すシシェルが納得した風に頷いている。

「森全体の精霊が目覚めているから、二日目のように魔獣が襲ってくることはないが…ユエの精神状態によって、精霊が行動を起こすのか」

 そうなの?
 隣にふわふわ飛んでいた精霊に聞いてみれば、精霊は大きく頷いて森が揺れた。

「精霊に善も悪もない。ユエになにかあれば、精霊はお前を救うために動くのだろう」

 あたりに飛び回っている精霊をシシェルは目で追った後、僕に視線を戻した。

「ということは、ユエはこの世界の者の生まれ変わりなのか?」

「…へ?!」

 ビクリと身体が揺れる。核心に迫ったその言葉にどう返事をしていいのか悩んでいると肩をポンと軽く叩かれた。

「お前がこの世界に絶望し、精霊が眠りについた。精霊はこの世界からお前を匿うために、そちらの世界に転生をさせ、この世界がお前にとって良いものになるのを待ち、また呼び戻した。そう考えると辻褄が合う」

 そ、そうなの?
 恐る恐る尋ねれば、精霊はくるんくるんと飛び回り、それが正解であると全身で答えてくれた。

「ならば、私は急がねばならん。行くぞ、ユエ!」

 シシェルの力強い両手に支えられ、立たされた。
 それからまた手を引かれ、ずんずんと歩く。

「もうすぐ、森を抜けられる」

 少し歩みが速かったからか、突き出た石に足を取られグラリと揺れた所で、シシェルに担がれあっという間に森を抜けた。


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