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正直、落ち着かない。
日曜、十時に駅前。いつの間にか結託したらしい圭人と楓に逆らえるわけもなく、いたたまれない気持ちで俺はそこにいた。
こんな風に誰かと外で待ち合わせるのなんて小学生の時以来で、そういえばあのころよく遊んでた奴らは元気にしてるだろうかなんて考える。
「よ、お待たせ」
そこへ、ひょこ、と顔を覗かせた圭人に、自分でも驚くほど体が跳ねた。
「べ、別に、待ってないから」
「そうか?」
慌てる俺に、にこりと笑う。
長い足をデニムに収め、上は普通のTシャツなのにどうしてそれがこんなに様になるんだろうかという出で立ちで、それに比べて俺はと勝手に卑屈な気分になってしまって。
だけどそんな俺を見透かしたように、圭人は行こうぜ、ともう一度笑った。
「俺、すごい楽しみにしてたんだって。お前と遊びに出かけるの」
「いつも会ってん、じゃん」
「そりゃそうなんだけどさ。やっぱこうやって外で待ち合わせたりすると気分も違ったりすんじゃん?」
そうなんだろうか。俺自身ここ最近は、それこそ楓や、幼馴染の智にぃとぐらいしかでかけるようなこともなくて、首を傾げる。
「ま、どっちにしたって俺はお前と一緒にいんの好きだから気にすんなよ」
「そ、それは別に、疑って、ねぇよ……」
「サンキュ」
俺の言葉に気をよくしたらしい顔を見れば、やっぱり俺も嬉しくなった。現金なものだとは我ながら思うけれど。
そういや、と。並んで歩きだした圭人がぽつりとつぶやく。
「今日はあれか?楓プロデュース?」
「うううう……スルーしてくれよ……」
「なんで。よく似合ってんじゃん」
「こんな恰好も髪型も普段しねぇから自分の違和感がすごいんだよ!」
俺の文句に返ってくるのは楽しそうな笑い声だけだ。
丁寧にセットされた髪を指先で弄られて、顔面を両手に押し付けた。
即日勧められたのは美容院で。だけど頑なに俺が嫌がるからと、智にぃと二人してセットだけでもと、ほぼ無理矢理に施されたのを思い出す。ついでにこれを着て行けと、普段楓が来ているような柄シャツを着せられた。
「智にぃも楓にだけやってやりゃいいのになんで……」
「智にぃ?」
俺の言葉を聞き咎めてか、圭人が僅かに眉間に皺を寄せる。
「俺らの幼馴染。ちょっと年上でなんていうか、気のいい近所の兄ちゃん的存在」
「ふぅん」
「俺も楓も昔っからよく遊んでもらっててさ。俺たちが音楽を好きになったのも――」
「そっか」
少しだけ食い気味に俺の声を遮ってうなずいた。
その声音が、ほんの少しだけ違うような気がしたけれど。
「でも眼鏡そのままなのな」
「……コンタクト、怖いじゃん。楓の毎朝見てるけどあれを自分でできる気がしねぇ……」
「それはそれでいんじゃね?」
「……お前も眼鏡否定派じゃん」
「んなことねーよ」
圭人がそう言ったとき、ちょうど赤信号で歩を止める。
俺たちが行こうとしていた施設はその目の前で、信号を渡ればすぐで。
不意に、ゆっくり圭人は俺の方を向いて、やけに柔らかく笑った。
「かわいいよ」
「え、ええ?」
「眼鏡でもそうでなくても、どんな服装でも髪型でも、樹はかわいい」
まるで、そのとき。
世界が止まったように感じたのは、俺だけなんだろうか。
何事もなかったかのように、そのまま遊びに連れて行かれ、ボーリングに色んなスポーツにと体を動かしたあと、カラオケに移動し早二時間。
「お前、歌上手いなあ。次あの曲歌ってあれ」
「い、いいけどさ。お前ももっと歌ってよ」
「俺は樹の歌が聞きたい」
「……さっきみたいにコーラス入れてやるから遊ぼうぜ」
「よっしゃ。これ知ってる?」
「知ってる知ってる」
あの信号での言葉は、俺の白昼夢だったみたいに現実味がない。
圭人の態度だって何も変わらない。けれど、あのとき確かに俺の心は跳ねた。
でもそれを言葉にする勇気もなくて、こうしてただ歌っている。
圭人に主旋律を歌ってもらって、俺がそこにコーラスでハモった一曲を終えると、大きく息を吐いてソファーに寄りかかった。
二人してやったその動きはほぼ同時で、思わず顔を見合わせ笑う。
「樹にハモってもらうとまるで自分の歌がめちゃくちゃ上手くなったような気がする」
「いや実際お前けっこううまいよ」
「ほんとに?やべ嬉しい」
泣き真似でもするみたいに涙をぬぐうふりをするから、またそれがおかしくて。
笑う俺に、圭人が安堵の表情を投げかけていることには気づかないふりをした。
「このあとどーする?」
「んと、飯行くっつってたからそのつもりできたけど。お前大丈夫なの?」
「おう、大丈夫大丈夫。誘ったの俺だしな」
言いながらカラオケを出て、じゃあ何食うか、なんて言う横顔を見つめる。
やっぱり整ってんな、なんて当たり前のことに感心していると、すれ違った人に肩がぶつかってしまった。
「あ、すみませ……」
俺の口がそこで固まる。
いて、と言って俺を見た相手の顔が、驚きからにやにやとした笑いに変わった。
「なに、双子の冴えないほうじゃん?似合わねぇかっこうして弟ちゃんの入れ知恵かなんか?」
ひゅ、と細い音が俺の喉で鳴る。言い返したくても、金縛りにでもあったように体も舌も動かせない。
咄嗟の癖でうつむき、地面を見る。
「またそーやって無視してさぁ。地味なくせに鬱陶しいんだよお前」
情けないことに、何も言えないまま。小突かれて、数歩たたらを踏んだ。
ぽす、と俺の背中に当たる温かい感触。それから、ぎゅう、と腰に回された腕が抱きしめてくる。
俺は目の前の元同級生より、そのことに驚いて顔を上げた。
「け、圭人」
「んだてめえら。人の連れになんか用か?」
普段にこやかで、しかも整った顔立ちの人間が凄むと迫力が増すんだな、なんて他人事みたいに考える。
案の定、俺がぶつかった元同級生たちも言葉に詰まって。
別に、だとか、用とかねぇよ、なんて捨て台詞を残して街中に消えて行った。
「……なんだあいつら」
「高校の同級生……俺、あんまり……その」
「ま、人付き合い上手には見えねーもんな」
濁した言葉を察して受け止めてくれる。ほっとして、息を吐いた。
それを見計らったみたいに、後ろから腰を抱いていた腕が離れていく。
それを少しばかり寂しく感じてしまう自分を隅の方へ追いやって、ありがと、と口にした。
「いつもは……楓がいてくれたからさ」
「あいつ気、強そうだもんな」
「うん。俺、兄貴なのにしょっちゅう助けられてる。智にぃにもだけど」
ぴく、と。圭人の片方の眉が上がる。
なんだか考え込む素振りをして、それから俺の髪に触れた。
「樹」
「な、なに?」
「飯の前に、ちょっとだけ付き合って欲しいんだけど」
「……なにに、だよ」
「来ればわかるって。すぐそこだから来て」
多少の強引さを感じなかったわけじゃないけれど。
こっち、と言う圭人の表情になんだか気圧されてしまって、結局俺は言われた通りに付いて行く。
圭人の言ったことは嘘ではなく、目的の場所には五分ほどで到着した。正面の扉には『close』の看板がかかっているにも関わらず、すたすたとその裏手に回っていく。
いいのかなぁ、なんて思いながらそれについていくと、裏口なのだろうシンプルな白い扉を、遠慮も何もなく圭人が開けた。
「来るなら来るって連絡してよ!」
「だいたいいるだろこの時間。つか、何日か前に行くかもっつっといたじゃん」
「当日!当日の連絡大事!」
ずかずかと入っていく圭人に、奥の方から半泣きの声が返ってくる。
いったいなんのお店なんだろうと思っていた俺の疑問は、中を覗いて晴れた。独特な椅子、備え付けの洗面台とシャワー。美容室だ。
「樹」
「っ、おま、おまえ、っ」
「逃げんなよ。付き合ってくれんだろ?」
一歩引こうとしたけれどももう遅かった。俺の手首は、圭人にがっちり捕まえられてしまっている。
「聞いてない!」
「そりゃそうだ、言ってねーもん」
「い、いやだ、って」
「任せとけって。また街中で元同級生に会っても、お前ってわからないぐらいに綺麗にしてやるから」
「き、きき、きれ、綺麗って」
そういう問題じゃないだろうと思いながらも、あわあわしてしまって。笑う圭人のその肩越しに、おそらくこの美容院の持ち主なんだろう人が現れたのにも気づかなかった。
「……そうやって、ずっと俯いて生きてくのかよ」
「っ、お前に、何がっ」
「俯いて、髪下して眼鏡かけて顔隠して。あんな奴らに見つからないように生きてくのかよ」
握られた手首が熱い。
ほんの数日前に知り合ったばかりのお前に何がわかるんだ。そう思うけれど、その手の熱さが俺の声を詰まらせる。
「我慢できねえ。あんな、あんなふうに楽しそうに笑うのに。楽しそうに運動したり、ピアノ弾いたり、歌ったりしてるお前が好きなのに」
え、と。
俺が何か言うよりも早く、お前の笑顔が、と続けた。
同時に、一瞬別の意味に勘違いしかけたことに気づいて顔が爆発しそうになる。
「もっと堂々としてろよ。俺が、そうできるようにしてやるから」
返事ができずに俯きそうになって。
だけどそこで、美容室のオーナーらしき人が声をかけてくれた。
「もう、固まっちゃってんじゃん。本当、圭人って強引だよね」
「……こうでもしねーと、ついてきてくんない」
「はいはい。はじめまして、俺は村松。村松 剛」
丸いサングラスの向こうで、意外とつぶらな瞳が優しく笑う。
おしゃれに整えられた髭と、笑う口の隙間から覗く八重歯が特徴的だった。
「一応、ここの店長やってて、こいつ--圭人とはけっこう昔から知り合い。で、もし君がよければ、カットモデルやってくれると嬉しいんだけど」
「カット、モデル、って」
「嫌だったら顔は出さないし。言い方悪いけど、要は練習台ってこと」
迷って、視線が泳ぐ。困ったまま圭人を見ると、安心させるように笑って俺の手首を離した。
「こんなこと言ってっけど、こいつ腕は確かだから」
「生意気なこと言って!まぁ、その通りだけど!」
「お、俺で、いいんです、か?」
なんだか夢の中にいるような気がして問いかける。もちろん、と剛と名乗った彼は言った。
「綺麗にセットしてあるけど、ちゃんとカットしたらもっと良くなるよ。俺に任せてくれない?」
「あ、えっと、でも」
「料金はいらないよ?こっちがお願いしてやらせてもらうんだし」
俺の不安は消されたものの。それで即座に頷くのもどうかと思う。視線を二人の間で往復させていると、圭人が楽しそうに笑った。
ただいま、と声をかけて家に入る。
結局、剛も交えて三人で食事をしてから帰ってきたのでそこそこ遅い時間だ。
まあ、学生とはいえ成人過ぎた男だから細かく言われることもないのだけれど。
「おかえり」
にこ、とリビングから顔を覗かせて言った弟の表情が俺を見て変わった。
「た、ただいま」
さっきと同じ言葉を繰り返し、その視線を強烈に感じながら、リビングと続いているキッチンに入る。
冷蔵庫を開けてお茶を取り出し一口飲んで、くるりと振り向いた。カウンターの向こう、ソファーの上でにこにこと笑う楓と目が合う。
「なん、だよ……」
「髪切ったんだ?似合うじゃん」
上機嫌にそう言われれば、嬉しくないわけもなく。
もそもそと、楓の隣に移動してその肩に、俺は頭を乗せた。
「どしたよ、楽しかったんだろ?」
「……うん」
ふふ、と。自分の方がよっぽど楽しそうに笑って、楓の髪が俺の頭に触れる。
二人で寄り掛かりあって、俺はぽつぽつと今日の話をした。
「――よかった、樹が楽しそうで」
「うん……服も、髪も、やってもらってよかった。ありがとな」
「智にぃにも言ってやんなよ。喜ぶよ」
「明日言う。どうせ遊びにくるだろ」
頭を寄せて、互いに囁き合うように。
狭い俺の世界。安心できる人たちだけの世界が、俺の全てだった。
「樹は、さぁ。圭人のこと、好き?」
「……嫌いじゃ、ないけど」
「素直になんなよ。俺や智にぃがいくら言っても、髪型なんてなんでもいいなんて言ってたくせに」
楓の言う通りで。う、と答えに詰まる。
俺のその狭い世界を、まるでこじ開けるみたいに、圭人は俺を連れていってしまうから。
それは不快ではなくて、だけどそう思う自分が、少し怖い。
だから、俺は。楓の言葉に、わかんない、と首を横に振ることしかできなかった。
日曜、十時に駅前。いつの間にか結託したらしい圭人と楓に逆らえるわけもなく、いたたまれない気持ちで俺はそこにいた。
こんな風に誰かと外で待ち合わせるのなんて小学生の時以来で、そういえばあのころよく遊んでた奴らは元気にしてるだろうかなんて考える。
「よ、お待たせ」
そこへ、ひょこ、と顔を覗かせた圭人に、自分でも驚くほど体が跳ねた。
「べ、別に、待ってないから」
「そうか?」
慌てる俺に、にこりと笑う。
長い足をデニムに収め、上は普通のTシャツなのにどうしてそれがこんなに様になるんだろうかという出で立ちで、それに比べて俺はと勝手に卑屈な気分になってしまって。
だけどそんな俺を見透かしたように、圭人は行こうぜ、ともう一度笑った。
「俺、すごい楽しみにしてたんだって。お前と遊びに出かけるの」
「いつも会ってん、じゃん」
「そりゃそうなんだけどさ。やっぱこうやって外で待ち合わせたりすると気分も違ったりすんじゃん?」
そうなんだろうか。俺自身ここ最近は、それこそ楓や、幼馴染の智にぃとぐらいしかでかけるようなこともなくて、首を傾げる。
「ま、どっちにしたって俺はお前と一緒にいんの好きだから気にすんなよ」
「そ、それは別に、疑って、ねぇよ……」
「サンキュ」
俺の言葉に気をよくしたらしい顔を見れば、やっぱり俺も嬉しくなった。現金なものだとは我ながら思うけれど。
そういや、と。並んで歩きだした圭人がぽつりとつぶやく。
「今日はあれか?楓プロデュース?」
「うううう……スルーしてくれよ……」
「なんで。よく似合ってんじゃん」
「こんな恰好も髪型も普段しねぇから自分の違和感がすごいんだよ!」
俺の文句に返ってくるのは楽しそうな笑い声だけだ。
丁寧にセットされた髪を指先で弄られて、顔面を両手に押し付けた。
即日勧められたのは美容院で。だけど頑なに俺が嫌がるからと、智にぃと二人してセットだけでもと、ほぼ無理矢理に施されたのを思い出す。ついでにこれを着て行けと、普段楓が来ているような柄シャツを着せられた。
「智にぃも楓にだけやってやりゃいいのになんで……」
「智にぃ?」
俺の言葉を聞き咎めてか、圭人が僅かに眉間に皺を寄せる。
「俺らの幼馴染。ちょっと年上でなんていうか、気のいい近所の兄ちゃん的存在」
「ふぅん」
「俺も楓も昔っからよく遊んでもらっててさ。俺たちが音楽を好きになったのも――」
「そっか」
少しだけ食い気味に俺の声を遮ってうなずいた。
その声音が、ほんの少しだけ違うような気がしたけれど。
「でも眼鏡そのままなのな」
「……コンタクト、怖いじゃん。楓の毎朝見てるけどあれを自分でできる気がしねぇ……」
「それはそれでいんじゃね?」
「……お前も眼鏡否定派じゃん」
「んなことねーよ」
圭人がそう言ったとき、ちょうど赤信号で歩を止める。
俺たちが行こうとしていた施設はその目の前で、信号を渡ればすぐで。
不意に、ゆっくり圭人は俺の方を向いて、やけに柔らかく笑った。
「かわいいよ」
「え、ええ?」
「眼鏡でもそうでなくても、どんな服装でも髪型でも、樹はかわいい」
まるで、そのとき。
世界が止まったように感じたのは、俺だけなんだろうか。
何事もなかったかのように、そのまま遊びに連れて行かれ、ボーリングに色んなスポーツにと体を動かしたあと、カラオケに移動し早二時間。
「お前、歌上手いなあ。次あの曲歌ってあれ」
「い、いいけどさ。お前ももっと歌ってよ」
「俺は樹の歌が聞きたい」
「……さっきみたいにコーラス入れてやるから遊ぼうぜ」
「よっしゃ。これ知ってる?」
「知ってる知ってる」
あの信号での言葉は、俺の白昼夢だったみたいに現実味がない。
圭人の態度だって何も変わらない。けれど、あのとき確かに俺の心は跳ねた。
でもそれを言葉にする勇気もなくて、こうしてただ歌っている。
圭人に主旋律を歌ってもらって、俺がそこにコーラスでハモった一曲を終えると、大きく息を吐いてソファーに寄りかかった。
二人してやったその動きはほぼ同時で、思わず顔を見合わせ笑う。
「樹にハモってもらうとまるで自分の歌がめちゃくちゃ上手くなったような気がする」
「いや実際お前けっこううまいよ」
「ほんとに?やべ嬉しい」
泣き真似でもするみたいに涙をぬぐうふりをするから、またそれがおかしくて。
笑う俺に、圭人が安堵の表情を投げかけていることには気づかないふりをした。
「このあとどーする?」
「んと、飯行くっつってたからそのつもりできたけど。お前大丈夫なの?」
「おう、大丈夫大丈夫。誘ったの俺だしな」
言いながらカラオケを出て、じゃあ何食うか、なんて言う横顔を見つめる。
やっぱり整ってんな、なんて当たり前のことに感心していると、すれ違った人に肩がぶつかってしまった。
「あ、すみませ……」
俺の口がそこで固まる。
いて、と言って俺を見た相手の顔が、驚きからにやにやとした笑いに変わった。
「なに、双子の冴えないほうじゃん?似合わねぇかっこうして弟ちゃんの入れ知恵かなんか?」
ひゅ、と細い音が俺の喉で鳴る。言い返したくても、金縛りにでもあったように体も舌も動かせない。
咄嗟の癖でうつむき、地面を見る。
「またそーやって無視してさぁ。地味なくせに鬱陶しいんだよお前」
情けないことに、何も言えないまま。小突かれて、数歩たたらを踏んだ。
ぽす、と俺の背中に当たる温かい感触。それから、ぎゅう、と腰に回された腕が抱きしめてくる。
俺は目の前の元同級生より、そのことに驚いて顔を上げた。
「け、圭人」
「んだてめえら。人の連れになんか用か?」
普段にこやかで、しかも整った顔立ちの人間が凄むと迫力が増すんだな、なんて他人事みたいに考える。
案の定、俺がぶつかった元同級生たちも言葉に詰まって。
別に、だとか、用とかねぇよ、なんて捨て台詞を残して街中に消えて行った。
「……なんだあいつら」
「高校の同級生……俺、あんまり……その」
「ま、人付き合い上手には見えねーもんな」
濁した言葉を察して受け止めてくれる。ほっとして、息を吐いた。
それを見計らったみたいに、後ろから腰を抱いていた腕が離れていく。
それを少しばかり寂しく感じてしまう自分を隅の方へ追いやって、ありがと、と口にした。
「いつもは……楓がいてくれたからさ」
「あいつ気、強そうだもんな」
「うん。俺、兄貴なのにしょっちゅう助けられてる。智にぃにもだけど」
ぴく、と。圭人の片方の眉が上がる。
なんだか考え込む素振りをして、それから俺の髪に触れた。
「樹」
「な、なに?」
「飯の前に、ちょっとだけ付き合って欲しいんだけど」
「……なにに、だよ」
「来ればわかるって。すぐそこだから来て」
多少の強引さを感じなかったわけじゃないけれど。
こっち、と言う圭人の表情になんだか気圧されてしまって、結局俺は言われた通りに付いて行く。
圭人の言ったことは嘘ではなく、目的の場所には五分ほどで到着した。正面の扉には『close』の看板がかかっているにも関わらず、すたすたとその裏手に回っていく。
いいのかなぁ、なんて思いながらそれについていくと、裏口なのだろうシンプルな白い扉を、遠慮も何もなく圭人が開けた。
「来るなら来るって連絡してよ!」
「だいたいいるだろこの時間。つか、何日か前に行くかもっつっといたじゃん」
「当日!当日の連絡大事!」
ずかずかと入っていく圭人に、奥の方から半泣きの声が返ってくる。
いったいなんのお店なんだろうと思っていた俺の疑問は、中を覗いて晴れた。独特な椅子、備え付けの洗面台とシャワー。美容室だ。
「樹」
「っ、おま、おまえ、っ」
「逃げんなよ。付き合ってくれんだろ?」
一歩引こうとしたけれどももう遅かった。俺の手首は、圭人にがっちり捕まえられてしまっている。
「聞いてない!」
「そりゃそうだ、言ってねーもん」
「い、いやだ、って」
「任せとけって。また街中で元同級生に会っても、お前ってわからないぐらいに綺麗にしてやるから」
「き、きき、きれ、綺麗って」
そういう問題じゃないだろうと思いながらも、あわあわしてしまって。笑う圭人のその肩越しに、おそらくこの美容院の持ち主なんだろう人が現れたのにも気づかなかった。
「……そうやって、ずっと俯いて生きてくのかよ」
「っ、お前に、何がっ」
「俯いて、髪下して眼鏡かけて顔隠して。あんな奴らに見つからないように生きてくのかよ」
握られた手首が熱い。
ほんの数日前に知り合ったばかりのお前に何がわかるんだ。そう思うけれど、その手の熱さが俺の声を詰まらせる。
「我慢できねえ。あんな、あんなふうに楽しそうに笑うのに。楽しそうに運動したり、ピアノ弾いたり、歌ったりしてるお前が好きなのに」
え、と。
俺が何か言うよりも早く、お前の笑顔が、と続けた。
同時に、一瞬別の意味に勘違いしかけたことに気づいて顔が爆発しそうになる。
「もっと堂々としてろよ。俺が、そうできるようにしてやるから」
返事ができずに俯きそうになって。
だけどそこで、美容室のオーナーらしき人が声をかけてくれた。
「もう、固まっちゃってんじゃん。本当、圭人って強引だよね」
「……こうでもしねーと、ついてきてくんない」
「はいはい。はじめまして、俺は村松。村松 剛」
丸いサングラスの向こうで、意外とつぶらな瞳が優しく笑う。
おしゃれに整えられた髭と、笑う口の隙間から覗く八重歯が特徴的だった。
「一応、ここの店長やってて、こいつ--圭人とはけっこう昔から知り合い。で、もし君がよければ、カットモデルやってくれると嬉しいんだけど」
「カット、モデル、って」
「嫌だったら顔は出さないし。言い方悪いけど、要は練習台ってこと」
迷って、視線が泳ぐ。困ったまま圭人を見ると、安心させるように笑って俺の手首を離した。
「こんなこと言ってっけど、こいつ腕は確かだから」
「生意気なこと言って!まぁ、その通りだけど!」
「お、俺で、いいんです、か?」
なんだか夢の中にいるような気がして問いかける。もちろん、と剛と名乗った彼は言った。
「綺麗にセットしてあるけど、ちゃんとカットしたらもっと良くなるよ。俺に任せてくれない?」
「あ、えっと、でも」
「料金はいらないよ?こっちがお願いしてやらせてもらうんだし」
俺の不安は消されたものの。それで即座に頷くのもどうかと思う。視線を二人の間で往復させていると、圭人が楽しそうに笑った。
ただいま、と声をかけて家に入る。
結局、剛も交えて三人で食事をしてから帰ってきたのでそこそこ遅い時間だ。
まあ、学生とはいえ成人過ぎた男だから細かく言われることもないのだけれど。
「おかえり」
にこ、とリビングから顔を覗かせて言った弟の表情が俺を見て変わった。
「た、ただいま」
さっきと同じ言葉を繰り返し、その視線を強烈に感じながら、リビングと続いているキッチンに入る。
冷蔵庫を開けてお茶を取り出し一口飲んで、くるりと振り向いた。カウンターの向こう、ソファーの上でにこにこと笑う楓と目が合う。
「なん、だよ……」
「髪切ったんだ?似合うじゃん」
上機嫌にそう言われれば、嬉しくないわけもなく。
もそもそと、楓の隣に移動してその肩に、俺は頭を乗せた。
「どしたよ、楽しかったんだろ?」
「……うん」
ふふ、と。自分の方がよっぽど楽しそうに笑って、楓の髪が俺の頭に触れる。
二人で寄り掛かりあって、俺はぽつぽつと今日の話をした。
「――よかった、樹が楽しそうで」
「うん……服も、髪も、やってもらってよかった。ありがとな」
「智にぃにも言ってやんなよ。喜ぶよ」
「明日言う。どうせ遊びにくるだろ」
頭を寄せて、互いに囁き合うように。
狭い俺の世界。安心できる人たちだけの世界が、俺の全てだった。
「樹は、さぁ。圭人のこと、好き?」
「……嫌いじゃ、ないけど」
「素直になんなよ。俺や智にぃがいくら言っても、髪型なんてなんでもいいなんて言ってたくせに」
楓の言う通りで。う、と答えに詰まる。
俺のその狭い世界を、まるでこじ開けるみたいに、圭人は俺を連れていってしまうから。
それは不快ではなくて、だけどそう思う自分が、少し怖い。
だから、俺は。楓の言葉に、わかんない、と首を横に振ることしかできなかった。
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