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ある日の午後。大学の講義の空き時間に、楽器室を勝手に間借りして。
昼飯を終えたあと恒例の、俺の少しの楽しみは、突然の来訪者によって遮られた。
がら、と無遠慮に開けられた扉。びくりと跳ねてそちらを向いた俺を、呆けた顔が見ている。
開けたままの窓から外の風が入ってきて、俺の髪を揺らした。
「――今、ピアノ弾いてたのって」
「お、俺、だけど……うるさかった?」
その顔に見覚えはないけれど、迷惑をかけたのなら申し訳ないと思い問いかける。
いや、と彼は首を横に振った。
「俺の方こそ、邪魔して悪い。その、良ければ……ここで聞いてても、いいか」
遠慮がちではあるけれど、多大なる期待の詰まった声音に嬉しくなる。
だって、俺のピアノを聞きたいと思ってくれたということだから。
「いいよ」
「サンキュ」
小さく笑った彼は、手近な椅子を引き寄せ座った。
んん、と軽く咳払いをしてから楽譜用のタブレットを操作し、好きな曲を選ぶ。緊張をほぐそうと息を吸い込む俺の挙動を見つめる両目は、少し垂れたそれを長いまつ毛が縁取っていた。
どうせなら、自信のある曲を聴いて欲しい。そう思いながら選んだ一曲を演奏しきる。
最後の音を弾いた俺の顔はたぶん上気していて、軽く息を吐きながら視線を彼に向けた。
柔らかな笑みと手付きで送られる拍手に嬉しくなって、ぺこりと頭を下げる。
「いつもここで弾いてんの?」
「いつもっていうか……たまに。なんで?」
「また聞きたいと思って」
その言葉ひとつで、俺の全身を浮遊感みたいなものが包んだ。ピアノを褒められるのは、本当に久しぶりだったから。
俺の顔を見て、なぜだか彼の方も嬉しそうに笑う。
「連絡先教えて。んで、弾く時メールくれよ。講義がなかったり暇してたら絶対聞きに来るから」
「え、えっと」
申し出は嬉しかったが、何しろ初対面だ。戸惑う俺に、その理由が思い当ったのか、彼は苦笑をして椅子に座り直した。
「俺、蜂須賀。蜂須賀 圭人ってんだ。こないだここの大学に編入してきたばっか」
「編入?」
「親父の仕事の都合で、日本にいなかったから。そしたらいきなり帰国するとか言われて、慌てて編入試験受けて手続きして……ちゃんと通い始めたのは、ほんと三日前とかそんぐらい」
蜂須賀、と名乗った彼は工学部なのだと付け足す。
「お前は?」
「ぶ、文学部、だけど」
「音楽関係じゃないんだ?」
「あーいうのは、クラシックとかオペラとか……そういう本格的な人たちだから。俺はただ、単純に弾くのが好きなだけで」
「勿体ない気するわ」
「……ありがと」
ちょっとこそばゆくなって、はにかんで返事をした。
「なんて呼べばいい?」
「え、っと、俺、高岩 樹。樹でいいよ」
「わかった、俺も圭人でいい。で、樹?」
「なに、圭人」
少し面白くなった俺を見透かしたように笑う。
屈託のないその表情は、俺よりも年下に見えて。でも違うんだろうな、なんて勝手な頭の中は想像した。
「連絡先、交換してくれんの?」
「んと……いいよ」
編入したてじゃ、他に知り合いもいないだろうしと頷く。やった、と喜ぶ姿はやっぱり子供みたいだ。
「……よし。弾くとき教えてくれよな」
「うん」
どうやら圭人はずいぶんと俺の弾く曲を気に入ってくれたようで、何度かその念押しをした後、じゃあまたと教室を出て行った。
それとほぼ入れ違いぐらいのタイミングで、今度はよく知った顔がすたすたと遠慮もなく入ってくる。
知った、というか。俺と同じ顔をした、俺の双子の弟は、不思議そうに首を傾げた。
「今の誰?」
「なんか最近工学部に編入してきたってやつ」
「え?!今のが?!」
すれ違いでもしたんだろうか、と思いながら頷く。
「どしたよ」
「噂の元を見てびっくりしただけ。しかも樹と一緒にいるなんて」
「それもどーいう意味だよ」
かくん、と首を傾げた。双子だから同じ顔をしているはずなのに、そういう仕草は俺よりもよっぽどかわいらしく思える。
「ほんと樹って他人に関心ないよな」
「お前も似たようなもんだろ」
樹よりはマシ、と言い切って、弟は続けた。
「こないだ工学部に編入してきたハーフの男が、御曹司だって噂」
「はぁ?御曹司がなんだってこんな普通の大学にわざわざ編入すんだよ」
「なんでもそこの社長がたたき上げの人間で、人生経験のひとつとして子供の時から普通の生活をしてたとかなんとか」
「眉唾もんだろ。しばらく外国にいたって聞いたぞ」
「まぁね、どこまで本当かは俺にもわかんない。ちょっと確かめてみよっかな」
くすりと笑い、少しだけ舌を出して唇を舐める仕草にため息をつく。
またこの弟の悪い癖が出そうだ。
「馬鹿なことすんなよ。智にぃに言いつけるぞ」
「卑怯じゃね?!」
俺たちが逆らうことなんかできない、年上の幼馴染の名前を出す。びく、と跳ねて文句を言う弟は、なんだかんだかわいい家族なのだった。
冗談かと思っていた出会いは現実で、俺が弾くことを伝えればだいたい七、八割の確率で圭人はすっ飛んでくるようになった。
さすがに毎回というわけにもいかないのは当たり前で。だけど同じ敷地内とはいえ、違う建物で普段過ごしている彼が、俺の弾く曲のためにきてくれるのは正直嬉しい。
「ほら、これでよかったよな」
「うん、ありがと」
一週間ほどで俺の好みの飲み物まで用意してくれるようになった圭人に、礼を言って受け取る。
こくこくと喉に流し込んでいると、視線をむけられているのに気付いた。なに、と首を傾げる。
「いや、もったいないなと思って見てた」
「もったいない?なにが」
「その眼鏡と、服装だよ。なんでそんな格好してんの?」
「……え?」
言われたことの意味が良くわからず、ぽかんと彼を見つめた。
「別におかしくなくね?」
「……似合ってないわけじゃないけど、なんつーか……あとそうだなその髪型ももったいない」
「髪型、なぁ……」
双子の弟と違って、俺はあまりファッションだとかに興味がない。あれやこれやと世話を焼いてくれようとしているのはわかるのだけれど、つい面倒くささが先に立ってしまう。
「もし樹が良ければなんだけど。今度一緒に買い物行かね?」
「か、買い物?」
「お前だって行くだろ買い物ぐらい。俺が普段行くとこに連れてくから、いろいろ試してみてくれよ」
「えー……?」
あまり乗り気でない俺の返事に、椅子に座ったままがくりと肩を落とす。
それを見るとなんだか可哀相になって、違うって、と弁解した。
「お前と行くのが嫌ってわけじゃなくて、さぁ……あんまり金もないし、それに」
「それに?」
眉を下げて、訴えかけるような目で見上げてくるから、家の犬を思い出す。
「そ、その……不釣り合いじゃん、俺」
「何言ってんの?」
「だってお前、その、イケメン、だし。俺から見たってかっこいいと思うのに、俺なんかが隣歩いたらおかしいだろ」
もともと大きい目が見開かれて、数秒。地底のさらに奥まで届くんじゃないかっていうぐらいに、深いため息をついた。
「よくわかったわ。日曜十時駅前集合な」
「だから!」
「んなくだらない理由、なくさせてやるから付いてこいってんの。弟も連れてこいよどうせだから」
「いいの?」
返事の声は、俺のものじゃない。
教室の扉からひょこ、と顔を覗かせた、その弟本人のもので。圭人は彼と俺を交互に見て、顔中に疑問符を浮かべる。
言いたいことは嫌というほどわかったので、静かに頷きを返した。
「え、っと……弟。双子、の」
「はじめまして。楓でいいよ、よろしく」
「かえで?」
「そうそう。俺が楓で、こっちが樹」
弟――楓の言葉に圭人はこれまた不思議そうな顔をするけれど。
お前がそういうならと最終的には笑ってくれるのを知っているから、俺も笑う。
「で、なに?樹とデートすんの?」
「で、デート、って、お前なぁ」
「そうそうデート。だけどなんか妙な引け目あるみたいで」
「あー、そういうとこあるよね。我が兄ながらネガティブっていうかさ」
誘われたのは俺のはずなのだけれど、なんだか置いてきぼりにされた気分だ。
すると、何やら二人は同時に振り返り、俺を見た。
「いい機会じゃん。本当、樹は俺がいくら言っても見た目に気を遣おうとしねぇから」
「だ、ってさぁ」
「俺ら一卵性双生児なんだから、服装と髪型でもっと似るはずなんだよ?」
「……わかって、るよ」
正直、弟の楓は俺から見ても美人の部類に入ると思う。
自分の好きな、似合う服を着て。顔色が悪く見えるのが嫌だと薄く化粧もして。髪もちゃんと整えて、俺と同程度の視力は眼鏡ではなくコンタクト。
外でも自宅でも、自分の見た目に妥協しない。まぁそれは、多分に智にぃという幼馴染の功労でもあるのだけれど。
「せっかく俺がこれ着なよって服貸しても着ないし。圭人が奢ってくれるらしいから買ってもらえよほんと」
「はぁ?」
「当たり前だろ、俺の行くとこに付き合ってもらうんだし」
本当に、なんの迷いもなく、またそれが正解であることを疑いもなく言うもんだから、ため息が漏れた。
「なぁ、俺はお前にそんなことしてもらう理由がねぇんだけど」
「曲聞かせてくれてんじゃん」
「金取るようなもんじゃねぇし。つか、そんな理由にするぐらいならもう聞かれたくない」
きっぱりという俺に、楓はやっぱりと笑い、圭人は理解できないという表情をする。
「俺はただ、お前が俺の弾く曲を気に入ってくれたから、それが嬉しくて聞いてほしかっただけ。そんな見返りみたいなことされんだったら、二度と連絡したくない」
「見返り、って。そんなつもりじゃ」
「だいたい、その金どっから出てんだよ。お前がバイトして稼いだ金か?それならまぁ、百歩譲って受け取ってもいいけど」
少しだけ、圭人の目が泳いだ。それはつまり、俺の言ったことに対する動揺と否定だ。
「御曹司なのは本当なんだな」
「そ、それは……」
「だったらなおのこと受け取れねぇよ。お前の親父さんが稼いだ金で、俺の服を買う理由なんてどこにもねぇだろ」
これだから金持ちは、という思いが多少はこぼれてしまっていたかもしれない。
だけど、本音だった。他人の親のすねをかじった金で買われた服なんて、もらったところで一生着る気もおきない。
「だよ、な……ごめん」
「わかってくれりゃいいよ」
「じゃあ、奢りはなしで。遊びに行かね?」
引き下がってくれると思ったのもつかの間。
ごめん、で頭を下げて、次の瞬間にはぱっと顔を上げて言うもんだから、思わずあっけにとられてしまう。
「普通にカラオケとかボーリング行ってさ、飯食いに行こうぜ」
「カラオケって、お前歌うの?」
「もちろん。お前の歌も聞きたいし、なんか上手そう」
うっかり頬が赤く、熱くなりそうな気がして顔を逸らした。
でも、という思いが胸をよぎる。
「歌なら楓のほうが、俺よりうまいよ」
ああ、まただ。
俺はいつもこうして、予防線みたいなものを張ってしまう。
案の定、圭人は片方の眉だけを上げて、微妙な顔をした。
「だから――」
「俺はお前がいい」
まっすぐ向けられた言葉に、なんと返していいかわからなくなって。
ちら、と楓のほうを見れば、彼は意味ありげに笑うだけだ。
「ま、そういうことなら仕方ないじゃん。責任もっていってきなよ」
「せ、責任って、なんのだよ」
「さぁ?」
くすくすと笑われて、こういうとき兄なのにと情けなくなる。
だけど俺たちは双子だから。兄なんて言っても、ほんの数秒先に生まれたにすぎない俺は、なんとも納得いかないながらも圭人との約束を取り付けられてしまうのだった。
昼飯を終えたあと恒例の、俺の少しの楽しみは、突然の来訪者によって遮られた。
がら、と無遠慮に開けられた扉。びくりと跳ねてそちらを向いた俺を、呆けた顔が見ている。
開けたままの窓から外の風が入ってきて、俺の髪を揺らした。
「――今、ピアノ弾いてたのって」
「お、俺、だけど……うるさかった?」
その顔に見覚えはないけれど、迷惑をかけたのなら申し訳ないと思い問いかける。
いや、と彼は首を横に振った。
「俺の方こそ、邪魔して悪い。その、良ければ……ここで聞いてても、いいか」
遠慮がちではあるけれど、多大なる期待の詰まった声音に嬉しくなる。
だって、俺のピアノを聞きたいと思ってくれたということだから。
「いいよ」
「サンキュ」
小さく笑った彼は、手近な椅子を引き寄せ座った。
んん、と軽く咳払いをしてから楽譜用のタブレットを操作し、好きな曲を選ぶ。緊張をほぐそうと息を吸い込む俺の挙動を見つめる両目は、少し垂れたそれを長いまつ毛が縁取っていた。
どうせなら、自信のある曲を聴いて欲しい。そう思いながら選んだ一曲を演奏しきる。
最後の音を弾いた俺の顔はたぶん上気していて、軽く息を吐きながら視線を彼に向けた。
柔らかな笑みと手付きで送られる拍手に嬉しくなって、ぺこりと頭を下げる。
「いつもここで弾いてんの?」
「いつもっていうか……たまに。なんで?」
「また聞きたいと思って」
その言葉ひとつで、俺の全身を浮遊感みたいなものが包んだ。ピアノを褒められるのは、本当に久しぶりだったから。
俺の顔を見て、なぜだか彼の方も嬉しそうに笑う。
「連絡先教えて。んで、弾く時メールくれよ。講義がなかったり暇してたら絶対聞きに来るから」
「え、えっと」
申し出は嬉しかったが、何しろ初対面だ。戸惑う俺に、その理由が思い当ったのか、彼は苦笑をして椅子に座り直した。
「俺、蜂須賀。蜂須賀 圭人ってんだ。こないだここの大学に編入してきたばっか」
「編入?」
「親父の仕事の都合で、日本にいなかったから。そしたらいきなり帰国するとか言われて、慌てて編入試験受けて手続きして……ちゃんと通い始めたのは、ほんと三日前とかそんぐらい」
蜂須賀、と名乗った彼は工学部なのだと付け足す。
「お前は?」
「ぶ、文学部、だけど」
「音楽関係じゃないんだ?」
「あーいうのは、クラシックとかオペラとか……そういう本格的な人たちだから。俺はただ、単純に弾くのが好きなだけで」
「勿体ない気するわ」
「……ありがと」
ちょっとこそばゆくなって、はにかんで返事をした。
「なんて呼べばいい?」
「え、っと、俺、高岩 樹。樹でいいよ」
「わかった、俺も圭人でいい。で、樹?」
「なに、圭人」
少し面白くなった俺を見透かしたように笑う。
屈託のないその表情は、俺よりも年下に見えて。でも違うんだろうな、なんて勝手な頭の中は想像した。
「連絡先、交換してくれんの?」
「んと……いいよ」
編入したてじゃ、他に知り合いもいないだろうしと頷く。やった、と喜ぶ姿はやっぱり子供みたいだ。
「……よし。弾くとき教えてくれよな」
「うん」
どうやら圭人はずいぶんと俺の弾く曲を気に入ってくれたようで、何度かその念押しをした後、じゃあまたと教室を出て行った。
それとほぼ入れ違いぐらいのタイミングで、今度はよく知った顔がすたすたと遠慮もなく入ってくる。
知った、というか。俺と同じ顔をした、俺の双子の弟は、不思議そうに首を傾げた。
「今の誰?」
「なんか最近工学部に編入してきたってやつ」
「え?!今のが?!」
すれ違いでもしたんだろうか、と思いながら頷く。
「どしたよ」
「噂の元を見てびっくりしただけ。しかも樹と一緒にいるなんて」
「それもどーいう意味だよ」
かくん、と首を傾げた。双子だから同じ顔をしているはずなのに、そういう仕草は俺よりもよっぽどかわいらしく思える。
「ほんと樹って他人に関心ないよな」
「お前も似たようなもんだろ」
樹よりはマシ、と言い切って、弟は続けた。
「こないだ工学部に編入してきたハーフの男が、御曹司だって噂」
「はぁ?御曹司がなんだってこんな普通の大学にわざわざ編入すんだよ」
「なんでもそこの社長がたたき上げの人間で、人生経験のひとつとして子供の時から普通の生活をしてたとかなんとか」
「眉唾もんだろ。しばらく外国にいたって聞いたぞ」
「まぁね、どこまで本当かは俺にもわかんない。ちょっと確かめてみよっかな」
くすりと笑い、少しだけ舌を出して唇を舐める仕草にため息をつく。
またこの弟の悪い癖が出そうだ。
「馬鹿なことすんなよ。智にぃに言いつけるぞ」
「卑怯じゃね?!」
俺たちが逆らうことなんかできない、年上の幼馴染の名前を出す。びく、と跳ねて文句を言う弟は、なんだかんだかわいい家族なのだった。
冗談かと思っていた出会いは現実で、俺が弾くことを伝えればだいたい七、八割の確率で圭人はすっ飛んでくるようになった。
さすがに毎回というわけにもいかないのは当たり前で。だけど同じ敷地内とはいえ、違う建物で普段過ごしている彼が、俺の弾く曲のためにきてくれるのは正直嬉しい。
「ほら、これでよかったよな」
「うん、ありがと」
一週間ほどで俺の好みの飲み物まで用意してくれるようになった圭人に、礼を言って受け取る。
こくこくと喉に流し込んでいると、視線をむけられているのに気付いた。なに、と首を傾げる。
「いや、もったいないなと思って見てた」
「もったいない?なにが」
「その眼鏡と、服装だよ。なんでそんな格好してんの?」
「……え?」
言われたことの意味が良くわからず、ぽかんと彼を見つめた。
「別におかしくなくね?」
「……似合ってないわけじゃないけど、なんつーか……あとそうだなその髪型ももったいない」
「髪型、なぁ……」
双子の弟と違って、俺はあまりファッションだとかに興味がない。あれやこれやと世話を焼いてくれようとしているのはわかるのだけれど、つい面倒くささが先に立ってしまう。
「もし樹が良ければなんだけど。今度一緒に買い物行かね?」
「か、買い物?」
「お前だって行くだろ買い物ぐらい。俺が普段行くとこに連れてくから、いろいろ試してみてくれよ」
「えー……?」
あまり乗り気でない俺の返事に、椅子に座ったままがくりと肩を落とす。
それを見るとなんだか可哀相になって、違うって、と弁解した。
「お前と行くのが嫌ってわけじゃなくて、さぁ……あんまり金もないし、それに」
「それに?」
眉を下げて、訴えかけるような目で見上げてくるから、家の犬を思い出す。
「そ、その……不釣り合いじゃん、俺」
「何言ってんの?」
「だってお前、その、イケメン、だし。俺から見たってかっこいいと思うのに、俺なんかが隣歩いたらおかしいだろ」
もともと大きい目が見開かれて、数秒。地底のさらに奥まで届くんじゃないかっていうぐらいに、深いため息をついた。
「よくわかったわ。日曜十時駅前集合な」
「だから!」
「んなくだらない理由、なくさせてやるから付いてこいってんの。弟も連れてこいよどうせだから」
「いいの?」
返事の声は、俺のものじゃない。
教室の扉からひょこ、と顔を覗かせた、その弟本人のもので。圭人は彼と俺を交互に見て、顔中に疑問符を浮かべる。
言いたいことは嫌というほどわかったので、静かに頷きを返した。
「え、っと……弟。双子、の」
「はじめまして。楓でいいよ、よろしく」
「かえで?」
「そうそう。俺が楓で、こっちが樹」
弟――楓の言葉に圭人はこれまた不思議そうな顔をするけれど。
お前がそういうならと最終的には笑ってくれるのを知っているから、俺も笑う。
「で、なに?樹とデートすんの?」
「で、デート、って、お前なぁ」
「そうそうデート。だけどなんか妙な引け目あるみたいで」
「あー、そういうとこあるよね。我が兄ながらネガティブっていうかさ」
誘われたのは俺のはずなのだけれど、なんだか置いてきぼりにされた気分だ。
すると、何やら二人は同時に振り返り、俺を見た。
「いい機会じゃん。本当、樹は俺がいくら言っても見た目に気を遣おうとしねぇから」
「だ、ってさぁ」
「俺ら一卵性双生児なんだから、服装と髪型でもっと似るはずなんだよ?」
「……わかって、るよ」
正直、弟の楓は俺から見ても美人の部類に入ると思う。
自分の好きな、似合う服を着て。顔色が悪く見えるのが嫌だと薄く化粧もして。髪もちゃんと整えて、俺と同程度の視力は眼鏡ではなくコンタクト。
外でも自宅でも、自分の見た目に妥協しない。まぁそれは、多分に智にぃという幼馴染の功労でもあるのだけれど。
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「はぁ?」
「当たり前だろ、俺の行くとこに付き合ってもらうんだし」
本当に、なんの迷いもなく、またそれが正解であることを疑いもなく言うもんだから、ため息が漏れた。
「なぁ、俺はお前にそんなことしてもらう理由がねぇんだけど」
「曲聞かせてくれてんじゃん」
「金取るようなもんじゃねぇし。つか、そんな理由にするぐらいならもう聞かれたくない」
きっぱりという俺に、楓はやっぱりと笑い、圭人は理解できないという表情をする。
「俺はただ、お前が俺の弾く曲を気に入ってくれたから、それが嬉しくて聞いてほしかっただけ。そんな見返りみたいなことされんだったら、二度と連絡したくない」
「見返り、って。そんなつもりじゃ」
「だいたい、その金どっから出てんだよ。お前がバイトして稼いだ金か?それならまぁ、百歩譲って受け取ってもいいけど」
少しだけ、圭人の目が泳いだ。それはつまり、俺の言ったことに対する動揺と否定だ。
「御曹司なのは本当なんだな」
「そ、それは……」
「だったらなおのこと受け取れねぇよ。お前の親父さんが稼いだ金で、俺の服を買う理由なんてどこにもねぇだろ」
これだから金持ちは、という思いが多少はこぼれてしまっていたかもしれない。
だけど、本音だった。他人の親のすねをかじった金で買われた服なんて、もらったところで一生着る気もおきない。
「だよ、な……ごめん」
「わかってくれりゃいいよ」
「じゃあ、奢りはなしで。遊びに行かね?」
引き下がってくれると思ったのもつかの間。
ごめん、で頭を下げて、次の瞬間にはぱっと顔を上げて言うもんだから、思わずあっけにとられてしまう。
「普通にカラオケとかボーリング行ってさ、飯食いに行こうぜ」
「カラオケって、お前歌うの?」
「もちろん。お前の歌も聞きたいし、なんか上手そう」
うっかり頬が赤く、熱くなりそうな気がして顔を逸らした。
でも、という思いが胸をよぎる。
「歌なら楓のほうが、俺よりうまいよ」
ああ、まただ。
俺はいつもこうして、予防線みたいなものを張ってしまう。
案の定、圭人は片方の眉だけを上げて、微妙な顔をした。
「だから――」
「俺はお前がいい」
まっすぐ向けられた言葉に、なんと返していいかわからなくなって。
ちら、と楓のほうを見れば、彼は意味ありげに笑うだけだ。
「ま、そういうことなら仕方ないじゃん。責任もっていってきなよ」
「せ、責任って、なんのだよ」
「さぁ?」
くすくすと笑われて、こういうとき兄なのにと情けなくなる。
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