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加速する絶望 編
彼が望む〝幸せ〟
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母娘に連絡先を教えて別れたあと、俺は呆然と立ち尽くしていた。
記憶の中の母はいつも優しく、事あるごとに俺と妹に『幸せになるのよ』と言っていた。
世間的に見れば、自分たち母子は非難される側だと分かっているからこそ、口癖のように言い聞かせていたのだろう。
『……幸せになりたかったよ、母さん』
俺は墓石を見つめて呟く。
『……でも、もうどうやったら、幸せになれるか分からないんだ。人を愛するってどういう事か分からない。愛そうとしても誰も俺のもとに残ってくれない。それに、こんな俺を愛してくれる人もいないだろう』
俺は穏やな表情で言い、乾いた笑みを浮かべる。
『生きるってしんどいな。どれだけ頑張っても誰も褒めてくれない。努力して一生懸命積み上げたものも、あいつの気まぐれでたやすく崩される』
俺は静かに涙を流し、笑った。
『人の命がこんなに軽いなんて思わなかった。俺だってきっと、価値のない人間だ』
心の中はがらんどうだ。
満たされた事なんてないし、こんな自分が幸せになれると思っていない。
欠落した俺は、復讐に身を燃やしたあと、地獄に落ちるのがお似合いだ。
『…………あかり……。…………朱里…………っ』
命を助けた彼女の名前を呼ぶ。
あの子だけが、唯一俺がなし得た〝いい事〟の証だ。
ろくでもない、生きている価値のない俺が、他人の人生を変えるほどの〝いい事〟をした。
あかり――、朱里の命を救う事ができた。
あの子に頼られ、求められた時は、この上ない多幸感が俺を包んだ。
――縋りたい。
朱里のもとへ行って、『俺を愛してくれ、求めてくれ』と言いたい。
彼女に愛されたなら、きっと俺の心にポッカリと空いている穴が、すべて満たされるのでは……、と期待してしまう。
強く求めるあまり、心の中で平常心を失った自分が願望を垂れ流した。
――あの子なら、俺を受け入れてくれるんじゃないだろうか?
――命の恩人という言葉をチラつかせれば、きっと……。
そこまで考え、俺はゆっくり息を吐いて気持ちを鎮めていく。
『…………駄目だ。見守るだけと決めた。せっかく父親の死を乗り越えて、社会人になるまで成長したんだから、俺が依存して押し潰す訳にいかない。…………我慢しろ。大人なんだから』
俺は自分に言い聞かせたあと、墓の前にしゃがんで手を合わせた。
『……また、改めて花を持ってくるな。これはちょっと、供えられないから』
苦笑して言ったあと、俺はボロボロになった仏花を持って歩き始めた。
そのあと、六本木の交差点近くにあるコンビニまで行き、ビールの缶を買ってはカパカパ空けていった。
買っては外で呑んで、また買って……と繰り返していたから、レジの人も呆れていただろう。
だが酒を飲んで逃げなければ、怒りや憎しみ、朱里に依存する気持ちに支配されてしまう。
すぐ近くにはタクシー乗り場もあるし、なんとかなる。
――そう思っていたが、寒くなって地下に潜り、ダウンしてしまったようだった。
**
朱里から苦手な上司と思われていたのは分かっていたが、その頃からさらに避けられているように感じた。
そのうち『不機嫌そうだな』と思って中村さんに聞けば、とうとう田村にフラれたらしい。
内心喜んでしまったのは置いておき、とりあえず上司として話を聞くポーズを見せておいた。
『どうした? 上村。最近様子がおかしいと、部署のやつが言っていたけど』
情緒不安定になってミスが多くなっているのは部下から聞いていたから、これは嘘ではない。
社食で話しかけると、朱里は大きな目でジロリと俺を睨む。
朱里にとって俺は〝苦手な上司〟だろうが、その時の彼女は愚痴を聞いてもらえるなら誰でも良かったんだろう。
『聞いてくださいよ。彼氏に〝もう女として見られない〟って言われたんです。……そりゃあ、ちょっとご無沙汰ですけど、彼氏としては大切にしていたつもりなのに……』
朱里は彼氏にフラれた事はぼかして、愚痴を言う。
悪いな、全部知ってるんだ。
お前の彼氏は合コンで相良加代に会って、別れる決意をしたみたいだぞ。
田村は自分に弱さを見せない朱里より、〝女〟として分かりやすい弱さがあり、『守ってやりたい』と思わせる相良加代を選んだんだ。
すべて分かっていて、俺は心の中で囁く。
――そんな男、忘れちまえよ。
――お前を大切にできない、お前の傷に寄り添えない男なんてやめちまえ。
――女として見られない? こんなに魅力的なのに?
――それなのに他の女を選ぶっていうなら、…………俺がもらってもいいよな?
中村さんから『田村くん、最近朱里の扱いが適当なんですよね』と聞いていた俺は、長い間イラついていた。
俺の大切な朱里に魅力がない? ふざけんなよ?
何よりも大切にして、遠くから見守り続けた俺の〝特別〟を、お前はそうやってぞんざいに扱うんだな? 田村。
お前が朱里を幸せにできるなら……と思って手を出さずにいたが、そう出るならこちらにも考えがある。
だから、わざと朱里が望まない答えを口にした。
『そりゃ、お前にも原因があるんじゃないか? 二十代の男っていったら、やりたい盛りだろ』
言った瞬間、朱里はムッとして俺を睨んだ。
分かってるよ。『お前は悪くない』って慰めてほしかったんだろ? でも駄目だ。
もともと苦手なら、俺をもっと嫌いになってもいい。とにかく田村への期待は捨てろ。
『部長もシングルらしいですけど、お相手ができたらいいですね』
朱里に憎まれ口を叩かれた俺は、『そうだな』と笑って社食をあとにした。
記憶の中の母はいつも優しく、事あるごとに俺と妹に『幸せになるのよ』と言っていた。
世間的に見れば、自分たち母子は非難される側だと分かっているからこそ、口癖のように言い聞かせていたのだろう。
『……幸せになりたかったよ、母さん』
俺は墓石を見つめて呟く。
『……でも、もうどうやったら、幸せになれるか分からないんだ。人を愛するってどういう事か分からない。愛そうとしても誰も俺のもとに残ってくれない。それに、こんな俺を愛してくれる人もいないだろう』
俺は穏やな表情で言い、乾いた笑みを浮かべる。
『生きるってしんどいな。どれだけ頑張っても誰も褒めてくれない。努力して一生懸命積み上げたものも、あいつの気まぐれでたやすく崩される』
俺は静かに涙を流し、笑った。
『人の命がこんなに軽いなんて思わなかった。俺だってきっと、価値のない人間だ』
心の中はがらんどうだ。
満たされた事なんてないし、こんな自分が幸せになれると思っていない。
欠落した俺は、復讐に身を燃やしたあと、地獄に落ちるのがお似合いだ。
『…………あかり……。…………朱里…………っ』
命を助けた彼女の名前を呼ぶ。
あの子だけが、唯一俺がなし得た〝いい事〟の証だ。
ろくでもない、生きている価値のない俺が、他人の人生を変えるほどの〝いい事〟をした。
あかり――、朱里の命を救う事ができた。
あの子に頼られ、求められた時は、この上ない多幸感が俺を包んだ。
――縋りたい。
朱里のもとへ行って、『俺を愛してくれ、求めてくれ』と言いたい。
彼女に愛されたなら、きっと俺の心にポッカリと空いている穴が、すべて満たされるのでは……、と期待してしまう。
強く求めるあまり、心の中で平常心を失った自分が願望を垂れ流した。
――あの子なら、俺を受け入れてくれるんじゃないだろうか?
――命の恩人という言葉をチラつかせれば、きっと……。
そこまで考え、俺はゆっくり息を吐いて気持ちを鎮めていく。
『…………駄目だ。見守るだけと決めた。せっかく父親の死を乗り越えて、社会人になるまで成長したんだから、俺が依存して押し潰す訳にいかない。…………我慢しろ。大人なんだから』
俺は自分に言い聞かせたあと、墓の前にしゃがんで手を合わせた。
『……また、改めて花を持ってくるな。これはちょっと、供えられないから』
苦笑して言ったあと、俺はボロボロになった仏花を持って歩き始めた。
そのあと、六本木の交差点近くにあるコンビニまで行き、ビールの缶を買ってはカパカパ空けていった。
買っては外で呑んで、また買って……と繰り返していたから、レジの人も呆れていただろう。
だが酒を飲んで逃げなければ、怒りや憎しみ、朱里に依存する気持ちに支配されてしまう。
すぐ近くにはタクシー乗り場もあるし、なんとかなる。
――そう思っていたが、寒くなって地下に潜り、ダウンしてしまったようだった。
**
朱里から苦手な上司と思われていたのは分かっていたが、その頃からさらに避けられているように感じた。
そのうち『不機嫌そうだな』と思って中村さんに聞けば、とうとう田村にフラれたらしい。
内心喜んでしまったのは置いておき、とりあえず上司として話を聞くポーズを見せておいた。
『どうした? 上村。最近様子がおかしいと、部署のやつが言っていたけど』
情緒不安定になってミスが多くなっているのは部下から聞いていたから、これは嘘ではない。
社食で話しかけると、朱里は大きな目でジロリと俺を睨む。
朱里にとって俺は〝苦手な上司〟だろうが、その時の彼女は愚痴を聞いてもらえるなら誰でも良かったんだろう。
『聞いてくださいよ。彼氏に〝もう女として見られない〟って言われたんです。……そりゃあ、ちょっとご無沙汰ですけど、彼氏としては大切にしていたつもりなのに……』
朱里は彼氏にフラれた事はぼかして、愚痴を言う。
悪いな、全部知ってるんだ。
お前の彼氏は合コンで相良加代に会って、別れる決意をしたみたいだぞ。
田村は自分に弱さを見せない朱里より、〝女〟として分かりやすい弱さがあり、『守ってやりたい』と思わせる相良加代を選んだんだ。
すべて分かっていて、俺は心の中で囁く。
――そんな男、忘れちまえよ。
――お前を大切にできない、お前の傷に寄り添えない男なんてやめちまえ。
――女として見られない? こんなに魅力的なのに?
――それなのに他の女を選ぶっていうなら、…………俺がもらってもいいよな?
中村さんから『田村くん、最近朱里の扱いが適当なんですよね』と聞いていた俺は、長い間イラついていた。
俺の大切な朱里に魅力がない? ふざけんなよ?
何よりも大切にして、遠くから見守り続けた俺の〝特別〟を、お前はそうやってぞんざいに扱うんだな? 田村。
お前が朱里を幸せにできるなら……と思って手を出さずにいたが、そう出るならこちらにも考えがある。
だから、わざと朱里が望まない答えを口にした。
『そりゃ、お前にも原因があるんじゃないか? 二十代の男っていったら、やりたい盛りだろ』
言った瞬間、朱里はムッとして俺を睨んだ。
分かってるよ。『お前は悪くない』って慰めてほしかったんだろ? でも駄目だ。
もともと苦手なら、俺をもっと嫌いになってもいい。とにかく田村への期待は捨てろ。
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朱里に憎まれ口を叩かれた俺は、『そうだな』と笑って社食をあとにした。
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