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馴れ初め編/最終章 その瞳に映るモノ、その唇で紡ぐモノ
72.結びつく互いの想い
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騒音に紛れかねない程小さい息をのむ音が、耳元で聞こえ、なんともこそばゆくなる。
しかし、千優が動きを止める様子はない。
そのまま彼女は、ふわりと香る心落ち着く香水の匂いを感じながら、両腕を國枝の首元へ回し抱きついた。
「…………」
これまで、國枝を前にすると度々感じていた火照り。それら以上の熱さが、今顔中に広がっているのがわかる。
きっと今、自分の顔は傍から見れば驚愕する程赤く染まっているに違いない。
そんな醜態を見られてはたまらないと、彼女は慌てて顔を伏せる。すると、より強い安堵の香りが鼻腔から体内へ流れ込んだ。
互いの顔を見ることなく、その存在を感じるのは触れ合う肌のぬくもりと、やけに速い二つの心音だけ。
自分はなんて大胆なことをしたのかと、頭の中で妙に冷静な分身が呆れだす。
勢いとは、時に恐怖と相反するものかと、悟りだす分身まで現れ始める。
抱きついた瞬間、真っ白に染まった千優の脳内は、次第に現状を認識し始め、また別の分身が、アタフタと騒ぎ始める。
咄嗟のこととは言え、普段の自分からは考えられない行動をとってしまった。
若干の後悔を感じつつ、これしか方法が無かったのだと、必死に自己暗示をかける。
今でも色濃い困惑が、グワングワンと脳を揺らしている。
すると、しばしぼんやりしていた意識は、心地良い香りによって引き戻されていった。
戸惑いと羞恥の波に飲み込まれそうになると、不意に鼻先をかすめる匂いに助けられ、また顔が熱くなる。そのくり返しだ。
「や、柳ちゃん何やってるの! 離れなさい!」
一人、思考の迷宮で混乱し、全身を包むように香る國枝の匂いにホッとするのも束の間、耳元から聞こえるのは、ひどく焦った響きの声だった。
命令にも似た音と共に、咄嗟に添えられたと思わしき腰を支える大きな両手が、二人を引き離そうと必死な様子で動き出す。
「アタシが変なこと言っちゃたから、慰めようとしてくれてるんでしょ? ほら、もういいから。アタシはもう大丈夫……」
國枝の口から紡がれる声は、困惑そのものだ。
しかし、千優は彼の願いを聞き入れることなく、己より太い首元へ回した腕に少々力を込めた。
彼の言葉に従い、もしこの手を離してしまったら、もう二度と同じことは出来まいと、こちらも必死だ。
(こ、こんなはずじゃ……なかった、けど……)
ずっと頭の片隅に追いやっていた、國枝から自分へ向けられた想い。
ようやく、きちんと向き合い、自分なりの返事をしようと、千優は意気込んでいた。
しかし、現実は思い描いていたものと、早々にかけ離れていく。
乏しい知識をかき集め、おぼろげに思い描いていた告白のシーンとは大分違う気がしてならない。
だが、ここまで来てしまったからには、もう後には引けないのだ。
「……柳ちゃん、離して?」
ギャーギャー騒がしかった國枝の声は、時間が経つにつれ、徐々に穏やかなものへ変わっていく。
困惑に支配されていた脳内は、冷静さを取り戻しつつあるのだろうか。
しかし、その口から零れる言葉は相変わらず同じ。
國枝の頑なな言葉を前にしては、こちらも頑なな態度をとるしかないのだ。
(身体、あっつ……)
ドクドクと鳴り止まぬ心臓が送り出す血液は沸騰し、全身を熱くする。
まるで熱湯風呂にでも入っているような錯覚に、一度は静まった思考のぐらつきがぶり返す。
どうやってこの想いを伝えようかと、さんざん悩み考えた言葉の数々は、待った無しに脳内にこもる熱でジワジワと溶け始めた。
「柳ちゃん」
少し掠れ気味の声が耳元で名を呼ぶ。そんな些細なこと一つで歓喜する己の単純さに笑いそうになった。
目の前にいる男のことが好き。そう自覚したのはつい最近だが、どうやら随分と彼にハマっているらしい。
「……き」
「え?」
「……好き、です……國枝さん」
熱に浮かされ、ぼんやりする思考の制御がきかず、千優は心の中から溢れる想いを、いつの間にか言葉として、声として発していた。
(あぁ……もうちょっと、何か……良い感じの言葉とか、あったでしょうに……)
己の声を脳が認識した瞬間、今まで散々右往左往し騒ぎ立てていた分身達が一斉にため息を吐く。
自分でも、これは流石にダメだろうと、心の中で弱気が顔を出した。
しかし、一度口にした言葉を取り消すことなど出来ず、「今のは無しで!」なんて口にする勇気も気力も、今の彼女には無い。
その後、数秒と経たず耳元で聞こえたのは、息をのむ音だった。
やけに大きなそれは、國枝が心底驚いている様子を、千優に易々と想像させる。
どんな顔をしているのかと、少しだけ疼く好奇心。チラリとあげた眼差しの先では、ひどく驚いた様子を見せる彼の顔が見えた。
「ほん、き?」
激しく動揺しているせいか、國枝の瞳は忙しなく微動を続ける。そこに映り込むのは、真っ赤な顔をした女の顔。
それを己と認識するのが恥ずかしくて、千優は再び目を伏せる。
「……ん」
そして彼女は言葉ですらない声を発し、小さく頷き彼に問いかけられた言葉を肯定する。
柳千優人生初の告白は、理想から大きくかけ離れた、弱々しく情けないものとなった。
しばらくすると、背中に力強い腕が恐る恐る回され、ギュッと上半身を抱き寄せられた。
その瞬間、己が彼に受け入れられたことを実感した千優は、安堵の息を漏らし、今まで感じたことの無い幸福感に包まれる。
「夢じゃ、ないのよね……」
涙声にも似た音を耳にしながら、二人の身体は國枝によって離されていく。
そのまま改めて互いを見つめ合えば、まだ彼の瞳に残る不安げな色に気づいた。
せっかくふり絞った勇気を認めて欲しい気持ちと、散々セクハラを受けた仕返しをしたいという気持ちが、目の前にある頬へ千優の両手を導く。
「って、やなぎひゃん、いひゃいわよ」
そして次の瞬間、彼女は國枝の両頬を思いきりつねっていた。
車中でこの男の頬をつねるのは、これで何度目か。
今日の自分は、言葉よりも先に行動を起こす思考回路なのかと、新たな一面を認識する。
「痛いなら、夢じゃないと……思います」
「……ふふ、そうね」
パッと手を離した次の瞬間、そこにあった負の感情は消え、照れくさそうな笑みを浮かべる彼が自分を見つめていた。
ついでに自分の頬も軽くつねれば、ピリリとした痛みを感じ、己に対してもこれは現実なのだと意識させる。
しかし意識した途端、しばし鳴りを潜めていた羞恥心が顔を出し、再び千優の頬を熱くしていく。
「國枝さん、散々私に色々しといて、何で今更不安になるんですか」
「それは、ほら……繊細な男心ってやつよ!」
(……? 女心が繊細って言うならわかるけど……男心って何?)
ふにゃりと力の抜けた笑みを浮かべる、どこか照れた様子の彼と、己の手元を交互に見つめながら、感じた疑問を素直にぶつけてみた。
すると、返ってきた答えはなんとも曖昧だった。
性別を越えた話をされても、そうすぐには理解出来ず、口から戸惑いの声が零れる。
同時に思い出すのは、セクハラ魔王が降臨した言葉では言い表しにくい時間の数々。
あの時、何故自分は逃げ出さなかったのだろう。それは恋心を知った千優でも未だ解けぬ謎だ。
毎回逃げろと一本の道筋を示す國枝と、その言葉に頷くことなく彼に飲み込まれる自分。
今考えても謎が満ち溢れ、思い出すだけで恥ずかしいひと時。
「…………」
チラリと運転席に座る彼を盗み見れば、これまで以上に緩んだ笑みを浮かべている。
ゆるっゆるな表情を前に、生物学上女である自分より、余程女性らしい反応をしているのではと、首を傾げたくなった。
「あ、そうだ! 柳ちゃん、今夜って何か予定ある?」
「……? いや、特に何も」
好きになった男が自分よりもはるかに女らしいのは、如何なものだろうか。
しかし、そこを疑問視されたところで、好きになったものはどうにも出来ないのだが。
一人悶々と頭を悩ませる千優の前で、何かを思いついたように、不意にパチンと國枝が両手を合わせる。
そのままこちらを向き、小首を傾げる彼の問いに、千優は同じように首を傾げながら声を発した。
「だったら……アタシの家、来る? いや……来て。ね?」
次いでパチンと瞬きをすれば、目の前にいたのはキャッキャとはしゃいでいた乙女ではなく、雄へ一変した妖艶な男だった。
しかし、千優が動きを止める様子はない。
そのまま彼女は、ふわりと香る心落ち着く香水の匂いを感じながら、両腕を國枝の首元へ回し抱きついた。
「…………」
これまで、國枝を前にすると度々感じていた火照り。それら以上の熱さが、今顔中に広がっているのがわかる。
きっと今、自分の顔は傍から見れば驚愕する程赤く染まっているに違いない。
そんな醜態を見られてはたまらないと、彼女は慌てて顔を伏せる。すると、より強い安堵の香りが鼻腔から体内へ流れ込んだ。
互いの顔を見ることなく、その存在を感じるのは触れ合う肌のぬくもりと、やけに速い二つの心音だけ。
自分はなんて大胆なことをしたのかと、頭の中で妙に冷静な分身が呆れだす。
勢いとは、時に恐怖と相反するものかと、悟りだす分身まで現れ始める。
抱きついた瞬間、真っ白に染まった千優の脳内は、次第に現状を認識し始め、また別の分身が、アタフタと騒ぎ始める。
咄嗟のこととは言え、普段の自分からは考えられない行動をとってしまった。
若干の後悔を感じつつ、これしか方法が無かったのだと、必死に自己暗示をかける。
今でも色濃い困惑が、グワングワンと脳を揺らしている。
すると、しばしぼんやりしていた意識は、心地良い香りによって引き戻されていった。
戸惑いと羞恥の波に飲み込まれそうになると、不意に鼻先をかすめる匂いに助けられ、また顔が熱くなる。そのくり返しだ。
「や、柳ちゃん何やってるの! 離れなさい!」
一人、思考の迷宮で混乱し、全身を包むように香る國枝の匂いにホッとするのも束の間、耳元から聞こえるのは、ひどく焦った響きの声だった。
命令にも似た音と共に、咄嗟に添えられたと思わしき腰を支える大きな両手が、二人を引き離そうと必死な様子で動き出す。
「アタシが変なこと言っちゃたから、慰めようとしてくれてるんでしょ? ほら、もういいから。アタシはもう大丈夫……」
國枝の口から紡がれる声は、困惑そのものだ。
しかし、千優は彼の願いを聞き入れることなく、己より太い首元へ回した腕に少々力を込めた。
彼の言葉に従い、もしこの手を離してしまったら、もう二度と同じことは出来まいと、こちらも必死だ。
(こ、こんなはずじゃ……なかった、けど……)
ずっと頭の片隅に追いやっていた、國枝から自分へ向けられた想い。
ようやく、きちんと向き合い、自分なりの返事をしようと、千優は意気込んでいた。
しかし、現実は思い描いていたものと、早々にかけ離れていく。
乏しい知識をかき集め、おぼろげに思い描いていた告白のシーンとは大分違う気がしてならない。
だが、ここまで来てしまったからには、もう後には引けないのだ。
「……柳ちゃん、離して?」
ギャーギャー騒がしかった國枝の声は、時間が経つにつれ、徐々に穏やかなものへ変わっていく。
困惑に支配されていた脳内は、冷静さを取り戻しつつあるのだろうか。
しかし、その口から零れる言葉は相変わらず同じ。
國枝の頑なな言葉を前にしては、こちらも頑なな態度をとるしかないのだ。
(身体、あっつ……)
ドクドクと鳴り止まぬ心臓が送り出す血液は沸騰し、全身を熱くする。
まるで熱湯風呂にでも入っているような錯覚に、一度は静まった思考のぐらつきがぶり返す。
どうやってこの想いを伝えようかと、さんざん悩み考えた言葉の数々は、待った無しに脳内にこもる熱でジワジワと溶け始めた。
「柳ちゃん」
少し掠れ気味の声が耳元で名を呼ぶ。そんな些細なこと一つで歓喜する己の単純さに笑いそうになった。
目の前にいる男のことが好き。そう自覚したのはつい最近だが、どうやら随分と彼にハマっているらしい。
「……き」
「え?」
「……好き、です……國枝さん」
熱に浮かされ、ぼんやりする思考の制御がきかず、千優は心の中から溢れる想いを、いつの間にか言葉として、声として発していた。
(あぁ……もうちょっと、何か……良い感じの言葉とか、あったでしょうに……)
己の声を脳が認識した瞬間、今まで散々右往左往し騒ぎ立てていた分身達が一斉にため息を吐く。
自分でも、これは流石にダメだろうと、心の中で弱気が顔を出した。
しかし、一度口にした言葉を取り消すことなど出来ず、「今のは無しで!」なんて口にする勇気も気力も、今の彼女には無い。
その後、数秒と経たず耳元で聞こえたのは、息をのむ音だった。
やけに大きなそれは、國枝が心底驚いている様子を、千優に易々と想像させる。
どんな顔をしているのかと、少しだけ疼く好奇心。チラリとあげた眼差しの先では、ひどく驚いた様子を見せる彼の顔が見えた。
「ほん、き?」
激しく動揺しているせいか、國枝の瞳は忙しなく微動を続ける。そこに映り込むのは、真っ赤な顔をした女の顔。
それを己と認識するのが恥ずかしくて、千優は再び目を伏せる。
「……ん」
そして彼女は言葉ですらない声を発し、小さく頷き彼に問いかけられた言葉を肯定する。
柳千優人生初の告白は、理想から大きくかけ離れた、弱々しく情けないものとなった。
しばらくすると、背中に力強い腕が恐る恐る回され、ギュッと上半身を抱き寄せられた。
その瞬間、己が彼に受け入れられたことを実感した千優は、安堵の息を漏らし、今まで感じたことの無い幸福感に包まれる。
「夢じゃ、ないのよね……」
涙声にも似た音を耳にしながら、二人の身体は國枝によって離されていく。
そのまま改めて互いを見つめ合えば、まだ彼の瞳に残る不安げな色に気づいた。
せっかくふり絞った勇気を認めて欲しい気持ちと、散々セクハラを受けた仕返しをしたいという気持ちが、目の前にある頬へ千優の両手を導く。
「って、やなぎひゃん、いひゃいわよ」
そして次の瞬間、彼女は國枝の両頬を思いきりつねっていた。
車中でこの男の頬をつねるのは、これで何度目か。
今日の自分は、言葉よりも先に行動を起こす思考回路なのかと、新たな一面を認識する。
「痛いなら、夢じゃないと……思います」
「……ふふ、そうね」
パッと手を離した次の瞬間、そこにあった負の感情は消え、照れくさそうな笑みを浮かべる彼が自分を見つめていた。
ついでに自分の頬も軽くつねれば、ピリリとした痛みを感じ、己に対してもこれは現実なのだと意識させる。
しかし意識した途端、しばし鳴りを潜めていた羞恥心が顔を出し、再び千優の頬を熱くしていく。
「國枝さん、散々私に色々しといて、何で今更不安になるんですか」
「それは、ほら……繊細な男心ってやつよ!」
(……? 女心が繊細って言うならわかるけど……男心って何?)
ふにゃりと力の抜けた笑みを浮かべる、どこか照れた様子の彼と、己の手元を交互に見つめながら、感じた疑問を素直にぶつけてみた。
すると、返ってきた答えはなんとも曖昧だった。
性別を越えた話をされても、そうすぐには理解出来ず、口から戸惑いの声が零れる。
同時に思い出すのは、セクハラ魔王が降臨した言葉では言い表しにくい時間の数々。
あの時、何故自分は逃げ出さなかったのだろう。それは恋心を知った千優でも未だ解けぬ謎だ。
毎回逃げろと一本の道筋を示す國枝と、その言葉に頷くことなく彼に飲み込まれる自分。
今考えても謎が満ち溢れ、思い出すだけで恥ずかしいひと時。
「…………」
チラリと運転席に座る彼を盗み見れば、これまで以上に緩んだ笑みを浮かべている。
ゆるっゆるな表情を前に、生物学上女である自分より、余程女性らしい反応をしているのではと、首を傾げたくなった。
「あ、そうだ! 柳ちゃん、今夜って何か予定ある?」
「……? いや、特に何も」
好きになった男が自分よりもはるかに女らしいのは、如何なものだろうか。
しかし、そこを疑問視されたところで、好きになったものはどうにも出来ないのだが。
一人悶々と頭を悩ませる千優の前で、何かを思いついたように、不意にパチンと國枝が両手を合わせる。
そのままこちらを向き、小首を傾げる彼の問いに、千優は同じように首を傾げながら声を発した。
「だったら……アタシの家、来る? いや……来て。ね?」
次いでパチンと瞬きをすれば、目の前にいたのはキャッキャとはしゃいでいた乙女ではなく、雄へ一変した妖艶な男だった。
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