上 下
46 / 99
新・小牧長久手戦記

三介の浅慮

しおりを挟む
「恐れながら、とんと分かりませぬ。そのようなことが、何故、殿下と三介様との間を引き裂くことにつながるのでございますか?」
「三人の内、岡田長門と余は大層仲が良かったのじゃ。しばしば茶会に同席することがあってのう。中々、機転の利く者で目をかけておったのじゃ。岡田は岡田で余との誼を通じて、余と三介殿との間を上手く取り持とうと考えておったのじゃ。忠義にも厚い男よ。また、岡田は津川と浅井とも仲が良く、三人で三介殿を支えておったのじゃ。内府はここに目をつけた。三人は、尾張、伊勢の検地にあたって、検地高を増やし、その増えた分を余の管轄とするよう企んでいると唆したのじゃ。」
「何ですと!?徳川様は、内政の不正を“だし”に使ったのでございますか!?しかし、おかしいではありませぬか?徳川様は、どうしてそのような証拠を握ることができたのでございますか?むしろ、そのようなことを知りえた徳川様にこそ、疑うべきではございませぬか?」
「そうじゃ。おかしい話であろう。じゃが、三介殿は内府の話をすんなり受け入れたのじゃ。ここが内府の上手いところよ。内府は、その三人が単に余と内通しているとは言わないのじゃ。三介殿とて、そう言われれば、むしろ内府に疑いの目を向けるであろう。何故、そのようなことを言ってくるのかとな。じゃが、検地に不正ありと言われれば聞き捨てならぬ。三介殿は内政に力をいれておったからのう。まして、尾張は父祖の地じゃ。その地で不正が行われたとあっては、領主としての沽券に関わる。況や、その父祖の地に余の直轄地を設けるなど言語道断じゃ。もちろん、お主の申すとおり、なぜ内府はそのようなことを知りえたのかと疑問に思うじゃろう。実際、内府はそのような事実があったことなど知らなかったのじゃからのう。もちろんじゃ、そんなことは起こっていないのじゃから。じゃが、内府は三介殿の心の動きを巧みに突いたのじゃ。己が自信のあることについてケチがつくのは、誰しも認められるものではない。そこを突けば、多少話が粗かろうが、いや、むしろ少々嘘っぽい方が確からしいと思うであろうとな。」
「ということは、まんまと三介殿は徳川様の口車に乗せられたというわけですな。」
「自分から乗りにいったようなものじゃて。賤ケ岳の後であったが故に、三介殿はいよいよ余が本性を剝き出しにしたと考えたのじゃろう。もとより、焦っておったからのう。三介殿は、三人を居城である長島城に呼び出し、即座に切腹を命じたのじゃ。」
「弁明の余地をお与えになることなく切腹でございますか!?しかしそれでは、織田家の内紛を鎮めるとして、殿下に三介様討伐の口実を与えるようなものではございませぬか!?」
「余はそこまで腹黒くはないぞ。その事件に関しては、余は一切関知しておらぬ。内府の口車に乗せられた三介殿が、浅はかにも切腹を命じたまでじゃ。むしろ、この事態には内心、内府も驚いていたのではないかの。さすがにやりすぎじゃ。事ここまで至っては、織田家の安泰を願う余としては、介入せざるをえぬ。三介殿は、事態の究明という名目で、余を呼びつければよかったのじゃ。賤ケ岳の後とはいえ、織田家は余にとっての主筋であるわけじゃからのう。その織田家から出頭を命じられれば否とは申せぬ。ここで、否と申せば、それこそ謀叛じゃ。そのような事態になれば、余としても長嶋城に向かわねばならぬ。そしてその暁には、織田家の実質的な棟梁は三介殿ということが知れ渡る。こうなれば、織田家における余の影響力も一気には高まらぬ。均衡が保たれるというわけじゃ。内府が望んでいたのはこれよ。余と三介殿が均衡を保って居れば、どちらにも自分を高く売りつけることができるからのう。」
「三介様の勇み足だったというわけでございますな。殿下におかれましては、またしても大儀をもって軍を動かせるというわけですな。」
「皮肉かそれは?織田家中で内紛が起こったのを捨て置くようでは、なんのために賤ケ岳を戦ったのかわからなくなるではないか。偏に織田家の安泰を願ってこそじゃ。その織田家の内紛を鎮めるのは余の責務と言ってよい。やはり、織田家の惣領は名実ともに若君になっていただき、余はそれを輔弼していくという形でなければ織田家は立ち行かぬ。余は、そう腹を決めたのじゃ。もちろん、三介殿を口車に乗せたのは内府じゃ。余が、三介殿を折檻するとあれば、三介殿は内府に救援を求めるであろう。よって、この際、内府にも目に物見せてくれようと覚悟したわけじゃ。」
「この機を逃さず、畿内近隣を一挙に支配下に置いてしまわれようとなされたわけでございますな。」
「もっとも先に動いたのは、三介殿の方じゃ。三介殿は三人を切腹せしめてすぐに、三人の居城に軍勢を送りこんだ。三介殿としては、三人の居城が揃って余のものとなることを何としても阻止したかったのであろう。しかし、何度もいうように、三人が余と内通したという証拠は何もない。これは、織田家の内紛の始まりを意味する。余としてもこの戦には介入せざるをえぬ。そこで、余は松ヶ島城の救援に向かった。松ヶ島城は、津川玄蕃の子、弥太郎とその家臣神田清右衛門、中村仁右衛門が守り、三介殿の猛攻を耐えておったのじゃ。何とか五、六日持ちこたえてくれれば我らの救援も間に合い、城を守り抜くと覚悟を決めた城兵には褒美を取らすと鼓舞したが、武運拙く松ヶ島城は落城した。」
しおりを挟む

処理中です...