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新・小牧長久手戦記

内府の深謀

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「内府も阿呆ではない。先に手を出すなどということはせぬ。何せ、焦っておるのは内府だけではないからのう。」
「ここで三介様がご登場遊ばされるわけでございますな。」
「三介殿とは、賤ケ岳まではまずまずの関係だったのじゃ。それこそ、敵の敵は味方というやつよ。三七殿が早々と権六を手を組んで、復権を企んだ故、三介殿も指をくわえているわけにはいかぬ。畢竟、余と歩調を合わせざるをえなくなる。首尾よく余が権六を討ち果たし、三七殿も降伏した。当初は、三七殿は尾張で蟄居するはずであったが、下手に生かしておくと自身の身が危ないと感じたのじゃろう、三七殿を知多郡の野間に追いやり自決を迫ったのじゃ。」
「三介様におかれましては、一人敵が減ったというわけですな。さりながら、織田家の血筋が少なくなればなるほど逆に殿下のお力を恐れられるのではありますまいか?」
「そのとおりじゃ。三七殿を葬った直後は、大層機嫌が良かったわ。これで織田家を手中に収められるとな。しかし、右府様亡き後の織田家を安泰せしめたのは誰じゃ。別に、余の戦功を誇りたいのではない。周囲の者が、三介殿にいかほどの力があると思うかが問題なのじゃ。三介殿とて、そのような周りの空気はどうしても感じざるをえぬ。忸怩たる思いがあったことじゃろう。だからといって、余を蔑ろにはできぬ。少なくとも惟任討伐から賤ケ岳に至るまで、余に非はないのじゃからのう。それ故、三介殿としては、自らの力量を周囲に示すほかない。」
「恐れながら、力量を周囲に示すと仰せられても。どのような手段がございましょうや。もはや織田家として討伐すべき相手はございますまい。そのような中、三介様はいかにして周囲に力量をお示し遊ばすことができましょう?」
「武士の力量は、何も戦でだけ示すものではない。領国をしっかり統治できることこそ、一国の主として確かなことはない。実はな、三介殿は領内の統治に関してはそれなりの力量を持って居ったのじゃ。天正十一年には早々に、伊勢、尾張の検地を行っているからのう。これは別に余が命令したのではない。少なくとも、伊勢、尾張の領主は自分であるということを内外に宣言するために、しっかりとした検地をおこなったのじゃ。この点に抜かりはない。」
「焦る気持ちを抑えて内政に力を入れるなど、なかなかできることではありますまい。それでは、殿下も手出しできぬではありませぬか?ましてや、徳川様はどのように唆されたのでございますか?」
「聞き捨てならぬことを申すのう。断っておくが、三介殿が余と歩調を合わせておるかぎり、余の方から三介殿を除こうなどと一度も考えたことはないぞ。それに、三七殿のように向こうから歯向かってこない限り、余が何かすることはないからのう。むしろ、焦ったのは内府であろうな。膠着状態が続いて苦しくなるのは、内府じゃからのう。影響力という点においては、余と三介殿では比較にならぬが、建前上、三介殿は若君の後ろ盾じゃ。余と三介殿が反目しない限り、織田家は我らが差配することとなり、そこに内府が入り込む余地はない。とはいえ、いきなり余の風下に立つようでは、内府の家臣が黙っていまい。じゃからこそ、内府は何かしら手を打つ必要に迫られたというわけじゃ。」
「さりながら、徳川様にどのような手立てが残されておりましょうや?よもや、殿下が三介様を討伐なさろうとしているとは言えますまい。いかにして、三介様と殿下の間を引き裂いたのでございますか?」
「内府は恐ろしい男よ。又左とは違った意味で敵にしとうない男よ。内府も辛酸を舐めておるからの。手が細かい。先に、三介殿は尾張と伊勢で検地を行ったと申したであろう。そこに、不正があったと吹き込んだのじゃ。」
「検地に不正ですと!?誠に畏れながら、殿下の言わんとしていることがとんと呑み込めませぬ。」
「それは、無理もない。余とてそのような唆し方があるとは思いもよらなんだ。検地を担ったのは、伊勢松ヶ島城主の津川玄蕃、尾張星崎城主の岡田長門、そして尾張苅安賀城主の浅井田宮丸の三名じゃ。奴らが足並みを揃えて不正な検地を行っていると内府は三介殿に吹き込んだのじゃ。」
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