夢のまた夢～豊臣秀吉回顧録～

新・賤ヶ岳合戦記

権六と又左

「権六も下手に三七殿など立てなければよかったのじゃ。北陸方面軍の大将として全権を任されていた己が、余と同格であることに我慢できなかったのはわかる。権六にとって、余はいつまでも“猿”に過ぎないからの。その“猿”があろうことか、惟任を討ち果たしてしまった。これで、織田家中における発言権が余に移ったことは、さすがに認めないわけにはいかぬ。じゃが、織田家筆頭家老の自負がある権六は、余の風下に立つことは到底できぬ。同じような鬱憤が溜まっている三七殿と利害が一致したというわけじゃ。ここが、五郎左と違うところよ。五郎左とて惟任討伐のみぎり、三七殿と行動を共にしておったわけじゃ。しかし、清州会議以後は、三七殿とは距離を置くようになった。そして、余と行動を共にすることにしたのじゃ。五郎左も本心は、権六と同じやもしれぬ。奴の凄味は、本心はどうあれ、己のやるべきことを決し見失わないことじゃ。五郎左は何より、織田家の安定的な存続を第一に考えた。織田家がここまで躍進したのは偏に右府様のご尽力じゃ。その右府様のいない織田家に力はない。そう考えた他の大名どもが一斉に牙をむいてこないとも限らぬ。そのような事態だけは絶対に避けるべく、五郎左は余との協同を決めたのじゃ。」
「丹羽様はあくまで織田家の存続を念頭に置かれた故、殿下に従ったというわけですな。つまり、殿下を織田家の実質的な後継者とみなされたわけですな。」
「勘違いするでないぞ。余は、織田家を“簒奪”したわけではないぞ。余にその気持ちがないことが分かった故、過去の経緯は横において、余と運命を共にしたわけじゃ。そして、そう思う者がもう一人おるのじゃ。」
「前田様でございますな？」
「又左もな、思いは五郎左と同じよ。何より、織田家の安泰であった。とはいえ、やつは権六の与力じゃ。権六と余が対立したからといって、権六を裏切るわけにはいくまい。権六が又左を蔑ろにしていたならまだしも、権六は又左に一目も二目も置いていたからの。権六の見る目は確かじゃ。それに又左も律義者故、権六のそういった態度に常に敬意を表しておったからの。その権六と余が対立したのじゃ。心中は察するに余りある。この戦が始まる前に、余と権六が協定を締結にするにあたり、又左も使者の一人として余の下に来たのは覚えておろう。権六が又左と余の間柄を知っていたということもあるが、又左自身、何とか権六と余の対立を避けたかったのじゃろう。じゃからこそ、余が権六の申し出を呑んだときは満面の笑顔で帰っていったわけじゃ。そこまでして奴は織田家を守りたかったのじゃ。そして、図らずも余と権六は戦場で相まみえることとなった。そこで奴は覚悟を決めた。」
「殿下に寝返るということですな？」
「そうではない。世間では、余が又左を口説き落としたと思っているのであろう。旧知の間柄であったのは事実じゃからの。じゃが、又左をそのように見ては、奴の恐ろしさは見抜けぬ。奴は、優勢の方につくと腹をくくっておったのじゃ。」
「何と！？ということは、もし柴田様が優勢であれば、そのまま柴田様に与していたということですか！？」
「当人に直接聞いたわけではない。じゃが、間違いなくそう決めていたはずじゃ。」
「もしや、前田様は柴田様と殿下の戦いを一刻も早く終結させ、新たな体制で織田家を守り抜くことを第一に考えておられた故、勝ち馬に乗ろうという魂胆だったわけですか！？」
「恐ろしいやつよ。じゃが、これほど信頼できる者もそうはおらぬ。又左が最も恐れていたことは、権六と余の戦いが長引くことで、織田家の勢力が落ちてしまうことよ。それを避けるためには、権六と余、どちらかが優勢になった時点で、はっきりと旗幟を鮮明にすることじゃ。そうすれば、片方は負けを認めざるを得なくなる。又左は、この戦の始め、堂木の要害を押さえる大将であった。ところが、玄蕃の敗色が濃厚になると、居城である府中に帰陣してしまった。ある意味、権六の敗北はここで決したといっても過言ではない。」
「もし、前田様が佐久間様の救援に駆け付けていたら、勝敗はすぐには決まらなかったと？」
「結果として我が方が勝ったかもしれぬが、相応の犠牲を伴うものであったろう。じゃが、奴の目論見は、織田家全体の勢力を落とすことなく、一刻も早くこの戦を終わらせることにある。じゃからこそ、早々に府中に帰陣したのじゃ。味方からは、兵力を温存させ、来るべき余との決戦に備えると見えるようにな。」
「つまり、撤退にかこつけて、中立を装い、いよいよという時に態度を明らかにされるということでございますな。」
「そうじゃ。実は、それを見抜いていたのが権六よ」
「柴田様は既に、前田様が殿下に降ることを見抜いておられたというわけですか！？」
「庄介が決死の覚悟で殿を務めたことで、権六は辛くも賤ケ岳表から離脱することができた。権六は北の庄へ向かう途中、府中に立ち寄ったのじゃ。」
「まさか、柴田様が自ら殿下への投降を進めるためでございますか！？」
「そう、そのまさかじゃよ。権六、曰く“これまでの忠勤、まことに忝い。じゃが、武運拙く、此度は負け戦となり、その方どもの奉公に報いることも叶わなくなってしもうた。その方は、筑前とは入魂である。かくなる上は、筑前と運命を共にすべし”とな。」
「柴田様にそこまで言われてしまっては、承りました、とは仰せ遊ばせまい。」
「律儀の又左じゃからの。織田家の安泰を願っていたとはいえ、権六の恩を忘れたわけではない。そこで、又左は己を捨てる覚悟を瞬時にした。」
「前田様がご自害なさることで、柴田様への忠勤となさる一方で、殿下に対しては、当主切腹をもって前田家の安堵を乞い、それをもって織田家としての対面が保たれるようになさろうとされたわけですか。究極の無私の精神でございますな。」
「味方にすればこれほど頼もしい男もおらぬが、敵としては絶対に戦いたくない男よ。ことほど左様に又左は恐るべき男じゃて。その点は、権六も同じ思いだったようじゃ。権六は必死に又左をなだめ、繰り返し繰り返し、余に降ることを説いて聞かせた。又左がようやく得心したことを見届けると、権六は又左に一食所望した。賤ケ岳表より落ち延びるのが先決で、食事らしい食事ができなかったからの。それを聞いた又左は即座に湯漬けを支度し、権六はゆっくりと平らげた。そして、悠々と北の庄に向かっていった。」
「柴田様へのせめてものはなむけでございますな。」
「権六の気持ちもわからないでもない。最期を迎えるにあたり、又左のような男とひと時を過ごしたいと思うのは人情じゃて。」