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天正五年七月二十三日の条

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「殿下、今日はどのようなお話をお聞かせ願えますか?」
「そうじゃな、先日、人について話したのう。今日は、その続きでもしようかの。」
「ほう、どなたのお話を?」
「官兵衛じゃ。」
「黒田様とは、殿下とは並々ならぬお話がありそうですな。」
「うむ。官兵衛はな、既に天正三年の段階で、織田家に誼を通じてきたのじゃ。官兵衛は、播磨の土豪小寺家の家臣じゃ。既に話したとおり、その頃はまだ織田家と毛利家は友好関係にあった。播磨は、毛利家の勢力圏内にほど近い。よって、その辺りの土豪の多くは、毛利家と友好関係を築くのが普通じゃ。ところが、官兵衛は主君を説き伏せて、右府様に進物を献上したのじゃ。これは、右府様にとって嬉しくないわけがない。将来、毛利家との交戦が始まった際に播磨は前線となる。そこに拠点ができたということは、軍事面で大きな意味を持つ。じゃからこそ、右府様は御自ら名刀“圧切長谷部”を官兵衛に授けたのじゃ」
「なるほど。 “圧切長谷部” が黒田様の無二の家宝であることは存じ上げておりましたが、そのような由来があったのですな。ですが、恐れながら申し上げれば、この時も殿下が陰で動いていたのではありませぬか?」
「鋭いな、施楽院。余が天正元年から毛利家との取次を命じられたことは、以前申したな。実はな、その頃から、もし織田家が毛利家と交戦することになったら、如何にすべきかを考えておった。毛利家との交戦が始まってから、調略行動を起こしたのでは遅い。出来る限り早い時期から織田家の味方になりそうな土豪の目星はつけておく必要がある。じゃから、余は毛利家との取次を命じられてから、毛利家の勢力圏に接する地域の情報収集に励んでおったのじゃ。」
「その時に、黒田様のことをお知りになったのでございますな?」
「そうじゃ。じゃが、官兵衛も織田家の動きを当然注視していたはずじゃ。播磨の土豪にとって毛利に靡くか織田に与するかで命運が分かれるからのう。じゃから、向こうも向こうで織田家と連絡を取る手立てを探していたのじゃ。そんなとき、余が播磨の情報収集にあたっていたわけじゃ。官兵衛とは利害が一致したということじゃな。」
「ということは、殿下が黒田様を“けしかけた”というわけですな?」
「施楽院、人聞きの悪いことを申すでない。余は、あくまで“情理を尽くして” 織田家に与することの意義を官兵衛に説いたまでじゃ。それに、官兵衛も織田家に与した方が生き残れると踏んだから、余の進言を受け入れたに過ぎぬ。」
「確かに“事実”はそうかもしれませぬが、やはり決めてになったのは、殿下が説かれたからではございませぬか?天正三年の段階で織田家に与すると旗幟を鮮明にすることは、播磨にあっては四面楚歌となる恐れがあります。となれば、黒田様とはえ、織田家から何らかの保証が得られねば、決断しかねると思われます。」
「読みが深くなったのう、施楽院。官兵衛も織田家における余の立ち位置や余の人となりを値踏みしていたはずじゃ。それを踏まえた上で、官兵衛は、余ならば信を置くに足ると判断したのじゃろう。じゃからこそ、官兵衛はかなり早い時期から織田家に与することを匂わせておったのじゃ。そこで余も、官兵衛の信に応えるべく、織田家との取り成しにあたっては、余が責任を持って果たすことをつたえたというわけじゃ。」
「そうでございましょう。さらに言えば、右府様に逸品を授けることを進言したのも殿下ではございませぬか?」
「お主に策士としての才があるとは思わなんだ…。確かに、右府様にもそのように申し上げた。もっとも右府様は、官兵衛が織田家に与することを余が申し上げたときから、その心づもりであったろうがな。じゃから、右府様は“圧切長谷部”ほどの名物をお授けになったのじゃ。さすがに、あれには余もたまげたわ。播磨の一土豪に授けるものではないからのう。」
「それも、右府様ならではの人心掌握術ということでしょうか?」
「お主のいうことも、もっともじゃ。右府様にもそのような腹づもりであったのだろう。一方で、相手が官兵衛なればこそ、ということもあったじゃろうな。」
「つまり、黒田様が右府様の目に適ったと?」
「そうじゃ。右府様は、官兵衛の並々ならぬ器量に感じ入ったのじゃろう。じゃからこそ、一土豪には分不相応な名物をお授けになられたのじゃろう。官兵衛も、そこまで己のことを買ってくれるとは思うてなかったであろうな。」
「黒田様の面目躍如といったころですな。」
「確かにな。じゃがな、官兵衛に対する織田家の破格の待遇が、逆に官兵衛の立場を危うくする恐れもあるのじゃ。」
「何と!?それは、いかなることでございますか?」
「天正五年に余はある書状を官兵衛に下した。その頃、余は右府様から毛利家討伐の任務を受けた。これにより、播磨ではいよいよ戦が本格化することになる。早くから織田方に与した官兵衛や小寺家は、毛利に属している土豪たちの格好の標的となる。“坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い”ではないが、織田家に敵対心を持つ者は、官兵衛や小寺家に対しても敵対心を持つ。いかに官兵衛に智謀の才があるとて、衆寡敵せず、じゃ。また、官兵衛に異心はなくとも、小寺家の当主が心変わりするやもしれん。そうなると、官兵衛は孤立してしまう。そこで、余は官兵衛に、味方である旨の書状を下したのじゃ。」
「その点の細やかさは、殿下の真骨頂ですな。そのような時に出される書状でございますから、さぞご工夫されたのですな?」
「施楽院、中々鋭いな。実を申せば、その時、官兵衛のことを“弟、小一郎同様心やすく思っている”と書き添えたのじゃ。まあ、実際、官兵衛のような逸材は、当時の余にとっては、喉から手が出るほど傍においておきたいからの。あながち、世辞でもないのじゃ。」
「いやはや、そこまで殿下に期待されれば、黒田様もいよいよ“賭け”に乗らざるをえませんな。殿下のお言葉は黒田様にとってこの上なく光栄でしょうが、それが黒田様を縛る“鎖”ともなりましょうな。」
「手厳しいな、施楽院。まあ、そういう面も否定はできぬがな。世間では、余の事を人たらしと言っているそうじゃが、世間が思うほど、大したことはしておらぬ。じゃが、官兵衛に下したように、ここぞというときは余の思いの丈を認めた書状を渡す。この効果が馬鹿にならぬのであろうな。誰しも、甘い言葉は簡単に言えるものじゃ。一方で、言葉は消えてしまう。言われた方は覚えていると言ったところで、言った方が覚えていないと言えば、もはやそんな言葉は無いも同然じゃ。じゃが、書状に認めれば証拠として残る。他人に披露することもできる。確かに、官兵衛に下した書状は、お主のいうとおり、“鎖”になるやも知れぬ。さりながら、書状の字面どおりに読めば、余が官兵衛を大事に思っていることは一目瞭然じゃ。官兵衛に歯向かうということは、余に歯向かうと同じじゃからの。じゃから、余もそれなりの覚悟を持って、あの書状を下したわけじゃ。こういうことの積み重ねが、余が人たらしと言われる所以かも知れぬな。」
「誠に恐れ入りましてございます。拙者の如き者と、天下を統べる殿下との歴然たる隔たりを改めて思い知りました…。」
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