夢のまた夢~豊臣秀吉回顧録~

恩地玖

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天正七年十二月二十五日の条

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「殿下、今日はどのようなお話しをお聞かせいただけますか?」
「そうじゃな…、家臣が失態を冒したときの話でもしようかの。」
「それは、大変興味深うございます。」
「天正七年十二月、三木城攻めは、いよいよ大詰めを迎えていた。兵糧攻めが功を奏し、三木城の兵糧は底をつき、開城も時間の問題という段階まで来ていた。そんなとき、余の配下であった明石与四郎が、単騎戦場から離脱したのじゃ。」
「明石様というと、かつては播磨の土豪で、殿下の中国攻めの際に、臣従をお誓いになられた方でございましたな。」
「そうじゃ。播磨攻めにあたっては、余も調略を駆使し、大方の土豪たちに臣従を誓わせたのじゃが、毛利方もさるものよ。調略をし返して、織田方に与したと思った土豪たちがまた寝返ったのじゃ。別所小三郎(長治)など、毛利方に寝返った筆頭じゃろうな。正直、織田家にとって別所小三郎が寝返るのは痛い。小三郎は、かなり早い時期から織田家に臣従を誓ってきおったからなの。じゃからこそ、“見せしめ”も兼ねて、別所の居城、三木城攻めを断行したのじゃ。」
「世に言う、“三木の干殺し”でざいますな。」
「左様。城攻めで肝要なのは、如何に味方の損害を抑えるかじゃ。城攻めの段階では、最早、城を守る方に勝ち目はない。城に立て籠もらざるを得なくなった段階で、敗勢間違いないからの。問題は、どうやって開城させるかじゃ。力攻めは、下の下の策じゃ。味方の被害が甚大になるからの。場合によっては、士気が下がって、味方が総崩れにならぬとも限らぬ。よって、上策は兵糧攻めになるのじゃが、包囲を完成させるのが難しいのじゃ。」
「毛利方としても、折角寝返った者をみすみす見殺しにできませんから、何とかして補給路の確保に努めるでしょうな?」
「まさに、その点じゃ。毛利方も戦を仕掛けてくるし、また別所方も兵糧の枯渇は死活問題じゃから、それこそ死にもの狂いで包囲を崩そうとする。なにより、別所小三郎が骨のある男じゃからの。我が方の守りが薄くなっているところを見事に突いてくるからの。我が方の勝勢間違いなしなのじゃが、寄せきれんのじゃ。そんな折、別所小三郎率いる軍勢が、与四郎の陣に攻め入ってきたのじゃ。しかも、こともあろうに、単騎逃げおったのだ。」
「何と!?明石殿と言えば勇猛の誉れ高いご仁と心得ておりましたが、それだけ別所勢の勢いが強かったということでございましょうか?」
「まあ、それも否定はできんがな。さりとて、三木城の包囲も完成し、あとは落城を待つばかりという折に、包囲の一角が崩れたとあっては、我が方の士気にかかわる。別所方にとっても一縷の望みになるやも知れぬ。その点は、官兵衛も心得ていたとみて、与四郎が逃亡したという注進を聞くや否や、自ら采配を振るって、別所方を食い止めたわ。その甲斐あって、大勢に影響はなかったのじゃ。」
「さすが、黒田様でございますな。して、逃亡した明石様には罰をお与えになったのでございますか?」
「そこじゃよ。敵前逃亡したとはいえ、寝返ったわけではないからの。いかな強者とて、奇襲をまともに食らっては、勝ち目はない。じゃから、戦の不出来であまり罰を与えたあくはないのじゃ。とはいえ、今回はただの野戦ではない。包囲の一角が崩されかねない失態じゃからの。それも、矢尽き刀折れるまで戦い敗れ去ったならいざ知らず、単騎逃亡じゃからの。お咎めなしでは、示しがつかぬ。施楽院、お主ならどうする?」
「むむ…、お恥ずかしい限り、とんと思い浮かびません。敢えて言えば、何とかして詰め腹切らせぬことでしょうか?周囲に対して、見せしめは必要でしょうが、さりとて、切腹は重過ぎるように心得ます。軍令が厳しすぎるとして、逆に寝返る輩が増えるかもしれませぬ。」
「お主、一軍の将も務まるやもしれぬな。余も、お主と同じことを考えたのじゃ。単騎で敵前逃亡したということは、やはり責められねばならぬ。そこを外しては、我が方の軍令は緩すぎると思われるからの。かといって、切腹させるというのもやりすぎなのじゃ。理由は二つ。一つは、まさにお主が言ったとおりじゃ。失態即切腹では味方になろうとするものはおらぬ。もう一つは、配下を切腹させればさせるほど戦力が低下してしまう。正直な話、毛利家と激戦を繰り広げている最中、一兵卒でも惜しいのじゃ。まして、部隊を率いることのできる武士をみすみす失うのは痛手じゃ。諸葛孔明なら、躊躇なく与四郎を斬ったであろうがな。泣いて馬謖を斬る、とは聞こえはいいが、余からみれば、諸葛孔明は天下を統べる器ではなかったということじゃ。軍令を厳しくするだけで済むなら将はいらぬ。軍令をどうあつかうかに将としての力量が問われるのじゃ。情勢を考えたら、与四郎は何とか生かしたい。そこで、余は一芝居うったのじゃ。」
「ほう、どのようなお芝居を?」
「与四郎にこんな狂歌を送り付けてやったのだ。“臆病者退き口急ぐ雪の上 消え果て何も人のありさま”、“強者を千代にふるまで残し置き 後の宝となすはこの代”とな。そして、己のなしたことい詫びる気があるなら、返歌をよこせと言い添えたのじゃ。但し、詫びれるつもりがないなら、返歌は無用とも言い添えておいた。」
「“臆病者が雪の上を必死で逃げ去り、武士としての誇りも雪と共に消え去ってしまったのだろう”、“屈強な侍たちを永遠に戦場に置き去りにして己の武勲とするのが今どきの流行”、いやはや手厳しいにもほどがありますな。こうまで言われてしまっては武士の面目丸つぶれですな。その上返歌を所望と追い打ちをかけるとは、とても常人が思いつく“芝居”ではございませぬ。命と引き換えに、恥を重ねるばかりか、歌詠みとしての技量まで問われるのですからな。」
「切腹を逃れただけで果報と思うべきじゃろう。ここまでしておけば与四郎は罰せられたと周囲も思うであろう。そして、奴を生かすための口実にもなる。」
「して、明石様は返歌を送ってこられたのですか?」
「すっ飛んできおって、平身低頭じゃ。“うつせみの身をば捧げん我が殿に 浮世の闇を照らせ日輪”という返歌を添えてな。ようここまで下手な歌をひねり出したものよ。」
「“浮世の闇を後光で晴らすべくこの世にあらせられる殿にこの身を捧げましょう”歌の巧拙はともかく、明石様の思いはひしひしと伝わってくるではありませぬか。」
「こう返されては、いよいよ切腹させるわけにはいかぬからの。もしかしたら、敢えて下手に詠むことで、余の気をそらそうとしたのかもしれぬな。なまじ上手く詠んだことで、却って余の不興を買うことを恐れてな。まあ、人の扱いは、ことほど左様に難しいものよ。」
「人使いで殿下の右に出る者はおりますまい。改めて、殿下の真骨頂に感服いたしました。」
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