上 下
21 / 30

22.捨てる決意

しおりを挟む
 退職前の有給消化に入るまであと一週間となった日の朝、上司から呼び出された。

「気持ちに変わりがなければ、今日の朝礼で人事異動と一緒に部のみんなに言うようになるけど……その…柊木くんは上からの信頼も厚いし、『具合が悪いなら休職してもらって、戻って来てもらったら?』と社長も言ってくれているんだけど、どうする?」

 長く勤めた社員が自分が上司のタイミングでやめられるのが嫌なのだろう。
 きっと、先日報告会のあとに倒れたことを上に話し、体調不良であることを強調したに違いない。聖人は笑顔で答える。

「課長には本当にお世話になりました。他のフロアーの人には最終日にご挨拶に回りますね。あの…チームの3人を途中で放り出すようになってしまってすみません。引き継ぎはもうしっかりできてますし、皆仕事できるので、よろしくお願いします」
 
 
 *


 課全体の朝礼で人事異動が発表された。
 秋の時期の異動は人数が少ないのと、ある程度みんな次に誰が動くかわかっているので、それほど大きな混乱もない。
 課長が人事を読み上げているとき、ちらりと新太の方を振り返ると、俯いてなにかを堪えているようだった。
 振り返りざまに目があった小林が「わかってますよ」とばかりに笑顔で頷いたので、思わず苦笑いをして課長の方を向き直した。

「――――あと、最後に柊木くんが今月末を持って退社する。来週からは有給消化になるので、引き継ぎ等きちんとしておいてほしい。以上だ」

「…………は?」

 フロアが静まり返った。

「……どういうこと?」

 沈黙のあとの混乱。笑顔の聖人以外は動揺でしばらくざわついていた。
 デスクに戻って3人に謝る。

「はは、発表まで言えなくてごめんね。まぁ、みんなは課長のチームに加わるような形になるし、引き継ぎはできてるから大丈夫だと思うけど。一応、困らないように、手順とかはまとめてあるから、わからないことあったら今週中に聞いて?迷惑かけて申し訳ないけど、よろしくね」

「いや、あの…柊木さん?なんで…」

 小林と原が戸惑っていた。
 新太は絶句して言葉が出てないようでぽかんと聖人を見ていた。
 久しぶりに正面から見つめられると、少し照れくさくて、まだこの恋心を捨てきれていない自分に呆れた。だが、きっと離れれば時間が解決してくれる。

「取引先に挨拶もあるから、小林くん、日程表にあげている予定以外で都合悪い日があったら先に教えて?」

 これ以上聖人から説明することもなくて、デスクに戻り、引き継ぎの資料を作り始めると、入口付近で騒ぐ声が聞こえた。

「聖人!!お前、どういうことだよ!?」

 見ると、春永だった。

「春永さん、出張ですか?」

「はぁぁぁぁ!?お前、何言ってんだ、ふざけんなよっ!!!!昨日の夜、人事の書類見て慌てて朝イチの新幹線飛び乗ってきたんだよ!!てか、お前!!説明しろよっ!!」

 胸ぐらを掴み、まくし立てる春永に聖人はため息をつきながら、穏やかに話す。
 一般社員には異動と定年退職以外の発表はされないのだが、一定以上の役職になると毎月の退職者のリストももらうのだろう。

「はぁ…別に特に説明もないんですけど、ちょっと注目されるのもなんなんで、会議室に移動しましょうか?」

 春永さえ納得すれば、この騒ぎは収まるだろう。
 納得しなかったとしても、今更退職を取り消すのは無理だが。

「お前、俺と働くのがそんなに嫌か!?嫌だったら、俺がなんとかするから、無理にプロジェクトに参加しなくても構わないのに!なのに退職なんてどうして…」

 会議室に入るなり、まくし立てる春永。
 その言葉を聞いて、(やはり新プロジェクトのメンバーにほぼ決まっていたんだな)と、なんの感慨もなく思った。
 周りがパニックになればなるほど自分は冷静になっていく。
 こうして仕事だけでも、惜しんでくれる人がいるのは嬉しいな、と自然と笑顔になった。
 この会社しか知らないけれど、頑張ってきた時間は無駄ではなかったし、よい仕事仲間にも恵まれた。

「いえ、春永さんは関係ないです。本当に僕の自己都合なんですよ。たくさんお世話になったのに、お返しできなくてすみませんでした。」

「そうじゃねぇだろ!?お前、なにがあった!?くそっ…なんでこんなことにっ!!!!」

 デスクを思い切り叩いて、悔しがる。
 恋愛ではうまくいかなかったけれど、男気あふれるよい上司に恵まれた。


 *


「柊木さん、体調どうっすか?もし今日、大丈夫だったら二人で飲みに行きません?その…あとちょっとしかないし…」
 
 定時を迎える少し前、小林が隣のデスクからこっそり声をかけてきた。部署で送別会を開くと言われたが、辞める気まずさを体調不良とごまかして断った。
 こんな風に逃げるように辞めるのも寂しかったが、それも自分の選択だからしょうがないと思っていた。だが、小林と二人でだったら気が楽そうだ。それに、中途採用の小林に他の会社の様子とかを聞きたいと思っていた。この年齢じゃ再就職は難しいかもしれないが。

「え?僕は大丈夫だけど…でも、小林くん、家庭は大丈夫?」

「うちの奥さんには連絡してあるんで大丈夫っす」

「私も行きます」

 突然背後から声がして、小林と二人で驚いて振り返る。

「うわっ!!原さん、急に背後に立たないでよ!!ビビったぁ~!!!!てか、原さん、し~!!!!皆にバレるから!!!」

 デスクの影に隠れて、三人でこそこそ話をする。

「てか、原さん、子供さんのお迎えは?旦那さんは大丈夫なの?」

「実家の両親にお願いするんで、ご心配なく。あと旦那はおりません」

「あ、そう?って…はぁ!?え?どういうこと!?」

「離婚しておりますので…って、私のことなんてどうだってよいのです。私も参加しますので、私、店決めていいですか?席予約しておきますので」

「「はい…」」

 原の勢いに圧倒されてぽかんと後ろ姿を見つめる二人だったが、そんな二人に原は思い出したように、くるっと振り返りびしっと言った。

「あ、経費精算の書類、明日までなんでっ!!お二人、遅れず提出してくださいねっ!!特に小林氏っ!!」

「はいぃぃぃ!!!!」

 原と小林のいつも通りのやり取りに安心して思わず笑った。半年程度の短い期間だったけど、よいチームだった。こんな日常もきっと恋しくなるんだろう。

 原が戻っていったデスクの正面には新太の席がある。今は席にはいなかった。
 退職について驚いていたみたいだが、なにも言わなかった。
 失恋で仕事を辞めるなんて女々しいヤツだと幻滅しただろうか。
 それとも、もう聖人がやめようがどうしようが、興味なんてないかもしれない。
 いつでも考えるのは新太のことばかりだ。
 



しおりを挟む
感想 28

あなたにおすすめの小説

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

執着攻めと平凡受けの短編集

松本いさ
BL
執着攻めが平凡受けに執着し溺愛する、似たり寄ったりな話ばかり。 疲れたときに、さくっと読める安心安全のハッピーエンド設計です。 基本的に一話完結で、しばらくは毎週金曜の夜または土曜の朝に更新を予定しています(全20作)

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

鈍感モブは俺様主人公に溺愛される?

桃栗
BL
地味なモブがカーストトップに溺愛される、ただそれだけの話。 前作がなかなか進まないので、とりあえずリハビリ的に書きました。 ほんの少しの間お付き合い下さい。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

理香は俺のカノジョじゃねえ

中屋沙鳥
BL
篠原亮は料理が得意な高校3年生。受験生なのに卒業後に兄の周と結婚する予定の遠山理香に料理を教えてやらなければならなくなった。弁当を作ってやったり一緒に帰ったり…理香が18歳になるまではなぜか兄のカノジョだということはみんなに内緒にしなければならない。そのため友だちでイケメンの櫻井和樹やチャラ男の大宮司から亮が理香と付き合ってるんじゃないかと疑われてしまうことに。そうこうしているうちに和樹の様子がおかしくなって?口の悪い高校生男子の学生ライフ/男女CPあります。

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

処理中です...