秋津皇国興亡記

三笠 陣

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第二章 シキガミの少女と北国の姫編

27 茶会の誘い

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 さらに数日が経った。

「それで、嶺州鉄道建設請負契約に対する諸侯たちの反応はどうだ?」

 執務室で、景紀は冬花に確認した。
 佐薙家との会談からすでに三日。そろそろ、六家も含めた各所の反応について情報が集まってくる頃であった。

「六家以外の諸侯たちは、目立った反応は見せていないわね。そもそも、他の将家の領国経営の話だもの。そうした契約方法があったのか、と気付かされる人間はいるんでしょうけど、嶺州鉄道建設請負契約について、口を挟んでくるところはないはずよ」

「まあ、そりゃそうだな」

「問題は、残る五つの六家ね。ただ、現状では明確にうちのやり方に反発するところはないみたい。岩森港の独占的使用権の獲得についても、基本的には容認の方向みたいね」

「まあ、これでうちが借款契約を結んで、嶺州の鉄道利権や付属地の権益なんかと一気に持っていったら、独占的な進出だとして伊丹や一色あたりが騒ぎそうだったが、所詮、北国の港一個だけだからな。反発が少ないだろうことは、予想していた」

「むしろこの場合、伊丹・一色両家の反応よりも、長尾家の反応の方が気になるところじゃない?」

「ああ、それについては逓信省に報告したその日に長尾公に書状を出しておいた」

「うちが長尾家に対して隔意を抱いていない、と示すためね?」

「ああ」景紀は頷く。「それで長尾公としてはうちが敷設を主導することについては異論がないそうだ。ただし、海岸沿いの路線の敷設を優先させ、内陸路線に関しては工期を後に回すよう、言ってはきている」

「まあ、妥当な反応ね。でも結局のところ、領地の境界線問題は解決しないままじゃない? そこを解決しないと、うちの立場も長尾・佐薙両家に板挟みになったままになるわ」

「俺としては問題となっている川を、国有河川にしてしまいたいと思っている」

「ああ、なるほどね」

 冬花は、主君の考えに納得した。
 全国各地を流れる河川をどこが管轄しているのかというのは、地域によって異なる。例えば、一国だけしか流れていない小さな川であれば、その管轄はその領国となる。一方、複数の領国を経由する河川の場合、水利権を巡る諸侯同士の対立を避けるため、中央政府の管轄としてある(ただし、領地が複数の領国にまたがる六家の場合、必ずしもこうした事例に当てはまらない)。
 今回の場合、長尾家領と佐薙家領の境目を流れる川であるため、その管轄について曖昧なところがあった。そこに砂金が出たため、境界線を巡る問題が発生してしまったのである。

「河川がどちらかの領国の管轄となれば、当然、片方の激しい反発が予想される。ならばいっそ、国有河川にしてしまって、両家による共同開発事業を立ち上げるなりなんなりして、砂金の利益を上手く分配してしまえばいい」

 景紀はそう説明するが、声は億劫そうな響きが混じっていた。
 彼にとってみれば、諸外国との国境線問題ならばともかく、自国内にある領国の境界線問題でここまで拗らせることは馬鹿らしいと思っているのだ。もちろん、当事者にとっては面子などもあり、また違った感想が出てくるのであろうが、少なくとも、結城家当主代理の少年にとっては、何故このような面倒事に自分が巻き込まれなければならないのだという思いがあった。
 これが中央政府の直轄府県同士の問題であれば、そこまで大きな問題にはならなかっただろう。
 近代国家にとって不釣り合いな封建制度が残る、秋津皇国ならではの弊害といえた。

「とりあえず、上手く頼朋翁の威を借りるなりなんなりして、こんな面倒な問題は解決しちまいたい」

「そうね。丁度、その頼朋翁からまた会談を行いたい旨の書状が届いていることだし、その解決策を提示してみるのもいいんじゃないかしら?」

 恐らく、頼朋翁は嶺州鉄道建設請負契約の説明のために、景紀を呼び出したのだろう。

「ただ、一つ問題があるんだよなぁ」

 小さく溜息をついて、当主代理の少年は一つの書状を取り出した。

「俺のところに、多喜子から宵を茶会に招待する書状が届いた。ああ、冬花も呼ばれているぞ」

 畳まれていた書状を、ばさりと景紀は執務机の上に広げた。
 冬花が少し身を乗り出して、書状の内容を確認した。
 長尾多喜子は長尾憲隆公の娘。景紀や冬花とは同い年であり、一時期、六家の連携強化を目的として景紀との婚約も検討されていた少女である。
 景紀にとっては幼少期から面識のある人物であるし、冬花にとっても女子学士院時代の同級生でもあった。

「これ、頼朋翁との会見の日と、見事に日付が被っているわね。……何と言うか、意図的なものを感じるわ」

「まあ、実際、意図的に日付を被せてきたんだろ? 俺が有馬の爺さんと、宵が長尾の娘と、同じ日に会えば、それだけで三家の連携が強固であると周囲へ示せるし、鉄道契約の件でうちと長尾家の関係に亀裂が入っていないと佐薙家を牽制することも出来る」

「むしろ、長尾家としては佐薙家への牽制って意味が大きいんじゃないの? 佐薙家出身の宵姫様を招待するってことは、そういうことでしょ?」

「会談から受けた印象と、先日の屋敷に潜入した件。それに加えて今回の茶会。最悪、佐薙伯が疑心暗鬼に陥りそうだな。宵の身に何もなけりゃいいんだが……」

 悩ましげに、景紀は息をついた。

「あの男が結城家に何か仕掛けてくるとすれば、まずは娘の宵だろ? 宵に、結城家の情報を流せとか何とか脅迫を掛けてくる可能性も否定出来ない」

「ええ、警戒は必要だと思うわ」

 冬花も主君と同意見であった。そもそも将家同士の婚姻とは、多分にそうした要素を持っている。嫁いできた人間は、両家の繋がりの印であると共に、ある意味で間者のようなものなのである。佐薙成親が宵の母親である正室を冷遇しているのも、そうしたことが影響している。

「冬花、頼めるか?」

「了解。宵姫様の警護は任せておいて」

 最初は強い口調で冬花は言ったが、続く言葉には不安が滲んでいた。

「でも、景紀の方はどうするの? 攘夷派の襲撃や、術者にも警戒しないといけないでしょ?」

「こっちは新八さんを連れていく。術者対策については、……お守りとか何かないか?」

「そうね。そういう手も……確かにあるけど……」

 景紀の言葉に同意はしたものの、冬花は悩ましそうな顔であった。

「……判ったわ。とびきり強力なお守りと守護の呪符を作っておく」

 少しばかり悩んで、やがて意を決したように陰陽師の少女は答えた。

「まあ、あまり思い悩まず、宵と一緒に茶会を楽しんでこい。お前と多喜子は女子学士院同期だろ?」

「そうだけど、……気を付けてね」

「ああ。冬花の方もな」

 そっと微笑んで、景紀はもう一通の書状を取り出した。

「んで、俺の方も頼朋翁に会ってくるついでに、懐かしの同期生に会ってくるとしますか」

◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 数日後。

「嶺州の件、上手くやりおったな」

 有馬家別邸の茶室に招き入れられた景紀は、前回と同じように有馬頼朋から茶を差し出された。
 頼朋翁は、唇の片方を吊り上げる凄みのある笑みを浮かべていた。この老人なりに、景紀のことを賞賛しているのだろう。

「まだ当主同士の合意に辿り着いただけですよ」差し出された茶を礼儀作法に則って口に含みつつ、景紀は応じた。「細目協定についてはこれからですし、ようやく東北経営の第一歩ってところです」

「だが、その第一歩を踏み出すまでに、二十年近い時間が掛かったのだ」

 頼朋翁は宵の母親の件、つまり長尾家と佐薙家の婚姻のことを言っているのだ。

「これで、中央政府の統制を東北地方にまで及ぼすことが出来よう」

「まあ、そうなると良いのですがね」

 今、茶室の中には、彼ら二人だけしかいない。新八は、別邸の門のところで煙管を弄んでいる。

「ふむ、佐薙の反応を気にしているわけだな?」頼朋は景紀の懸念の内容を見抜いていた。「おおかた、契約内容に佐薙家に不利益となる内容が少なすぎて、逆に疑念を生じさせているのではないか、といったところか」

「ご明察の通りです」

「そのようなもの、無視すればよいではないか」頼朋は鼻で嗤うような調子であった。「別に痛くもない腹なのだろう? それを探られるのは不愉快かもしれんが、どうせ何も出てこないとなれば諦めるであろうよ。あるいは、なお疑心暗鬼に陥って軽挙に出るならば、それを口実に佐薙家の嶺州統治権を縮小してしまえばよい。お家取り潰しの第一歩というわけだ」

 この六家最長老の老人は、まるで容赦がなかった。
 そして同時に気楽なものだ、と景紀は思った。佐薙家が何らかの行動を起こしたとしても、この老人を含めた有馬家は直接的な被害を受けない。例えこの瞬間、妙州・嶺州の間で境界線紛争が発生したとしても、それは長尾家・佐薙家、そして結城家の問題である。
 そして、そうした事態を発生させた責任を問い、諸侯の地方行政における権限を縮小させ、中央集権体制へと繋げる。
 今回の嶺州鉄道建設請負契約が何事もなく成立しようと、あるいは佐薙家側が何らかの行動を起こそうと、頼朋翁にとってはどうでもいいのだ。
 東北地方に統制を及ぼせることが出来るのであれば、この老人は手段を問わないのである。

「それよりも問題は、貴様と長尾公に放たれた攘夷派の刺客と術者の存在だ」

 彼にとって、そちらの方がより大きな懸念事項であったらしい。

「刺客を差し向けたのが誰であるにせよ、事件が公になれば政府関係者を萎縮させかねん。列侯会議で伊丹・一色が攘夷派を使嗾していると喧伝して攻撃することも出来るが、連中が開き直って攘夷派連中に要人の暗殺を教唆する危険性もある」

「いっそ、攘夷派組織を一斉に検挙してしまいたいところではありますが」

「内務省警保局を動かすには、明確な要人暗殺やその計画の証拠が必要だ。適当な攘夷派浪士を捕まえて、拷問でこちらの望む自白を引き出すことも出来ようが、それでは逆に伊丹・一色派に対して我々に対する攻撃材料を与えてしまう。政府は攘夷派を陥れ、弾圧しようとしている、とな。下手な弾圧は逆に攘夷派を勢い付かせるだけだ」

「……難しいところですね」

 景紀は器を返しつつ、そう言った。

「まったくだ。この国を根本的に作り替えるには、内乱すら覚悟せねばならぬやもしれん」

「また物騒な話ですね」

「つまり我々は、戦国時代の清算を十分にせぬまま、この時代まで来てしまったことが問題なのだ。病巣を一気に取り除くには、痛みを伴う手術も必要であろう」

「ただ、外国勢力に付け込まれる隙を与えることにもなりかねません」

「判っておる。儂も本気で考えておるわけではない」

「この会話、外には絶対に漏らせませんね。それこそ、伊丹や一色に攻撃材料を与えることになります」

「だからこそ、貴様は絶対にこの話を漏らせん。儂も判った上で話しているのだ。だが、貴様が中央集権体制を目指したいのであれば、その覚悟は常に必要であろう」

「頼朋翁は、俺をあなたの思想的な面での後継者にしたいのですか?」

「儂は後何年生きられると思う? 息子は駄目だ。相応に頭が良くはあるのだろうが、儂が介入しすぎた。あれは、誰かの補佐をすることで能力を発揮出来る人間となってしまった。自らが先頭に立つことは出来ん。そして、孫どもはまだ元服すら済ませておらん。だが、貴様は違う」

「さて、どうでしょうか?」

 景紀は頼朋翁のような立場になりたいわけではないのだ。勝手に後継者扱いされても、迷惑なだけである。

「まあよい」

 頼朋も、話を持ち出すのが早すぎると感じたのだろう。思いを断ち切るような口調で言った。

「だが、これだけは覚えておけ、若造。歴史の歯車は、決して戻りはしない。いずれ、この国も根本的な変革を求められる時が来るだろう。我らは、その時に備えて“人”を確保しておかねばならんのだ」

  ◇◇◇

 有馬家別邸の門のところで、新八は煙管を咥えていた。相変わらず、火は付いていない。変装を得意とする特殊訓練を受けた隠密―――忍である彼にとって、煙草の臭いが体に染み付くことは御法度なのだ。
 煙管は、特徴的な西方弁と併せて、あくまで「結城景紀に雇われた、ただの身辺警護の元牢人」という印象を強く周囲に与えるための小道具に過ぎない。
 そうやって手持ち無沙汰のまま時間が過ぎていくと、別邸から景紀が出てきた。

「若、今日はどうだったん?」

「どうもこうもない」

 景紀は億劫そうに手を振った。そのまま、皇都へと繋がる坂道を下り始めた。新八がそれに続く。
 景紀は懐から金平糖の入った袋を取り出すと、そのいくつかを口に放り込んだ。
 しばらく舌の上で金平糖を転がし、ある程度溶けてきたところで、噛み砕いた。ごくりと呑み込む。

「……新八さん」

「なんや?」

「皇都内に、いくつか攘夷を謳った結社があるだろ?」

「まあ、公になっとるのもあれば、秘密結社みたいのもあるな。攘夷派浪士の作ったのもあるで」

「ああ、内務省警保局の資料で見た。それで新八さん、そういう右派でも左派でも構わないけど、過激思想にかぶれた連中を始末する一番いい方法って何だと思う?」

「下手な弾圧は、むしろ連中の団結を強めそうやなぁ……」新八は顎に手を当てて、考え込んだ。「まあ、ちょいと過激やけど、そういう弾圧で団結を強めそうな連中も含めて、全員始末してまう、とか?」

「理想論っちゃ、それが理想論だな。体制側にとっては」

 景紀は温度を感じさせない声で断言した。

「だがまあ、現実に可能かっていうと、中々難しい。だから、俺は『民衆からの支持を失わせる』が正解だと思ってる」

「それも簡単やなさそうやけど」

「そうか? 西洋の事例なんかでいくと、革命組織内部で路線の違いから内部で対立、体制側に寝返って密告する奴、対立派閥を次々と凄惨に粛清していった奴なんてのは相応にいる。特に内部で粛清が横行しているような血生臭い組織、一般市民も巻き込むような無差別な破壊活動を行う組織は、民衆からの支持を広く受けにくい。それに、放っておけば勝手に自滅してくれる」

「若はその工作を、僕にやれと?」

「特に攘夷派浪士の結社に潜り込めれば一番良い」

「かなり危険な任務やな」

 そう言いつつも、新八の口調には悪巧みをする少年のような楽しげな響きが混じっていた。

「まあ、ええわ。また何日か、攘夷派連中に接触してみて、上手くいきそうかどうか試してみるわ」

「ああ、頼む」
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