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第五章・帝国の王女

469.手が冷たい人は心が温かいらしい4

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「その対応の所為で貴女に疎外感を感じさせてしまって申し訳ございません。貴女に不必要な劣等感を抱かせてしまい申し訳ございません。わたしが無力なばかりに……本当に、申し訳ございません」

 震える声で何度も謝罪し、彼は頭まで下げた。

「頭を上げて下さい! ケイリオル卿は何も悪くないでしょう!」
わたしが悪いんです。彼を変えられなかった。彼女を救えなかった。貴女を守れなかった。何も出来なかった、わたしが悪いんです」

 ケイリオルさんは地面へ向けて後悔を吐き連ねる。
 合わせる顔がないとでも言いたげに。

「なんで……っ、なんでそんな事言うんですか! じゃあケイリオル卿はその罪悪感から私に優しくしてくれてたんですか!? 今まで私が感じてきた貴方の優しさは、全部その罪悪感から来た同情だったんですか! 今まで私が貴方に寄せていた信頼や尊敬は全て無意味だったって事なんですか!?」

 そもそも皇帝の側近だし、ゲームでアミレスは彼にも殺されたから、最初は凄く警戒していた。それでもこの世界で生きていて、目の前にいる彼を知ってだんだん信頼するようになった。尊敬するようになった。
 本当は私に優しくしちゃいけない立場なのに、それでも何かと良くしてくれた彼には心から感謝している。
 でもそれが同情だったのなら……この尊敬や信頼は、どうすればいいの?
 結局私は、同情でもしなければ優しくする価値もない存在だって事なの?
 結局アミレスは、どこまでもその尊厳を踏み躙られないといけないの?

 いくら人集りから離れていても、このパーティーの主役が皇帝の側近と大声で言い争っていれば自然と注目が集まってしまうのも無理はない。
 街の人達も、皆も、次々と視線をこちらに向けはじめた。

「違っ……同情だなんて、そんな訳ないでしょう!? わたしははじめから貴女を──っ! ずっと、貴女の幸福と平穏を願って……!!」

 無理に出したような声と、勢いよく上げられた顔。
 それはまるで、ケイリオルさんの本心の現れのようで。

「本当ですか?」
「同情なんてそんな何の得にもならない事はしません。時間の無駄ですし」
「……疑う余地もなさそうですね」
「理解を得られて何よりです。内政以外でわたしがこれ程に手を尽くしてきたのは貴女に関する事ぐらいですから。何はともあれ、こんなわたしを信じ、あまつさえ尊敬していただけて……なんと果報者なのでしょうか」

 落ち着きを取り戻したのか、ケイリオルさんは嘘か本当か分からないような冗談を口にした。
 しかしどうやら彼は罪悪感や同情ではなく、本当にアミレスを思いあれこれ手を回してくれていたらしい。
 それでもゲームでアミレスが殺されてしまったのは……皇帝の所為なんだろう。どれだけ彼が個人的にアミレスを気にかけていても、皇帝の命令は絶対だから。

「……ずっと、私の事を守ってくれてたんですね。ありがとうございます、ケイリオル卿。先程は感情任せに怒鳴ってすみませんでした」
「貴女にそう解釈させる言動を取ったわたしにも責はあります。重ねてお詫び申し上げます」

 互いに頭を下げ、謝り合う。
 すると彼は咳払いをして、おもむろに血が付着する白手袋を外した。
 長らく日に触れて来なかったのであろう、青白く骨ばった大きな手が露わになった。美しく切り揃えられた爪からは彼の几帳面さを感じられる。
 その手のひらには先程の出血の跡があるが、何やらもう血が止まったらしく、血が瘡蓋になろうとしていた。

 しかし何故手袋を? と首を傾げた時、その手が空いていた私の右手に向け伸びてきた。
 私の手より遥かに大きなその手に触れられた時、小さく体が跳ねてしまう程の冷たさを感じた。どうやら彼はかなりの末端冷え性らしく、その手は全体的に血の気を感じない冷たさであった。

「……──このような事が誕生日のプレゼントになるとは思いませんので、プレゼントの方はまた追々。とにかく今は、もう貴女が疎外感を感じなくて済むように対策せねば。であれば、なりふり構ってられませんね」

 両手で覆うように私の手を取り、彼はこちらを一瞥して、

わたしが守らずとも、今の貴女には守ってくれる人が大勢います。だから、きっともう大丈夫でしょう。お誕生日おめでとうございます──……アミレス殿下。健やかに成長してくれて……そしてこうして祝わせてくれて、本当にありがとうございます」

 布越しの額に私の手を当て縋るようにそう言った。

「貴女達の成長を見守り、支える事がわたしにとって何よりの幸福です。だからどうか、どうか──この先も健やかに日々を謳歌して下さい。氷の血筋フォーロイトらしく、がむしゃらに御自身の道を突き進んで下さい」

 彼の冷たい手が離れていく。
 どうしてか少し名残惜しくて、右手に残る彼の温もりに意識を集中させていたら、ケイリオルさんの手が今度は顔目掛けて伸びてきた。
 片手は背中を経て肩を掴み、もう片手は私の頭を撫でる。抱き締められる形となり思わず固まる私の体は、まるで氷のようだった。

 彼のふわふわの毛が頬や首に当たってくすぐったい。太い首筋からは優しくて包み込むような香りがほんのり漂っている。
 着痩せするのか、はじめて触れたケイリオルさんの体は予想外にも筋肉質で、硬くもあり柔らかくも感じる。
 体格が皇帝と似ているからか、まるで──お父様に抱き締められているように錯覚してしまった。

「……愛してるよ、アミレス。君の笑顔がわたしの心の支えなんだ。だからこれからも、たくさん笑っていてね」

 耳を撫でるケイリオルさんの美声。
 今まで聞いてきたそれとは少し違う……どこかあどけない口調で紡がれた突然の愛の言葉に、心臓がドキリと跳ねた気がした。
 頬が熱を帯びていく。反応に困り硬直する私から少し離れ、今一度顔を近づけてきたかと思えば、彼は周りからは見えない角度で顔の布を手で押し上げ──……

「愚昧なおじさんとの、約束だよ」

 菫の花のような青紫色の瞳をふにゃりと細め、幼さを感じる笑顔を浮かべた。
 その瞬間、私の体を凄まじい衝撃が貫く。
 目の前の光景が信じられないというか、理解が追いつかないというか。完全に頭が真っ白になり、開いた口が塞がらない。

「──さて。中々に話し込んでしまいましたね。そろそろパーティーに戻りましょうか」

 布を元通りにし、彼は手袋を付けながら軽快に立ち上がった。

「……えっ、あ、あの! けッ、ケイリオル卿!?」
「改めてお聞きしますが、誕生日のプレゼントは何が欲しいですか? 他ならぬ貴女の為でしたら何でもご用意しますよ」
「プレゼントとかそんな事より、貴方のかお──ッ?!」

 私の唇に、彼の人差し指が当てられる。
 僅かに聞こえてくる「しぃーっ……」と零れた息の音が、この驚愕や困惑の答えを物語っていた。

「二人だけの秘密ですよ、アミレス殿下」

 ちょっとした圧をかけられ、私はそれ以上追及する事が出来なくなってしまう。
 明るく「何か欲しい物が見つかりましたらいつでも教えて下さいね」と言って先に会場中心に戻っていく、皇帝とそっくりの彼の背中を呆然と見つめながら暫くその場で立ち尽くしていた。

「…………おじさん、ってそういう事なの?」

 あの時見たケイリオルさんの顔は、少しばかり背筋がゾクリとするような──とても、見覚えがあるものだった。それに彼はアンヘルにクソガキ扱いされる程、昔から親交がある。
 点と点とが繋がっていく。でも、本当にそうだとしたら色々と辻褄が合わない。
 一体どういう事────?!
 私はその後も理解不能の事態を処理しきれず、ぐるぐると頭を働かせ続ける事になった。


 ♢♢


 もう、後戻りは出来ない。
 未来永劫……もう二度と誰にも見せるつもりがなかったものを、彼女に見せてしまった。果たしてこれが吉と出るか、凶と出るか。

「……まぁ、なるようになればいいか」

 愛しい少女がこれ以上不必要な苦しみを味合わないで済むのなら、わたしはどうなっても構わない。
 後悔なんてしていない。寧ろ好都合だ。
 だってこれで──あの子の名前を呼び、この親愛を伝えられるようになったのだから。
 これからは色んな事をしてあげたいな。彼女からすれば、わたしはもう他人ではない訳ですし。
 というかこんなわたしが尊敬されてたなんて。ふふ、嬉しいなあ。

 随分と遠回りしちゃったけど……あの子達の事は任せてね、アーシャ。叶うならエリドルにもあの子達を愛して欲しいけど、きっと、難しいだろうから。
 せめてわたしだけでも、あの子達を幸せにしてあげないと。
 だから、安心して。
 可愛いあの子達の為なら、わたしはなんだって出来る気がするんだ。

 愛しい君達へ、仕事しか能のないわたしから贈れるもの。
 少しでも今日という日が君達にとって輝かしい思い出となるよう────細氷の紙吹雪ダイヤモンドダストで祝福を。

 お誕生日おめでとう、アミレス。
 生まれてきてくれて、ありがとう。

 ……──叶うなら。これからは毎年、アーシャの分もお祝いさせてほしいな。
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