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第五章・帝国の王女

468.手が冷たい人は心が温かいらしい3

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「お母様は……どんな人だったんですか? 誰に聞いても口を揃えて『あなたは皇后陛下に似ている』と言うだけで、たった一人のお母様なのに、私はお母様の事を何も知らないんです」

 どうやら私は母親の生き写しのような容姿らしい。シャンパージュ伯爵やテンディジェル大公やイリオーデが、皇后陛下そっくりに成長なされて……みたいな事を言っていたからそれは間違いないだろう。
 だが、それ以外は何も知らない。
 顔と名前以外、実の母親の事を何も知らないのだ。
 好きなものや嫌いなもの、人柄や趣味嗜好何一つとして知らない。それがなんだかすごく嫌だった。
 でも周りの人達はお母様の話になると途端に口を閉ざす。その理由も分からないまま、今まで生きてきた。
 だから、お母様の事を知りたいのだ。

「……──とても、努力家な方でした。常に周りに気を配り、まるで太陽のように誰しもを照らす温かみに溢れた人。彼女の前では誰もがつい肩の力を抜いてしまうような、癒し手でした。狂犬とまで言われた男達の手綱を唯一握る事が出来た苦労人でもありましたね」

 屈んだだまま彼は饒舌に語る。その声音の優しさが、ケイリオルさんが持つお母様への親愛をひしひしと感じさせた。

「甘いものが好きで、自分でもよくクッキーやケーキを焼いてはわたし達に分けてくれました。片付けがとことん下手なわたしに代わっていつも部屋の掃除をしてくれたし、誤解されやすい陛下と臣下達の橋渡し役を担ってくれていました」
「クッキー……」

 以前ケイリオルさんが言っていた思い出のクッキーとは、これの事なのかもしれない。
 もしそうだとして。前に差し入れだとケイリオルさんから貰った甘いあのクッキーは、お母様のクッキーの味……って事になるのかな。そうと分かっていれば、もっとちゃんと味わって食べたのに。

「彼女は平穏を愛する人でした。心から人の幸せを願い応援出来るような人格者で、わたし達が間違いを犯した時は誰よりも怒り、叱ってくれていた。後にも先にも、わたしの頭に何度も手刀を落とした人間は彼女ただ一人でしょう」

 対人戦最強とまで言われるケイリオルさんに手刀落としたのお母様?! 予想外にもパワフルな人だった……!

「人を殺した日には説教ののち二週間は口を聞いてくれなくなるので、それからというものの、人を殺した後は証拠隠滅と根回しを徹底するようになりました」
「そこは人を殺さないようにすべきだったのでは……?」
「仕方無いでしょう、ムカついたんですから。目障りなゴミはさっさと排除するに限ります。周囲に汚物があるなんて考えるだけでもおぞましい……」
「そんな事言ってるからお母様に怒られたんですよ」
「うーん、耳が痛いですねぇ」

 ケイリオルさんってなるべくして無情の皇帝の側近になったんだなぁ。無情の皇帝に相応しい狂人な側近だわ。
 それを全く感じさせない辺り、今のケイリオルさんは更正した元ヤン……みたいな感じなのかもしれない。
 なんにせよ、ケイリオルさんが更正してくれてよかった。

「……本当に、貴女は彼女と似ていますね。そうやって臆せず小言を言い募る辺りとか、お人好しなところとか、容姿は勿論内面までこうも似てしまうとは。ああでも、彼女は貴女程身体能力に優れてませんね。寧ろ並以下……鈍臭い方でしたね」

 急に貶すじゃん。
 お母様が運動音痴だったって事は、フリードルとアミレスの身体能力は完全氷の血筋フォーロイト産って事か。やっぱりやばいよこの血筋。

「お母様って人間味に溢れた人だったんですね。会ってみたかったなあ」

 空を見上げ、心のままに呟いてみる。
 あの皇帝や狂人のケイリオルさんを叱れる程しっかりした人なら、きっと……存命だったらアミレスの事も愛してくれていただろうから。

「っ!!」

 ケイリオルさんから悲痛な呼吸が聞こえた気がした。
 その音に引かれて彼のふわふわな頭を見下ろした時、どうしてか皇帝の姿が重なって見えて胸がザワついた。ケイリオルさんの背格好が皇帝と似ているのなんて昔からだし、こんなの父親の愛情を求めるアミレスが見せる幻だと分かりきっている。
 これがただの願望だと分かりきっている今だからこそ、少しは夢を見たっていいんじゃないか?
 なんてったって私は本日の主役だ。少しぐらい、我儘を言っても許されるよね?

「──ケイリオル卿。私、明日誕生日なんです」
「……そう、ですね。今まで祝えなくて、本当に申し訳ございません」
「責めたい訳じゃなくて、その……」

 私の事が大嫌いな皇帝の手前、側近の彼が私の誕生日を気にかける事なんて許されなかったのだろう。

「誕生日のプレゼントが、欲しくて」

 この歳にもなってプレゼントをねだる事が恥ずかしくて、おのずともじもじしてしまう。

「何が欲しいのですか? わたしに用意出来るものであれば何だって用意してみせます」

 ケイリオルさんは食い気味に、やる気に満ちた声で言い切った。

「簡単な、今すぐいただけるもの、です」
「今すぐ……もしやこの場にいる何者かの首ですか? それとも金品?」
「そんな物騒なものじゃない! その、えっと……」

 恥ずかしさから口ごもってしまうが、その間もケイリオルさんは静かに待っていてくれた。
 それに感謝し、ゆっくりと息を整える。そして私は意を決して声を出した。

「……──名前を、呼んで欲しいんです」

 お父様と似た貴方に、もう一度名前で呼ばれたい。
 お誕生日おめでとうと、言われたい。
 本物のその人には……永遠に言ってもらえない言葉だから。

「さっきケイリオル卿に名前を呼んで祝っていただいた時、ようやく、王女として認めてもらえた気がして。出来損ないで嫌われ者の私が、皇帝お父様の側近である貴方に名前を呼ぶ価値があると思ってもらえたんだって、嬉しかったんです」

 あの時の湧き上がるような喜びはこういう事だったのだろう。

「本当はずっと兄様が羨ましかったんです。皆が名前で呼んでくれて、疎外感を感じる事もなく認めてもらえて……ずっと、それが羨ましかったんです」

 あれ、なんだこれ。
 勝手に言葉がぼろぼろ溢れていく。心の奥底から、アミレスの感情おもいが流れ出てくる。
 こんな事言ってケイリオルさんを困らせたい訳じゃないのに。ただもう一度、名前で呼んで欲しかっただけなのに。

「──ッそんな事はない!! 貴女を認めなかった事なんてない! 貴女がこの国の王女である事を忘れた日なんて、ただの一度もない! それにッ、わたしは……っわたしはずっと、貴女の名前を……ちゃんと呼びたかった……!!」

 ケイリオルさんはバッとこちらを見上げ、今にも泣き出しそうな声を張り上げた。

「……言い訳がましくなりますが、貴女を守る為にはこうするしかなかったんです。彼が貴女の事を意識しないよう、彼の周辺では貴女の存在を隠匿するしかなかった……っ! 力の無いわたしでは、こんな方法でしか貴女を守れなかったんだ……ッ」

 彼の白い手袋が少しずつ赤く染まる。小刻みに震えるその拳は、血が出る程に強く握り締められているらしい。

「私を、守る為?」
「はい……貴女がまだ幼い頃、陛下は精神的な病を患っておりました。あの頃の陛下は貴女の名を聞くだけで荒れ狂い、誰彼構わず殺そうとした程でした。このままでは貴女も、陛下御自身も、我々も全員危険だと判断し……その結果、誰しもが城では貴女の名前を口にしないようになったのです」

 アミレスが幼い頃──って事は、イリオーデがまだ皇宮にいた頃? 彼が私を王女殿下って呼ぶのも、もしかしてそれに関係しているの?
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