月読の塔の姫君

舘野寧依

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第二章:伝説の姫君と舞踏会

第17話 願い

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「イルーシャ、変わった能力を持っているそうだな」

 しばらくすると、カディスが部屋に入ってきて、開口一番にそう言った。

「うん、過去視って能力らしいよ。わたしの力が利用できるなら、そうしてほしいんだけど……」
「駄目だ」
「なんでよ?」

 一言で切り捨てられて、わたしはむっとする。

「おまえにそんなまずいことをさせるわけにはいかない」
「まずいことって……具体的にはなによ?」

 わたしははっきりしないカディスを挑戦的に見上げて言う。

「具体的に言うとそうだな……。たとえば他人の閨まで見ることになるが、おまえは大丈夫なのか?」
「ね……」

 カディスにそう言われて、わたしはかあっと赤くなった。
 閨って、つまりその、えっちってことだよね?

「そ、そんなの見る必要ないでしょ? カディス、なにか理由つけて断ろうとしてるのかもしれないけど……」
「閨を探るのも重要な任務だぞ。事後に男が女に重要事項を話すかもしれないからな」
「──カディス」

 冷たい口調でキースがわたし達の話をさえぎる。

「イルーシャに妙なことを吹き込まないでくれるかな?」
「あ、ああ……、わかった」

 キースの冷ややかな視線に、カディスと傍にいたわたしも凍る。こういう時のキースは本当に怖い。

「とにかく、その能力の訓練は駄目だ。……そんなことよりも、今はおまえもすることがあるだろう?」
「う……」

 確かに、そう言われちゃうと弱い。今は披露の式典の準備中だった。

「あ、じゃあ、式典が終わったら……」
「駄目だ」「駄目」
「ひっどい、結局駄目なんじゃないの!」

 二人同時に駄目出しされて、わたしは思わず叫んだ。

「もちろん駄目だよ」
「なにを言おうと駄目だ」
「……もう、いいわよっ、二人の意地悪──!」

 どうしても納得できないのと、子供じみた反応をしてしまったのが恥ずかしくて、わたしはその場を駆けだした。すると、すぐにキースが目の前に移動してきて、わたしを受け止めた。

「イルーシャ、単独行動は駄目だよ」

 ──どこまでも冷静な言葉。わたしはかっとなって、すぐにキースの腕から離れる。

「なによ、駄目駄目駄目って! わたしの自由はないの?」


 ──ちゃんと生きるって決めたの。


「──おまえがイルーシャとして生きることを選んだ時点で自由は制限されている。……諦めろ」


 意味も分からずこの国に来て、いろいろな人に出会った。


「わたしはこの国の役に立ちたいの。それだけだよ。なんで分かってくれないの?」


「君には荷が重すぎるよ」

 キースは最初からとても親切だった。なにも分からないわたしの面倒をいろいろ見てくれた。


「おまえの気持ちは嬉しいが、その能力でおまえが傷つかないとは言えない。すまないが諦めてくれ」

 カディスとは最初諍いもあったけど、今ではとても大切にしてもらってる。


 それからリイナさんや、シェリーやユーニスにはいつもお世話になってる。
 それから、それから──


 いろいろな人の顔が浮かんでは消える。


「都合の悪いことは見せないの? わたしは綺麗なことだけ見ていろってこと? そんなの無理だよ」

 瞳に涙が浮かぶ。
 滲む視界でも、二人が動揺するのが分かった。

「向こうの世界でも悪意は受けたよ。いじめられて人を信じられなくなったことだってある」

 自分でも止められない涙がこぼれ落ちる。
 ……ああ、こんなんだから、駄目って言われるのかな。なんとなく二人の気持ちも分かる。……けど。
 息をのむ二人の前で、わたしは自分の過去を顧みていた。


 友達だと思ってた子達からの突然のいじめ。
 無視。陰口。嘲笑。
 あの時は、教科書隠されたり、上履き捨てられたりもしたっけ。
 一番堪えたのはノートに『死ね』と書かれていたことかも。

 いじめの原因は今でも分からない。もしかしたら、ほんの些細なことだったのかもしれない。
 だけど、あの時からわたしは惰性で生きてきた。


 一生懸命やっても無駄。
 誰かに期待しても無駄。
 人や物事を適当にやり過ごすだけの人生。


 けれど、わたしはこの世界に来て、そんな生き方をしてきたことを悔やんだ。
 そして今度は後悔しないように生きるって決めたんだ。
 そして思った。

 イルーシャとして、わたしになにが出来るんだろうって──


「わたしが甘いのは分かってる。でも、お願い、わたしから可能性を奪わないで。わたしにもなにか出来るんだって信じさせて」
「イルーシャ……」

 泣きながら、わたしはカディスとキースの顔を交互に見る。二人にこの願いが届くことを願いながら。

「……本当に、おまえの願いを断るのは難しいな」

 溜息をつきながらカディスがふいに言った。

「泣かれて訴えられたら、もうどうしようもないね」

 カディスの言葉に頷きながら、キースが苦笑する。

「……それって……」
「仕方ない。認めてやる。ただし、訓練は披露目の後だぞ?」
「ほ、本当に?」

 信じられなくて、思わず涙が止まる。

「ああ、本当に仕方なくだぞ。おまえには汚れたものを見せたくはなかったが、そこまで言われては仕方ない」

 カディスが憮然として言ったけど、その頬は少し赤かった。
 そんなカディスの様子がおかしいのか、くすくす笑ってキースが言う。

「僕も仕方なくだけど、王命には従わないとね」
「なんだ、いつも俺より偉そうにしているくせに。キース、こんな時だけ俺をだしにする気か」
「それはきっと君の気のせいだよ」

 すまして言うキースに、さらに憮然とした表情になるカディス。わたしはそれに思わずくすりと笑った。

「わたし頑張るね。本当にありがとう。ありがとう、ありが……」

 二人には何度お礼を言っても足りないけれど、また涙が溢れてきてわたしはそれ以上言えなくなってしまった。

 二人はそんなわたしの傍に寄り添って優しく涙を拭ってくれた。


 ……本当に過保護だね、二人とも。


 気恥ずかしいながらも、わたしは幸せな気分に浸る。
 それは、この国の役に立ちたいというわたしの、新たな目標へ一歩踏み出した瞬間でもあった。



 あれから慌ただしい日々が過ぎて、とうとう披露の式典の日となった。
 大がかりな支度に身を任せながら、わたしはこれからの大仕事にちょっと緊張していた。

「……イルーシャ様、とてもお美しいですわー……」
「……ええ、本当に……」

 大勢の侍女さん達の溜息と共にそんな感嘆する声ばかりが傍で囁かれる。

「──ありがとう」

 いつもは照れくさくてしょうがない賞賛も、いい加減慣れてきた。わたしはにっこり笑って鏡に映った自分を観察する。うん、完璧。

 瞳の色に合わせたふんわりした淡い青色のドレスと、側面だけ結い上げてつけた淡い青色の髪飾りもちゃんと違和感なく似合ってる。
 そして、わたしの薄紅色の唇よりも少しだけ色の濃い紅をつけて、わたしの支度は完成した。


 大勢の騎士や侍女が見守る中、リイナさんに手を引かれて、わたしはカディスの傍まで連れて行かれる。

「──美しいな」
「ありがとう」

 目を細めて言ったカディスに、わたしはにっこり笑った。
 時間をかけて支度したんだもの、普段見慣れてる人からもそう言われないとね。
 わたしはカディスの差し出した手を取りながら、ちょっとした達成感を味わった。

 でも、本番はこれから。
 近くにはキースとダリルさんも控えていて、いつでも準備万端だ。

「さて、行くぞ。おまえの披露目だ」
「うん」

 わたしは、カディスに手を引かれて城のバルコニーへと向かった。差し込む光がちょっと眩しい。
 バルコニーに一歩踏み出した途端、ワッ!という大歓声が上がった。


 ──すごい。

 割れんばかりの声、拍手。手を振る人々。
 見渡す限りの大観衆がわたしを見て熱狂的な歓声を上げる。
 わたし、これほどこの国の人達に歓迎されてるんだ。そう思うと胸が熱くなった。
 わたしがにっこり笑って観衆に手を振ると、更に歓声が高くなる。


 ──この国がガルディア。
 この人達がカディスを王として上に戴いてるんだ。……カディスって、本当に偉かったんだね。
 わたしはカディスに失礼なことを考えながらも、伝説の姫君らしく優雅に微笑みながら手を振った。

 そう言えば、伝説の姫君であるわたしがいることで経済が活性化するって言われたっけ。
 それで、もしかしたらガルディア王国の一人一人の生活が良くなっていくことが出来るのかもしれない。
 そう思うと、伝説の姫君って、なんてやりがいのある仕事だろう。


 この歓声は、わたし個人じゃなくて伝説の姫君を歓迎している声だってことは分かってる。
 でもいつかこれがわたし自身に対するものに変わったら、とても幸せだ。

 そのためにも、高望みかもしれないけれど、伝説の姫君としての責務だけじゃなくて、わたし個人の能力でこの国をより良い方向に持って行けたらいいな。その為にはいろいろな人の協力も必要だろうけど、この国の人達となら上手くやっていける気がする。


「ねえ、カディス」

 笑顔で国民に手を振りながら、わたしはカディスに声をかける。

「なんだ?」
「わたし、この国に来られて幸せだよ」

 カディスは一瞬瞳を見開いた後、全開の笑顔になった。

 ──わあ、初めて見たよ、こんなカディス。

 わたしがちょっと驚いて見てると、カディスはそうか、とだけ返して、嬉しそうに前を向く。
 わたしも目の前の観衆に目を移して手を振り返しながらも願う。


 ああ、どうか神様。
 この世界の神様のことはまだそんなに知らないわたしの願いが届くかどうかは分からないけれど。


 どうか、この国のみんなが幸せになれますように──
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