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最終章

533—イリン:未来を掴むために

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 さて、まずは様子見といきましょうか。
 正直なところ、さっき自分でも言った様に手早く先に進んでしまいたいのですが、これは決して侮って良い相手ではないというのは容易にわかります。
 ですので、手早く迅速に、かつ慎重に戦うべきでしょう。

「予想される攻撃は触手によるものと、それから頭部の人型による何らかの魔術でしょうか」

 本体も魔術を使うかもしれないけれど、それはまだ分かりません。とりあえず頭の人型の方は確実に使うと言っても良いはずです。でなければあの位置からの無手での攻撃方法などありませんから。

 となれば、本体が物理、頭部の人型が魔術担当でしょうか? ですが、もしそうであるのであれば、厄介ですね。蛸の頭部に犇めき合っているあの無数の人型の全てが魔術を使うことになるのですから。

 そう考えていると、蛸の頭部から生えている人型達が一斉に歌い出しました。

「歌? ……いえ、魔術でしょうか?」

 歌の様にも聞こえるそれは、魔術の詠唱の様にも聞こえますが私の知っている言語ではありません。
 その歌で何をしてくるのかと思っていると、特に何も起こることはなく、代わりに触手が突き出されました。

「まずは触手による攻撃ですか」

 歌が何も効果を見せないのは不気味ですが、触手での攻撃というのは想定通りですね。

 槍の様に突き出された触手はそこそこ速いと言えますが、それは一般の者にとっては、です。私にとってはそれほど速いとは言えず、軽々と避けることができてしまう程度。

 故に、余裕を持ってその触手を避け、反撃として手に持っていた短剣を振り下ろ……そうとしたその瞬間、避けたはずの触手の側面から新たにひとまわり細い触手が現れ襲いかかってきました。

「っ!」

 剣を振る体勢になっていたところを狙って突然現れた触手を何とか回避し、その場を飛び退きましたが、それで攻撃は終わりません。

 側面から現れたのは一本だけではなく何本も。見た限り、最低でも二十はあるでしょう。それが八本。
 つまり、全部で二百本近くの触手を避け切る必要があることになります。

「少々侮りすぎましたか」

 そう、ここは魔王の城。決して侮っていい場所ではなかった。早く終わらせようと急くあまり、チャンスに飛びついてしまった。

 やっぱり様子見をしっかりと行った上で行動を取るべきでしょうね。

 四方八方から襲いかかる触手は脅威と言えます。床に叩きつけられた音からしてそれなりに重量はある様ですし、一撃でも食らえばそれが隙になりかねません。
 ですがそれだけの数の触手を全て同時にと言うわけにはいかない様で、僅かながら攻撃と攻撃の間にズレがあります。
 それがあるからこそ今のところは怪我なく避けることができているのですが、もう数分は避け続けているのにその攻撃が止まることはありません。

 そろそろ攻撃に移るべきでしょうか? このまま様子を見ていたところで、何が変わるとも思えませんし。

 一撃で落とせなくともいい。少しづつ傷を増やしていき、確実に壊していけばいい。
 そう考えて襲いかかる触手を無理のない範囲ですれ違う様に切っていきます。

 ですが、触手を回避をして切っていると、頭部の人型のうちの何体かが他の人型とは違う歌を歌い始めました。
 歌……やはりあれらは魔術の発動用でしょうか? ですがこの状況で魔術というと、さて……何を使ってくるでのしょう?

 尚も続く触手の攻撃を避けながらも頭部の人型達の様子を見ていると魔術が発動し、私が触手に与えた傷が治っていきました。面倒な……。

 それから先は攻撃用の魔術も使う様になってきたのですが、やはり先ほどから歌っていたあの歌は魔術のためのものだったのか、元々歌っていた歌の中に攻撃用の歌が混じることでお世辞にもいい歌だとは言えない耳障りなものへと変わりました。

 飛んでくる攻撃が属性も種類もバラバラだからでしょう。歌う歌も全てがバラバラで、あれは歌や声というよりももはやただの音。それも達の悪い耳障りなだけの雑音の類。

「どうやら、先に頭の人型を破壊する必要がありそうですね」

 そうしなければいつまで経っても意味のない触手との戦いを続けさせられることになってしまいます。

「っ、硬い……」

 なので少々無理をして触手を避けながらも頭部へと近づき人型のうち一体を斬りつけたのですが、生物的に見えたそれは、だけどまるで生き物ではなく鉱物の様な硬さをしていました。

 それでも力を込めて強引に砕いたのですが、あれを全部自力でとなると、できないわけではありませんが少々骨が折れます。できるだけ力を温存したい今の状況では、あまり好ましい方法とはいえません。

 ですので方向性を変えました。私が壊すのではなく、壊すことのできる力をぶつければいいと。

 そのために一度頭部から降りて触手を切りつけます。
 切り付けられた触手は当然ながら私を狙って攻撃をしてきますが、避けて避けて避けて──。
 そうして避け続けて再び頭部へと飛び上がりました。

 すると、私を狙っていた触手は当然ながらそのまま私へと向かって振るわれ、けれど私が避けたことで自身の頭部へと振り下ろされました。

 よし。今ので三割程度は削れましたね。この調子で行けば……。

 そう思ったのですが、それほど甘くはありませんでした。
 それ以降は頭部には結界が張られる様になってしまい、攻撃を誘導しても自爆を避ける様になり、誘導できたとしても多少かすった程度では傷すらつかなくなってしまいました。

 ですが結界を張る分に人型を割いたからでしょう、先ほどまでよりも攻撃の幕が薄れた様に感じます。
 加えて言うなら、触手を傷つけた時もその分だけ攻撃が薄くなりました。

 それが意味するところは、あの側面から出てきた触手は魔術によるものであるということ。
 そして、おそらくですがあの人型一体につき一本操っていると言うことです。

 つまり私のやるべきことは、どうにかしてあの頭部の人型を排除して攻撃も防御も回復もできなくなったところで本体を叩くこと。

 問題はその人型を壊すのが難しいということですが……

「ですが方針は決まりましたし、すぐに動くとしましょうか」




 どれほど戦ったでしょう。かれこれ数時間は戦ったと思うのですが……。
 人型の数は当初の半分ほどまで減らしたはずですが、まだまだ終わりそうもありません。

 ……いっそのこと、八本の本物の足の方を攻撃すると言うのはどうでしょう?
 私が何度も人型を破壊したせいか頭部の守りも強くなってしまいましたし、こちらの攻撃は通らなくなってきました。
 守りが増えた分あちらの攻撃も減って避けることがたやすくなったのですが、このままではお互いに決め手にかけたままただ時間が過ぎていくだけです。

 ですので、頭部を狙うのは諦めて他の場所を狙うべきでしょう。

 そう考えると即座に行動に移り、敵に私の考えを気づかれない様に頭部から八本の触手へと狙いを変えました。
 そして蛸の攻撃を避けて避けて避けて──ここです!

 その瞬間、もう何度もやってきたために慣れた腕だけの神獣化。
 相対している蛸と張り合うことができるほど巨大な腕を思い切り振り下ろして触手の一本を叩き潰しました。

「やった!」

 触手を潰した後はそのまま腕を動かすと、抵抗を感じたもののさほど苦労することなく千切ることができました。

 けれど喜んでいられたのも束の間。
 さあ次の触手を、とそう思いながら動くのには邪魔な腕を元の大きさへと戻すと、ちぎったはずの触手が魔力を放ち、土をこねるかの様にその姿を変えていきました。

「まさか……」

 蛸本体を気にしながらもちぎったはずの触手へと意識を向けると、土をこねる様に形を変えていた触手は、この数時間の間によく見慣れた姿──蛸へと形を変えました。

「増殖……いえ、分裂ですか」

 頭部の人型の数こそ本体よりも少ないですが、基本的な造形は全く同じ。
 強いて言うのなら本体の足は千切れたまま七本となっていますが、新たな蛸は八本の足となっているくらい。

 ですが、悲観するばかりとも言えません。
 本体の頭部にあった人型のいくつかが消えています。おそらくは分裂する際に消費したのでしょう。

 なので本体の触手を削っていけばいずれは守りの結界を張っている余裕がなくなるほど人型が減ると思います。
 そうして守りがなくなったところで本体を殺す。そうすれば終わりです。

「問題は人型が減っても蛸は増えるところですね」

 加えて、本体を倒したところで分裂したものが一緒に死ぬとも限らないですし、分裂したものがさらに分裂しないとも限らない。

 だけど、それでもやるしかない。

 そうして終わりへの道は見えているけど、終わりの見えない戦いを再開しました。

 ……。
 …………。

 ……想像通りと言いましょうか。やはりあの蛸は分裂したものであってもさらに分裂しました。

 まだ手も足も動く。けれど、無傷という訳ではありません。
 二十ほどは倒した気がするのですが、その間に何度か攻撃を受けてしまい、その度に当たった場所の骨が折れました。

 順調に本体の足を削ることはでき、今では残り一本の足がついているだけとなった蛸。
 けれどそれを守る様に三十体近い蛸がいます。
 それだけいれば身動きが取りづらくなるものですが、そうはなりません。敵は本体でないから故の行動をとって来る様になりました。──つまりは自爆と同士討ち。

 私が接近したのを見計らって自分ごと魔術の範囲内に収めての自爆。

 自爆する前に殺したとしても、巨大な蛸の体の陰に隠れてしまい周りの見えていない私を、仲間もろとも攻撃してくる様になったのです。

 この二つのせいで、私は追い詰められることになりました。

 まだ手足は動く。まだ戦える。
 けれど、それだってずっと続くわけではない。

『イリン! 環!』

 少しだけ。本当に少しだけ諦めの感情が私の中に生まれた瞬間、その声が聞こえました。
 聴き慣れた、聴きたいと思っていた、けれど今聞こえてくるはずのない大事な人の声。

「彰人様!?」
『……彰人!?』

 突然聞こえてきた声に私が驚きの声を出して彰人様の名前を呼ぶと、それと同時に環の声も聞こえてきました。

「!?」

 周りを見回しても環の姿はないし、彰人様の姿だってない。
 けれどそれがどうしてなのか、どこから聞こえてくるのかを理解しました。
 耳飾りです。以前手に入れ、けれど最近まで放っておいた伝心花の魔術具の耳飾り。
 それはどこまで離れていたとしても必ず想いを届けるというもの。それの効果のおかげで声が聞こえるのでしょう。

『待ってろ、すぐに……すぐに、こいつを倒してやる。そうすれば終わりだ。だから、もう少しだけ持ち堪えてくれ』

 ですが、声はいいとしても私たちの姿は見えないはず。現に私は彰人様の姿も環の姿も見えてはいない。
 だというのに私たちに話しかけているその声はまるで私たちの状況が見えているかのようで、思わず尋ねてしまった。

「あ、あの……もしかして私たちの姿が見えているのでしょうか?」
『……ああ。魔王がな。苦しんでる女の姿を見せてやるって』

 ま、おう……。
 くるしんでるすがた……。

『待ってろ。すぐに終わらせるから』

 大丈夫だって送り出したくせに、こんなに無様な姿を見られている?

 私は何でこんな姿を見せているの?
 私はさっき、何を考えていたの?

 諦め? ふざけないで。そんなのは、全部終わった後に過去を思い返してすればいい。
 今を生きる者が、未来を願う者が未来を諦めるなんて、そんなのは自分で未来を選び生きることを放棄したただの人形でしかない。

 帰ったらお願いを聞いて、なんて言った私が……ここから帰ったら子どもを、なんて未来を語った私が、こんなところで未来を諦める?
 そんなのは……

「……いいわけ、ない」
『……いいわけ、ない』

 ……どうやら、環の方も苦戦してるみたいですね。
 けど、考えることは同じ、ですか。結論だけじゃなくて、そこに至るまでのタイミングも同じだなんて……まったく、笑うしかないですね。

「こちらはご心配なく。少々油断してお恥ずかしい姿を見せましたが、問題ありません」
『そうね。ええ、全くその通りよ。この程度、あなたに助けてもらうまでもなく自分でどうにかできるわ』

 ですが、これで尚更諦めるなんてことはできなくなりました。

 家族に情けない姿を見せるのは構いません。
 大好きな人に弱いところを見られるのも構いません。

「ですから、あなたは私たちのことなど気にせずに、どうかご自身の敵に注力を」
『こっちを心配したせいで、自分で魔王なんて名乗るような恥ずかしい奴に負ける、なんてことはやめて頂戴ね』

 ですが、せめてライバルと認めたものの前では意地を張っていたい。

「ぶっ飛ばします!」
『ぶっ飛ばしてあげる!』

 だって、負けっぱなしでいるのはかっこ悪いから。

「この程度っ! これが何だというのです!」

 私はその光景を直接見ていない。けれど、アレにできたのです。なら私にだって!

 髪を一房掴み、それを乱暴に切り落としました。
 そしてそれに魔力を込めて集中をしますが、その間にも蛸の攻撃は止まりません。
 けれどそれでも手に持った髪に魔力を流し込んでいきます。

 そして……

「これでっ!」

 攻撃を避けながらも持っていた髪をばら撒き、ばらまかれた髪は空中で散らばりました。
 けど、そのままでは終わらない。
 ばら撒かれた髪は光を放つと、それぞれに込められた魔力が形をなしていき、狼の姿となって空から蛸の群れへと降り注ぎました。

 目の間にいる敵がやった技──ではなく、私の力の元となった神獣がやった技。

 これで周りにいる分裂体は足止めをしてくれるでしょう。

 その間に私は本体へと駆け出しました。

 時間稼ぎと言っても、所詮はそれほど大きくもない狼が相手ですから大した時間ではないでしょう。精々が数分程度。その間に本体を倒すのであれば、この体では少し難しい。

 だから私は走りながら姿を変える。
 腕だけであればすぐにできる様になった神獣化。けれどそれが全身となると止まったまま集中しなくてはできなかった。

 でも、今は止まってる時間なんてない。一歩でも前に。一秒でも速く。
 今までできなかったからなんて、そんな理由はどうでもいい。

 過去を振り切って今を進み、未来を掴み取る。

 そのために私は……。

「ガアアアアアアッ!!」

 周囲にいる巨大な蛸にも負けないほどに巨大な狼へと姿を変え、蛸たちの本体へと喰らい付く。

 喰らいついただけでは蛸は死なない。
 頭部の人型たちから魔術の雨が降り注ぎ、本体に残っている足で私の体を打ち据える。

 けれどそれでも離さない。それどころか噛みつく力をさらに込めて、喰いちぎる。
 その瞬間頭部の人型たちが絶叫をあげたけど、それすらも無視して噛みつき、ちぎる。

 そして、蛸の半ばまで食らいついたその瞬間、すべての蛸の頭部についている人型が絶叫を上げ、爆発しました。

「あぐうっ……!」

 噛みつくだけでほとんど力を使い果たしていた私はその爆発を避けることができず、四方からの衝撃に吹き飛ばされてしまいました。

「はあ、はあ……これで、終わりですね……」

 けれど、それでも私は生きています。
 そして気付けばいつのまにか神獣化が解除されていた体を起こして周囲を見回せば、そこには爆ぜた蛸の残骸だけが残っているだけ。

 どうやら、本体を倒せば終わりだった様ですね。

「──ふう。……やれば、できるものですね」

 倒れながらそう呟くと、ふと見られていたことを思い出しました。

「まだ、見ているのでしょうか? もし見ているのであれば、少しは安心できましたか?」

 倒れたままではありますが、見ているかもしれないご主人様に微笑みながらそう語りかけました。

「さあ、次の階へ……あ──」

 そうして次の階に進んでご主人様の手伝いを使用と思ったのですが、立ち上がろうとしても体がうまく動かず、べちゃ、と無様に倒れ込んでしまいました。

「申し訳ありませんが、少し……少しだけ休ませていただきますね」

 情けないですが、仕方ありません。このまま行ったところで足手纏いにしかなりませんから。
 けれど、少し休憩をとったらすぐに手伝いに向かいます。

 だから、頑張ってください。
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