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最終章

523:前夜の語らい

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 テントから外に出て南へと目を向ければそこには視界を邪魔するものはなく、かなり小さくなった王都が見えた。
 昨日まではあそこにいたが、明日には襲撃が行われるということで俺たちは城を出てここにやってきた。

 ここは……王都から二キロほどだろうか? まあ大体それくらい離れた場所にある魔王の襲撃に対抗するための前線基地だ。
 これから戦争があると考えると二キロなんてそんなに離れていないように思えるが、人間の兵士達の何割かは街に寝泊まりしているので、これ以上離れると行き来が難しくなるのでこうなった。

 そして背後、王都とは逆の方向へと振り返ると、そこには高く上に伸びた壁が見える。
 最初にあの壁を作っている風景を見た時は、絶対に間に合わないだろうと思っていたのだが、結局なんとか完成した。

 その理由は途中からやって来てくれたシアリスだ。あの作業風景を見ていたが、細かい作業はともかくとして、壁造り自体はほとんどシアリスがやっていた。
 俺は城から眺めていただけだったが、遠目からでもその作業はよくわかり、どんどん壁が出来上がっていく様子は、線を引いたかのように真っ直ぐで素早いものだった。
 途中で何度か休憩を挟んでいたが、それでもアレを一日で作り上げたんだからすごいとしか言いようがない。

 元々シアリスの根源魔術は石の壁を作ることだったらしく、ケイノアの力を受け継いだことによって以前よりも強化されたそれは、たった一人で城壁を作ってしまえるほどのものとなっていた。
 シアリスに話を聞いたら元々の1.5倍くらいの出力で壁を作れるようになったと言っていたが、逆に言えばケイノアから力を継ぐ前にもアレの3分の2程度の壁は作れていたということで、それはそれで驚きだ。

 そんな自分の身長の何倍も大きな壁を見上げながら歩いて近づいて行き、そしてその壁の上に登った。
 本当はこんなところに来るつもりはなかったんだが、門の前で待機していた兵に何か用かと畏った態度で尋ねられたので、そのまま帰るのもなんだなと思ってここまで登って来たのだ。

 そうして登った壁の上には大型の設置武器が備え付けられており、しっかりと準備はできているようだ。
 そして左へと視線を向ければ、そこにはさっきまで自分もそこの中にいた前線基地の様子を見下ろすことができる。

 魔族へと対処するため、魔王を倒すためとはいえ、これだけの人が集まったのだと思うと……いや、ここにいる人たちだけではなくこれ以上の人が集まったのだと思うと、すごいと思うと同時に、不安も感じてくる。

 ここを含め、他の二つの場所で魔族の侵攻を止めてる間に俺たちが魔族の群れの中を突っ切って魔王を殺す。そんな作戦と呼べないようなものが今回の作戦だ。

 一応俺たちだけではなく他にも何人が少数精鋭を送り出すことになっているらしいが、それでも人を集め、魔王へと立ち向かうための旗頭は勇者である俺たちだ。

 こんなにも集まった人達の願いと命を預かるんだと理解すると、今更ながらに足が震え、呼吸までもが震えてくる。
 自分の内側がぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、今にも吐き出しそうだけどそれでもまだ踏みとどまれている程度の嫌な感覚。

「……明日、か……」
「はい」
「ついに、っていうべきなんでしょうね」

 そんな自分の中の不安や緊張、そして恐怖を誤魔化すために呟いただけの言葉だったのだが、そんな言葉に背後から返事が返ってきた。

 振り返るとそこにはイリンと環がいて、俺のすぐそばまで近寄っていた。

「……お前たちも来たのか」

 だが俺は、二人が来ていたことに気がつけないほどいっぱいいっぱいだった。
 そのことに気づいた俺はそんな不安を誤魔化すために、二人にでも眼下の人々でもなく、魔王が襲撃してくるであろうなにもない草原が広がっている北へと体を向けた。

「……二人は怖くないのか?」

 そんなことを聞くつもりはなかった。
 だが、胸壁だったか? 壁の上にある壁という変な表現をするようなそれに体重を預けながらなにもない草原を見ていたら、いつのまにかそう口に出していた。

「怖れは、あります」
「私もよ。どうなるんだろうって、怖い」
「……そう、だよな。そうに決まってるよな」

 そうだ。当然だけど。怖いに決まってる。
 前にも似たような状況はあった。街の周りを無数の魔物に囲まれてそれを殲滅するってことが。
 あの時はこんなに気負う事もなかったし、実際なんとかなった。

 だが、今回はあの時とは訳が違う。
 攻めてくるのは魔物ではなく魔族。
 その親玉は人間に飼われた魔族ではなく、人をおもちゃとして考えている魔王。

 立ち向かわなくてはならない戦力があまりにも違いすぎる。

 仮に魔族がどうにかなったとしても、魔王はどうする? 本当に倒せるのか? 今までの勇者たちは倒し切ることができずに封印をするしかなかったほどの存在だ。
 そんな奴を、出来損ないなんて呼ばれた俺が、本当に倒すことができるのか?
 俺たちの他にも魔王を殺しにいく奴らがいるんだから、そいつらに任せておけば……。

「はい。ですが、怖れはありますが、不安はありません」

 そんな風に悪い方へと進んでいた俺の考えは、イリンの発した言葉で止められた。

 はっきりと告げられたその言葉に、なんでそう思えるんだと問いたくて振り返る。

「あなたなら、なんとかしてくれると知っていますから」

 だが、振り返った先には俺を見ながら笑っているイリンがいて、その顔を見たらなにも言えなかった。

「……やっぱり、その評価は変わらないのな」

 そしてなんとか吐き出したのはそんな言葉だった。

「はい。いつまで経っても、何があっても、誰かが何かを言ったとしても、この想いは変わることはありません」
「そうか……」

 真っ直ぐと俺を見つめながら微塵も揺れることない瞳。それはとても綺麗で、とても好きなものだ。

 だが同時に、その瞳は……とても怖かった。

 だってそうだろ。こんなにも慕ってくれている女の子がいる。俺に全幅の信頼を寄せてくれている。
 だがその信頼を裏切る結果になったらと思うと……とても怖い。

「彰人。私はあなたがかっこいいだけのなんでもできる超人じゃないことを知ってるわ。かっこ悪いところもあるし情けない姿も見せる。でも、なんだかんだで最後にはかっこいい姿を見せてくれるって信じてる」

 かっこいい姿……それは、本当に俺の事か?
 好きな人に、そして自分を好きになってくれている人にこんなことを言われ、でも、それでも命のかかった戦いに挑む決心がつかないで情けないことを考えている俺は、本当に環の言うようにかっこいい男か?

「……なあ、俺は本当にかっこいいと思うか? 今からでも遅くないから逃げ出した方がいいんじゃないかなんて思ってる俺は、本当にお前達が言うほどかっこいい存在なのか? こんな時になって、明日に怯えてお前達に情けないことを聞いてるような俺が、本当にかっこいいと思うのか? 一緒に逃げようって、今にも言い出しそうなのを必死に抑えている俺は本当に……」

 これも、言うつもりはなかった。こんなにも言うつもりはなかった。こんなに情けなくてかっこ悪くてどうしようもない姿を見せるつもりはなかった。

 でも、一度言葉を口にしてしまったら止まらない。止めなくてはならないと頭の冷静な部分は理解している。
 だが、そんなちっぽけな理性なんて意味がない。
 感情が言葉となって自分の口から流れ出ていく。
 感情を言葉にしながらもそれを後悔するが、それでも自分の意思では止められない。

「……この大陸から逃げればきっと大丈夫だ。生き残ることができるはずだ。だから一緒に逃げよう………………そう言ったら、お前達はどうする?」

 そして、ついに言ってはいけないことを二人に聞いてしまった。

 ああ情けない。……あまりにも情けなさすぎる。
 ここまで来てそんなことを言うのか俺は。

 自分のあまりの情けなさに俺は自分が嫌になる。
 流石にこんな姿を見せれば、言葉を聞かせれば、きっと二人だって……。

「わかりました」
「なら、逃げましょうか」

 だが、俺の予想に反して二人は笑顔のままそう言って俺に笑いかけた。

「え……」

 二人の言葉があまりにも予想外すぎて、俺の頭の中は真っ白になった。
 え……どう言うことだ?

「どうかしましたか?」
「逃げのよね? なら急ぎましょう」
「だが……」

 自分で言い出したことのはずなのに、いざ二人が逃げようと言うと、俺はそれに肯けないでいる。

「あなたがついてきて欲しいと願うのであれば、私はあなたについていきます。たとえそれが皆の期待を裏切ることであったとしても、ここの全てを捨てることになったとしても、それであなたが笑っていられるのなら、私はそれでも構いません」
「でも、ここで逃げたとして、あなたは笑っていられるの?」
「ここで逃げたら……」
「そこで笑って答えられなければ、あなたは逃げた先で笑っていられないわ。だって、あなたはかっこいいもの。目の前に逃げるって選択肢があるのに素直に逃げることを選ばなかった時点で、あなたは逃げないわよ」

 俺のことを見つめる二人の視線に、俺はさっきまで感じていた以上の緊張感を感じていた。
 胸の中が気持ち悪くなり、今にも吐き出しそうなほどの不快感が込み上げてくる。

 そんな胸の中で渦巻く緊張を誤魔化すために、右手を胸の前に持って行き思い切り服を握りしめて胸を押さえつける。

「……怖い。どうしようもなく怖い。敵は魔王なんて名乗ってるわけわからない存在だ。挑んだところで、失敗すれば俺も、お前達も、死ぬことになる。それがどうしようもなく怖い。仮に魔王を倒したとしてもお前達は死ぬかもしれないし、その逆だってあるかもしれない。絶対に守り切れるとは……言い切れない」

 怖い目に合うかもしれない。怪我をするかもしれない。死ぬかもしれない。
 絶対に守れるなんて、絶対に勝てるだなんて、言い切ることはできない。

「それでもお前達は、こんな弱音を吐くような情けない奴について来てくれるのか?」
「はい」
「もちろん」
「即答、か……」

 少しぐらい悩んでくれると、悩んでることを正当化できたんだがな……。

「言ったでしょ? 寄りかかって欲しいって。弱音を吐くくらい、もっと増えても良いくらいね」
「そうですね。何があっても、私たちはあなたを支えます。だから、安心して思うがままに進んでください」

 でもそうか……。

「なら、これ以上弱気なところを見せるわけにはいかないか。ヒロインよりも情けないヒーローなんて、かっこ悪いからな」

 今の俺は笑っているものの、不安が混じり笑いきれていない不格好なものだろう。

「勇者やヒーローなんて、柄じゃないけどな」

 だがそれでも俺は笑う。ここで笑えなければ、不格好な今よりももっとカッコ悪いから。

「あなたに助けていただいた日から、私のヒーローはずっとあなたです。あなた以外のヒーローなんていません。たった一人、あなただけが私のヒーローです」
「柄じゃない、なんて言ったら、私だって勇者なんて柄じゃないわ。でも良いじゃない。勇者であってもなくても、あなたのやってきたこともこれからやることも、全部あなたの成果よ。あなたは自信をもって胸を張ってれば良いのよ」

 胸の中で暴れる感情の渦は未だ消えない。
 だがそれでも二人の言葉で前に進む勇気は得られた。

 俺は二人の言葉を噛み締めるように目をつむった。
 そして目を開けた俺は目の前に立っている二人へと抱きつき、抱きしめた。

「……ありがとう」
「どういたしまして」
「こちらこそ、ありがとうございます」

 挑もう。明日は魔族と戦い、魔王と戦い、そして、勝って終わりにしよう。
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