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ギルド連合国の騒動
444:新たな関係
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昨日はイリンと環との話し合いの後、あの時はこうして欲しかった、あの時はどう思っていたなんて事。そんな今までは話せなかったことを俺たちは初めて話した。
そしてこれからどうしていきたいのか、何をして欲しいのかなんてことも話した。
俺は今まで甘えていたんだ。
いくらしっかりしていると言っても、いくら成人していると言ってもそれはこの世界基準であり、その大人な見た目と違ってイリンの年齢自体は二十などまだまだ程遠いのだ。
環だってまだ十七……こっちにきてからの時間を考えたとしても十八だ。二人ともまだまだ子供と呼んでもいい年齢だ。
そんな子供に、俺は甘えすぎていたんだ。理解してくれる、ついてきてくれるって。
俺は、これからを変えるためにもまずは二人のことをもっと知らないといけなかった。
だから三人で話をして、夕食をとり、また適当に話をしてから眠りについた。
そして翌朝。まだ日が顔を出したばかりの時間だと言うのに、俺はイリンと環が両サイドに寝た状態で目を覚ました。
俺は目を覚まして両隣の二人を見ると、まだ早い時間だが特に眠くもないし、何かするのであればまずは起きるか、と二人を起こさないように静かに移動する。
だが移動するには両隣にイリンと環が寝ているのだからそのどちらかの上を通らないといけないことになる。
俺は特に意識したわけではないのだがイリンの上を移動していき、その際に目を覚ましたイリンと目があってしまった。
「お、おはよう……」
今の俺はイリンに覆いかぶさるような姿勢になってしまっているせいで、何となくバツの悪さと言うかなんと言うか、そんな感じのものを感じてしまって言葉を詰まらせてしまった。
だがイリンはそんな俺の様子を気にすることなく優しげに微笑んだ。
その笑みは昨日の貼り付けた人形のようなものではなく、俺が好きな、イリンの本心から溢れたものだった。
そうしてイリンは俺に向けて微笑むと、両手を伸ばして俺の頬を挟みこみ、自分の顔へと引き寄せてキスをした。
「はい。おはようございます」
「まさか、結婚して半年程度で離婚の危機を感じることになるなんて思わなかったわ」
早朝、日が昇る前に起きてからは、俺とイリンは部屋に備え付けられていたソファに座って改めて昨日の続きをを話していった。
そうしているうちに日も完全に昇り、環も起き出して今は三人でお茶を飲見ながら話し合っていた。
「それは……まあその……」
結婚してから二年以内に離婚する人、離婚を考える人の数は多いと聞くが、それでも半年は早すぎるだろう。
だが、向こうは新居や何やらの新生活への適応に時間がかかって離婚を考える余裕もないから、新生活に慣れてきた二年目あたりで離婚を考えるようになる。みたいな話も聞いたことがある。
それを踏まえると、結婚してもそれまでの生活とあまり変わっていない俺たちは、新生活に慣れるまでの時間は必要なかったからその分離婚について考えるのも早くてもおかしくない、と言い訳もできる。
それでも十分に早いと思うし、原因は俺なわけだからなんとも言えないけど……。
「そうは言っても、仮に離婚したとしてもイリンがあなたを追いかけるのをやめるとは思わないけどね」
まあイリンが俺から離れようとした理由は俺が嫌いになったからってわけじゃないしな。その点は素直に嬉しい。
イリンは自分が嫌われたらどうなるかわからないと言っていたが、それは俺も同じだ。イリンは俺に依存して、俺はイリンに依存している。
「だって、狂ってるもの」
「狂ってる、ねぇ……」
俺は環の言葉にそう返したが、その言葉も理解できる。
確かにイリンは出会った頃から今に至るまで、多少は落ち着いたとは言っても狂っていると言える行動をしてきた。
寝るときはずっと俺の顔を覗き込んできたり、朝起きると俺の顔を覗き込んでいたり、俺の体臭を嗅いでいたり、陰からずっと見ていたり……。
あとは……俺は普段脱いだ服は収納に入れ、汚れを分けて収納したまま服だけを取り出すことで綺麗な状態にしているのだが、たまにはしっかり洗わないとって言って綺麗にしていない状態の服を回収していく。その後の扱いは知らないが……まあ……まあ、な。
……狂ってるって言うか、なんかただの変態みたいになってきたな。
だがこれも俺が一緒にいることを認めているから何事もなく済んでいるが、認めていなければストーカーだ。ただの変態を取り越したヤバいやつだ。狂っていると言えなくもない。
ストーカーと言うにはいささかハイスペックすぎるけど。
「ええ。少なくとも普通じゃないでしょ? そしてそれは私も同じ。……これでもわたし、客観的に自分を見ることだってできるのよ? いえ、できるようになった、の方が正しいかしら」
言われてみれば、環は再開した当初に比べて随分とまともになったよな。
環の中に取り込まれた洗脳魔術──精神を弄る魔術のかけらがどう作用するかわからないと聞いていたが、その影響もいい感じに安定したと言うことだろう。昨日の環を見ていれば彼女が変わったと言うのはよく分かる。
昨日は環がいてくれて本当に助かった。環がいなければ、イリンは本当に何処かに行ってしまったかもしれないのだから。
「私も十分おかしいけど、イリンもおかしいわ。狂ってる。だって、好きな人が自分のことを好きでいてくれるのに嫌われたくないから離れるって何よ。好きなら何をしてでもそばにいればいいじゃない」
何をしてでも、って言ってるけど、こいつらなら本当に『何をしてでも』そばにいるんだろうな。
「わたしが狂っているのであれば、そんなわたしと張り合おうとするあなたはどうなのですか?」
「当然、私も同じよ。私も恋に、愛に、彰人に狂ってる」
環の言い草に少しムッとしたイリンが問いかけるが、環は何でもないかのようにそう言った。
「でもそれがどうしたのよ。いいじゃない狂ってても。愛に狂うだなんて、素敵じゃない? どんな人が、どんなものが邪魔をしても、その全てを殺して壊して払い除けて、そばにいて愛してもらうために努力をする。そしてその努力を認められて好きな人に愛してもらう。ね? 素敵なことでしょ?」
……ああ、やっぱりちょっとおかしかったわ。
「そもそも、狂うことすらできない愛なんて、そんなの、私にとっては愛じゃない」
……うん。そうか。
そんなことを話しながら話題は昨日のことへと移り、イリンがポツリと呟いた。
「……今思うと、お母さんたちはわかっていたのだと思います」
「わかっていた? イーヴィンさんたちが何をわかっていたって?」
「こうなることを、でしょうか」
こうなること、というのは俺たちが昨日のように喧嘩のようなものをすることだろうか?
「里を出てくるときにお母さんたちからもらった本には色々書かれていましたが、最後に私へのメッセージが書かれていました」
「それはなんて書かれてたのか聞いてもいいのか?」
俺の問いにイリンは黙ったまま頷くとその内容について話し出す。
「話すことは大事だと。たくさん話してたくさん触れ合って、お互いを理解しなさい、と。そう書かれていました」
ああ。それは確かにわかってるな。でなければそんな事をわざわざ本に残してまで伝えたりしない。
「多分、経験談なんだと思います。最後に、イリンと私は似てるから、とも言っていましたから」
俺が原因なのかまではわかっていなかったとは思うが、それでも何かしらの理由でああなる事はわかっていたんだろうな。
「それで、これからどうするの?」
「これから……そういえばニナが迎えに来るとか言ってたと思ったが……」
昨日は自己嫌悪に陥っていたせいであまりよく覚えていない。どうだったっけな、と思い出してると、すぐ近くからキュ~という音が聞こえた。
その音の方へと視線を向けるとイリンが恥ずかしそうにしながらお腹を押さえていたので、今のはイリンの腹の虫だろう。
「……とりあえず朝食にいくか」
「そうね」
「……はい」
そうして俺たちは食堂へと降りていき朝食を取ったのだが、ただそれだけのことが嬉しくて、楽しく思えた。
昨日の今日だ。変わるだなんて言ったところで、そうすぐに変わることはできないだろう。
だがそれでも、今度こそ間違えないようにしようと、そう心に刻んだ。
朝食を終えて部屋に戻りダラダラしていると、部屋をノックする音が聞こえた。扉の外にいたのは宿の従業員で、どうやら客が来ているとの事なので一階に降りていくことにした。
「アンドー」
「ああ、ニナ」
受付の前に立っていたのは、俺の不甲斐なさを教えてくれたニナだった。
「……話はできたみたいだな」
まだ顔を合わせただけだというのに、ニナは俺たちがしっかりと話し合った事を見抜いたようだ。
「おかげさまでな。ああハッキリ言ってくれてありがとう」
「それは皮肉か?」
そうは言ったが、ニナはニッと笑いながら言っていたので、それが冗談だと分かる。
「普通に感謝してるんだよ。──本当にありがとう」
俺が改めて頭を下げて感謝をすると、ニナは照れたように少し顔を逸らしていた。
「それで、今日は何かあるのか? 昨日迎えに来る、みたいな事を言って今こうして実際に来てるわけだし」
頭をあげた俺はそう尋ねる。ニナが迎えに来るとは聞いていたが、それがどんな用事なのかまでは聞いていなかった。というより、聞いてはいたのだろうが頭に入っていなかった。
「ああ。一つは私たちの宿を教えておこうと思ってな。しばらくこの街にいるんだろう? なら知っておいて損はないだろ」
「まあ、この街に知り合いはお前しかいないわけだし、何か用があることもあるだろうからな」
「その時にネーレとも会わせておこうというのもある」
「ああ、そういえばこの首都に居るんだったか」
本当なら前回の街に滞在していた時に会う予定だったのだが、こっちの首都の方に用事ができたとかでネーレという人物は街から離れてしまっていた。
イリンの故郷に何度も行ったことのある人らしいし、イリンが拐われた時に色々と探してくれた人物の一人でもある。一度はあって礼を言っておきたかった。
「で、もう一つが、というかもう一つも面通しだ。冒険者ギルドの本部長に会ってもらいたい。どちらかというとこちらの方が本命だな。前の街で冒険者ギルド支部長のヒズルの時もやったが、例の件はお前達にも関係している。何かあった時のために一度は顔を合わせておいた方がいいだろうと思ってな。それに、お前達から渡されて情報によって多少なりとも進展があったのは事実だ。本部長としてもいずれはお前に会うために動いていたはずだ」
「俺はただ、ベイロンに渡されたものをそのまま差し出しただけだが?」
しかもそれだってあいつの気紛れで、今をもってなおあいつが何を考えて雇い主達の情報を俺に渡したのか、その真意はわからない。
「それでもお前がいなければベイロンはその書類を渡すこともなかっただろう。だからそれは紛れもなくお前の成果だ」
そう言われると、なんだか俺が頑張った感じに思えるな。
実際は舐めプした上に流れに任せて行き当たりばったりで、俺としてはあれはかなり情けないことだと感じているから成果とは思えないが。
「それで、もう行けそうか? それとも準備にかかりそうか?」
「どうだろうな? 朝食はもうとったし俺はいつでもいいけど、二人はちょっと聞いてみないと」
元々部屋に荷物なんかをおいているわけでもないし、二人なら察して準備をしてくれているかもしれないが、昨日話し合って決めると言ったばかりなのに、俺がここで勝手に決めるわけにはいかない。
「そうか。なら……ああ、そこで待ってるから呼んできてもらっても構わないだろうか?」
「ああ。ちょっと行ってくるよ」
そう言って俺はニナと別れ、部屋へと戻っていった。
「イリン、環。出かける準備をしてもらって構わないか?」
「ニナが来たのですね」
「大丈夫よ。というかもう終わってるわ」
早いな。やっぱり俺に客と聞いてからニナの事を察して準備していたか。
でもまあ、迎えに来てくれたニナを待たせる必要がなくなったんだから、それならそれで構わない。
「じゃあ行こうか」
そうして 俺はイリンと環を伴って一階へと降りていく。
その際に二人と手を繋いで歩いて行ったのだが、それはいつもなら手を繋ぐことになってもおずおずと控えめにしているイリンの方から手を伸ばしてきた結果だった。
「ニナ」
「ん? ああ、早かったな」
ニナはそう言うと俺の横にいるイリンと環を見てから口元を緩めて微笑みながら頷いたが、それ以上何かを言うことはなかった。
「もう準備をしていたみたいでな」
「そうか。なら行くとしようか。まあ、それほど離れているわけではないがな」
そう言いながら歩き出したニナの背を追って、俺たちは宿を出てニナの泊まっている宿を目指した。
「ここだな」
だが、歩き出してから十分とかからないくらいでニナは足を止めて、俺たちに振り返った。
「本当に近かったな」
「そう言ったじゃないか」
ニナはそう言って肩を竦めると、止まることなく宿の中に入っていく。
「ネーレ!」
そうして宿の中に入ったニナは、受付のあるホール内を見回すと、そこに設置されていた椅子に座って剣の手入れをしていた一人の少年へと目を止め、自身の恋人の名前を呼びながら早足にその少年へと向かっていった。
おそらくはあの少年がニナの言っていた恋人のネーレなのだろう。
「あ、ニナ。そっちの人が……わぷっ!」
ネーレらしき人物は、自分お名前が呼ばれたことに気がつくと振り向き、ニナに気がつくと手入れをしていた剣から手を離して立ち上がった。
が、ネーレが立ち上がった瞬間、ニナは彼のことを抱きしめたせいでネーレの言葉が最後まで続くことはなかった。
……こうしてみると本当に小さいな。ニナが俺と同じくらいだから百七十としてネーレは……百五十くらいか? 歳は十八って聞いてたけど、もっと若くても通用するなあれは。
「ただいま」
「おかえりなさい。……じゃなくて、ニナ、離してよ」
ネーレはそう言いながら腕を突っ張るようにしてニナの体を突き放すが、ニナはまだ物足りなそうにしている。
……というか、ニナは今までの様子と違いすぎやしないか? ああでも、以前戦闘の時はもっと荒々しかった気もするから、興奮すると性格が変わる感じなんだろうか?
「アンドー、タマキ。こいつがネーレだ!」
物足りなそうにしながらも、やるべきことはしっかりと覚えているようで、ニナは俺たちに紹介を始めた。
「ネーレ。イリンは知ってるだろう? そっちの男がアンドーで、女の方がタマキだ」
「はじめましてネーレさん。安堂彰人と申します。ニナの紹介したようにアンドーと呼んでください」
「私は滝谷環です。私もタマキで構いません。よろしくお願いします」
「はい。僕はネーレです。よろしくお願いします」
俺と環が軽く頭を下げて挨拶をすると、ネーレも同じように挨拶をしてきた。
見た目もだが、性格的にもネーレは冒険者らしくないな。
俺たちは元が日本人だから例外だが、冒険者はもっと荒々しい奴が多いのに、よくこんなんでやってこれたな。
「あの、ところで……そちらの方がイリンさんでよろしいでしょうか?」
ネーレは俺と環への挨拶を終えると、今度は少し不思議そうにしながら俺の隣にいたイリンへと視線を向けてそう言った。
「何を……ああそうか。成長後は会ってなかったんだな。そうだ。この獣人は大きくなったイリンだ」
「お久しぶりです、ネーレさん」
「あ、うん。……元気そうでよかった、です」
そう言って少し照れた様子を見せるネーレとそれを見て笑っているイリンに、俺はぴくりと眉を動かした。
だがそれは自分の意思で動かしたわけではない。気付いたら勝手に動いていたのだ。
「ありがとうございます。その節はお世話になりました」
「う、ううん。結局見つけられなかったわけだし……」
「それでも、探してくださってありがとうございます」
イリンとネーレはそんなふうに離していたのだが、突如ニナがネーレを抱き上げて宿の出口へと歩き出した。
「次はギルドだな。行くぞネーレ!」
「わっ。ちょ、ちょっとニナ、どうしたのさ。離してよ!」
突然抱き上げられて訳がわからない様子のネーレはおろしてもらおうと暴れるが、片腕だけとはいえかなりの力を持っているニナには敵わなかったようで、そのまま連れ去られていった。
「ええい! 行くぞ!」
「ニナ!?」
ニナがなんで突然あんなことをしたのか。それはわかる気がする。
……多分、ニナも俺と同じ感じだったんだろう。
「……どうかされましたか?」
イリンは俺の顔を覗き込むように尋ねてきたが、俺は今の自分のこの気持ちを口にしていいものか迷ってしまう。
「言葉にしてくれるのでは、なかったのですか?」
イリンにそう言われて、俺は軽く瞑目したあとに口を開いた。
「……ああ。この程度でと自分でも思うが…………少し、嫉妬したよ」
そう。あんな少しのことだったとはいえ、ネーレがイリンを見て顔を赤くし、イリンはネーレを見て笑ったことに、嫉妬した。
どれだけ独占欲が強いんだっていうんだよ。そのことが少し……いや、だいぶ恥ずかしい。
「ふふっ、大丈夫です。あなたが私から離れないと言ってくれたように、私ももう二度とあなたから離れようだなんてしませんよ」
そう言いながらイリンは再び俺の腕に自身の手を絡めて笑う。
たったそれだけのことだというのに俺は少しだけ波立っていた心が静まった。
そのことを理解し、「ああ、やっぱり俺はもう離れることができないな」と実感した。
イリンは昨日の今日で随分な変わり様だった。昨日までのお人形とは違い、ちゃんと人間らしく笑っている。
あまりにも違う様子だが、それがしっかり話をしたおかげだと思うと、少しは変われた様に感じられた。
「私もよ。私も離さないわ。だから、二人して私を除け者にしないでくれないかしら?」
環はイリンとは逆の腕を取り、少し拗ねたように言った。
「ああ、わかってるよ。さ、ニナ達に置いていかれないように行こうか」
そして、俺たちは三人並んで歩き出した。
そしてこれからどうしていきたいのか、何をして欲しいのかなんてことも話した。
俺は今まで甘えていたんだ。
いくらしっかりしていると言っても、いくら成人していると言ってもそれはこの世界基準であり、その大人な見た目と違ってイリンの年齢自体は二十などまだまだ程遠いのだ。
環だってまだ十七……こっちにきてからの時間を考えたとしても十八だ。二人ともまだまだ子供と呼んでもいい年齢だ。
そんな子供に、俺は甘えすぎていたんだ。理解してくれる、ついてきてくれるって。
俺は、これからを変えるためにもまずは二人のことをもっと知らないといけなかった。
だから三人で話をして、夕食をとり、また適当に話をしてから眠りについた。
そして翌朝。まだ日が顔を出したばかりの時間だと言うのに、俺はイリンと環が両サイドに寝た状態で目を覚ました。
俺は目を覚まして両隣の二人を見ると、まだ早い時間だが特に眠くもないし、何かするのであればまずは起きるか、と二人を起こさないように静かに移動する。
だが移動するには両隣にイリンと環が寝ているのだからそのどちらかの上を通らないといけないことになる。
俺は特に意識したわけではないのだがイリンの上を移動していき、その際に目を覚ましたイリンと目があってしまった。
「お、おはよう……」
今の俺はイリンに覆いかぶさるような姿勢になってしまっているせいで、何となくバツの悪さと言うかなんと言うか、そんな感じのものを感じてしまって言葉を詰まらせてしまった。
だがイリンはそんな俺の様子を気にすることなく優しげに微笑んだ。
その笑みは昨日の貼り付けた人形のようなものではなく、俺が好きな、イリンの本心から溢れたものだった。
そうしてイリンは俺に向けて微笑むと、両手を伸ばして俺の頬を挟みこみ、自分の顔へと引き寄せてキスをした。
「はい。おはようございます」
「まさか、結婚して半年程度で離婚の危機を感じることになるなんて思わなかったわ」
早朝、日が昇る前に起きてからは、俺とイリンは部屋に備え付けられていたソファに座って改めて昨日の続きをを話していった。
そうしているうちに日も完全に昇り、環も起き出して今は三人でお茶を飲見ながら話し合っていた。
「それは……まあその……」
結婚してから二年以内に離婚する人、離婚を考える人の数は多いと聞くが、それでも半年は早すぎるだろう。
だが、向こうは新居や何やらの新生活への適応に時間がかかって離婚を考える余裕もないから、新生活に慣れてきた二年目あたりで離婚を考えるようになる。みたいな話も聞いたことがある。
それを踏まえると、結婚してもそれまでの生活とあまり変わっていない俺たちは、新生活に慣れるまでの時間は必要なかったからその分離婚について考えるのも早くてもおかしくない、と言い訳もできる。
それでも十分に早いと思うし、原因は俺なわけだからなんとも言えないけど……。
「そうは言っても、仮に離婚したとしてもイリンがあなたを追いかけるのをやめるとは思わないけどね」
まあイリンが俺から離れようとした理由は俺が嫌いになったからってわけじゃないしな。その点は素直に嬉しい。
イリンは自分が嫌われたらどうなるかわからないと言っていたが、それは俺も同じだ。イリンは俺に依存して、俺はイリンに依存している。
「だって、狂ってるもの」
「狂ってる、ねぇ……」
俺は環の言葉にそう返したが、その言葉も理解できる。
確かにイリンは出会った頃から今に至るまで、多少は落ち着いたとは言っても狂っていると言える行動をしてきた。
寝るときはずっと俺の顔を覗き込んできたり、朝起きると俺の顔を覗き込んでいたり、俺の体臭を嗅いでいたり、陰からずっと見ていたり……。
あとは……俺は普段脱いだ服は収納に入れ、汚れを分けて収納したまま服だけを取り出すことで綺麗な状態にしているのだが、たまにはしっかり洗わないとって言って綺麗にしていない状態の服を回収していく。その後の扱いは知らないが……まあ……まあ、な。
……狂ってるって言うか、なんかただの変態みたいになってきたな。
だがこれも俺が一緒にいることを認めているから何事もなく済んでいるが、認めていなければストーカーだ。ただの変態を取り越したヤバいやつだ。狂っていると言えなくもない。
ストーカーと言うにはいささかハイスペックすぎるけど。
「ええ。少なくとも普通じゃないでしょ? そしてそれは私も同じ。……これでもわたし、客観的に自分を見ることだってできるのよ? いえ、できるようになった、の方が正しいかしら」
言われてみれば、環は再開した当初に比べて随分とまともになったよな。
環の中に取り込まれた洗脳魔術──精神を弄る魔術のかけらがどう作用するかわからないと聞いていたが、その影響もいい感じに安定したと言うことだろう。昨日の環を見ていれば彼女が変わったと言うのはよく分かる。
昨日は環がいてくれて本当に助かった。環がいなければ、イリンは本当に何処かに行ってしまったかもしれないのだから。
「私も十分おかしいけど、イリンもおかしいわ。狂ってる。だって、好きな人が自分のことを好きでいてくれるのに嫌われたくないから離れるって何よ。好きなら何をしてでもそばにいればいいじゃない」
何をしてでも、って言ってるけど、こいつらなら本当に『何をしてでも』そばにいるんだろうな。
「わたしが狂っているのであれば、そんなわたしと張り合おうとするあなたはどうなのですか?」
「当然、私も同じよ。私も恋に、愛に、彰人に狂ってる」
環の言い草に少しムッとしたイリンが問いかけるが、環は何でもないかのようにそう言った。
「でもそれがどうしたのよ。いいじゃない狂ってても。愛に狂うだなんて、素敵じゃない? どんな人が、どんなものが邪魔をしても、その全てを殺して壊して払い除けて、そばにいて愛してもらうために努力をする。そしてその努力を認められて好きな人に愛してもらう。ね? 素敵なことでしょ?」
……ああ、やっぱりちょっとおかしかったわ。
「そもそも、狂うことすらできない愛なんて、そんなの、私にとっては愛じゃない」
……うん。そうか。
そんなことを話しながら話題は昨日のことへと移り、イリンがポツリと呟いた。
「……今思うと、お母さんたちはわかっていたのだと思います」
「わかっていた? イーヴィンさんたちが何をわかっていたって?」
「こうなることを、でしょうか」
こうなること、というのは俺たちが昨日のように喧嘩のようなものをすることだろうか?
「里を出てくるときにお母さんたちからもらった本には色々書かれていましたが、最後に私へのメッセージが書かれていました」
「それはなんて書かれてたのか聞いてもいいのか?」
俺の問いにイリンは黙ったまま頷くとその内容について話し出す。
「話すことは大事だと。たくさん話してたくさん触れ合って、お互いを理解しなさい、と。そう書かれていました」
ああ。それは確かにわかってるな。でなければそんな事をわざわざ本に残してまで伝えたりしない。
「多分、経験談なんだと思います。最後に、イリンと私は似てるから、とも言っていましたから」
俺が原因なのかまではわかっていなかったとは思うが、それでも何かしらの理由でああなる事はわかっていたんだろうな。
「それで、これからどうするの?」
「これから……そういえばニナが迎えに来るとか言ってたと思ったが……」
昨日は自己嫌悪に陥っていたせいであまりよく覚えていない。どうだったっけな、と思い出してると、すぐ近くからキュ~という音が聞こえた。
その音の方へと視線を向けるとイリンが恥ずかしそうにしながらお腹を押さえていたので、今のはイリンの腹の虫だろう。
「……とりあえず朝食にいくか」
「そうね」
「……はい」
そうして俺たちは食堂へと降りていき朝食を取ったのだが、ただそれだけのことが嬉しくて、楽しく思えた。
昨日の今日だ。変わるだなんて言ったところで、そうすぐに変わることはできないだろう。
だがそれでも、今度こそ間違えないようにしようと、そう心に刻んだ。
朝食を終えて部屋に戻りダラダラしていると、部屋をノックする音が聞こえた。扉の外にいたのは宿の従業員で、どうやら客が来ているとの事なので一階に降りていくことにした。
「アンドー」
「ああ、ニナ」
受付の前に立っていたのは、俺の不甲斐なさを教えてくれたニナだった。
「……話はできたみたいだな」
まだ顔を合わせただけだというのに、ニナは俺たちがしっかりと話し合った事を見抜いたようだ。
「おかげさまでな。ああハッキリ言ってくれてありがとう」
「それは皮肉か?」
そうは言ったが、ニナはニッと笑いながら言っていたので、それが冗談だと分かる。
「普通に感謝してるんだよ。──本当にありがとう」
俺が改めて頭を下げて感謝をすると、ニナは照れたように少し顔を逸らしていた。
「それで、今日は何かあるのか? 昨日迎えに来る、みたいな事を言って今こうして実際に来てるわけだし」
頭をあげた俺はそう尋ねる。ニナが迎えに来るとは聞いていたが、それがどんな用事なのかまでは聞いていなかった。というより、聞いてはいたのだろうが頭に入っていなかった。
「ああ。一つは私たちの宿を教えておこうと思ってな。しばらくこの街にいるんだろう? なら知っておいて損はないだろ」
「まあ、この街に知り合いはお前しかいないわけだし、何か用があることもあるだろうからな」
「その時にネーレとも会わせておこうというのもある」
「ああ、そういえばこの首都に居るんだったか」
本当なら前回の街に滞在していた時に会う予定だったのだが、こっちの首都の方に用事ができたとかでネーレという人物は街から離れてしまっていた。
イリンの故郷に何度も行ったことのある人らしいし、イリンが拐われた時に色々と探してくれた人物の一人でもある。一度はあって礼を言っておきたかった。
「で、もう一つが、というかもう一つも面通しだ。冒険者ギルドの本部長に会ってもらいたい。どちらかというとこちらの方が本命だな。前の街で冒険者ギルド支部長のヒズルの時もやったが、例の件はお前達にも関係している。何かあった時のために一度は顔を合わせておいた方がいいだろうと思ってな。それに、お前達から渡されて情報によって多少なりとも進展があったのは事実だ。本部長としてもいずれはお前に会うために動いていたはずだ」
「俺はただ、ベイロンに渡されたものをそのまま差し出しただけだが?」
しかもそれだってあいつの気紛れで、今をもってなおあいつが何を考えて雇い主達の情報を俺に渡したのか、その真意はわからない。
「それでもお前がいなければベイロンはその書類を渡すこともなかっただろう。だからそれは紛れもなくお前の成果だ」
そう言われると、なんだか俺が頑張った感じに思えるな。
実際は舐めプした上に流れに任せて行き当たりばったりで、俺としてはあれはかなり情けないことだと感じているから成果とは思えないが。
「それで、もう行けそうか? それとも準備にかかりそうか?」
「どうだろうな? 朝食はもうとったし俺はいつでもいいけど、二人はちょっと聞いてみないと」
元々部屋に荷物なんかをおいているわけでもないし、二人なら察して準備をしてくれているかもしれないが、昨日話し合って決めると言ったばかりなのに、俺がここで勝手に決めるわけにはいかない。
「そうか。なら……ああ、そこで待ってるから呼んできてもらっても構わないだろうか?」
「ああ。ちょっと行ってくるよ」
そう言って俺はニナと別れ、部屋へと戻っていった。
「イリン、環。出かける準備をしてもらって構わないか?」
「ニナが来たのですね」
「大丈夫よ。というかもう終わってるわ」
早いな。やっぱり俺に客と聞いてからニナの事を察して準備していたか。
でもまあ、迎えに来てくれたニナを待たせる必要がなくなったんだから、それならそれで構わない。
「じゃあ行こうか」
そうして 俺はイリンと環を伴って一階へと降りていく。
その際に二人と手を繋いで歩いて行ったのだが、それはいつもなら手を繋ぐことになってもおずおずと控えめにしているイリンの方から手を伸ばしてきた結果だった。
「ニナ」
「ん? ああ、早かったな」
ニナはそう言うと俺の横にいるイリンと環を見てから口元を緩めて微笑みながら頷いたが、それ以上何かを言うことはなかった。
「もう準備をしていたみたいでな」
「そうか。なら行くとしようか。まあ、それほど離れているわけではないがな」
そう言いながら歩き出したニナの背を追って、俺たちは宿を出てニナの泊まっている宿を目指した。
「ここだな」
だが、歩き出してから十分とかからないくらいでニナは足を止めて、俺たちに振り返った。
「本当に近かったな」
「そう言ったじゃないか」
ニナはそう言って肩を竦めると、止まることなく宿の中に入っていく。
「ネーレ!」
そうして宿の中に入ったニナは、受付のあるホール内を見回すと、そこに設置されていた椅子に座って剣の手入れをしていた一人の少年へと目を止め、自身の恋人の名前を呼びながら早足にその少年へと向かっていった。
おそらくはあの少年がニナの言っていた恋人のネーレなのだろう。
「あ、ニナ。そっちの人が……わぷっ!」
ネーレらしき人物は、自分お名前が呼ばれたことに気がつくと振り向き、ニナに気がつくと手入れをしていた剣から手を離して立ち上がった。
が、ネーレが立ち上がった瞬間、ニナは彼のことを抱きしめたせいでネーレの言葉が最後まで続くことはなかった。
……こうしてみると本当に小さいな。ニナが俺と同じくらいだから百七十としてネーレは……百五十くらいか? 歳は十八って聞いてたけど、もっと若くても通用するなあれは。
「ただいま」
「おかえりなさい。……じゃなくて、ニナ、離してよ」
ネーレはそう言いながら腕を突っ張るようにしてニナの体を突き放すが、ニナはまだ物足りなそうにしている。
……というか、ニナは今までの様子と違いすぎやしないか? ああでも、以前戦闘の時はもっと荒々しかった気もするから、興奮すると性格が変わる感じなんだろうか?
「アンドー、タマキ。こいつがネーレだ!」
物足りなそうにしながらも、やるべきことはしっかりと覚えているようで、ニナは俺たちに紹介を始めた。
「ネーレ。イリンは知ってるだろう? そっちの男がアンドーで、女の方がタマキだ」
「はじめましてネーレさん。安堂彰人と申します。ニナの紹介したようにアンドーと呼んでください」
「私は滝谷環です。私もタマキで構いません。よろしくお願いします」
「はい。僕はネーレです。よろしくお願いします」
俺と環が軽く頭を下げて挨拶をすると、ネーレも同じように挨拶をしてきた。
見た目もだが、性格的にもネーレは冒険者らしくないな。
俺たちは元が日本人だから例外だが、冒険者はもっと荒々しい奴が多いのに、よくこんなんでやってこれたな。
「あの、ところで……そちらの方がイリンさんでよろしいでしょうか?」
ネーレは俺と環への挨拶を終えると、今度は少し不思議そうにしながら俺の隣にいたイリンへと視線を向けてそう言った。
「何を……ああそうか。成長後は会ってなかったんだな。そうだ。この獣人は大きくなったイリンだ」
「お久しぶりです、ネーレさん」
「あ、うん。……元気そうでよかった、です」
そう言って少し照れた様子を見せるネーレとそれを見て笑っているイリンに、俺はぴくりと眉を動かした。
だがそれは自分の意思で動かしたわけではない。気付いたら勝手に動いていたのだ。
「ありがとうございます。その節はお世話になりました」
「う、ううん。結局見つけられなかったわけだし……」
「それでも、探してくださってありがとうございます」
イリンとネーレはそんなふうに離していたのだが、突如ニナがネーレを抱き上げて宿の出口へと歩き出した。
「次はギルドだな。行くぞネーレ!」
「わっ。ちょ、ちょっとニナ、どうしたのさ。離してよ!」
突然抱き上げられて訳がわからない様子のネーレはおろしてもらおうと暴れるが、片腕だけとはいえかなりの力を持っているニナには敵わなかったようで、そのまま連れ去られていった。
「ええい! 行くぞ!」
「ニナ!?」
ニナがなんで突然あんなことをしたのか。それはわかる気がする。
……多分、ニナも俺と同じ感じだったんだろう。
「……どうかされましたか?」
イリンは俺の顔を覗き込むように尋ねてきたが、俺は今の自分のこの気持ちを口にしていいものか迷ってしまう。
「言葉にしてくれるのでは、なかったのですか?」
イリンにそう言われて、俺は軽く瞑目したあとに口を開いた。
「……ああ。この程度でと自分でも思うが…………少し、嫉妬したよ」
そう。あんな少しのことだったとはいえ、ネーレがイリンを見て顔を赤くし、イリンはネーレを見て笑ったことに、嫉妬した。
どれだけ独占欲が強いんだっていうんだよ。そのことが少し……いや、だいぶ恥ずかしい。
「ふふっ、大丈夫です。あなたが私から離れないと言ってくれたように、私ももう二度とあなたから離れようだなんてしませんよ」
そう言いながらイリンは再び俺の腕に自身の手を絡めて笑う。
たったそれだけのことだというのに俺は少しだけ波立っていた心が静まった。
そのことを理解し、「ああ、やっぱり俺はもう離れることができないな」と実感した。
イリンは昨日の今日で随分な変わり様だった。昨日までのお人形とは違い、ちゃんと人間らしく笑っている。
あまりにも違う様子だが、それがしっかり話をしたおかげだと思うと、少しは変われた様に感じられた。
「私もよ。私も離さないわ。だから、二人して私を除け者にしないでくれないかしら?」
環はイリンとは逆の腕を取り、少し拗ねたように言った。
「ああ、わかってるよ。さ、ニナ達に置いていかれないように行こうか」
そして、俺たちは三人並んで歩き出した。
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