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ギルド連合国の騒動

443:話し合い・後

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この話の前に一話ありますので、まだの方はそちらからどうぞ。

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 それまで黙って言われ続けていた環はここにきて静かに、だがはっきりとイリンに向かって言葉をぶつける。
 その言葉には強い想いを込めてあるのが、直接向かい合っていない俺にも理解できた。

「信じてもらえないのは確かに悲しいわ。……でも、それが何だって言うの?」

 環はそう言うと一旦瞑目し、数秒後に再び目を開いて話し出した。

「……私はお城から彰人がいなくなった後、必死になって探した。きっとどこかで生きてる。だから探し出さないとって。また会いたい。会って、きっと困ってるだろうから助けてあげたい、守ってあげたい、そして私を見て欲しい、求めて欲しい。そう思って必死になって努力して、必死になって探し回ってやっと……やっと見つけたの」

 環はそこまで語るとイリンを掴んでいた手を離し、一度振り返ると優しげな笑みの中に悲しげな感情を乗せて俺の姿を見た。

「けど、結果はどう? 努力して努力して、必死になって見つけた彰人のそばには、私じゃなくてあなたがいた。そしてそれまでの努力も、想いも、全部ぶち壊されたわ」

 そして環は再びイリンへと向き直り、話を続けていく。

「今までの自分の努力も想いも否定され、拒絶され、それでも一緒にいる道を選んだ。辛かったわ。だって自分の好きな人の『特別』には自分じゃない別の誰かがいるんだもの。しかもそれを隣で見せつけられる。それを耐えていたと思ったら、今度はその私以外の『特別』の場所にいるあなたから私を受け入れるなんて提案されたんだもの。ものすごく、惨めだった」

 そう言った環は当時のことを思い出しているのか、悔しげに唇を噛み、拳を握りしめて震わせている。

「それでも機会を捨てるものかって耐えて、そうしてやっと自分も『特別』なんだって、自分のことが好きなんだって言ってもらった。そして、私はやっと大好きな人の隣に立てるようになったんだって思った。それなのに頼ってもらえないなんて……悔しくないわけないじゃない」

 そうだ。環は以前イリンの故郷で神獣を倒しにいく時の俺の隣に立てる存在になりたいと言っていた。

 だが俺は、その時は認めはしたものの、結局俺は彼女を頼ることはしていない。
 それは彼女の願いを真正面から否定することと同じ……いや、もっとひどいか。

 俺は、環が俺の隣に立とうと努力しているのを知っていた。
 それなのにその願いを否定して、危険だからとそもそも隣に立つ機会を与えることさえないのだから、ただ環の願いを否定するよりも余計にひどい。

「けど、それがなんだって言うのよ。悔しい? だからどうしたのよ。そばにいたいのなら、そばにいればいいじゃない」

 環はハッキリとそう言うと、しばらくの沈黙の後に再び話し始めた。

「──見返りを求めて尽くしているのではない。尽くしたいから尽くしている。嫌われたとしても、
 どう思われたとしてもそばにいる」

 その言葉は環自身の言葉ではなく、まるで何かをそらんじているかのように感じられる。

「……覚えてないかしら、あなたが私に言ったこと」

 環自身の言葉ではないと思ったのは正しかったようで、今の言葉はイリンが環に言った言葉だったようだ。

「今のあなたは見返りを求めているように見えるけれど?」
「……ええ、そうですね。確かに、そんなことも言いました。ですが、あの時の私は何もわかっていなかった」

 環からかけられた問いかけに、イリンは一瞬動揺したように視線を彷徨わせたが、その後すぐに小さなため息を吐いて答えた。

「見捨てられるのは、怖いのです。一度手にしてわかりました。手にして、幸せを実感することで初めて理解できた。この幸せがなくなってしまったらと思うと、それだけで怖いんです。もし見捨てられたら、もし飽きられたら、もし、もし、もし…………もし、嫌われてしまったら、私は……どうすればいいんですか?」

 イリンは俯いて指輪のなくなった左手を見つめながら言う。

「嫌われることになったとしても、だからと言って私は縋り付くことはしないでしょう。だって、そんなことをすれば、私は私が大好きな人を困らせてしまうから。だからもし嫌われてしまったのであれば、素直に離れましょう」

 両手で自身の顔を覆ったイリンは、嫌だ嫌だとでも言うかのように頭を振る。
 そして、力が抜けたかのようにストンと床に崩れ落ちたが、それでもイリンの言葉は止まらない。

「ですが……ですが、そのあと私はどうすれば良いのですか? たとえ離れたとしても、そばにいたいと言う思いは変わらない。でも、嫌われているのであればそばにいることで困らせてしまう。だから近づけない。でもそばにいたい。ずっと見ていたい。触れていたい。でもどれほど思っても近づけない。そんな、想像しただけで気が狂いそうなことになるくらいなら、いっそ……」

 イリンはそこまで言うと、数回深呼吸をしてから自身の顔を覆っていた両手を離し、笑って環のことを、そして俺のことを見上げた。

「いっそ、最初から嫌われる可能性を排除して、自分の意思など消して、都合のいい女でい続けた方が良いに決まっています。何も求めず、手間が掛からない言うことを聞き続ける都合の良い人形であれば、捨てられることはありませんから」

 だがその笑みはいつもの楽しげなものではなく、今日何度も見た、まさに『人形のような』感情の見えない貼り付けた笑顔だった。

 ……イリンは……イリンは、そんなことを考えていたのか? 俺がふざけたことを考えて、自分勝手な幸せを押し付けていたせいで?

「……今まで明確にそうだと理解していたわけじゃないけれど、ニナさんの言葉を聞いて、あなたと話して、私は私がどうしたいのかはっきりしたわ」

 俺が何も言えずに、何も考えることができずに、ただイリンを見ていると、環は大きくため息を吐いてからそう言った。

「私は、私が大好きな人に私を見て欲しい。私のそばにいて欲しい。求めて欲しい。頼らせて寄りかからせて欲しい」

 それは言葉は変わっていても、以前環が俺に言った事と同じ事だった。だが……

「でも同時に、私も見ていたい。そばにいてあげたい。求めたい。頼られたいし、寄りかかられたい」

 そこから先は違った。
 見ているから見ていてくれ、助けるから助けてくれ、頼りにしてるから頼りにしてくれ。

 以前は求めるだけだった環の言葉は、だが今は自分だけではなくお互いにお互いを求め合う言葉、与え合う言葉へと変わっていた。

「好きな人にはかっこいい姿でいて欲しい。それが私の自分勝手な願いだとわかっていても、それでもやっぱりそうあって欲しい。かっこ悪いところも情けないところも呆れるところもあっても、結局最後には、やっぱりこの人はかっこいいんだって見せつけて欲しい。だって私は私が愛している人がかっこいいんだって知ってるから」

 ……俺はそんなにかっこよくなんてない。もっと情けなくて卑怯で自分勝手な愚か者だ。

 だが俺がいくら環の言葉を心の中で否定しようともそれが声に出ることはなく、それ故に環の言葉も止まることはない。

「あなたは嫌われたくないから自分を捨てて何も求めないと言ったけど、ええ。私も嫌われたくないわ。けど、それでも私は求める。それでも私は文句を言う。文句を言って、注意をして喧嘩をして。それでまた仲良くなって気兼ねすることなく笑い合う。そんなふうに普通に幸せになるの。それが私の願いであり、目標とする姿であり、求める在り方よ」

 環は床に座り込んでいるイリンに向けてそう言い放つと、今度は俺の方へ向き直り、指を突きつけた。

「そして、これが私からあなたへの文句よ。──もっと、私を頼りなさい。もっと私のことを見なさい。私は、あなたが思うほど弱くはないわ!」

 それは初めてのことだった。今まで環にも、そしてイリンにも、多少の提案や意見をされたことはあっても、真っ向から強く意見されたことはなかった。
 それがここにきて、環は自身の言葉の通り俺の考えを否定し、自身の意見を突きつけた。

 それは普通のことであるのは理解している。お互いに意見を言って直していく。それはとても『普通』のことだ。
 だが、今までの俺たちにとっては、それは『普通』ではなかった。

「あなたは確かに私たちのことを信頼していなかったかもしれない。お人形でいることを望んでいたのかもしれない。……でも、それが嫌だって思ったんでしょう? そうじゃいられないって思ったんでしょう? なら変われるわ。だって、私は変われたもの。ただ震えて守られてるだけの存在から、あなたの隣に立てるようになれた。ただ求めるだけだった私は、あなたと一緒に求め合っていきたいと思えるようになれた。私にできたんだから、あなたにもできるわ」

 そこまで言うと、環は一旦言葉を止めて俺へと歩み寄り、両手で俺の顔を挟むと微笑みながら再び口を開く。

「……それに、私はあなたが変われるって信じてるから。あなたはそんな私の期待を裏切ったりしないでしょう?」

 俺は変われるんだと、そう信じてくれている環の期待は、今まで変わりたいと願いながらも結局変わることなどできなかった俺にとっては、とても……とても重いものだった。

 だがそう言った環は、俺がその言葉を否定するはずがないと信じている……いや、否定するなんて始めから考えていないかのような瞳で俺を射抜いている。

「……お前たちの期待は、俺には重いよ……」
「そう。ならどうするの? 期待なんて知ったことかって放り捨てる? それでも私はあなたについていくけど?」
「……それは、できない。……いや、したくないよ」

 俺が好きな人に、そして俺を好きでいてくれる人にここまで言われて、『逃げる』だなんてことは、したくない。だってそれじゃあ、あまりにもかっこ悪すぎる。

「ふふっ。ほら、やっぱりあなたはかっこいいわ。そこでそんなみっともない顔をしながらも、全部捨てようだなんて思わないんだから」

 今の俺はそんなに情けない顔をしているんだろうか? ……いや、きっとしているんだろうな。
 だがそれでも、ここで見栄を張って上っ面だけの笑顔を浮かべているよりはずっといい。

「……それで、あなたはそのままでいいの? そんな這いつくばったままでいいの?」

 そして 環は俺から床に座り込んだままのイリンへと顔を向けると、俺にかけた声とは違い、冷たさと熱さの混じった声で問いかける。

「あなたは、本当にお人形をやってるあなたを愛してもらって嬉しいの? 自分じゃない自分を好きになってもらって、あなたはそれを大事なんだと、本当に誇れるの?」
「わ……わたしは……」
「言いたいことがあるなら、まずは立ちなさい。何も言いたくないならそれでもいい。逃げたいなら逃げればいい。けど、そんな情けない格好で、気持ち悪い笑顔を貼り付けたままでいるなんて、私は許さない。あなたが逃げるのなら、『特別』は私がもらうわ」

 環の言葉を受けて、フラフラと立ち上がるイリン。

 立ち上がったイリンは、それまでの貼り付けた人形のような笑みを消して無表情で俺を見つめ、俺もまた、そんなイリンを見つめ返す。

 だが俺とイリンは向かい合っても何も言うことはなく、ただ黙って見ているだけだった。

 何かを言いたい。だが何を言っていいのかわからない。それでも何かを言わなくちゃと思って口を開くけど、それでもやっぱり何の言葉も出なくて口を閉じてしまう。

 そうして俺が何もできずに時間だけが過ぎていくと、環が俺の腕を叩いて何かを差し出してきた。
 環が差し出してきたそれは、イリンに渡し、そして先ほどイリンの指から外れて落ちた指輪だった。

「環……ありがとう」

 俺は環にそう感謝をを言うと、環はにこりと笑ってから数歩下がった。これ以上は何もしないと言う意思表示だろう。

 俺はそんな環の姿を見てから手の中にある指輪を見つめ、そして顔を上げて再びイリンの顔を見ると深呼吸をし、今度こそ覚悟を決める。向き合う覚悟を。変わる覚悟を。

 だがそんな俺の様子を見たからか、イリンは目に見えて狼狽え出した。

「私は──」
「イリン。ごめんな」

 そしてイリンが何かを言おうとしたが、それに被せるように俺は話し出した。

「俺は何があってもお前を嫌いになったりしない。捨てたりしない。だから、人形でいいなんて、言わないでくれ。そんなことを言わせる原因になったのは俺だけど、でも、俺はそんなお前を望まないよ。もっと意見を言ってくれ。もっと文句を言ってくれ。ダメならダメと、嫌なら嫌と否定してくれ。俺は、自由に笑ってるお前が見たいんだ」

 俺の言葉を聞くにつれイリンの顔に貼り付けられていた無表情の仮面は徐々に崩れていき、遂にはその仮面は完全に消え去り、仮面の無くなったそこには泣いている一人の少女の顔があった。

 幸せにすると言ったはずなのに泣かせてしまっている自分に腹が立つ。
 だがそれでも俺は言葉を止めない。止まってしまえば、何も変えられないから。

「今までお前たちを信じてこれなかった俺が言えることじゃないけど、俺を信じてくれ。俺は変わるからさ。これからは本当の意味でお前達と一緒に進んでいけるようになるから。だから、お前は俺が変われるって信じていてくれ」

 これからは今まで見たいな自分勝手な幸せの押し付けなんてしない。独りよがりな好意になんて何の意味もないんだから。
 話し合って、お互いの意見をすり合わせて、最高ではないかもしれないけど、それでも最良の選択をしていく。
 そんなふうにして、笑っていられるようになりたいんだ。

「……それとも、やっぱり俺は信じられないか?」
「ちがうっ!」

 いつまで経っても答えないイリンに不安になった俺はそう尋ねたのだが、その自分でも分かるほどに震えた声を聞いて、それまで逃げるような及び腰だったイリンは叫びながら勢いよく抱きついてきた。

「わ、わたしだって……わたしだってもっとあなたと笑っていたいっ!」

 俺に縋り付くような格好で涙を浮かべながら大きな声ではっきりと言ったイリンの姿を見て、俺は安心するとイリンの体を少し話してその左手をとった。

 そして環から渡されていた指輪をもう一度イリンの左手の薬指へと嵌めた。

「なら、これからも頼むよ。俺の隣で、ずっと一緒にいてくれ」
「──はい゛」

 そうして俺たちはもう一度始まった。
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